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家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文



     とちゅう

 四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人はおにでもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人ろうじんはわたしを食べようというよくもなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
 わたしはまもなくそれがわかった。
 ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上ちょうじょうで、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
 わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
 わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人ろうじんは言った、「きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえにやさしくはしてくれたろう。それでおまえもいていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主ていしゅがおまえをうちにきたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけにほねれるのだ。そのうえおまえをやしなっていては、自分たちがえて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ心得こころえてもらいたいことがある。世の中は戦争せんそうのようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」
 そうだ、老人ろうじんの言ったことはほんとうであった。とうと経験けいけんから出た訓言くんげん(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『わかれのつらさ』ということであった。
 わたしはもう二度とこの世の中で、いちばんきだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。
「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば不幸ふしあわせなことはないよ」と老人ろうじんは言った。「孤児院こいじんなどへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの広野原ひろのはらだ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」
 こう言ってかれは目の前のあれた高原こうげんを指さした。そこにはやせこけたえにしだが、風のまにまに波のようにうねっていた。
 にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
 このせいの高い老人ろうじんは、ともかく親切しんせつな主人であるらしい。
 わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。
 老人ろうじんはジョリクールをかたの上に乗せたり、背嚢はいのうの中に入れたりして、しじゅう規則きそく正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
 ときどき老人はかれらにやさしいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
 かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのがせいいっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだしなかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
 このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、本音ほんねをふいたな」とヴィタリスがわらいながら言った。「それではくつがしいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎをそこに打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
 そこにくぎを打ったくつ、わたしは得意とくいでたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいこともわすれてしまった。
 くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
 まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意とくいになるだろう。
 けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
 わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
 ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなくほねまで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨までえきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいたおぼえがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
 ところがこの村には一けんも宿屋やどやというものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引きれて、ぬれねずみになった同勢どうぜいをとめようという者はなかった。
「うちは宿屋やどやじゃないよ」
 こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けんことわられた。
 これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよつめたく骨身ほねみに通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
 やっとのことで一けんの百姓家ひゃくしょうやがいくらか親切があって、わたしたちを納屋なやにとめることを承知しょうちしてくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家ひゃくしょうやの主人はヴィタリス老人ろうじんに言った。
 それでもとにかく、風雨をふせぐ屋根だけはできたのであった。
 老人ろうじん食料しょくりょうなしに旅をするような不注意ふちゅういな人ではなかった。かれは背中せなかにしょっていた背嚢はいのうから一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
 さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間なかま規律きりつを立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿やどさがして歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人ろうじんはただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜はおぼえていろ」とだけ言った。
 わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことはわすれて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
 ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中にいて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
 老人ろうじん命令めいれいするような調子で言った。「どろぼうは仲間なかまをはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」
 ゼルビノはせきを去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草のんである下にもぐりこんで、姿すがたが見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくんいている声が聞こえた。
 老人ろうじんはそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。
 どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、あたたかいの火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな寝台ねだいがこいしいな。
 もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれていたんだ。着物はぬれしょぼたれているので、つめたくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。
「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と老人ろうじんが言った。
「ええ、少し」
 わたしはかれが背嚢はいのうを開ける音を聞いた。
「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきにあたたかになってねむられるよ」
 でも老人ろうじんが言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨のる中を歩いて、寒さにふるえながら、物置ものおきの中にねて、夕食にはたった一きれのかたパンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。
 わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。
 そのときふとあたたかい息が顔の上にかかるように思った。
 わたしは手をばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいをやさしくかぎ回る息が、わたしのほおにもかみにもかかった。
 この犬はなにをしようというのであろう。
 やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上にころげて、それはごくしずかにわたしの手をなめ始めた。
 わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、そのつめたい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったようなごえを立てたが、やがて手早く前足をわたしの手にあずけて、じつとおとなしくしていた。
 わたしはつかれも悲しみもわすれた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。


