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家なき子(いえなきこ)01
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とちゅう
四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人は鬼でもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人はわたしを食べようという欲もなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。 わたしはまもなくそれがわかった。 ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上で、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。 「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」 わたしたちはしばらくだまって歩いていた。 わたしはふとため息を一つした。 「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人は言った、「泣きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえに優しくはしてくれたろう。それでおまえも好いていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主がおまえをうちに置きたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけに骨が折れるのだ。そのうえおまえを養っていては、自分たちが飢えて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ心得てもらいたいことがある。世の中は戦争のようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」 そうだ、老人の言ったことはほんとうであった。貴い経験から出た訓言(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『別れのつらさ』ということであった。 わたしはもう二度とこの世の中で、いちばん好きだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。 「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば不幸せなことはないよ」と老人は言った。「孤児院などへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの広野原だ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」 こう言ってかれは目の前のあれた高原を指さした。そこにはやせこけたえにしだが、風のまにまに波のようにうねっていた。 にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。 この背の高い老人は、ともかく親切な主人であるらしい。 わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。 老人はジョリクールを肩の上に乗せたり、背嚢の中に入れたりして、しじゅう規則正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。 ときどき老人はかれらに優しいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。 かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのが精いっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだし得なかった。 「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」 このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。 「ユッセルまではまだ遠いんですか」 「ははあ、本音をふいたな」とヴィタリスが笑いながら言った。「それではくつが欲しいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎを底に打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」 底にくぎを打ったくつ、わたしは得意でたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいことも忘れてしまった。 くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。 まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意になるだろう。 けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。 わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。 ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれ家ににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなく骨まで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨まで冷えきっていた。 「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。 「知りません。かぜをひいた覚えがないから」 「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」 ところがこの村には一けんも宿屋というものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引き連れて、ぬれねずみになった同勢をとめようという者はなかった。 「うちは宿屋じゃないよ」 こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けん断られた。 これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよ冷たく骨身に通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。 やっとのことで一けんの百姓家がいくらか親切があって、わたしたちを納屋にとめることを承知してくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。 「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家の主人はヴィタリス老人に言った。 それでもとにかく、風雨を防ぐ屋根だけはできたのであった。 老人は食料なしに旅をするような不注意な人ではなかった。かれは背中にしょっていた背嚢から一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。 さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間の規律を立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿を探して歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人はただ、 「よしよし、ゼルビノ……今夜は覚えていろ」とだけ言った。 わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことは忘れて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。 ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中に置いて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。 老人は命令するような調子で言った。「どろぼうは仲間をはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」 ゼルビノは席を去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草の積んである下にもぐりこんで、姿が見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくん泣いている声が聞こえた。 老人はそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。 どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、暖かい炉の火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな寝台がこいしいな。 もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれて痛んだ。着物はぬれしょぼたれているので、冷たくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。 「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と老人が言った。 「ええ、少し」 わたしはかれが背嚢を開ける音を聞いた。 「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきに暖かになってねむられるよ」 でも老人が言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨の降る中を歩いて、寒さにふるえながら、物置きの中にねて、夕食にはたった一きれの固パンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。 わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。 そのときふと暖かい息が顔の上にかかるように思った。 わたしは手を延ばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいを優しくかぎ回る息が、わたしのほおにも髪の毛にもかかった。 この犬はなにをしようというのであろう。 やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上に転げて、それはごく静かにわたしの手をなめ始めた。 わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、その冷たい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったような泣き声を立てたが、やがて手早く前足をわたしの手に預けて、じつとおとなしくしていた。 わたしはつかれも悲しみも忘れた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。
初舞台
そのあくる日は早く出発した。 空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度続けてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。 「元気を出せ、しっかり、しっかり」 こう言っているのであった。 かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬の尾のふり方にはたいていの人の舌や口で言う以上の頓知と能弁がふくまれていた。わたしとカピの間にはことばは要らなかった。初めての日からおたがいの心持ちはわかっていた。 わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、初めて町を見るのはなにより楽しみであった。 でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町の塔や古い建物などよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。 老人がやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。 わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は市場の後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い鉄砲だの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。 わたしたちは三段ほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな部屋にはいった。 くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。 けれども老人にはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの十倍も重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。 老人の情けはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、毛織りのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品は残らずそろった。 まあ、麻の着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの老人は世界じゅうでいちばんいい人でいちばん情け深い人だと思われた。 もっともそのビロードは油じみていたし、毛織りのズボンはかなり破れていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。 ところで宿屋に帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、老人がはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。 わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。 「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは説明した。 わたしはいよいよびっくりしてしまった。 「わたしたちは芸人だろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」 こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、その晩はもうイタリアの子どもになっていた。 ズボンはやっとひざまで届いた。老人はくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンを結びつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。 わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足したふうで前足を出した。 わたしはカピの賛成を得たのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中、例のジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるように笑ったので、一方にそういう実意のある賛成者のできたのがよけいにうれしかったのである。 いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールと仲よくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにした笑い方をしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早く働かせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。 「さあ仕度ができたら」と最後にぼうしを頭にかぶると老人が言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたは市の立つ日だから、おまえは初舞台を務めなければならない」 初舞台。初舞台とはどんなことだろう。 老人はそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手に芝居をすることだと教えてくれた。 「でもぼく、どうして芝居をするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。 「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当をやるのでも、みんなけいこをして覚えたのだ。ずいぶん骨の折れたことではあったが、その代わりご覧、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強が要る。とにかく仕事にかかろう」 これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。 「さてわたしたちのやる狂言は、『ジョリクール氏の家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういう筋だ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足していたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」 「やあ、ぼくと同じ名前の……」 「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクール氏の所へ奉公口を探しにいなかから出て来たのだ」 「おさるに家来はないでしょう」 「そこが芝居だよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」 「おお、ぼく、そんなこといやです」 「人が笑いさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえは初めてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居に使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」 このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一枚置いてあった。 どうしてこれだけのものをならべようか。 わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、腹をかかえて笑いだした。 「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしが先に使っていた子どもは狡猾そうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然でいい。どうしてすばらしいものだ」 「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」 「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居がわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずに困っている心持ちを忘れないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根は、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居のおかしいところなのだ」 『ジョリクール氏の家来』は大芝居というのではなかったから、二十分より長くは続かなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。 「さあ、もう一度やり直しだ」とかれは厳しい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」 これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。 わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順でもないのだ。かれは教えられたことはわけなく覚えるが、すぐそれを忘れてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質だ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心を持たない。あれには義務ということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」 「ええ」 「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生覚えておいで」 こういう話をしているうち、わたしは勇気をふるい起こして、芝居のけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。 かれはにっこり笑った。「おまえは百姓たちの仲間にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと棒でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。優しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性を作ってくれた」 わたしは笑った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお続けた。 「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓を授けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。 すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その飼い犬を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗の犬はどろぼうをする。ばかな百姓が飼い犬はばかで