     初舞台はつぶたい

 そのあくる日は早く出発した。
 空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度つづけてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。
「元気を出せ、しっかり、しっかり」
 こう言っているのであった。
 かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬ののふり方にはたいていの人のしたや口で言う以上いじょう頓知とんち能弁のうべんがふくまれていた。わたしとカピの間にはことばはらなかった。はじめての日からおたがいの心持ちはわかっていた。
 わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、はじめて町を見るのはなにより楽しみであった。
 でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町のとうや古い建物たてものなどよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。
 老人ろうじんがやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。
 わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は市場いちばの後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い鉄砲てっぽうだの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。
 わたしたちは三段だんほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな部屋へやにはいった。
 くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。
 けれども老人ろうじんにはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの十倍ばいも重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。
 老人のなさけはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、毛織けおりのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品はのこらずそろった。
 まあ、あさの着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの老人ろうじんは世界じゅうでいちばんいい人でいちばんなさけ深い人だと思われた。
 もっともそのビロードは油じみていたし、毛織けおりのズボンはかなりやぶれていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。
 ところで宿屋やどやに帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、老人ろうじんがはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。
 わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。
「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは説明せつめいした。
 わたしはいよいよびっくりしてしまった。
「わたしたちは芸人げいにんだろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」
 こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、そのばんはもうイタリアの子どもになっていた。
 ズボンはやっとひざまでとどいた。老人ろうじんはくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンをむすびつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
 わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足まんぞくしたふうで前足を出した。
 わたしはカピの賛成さんせいたのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中さいちゅうれいのジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるようにわらったので、一方にそういう実意のある賛成者さんせいしゃのできたのがよけいにうれしかったのである。
 いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールとなかよくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにしたわらかたをしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早くはたらかせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と最後さいごにぼうしを頭にかぶると老人ろうじんが言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたはいちの立つ日だから、おまえは初舞台はつぶたいつとめなければならない」
 初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
 老人ろうじんはそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手あいて芝居しばいをすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして芝居しばいをするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当げいとうをやるのでも、みんなけいこをしておぼえたのだ。ずいぶんほねれたことではあったが、その代わりごらん、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強がる。とにかく仕事にかかろう」
 これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる狂言きょうげんは、『ジョリクールの家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういうすじだ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足まんぞくしていたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクールの所へ奉公口ほうこうぐちさがしにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが芝居しばいだよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人がわらいさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえははじめてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居しばいに使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
 このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一まいいてあった。
 どうしてこれだけのものをならべようか。
 わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、はらをかかえてわらいだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしがせんに使っていた子どもは狡猾こうかつそうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然しぜんでいい。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居しばいがわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずにこまっている心持ちをわすれないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根しょうねは、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居しばいのおかしいところなのだ」
 『ジョリクールの家来』は大芝居おおしばいというのではなかったから、二十分より長くはつづかなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれはきびしい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
 これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
 わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順じゅうじゅんでもないのだ。かれは教えられたことはわけなくおぼえるが、すぐそれをわすれてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質せいしつだ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心りょうしんを持たない。あれには義務ぎむということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生おぼえておいで」
 こういう話をしているうち、わたしは勇気ゆうきをふるい起こして、芝居しばいのけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問しつもんした。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
 かれはにっこりわらった。「おまえは百姓ひゃくしょうたちの仲間なかまにいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないとぼうでぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。やさしくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓きょうくんをあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性ひんせいを作ってくれた」
 わたしはわらった。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなおつづけた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓きょうくんさずけるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
 すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。そのいぬを見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗ごうとうの犬はどろぼうをする。ばかな百姓ひゃくしょうが飼い犬はばかで、もののわからないものだ。親切な礼儀れいぎ正しい人は、やはり気質きしつのいい犬を飼っている」
 わたしはあしたおおぜいの前にあらわれるということを思うと、むねがどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
 わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、はらをかかえてわらうところを見た。
 あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、芝居しばいをするはずのさかり場まで行列を作って行った。
 親方が先に立って行った。せいの高いかれは首をまっすぐに立て、むねを前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で拍子ひょうしをとって行った。その後ろにカピがつづいた。イギリスの大将たいしょう軍服ぐんぷくをまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の羽根はねでかざったかぶとをかぶったジョリクールがその背中せなかにいばって乗っていた。
 ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。
 わたしがしんがりをつとめていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり適当てきとうな間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。
 なによりも親方のふくするどいふえのにひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家のまどという窓はカーテンが引き上げられた。
 子どもたちのれがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。
 わたしたちの芝居小屋しばいごやはさっそくできあがった。四本の木になわをむすび回して、その長方形のまん中にわたしたちは陣取じんどったのである。
 番組の第一は犬のえんじるいろいろな芸当げいとうであった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を復習ふくしゅうすることにばかり気を取られていた。わたしが記憶きおくしていたことは、親方がふえをそばへき、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、しずかな悲しい調子の曲であることもあった。なわりの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。
 一番の芸当げいとうが終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中でぜにを入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんなわらいだして、うれしがってときの声を上げた。
 じょうだんや、嘲笑ちょうしょうのささやきがそこここに起こった。
「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」
「そら、ここに手をかけた」
「出すだろうよ」
「出すもんか」
「おじさんから遺産いさんをもらったくせに、けちな男だなあ」
 さてとうとう銀貨ぎんかが一まいおくふかいかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一ごんもものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが得意とくいらしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。
 いよいよ芝居しばいの始まりである。
「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」
 親方は、片手かたてゆみ、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら口上こうじょうべだした。
「これより『ジョリクールの家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇きげきをごらんにいれたてまつります。わたくしほどの芸人げいにんが、手前みそに狂言きょうげん功能こうのうをならべたり、一座いちざの役者のちょうちん持ちをして、自分からひんを下げるようなことはいたしませぬ。ただ一ごん申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お手拍子てびょうしごかっさいのご用意をねがっておくことだけでございます。はじまり」
 親方はゆかいな喜劇きげきだと言ったが、じつはだんまりの身ぶり狂言きょうげんにすぎなかった。それもそのはずで、立役者たてやくしゃの二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。
 けれども見物に芝居しばいをよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで説明せつめいした。
 そこでたとえばいさましい戦争せんそうの曲をひきながら、かれはジョリクール大将たいしょうが登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび功名こうみょうあらわして、いまの高い地位ちいにのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の奴隷どれいであったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。
 家来の来るのを待つあいだに、大将は葉巻はまきをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、見物みものであった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピにれられて舞台ぶたいあらわれることになる。
 わたしが役をわすれていれば犬が教えてくれるはずになっていた。
 やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、大将たいしょうがわたしを紹介しょうかいした。
 大将たいしょうはわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざれて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうしてかたをそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。
 芝居しばいがまたいかにもわたしのあほうさのそこが知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。
 いろいろとわたしを試験しけんをしてみたすえ大将たいしょうはかわいそうになって、とにかく朝飯あさめしべさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。
「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が口上こうじょうをはさんだ。
 わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には食器しょっきがならんで、さらの上にナプキンがいてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。
 カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。
 そのとき大将たいしょうはらをかかえて大笑おおわらいをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。
 わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。
 やがて思いついたことがあって、わたしはそれをまるいてネクタイにした。大将たいしょうがもっとわらった。カピがまたでんぐり返しを打った。
 そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている朝飯あさめしを食べだした。
 ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に軍服ぐんぷくのボタンのあなにナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む優美ゆうびなしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、器用きように歯をせせって(つついて)見せたとき、れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、芝居しばいはめでたくまいおさめた。
「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」
 宿屋やどやに帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな喜劇役者きげきやくしゃになって、主人からおほめのことばをいただいて、得意とくいになるほどになったのである。


 

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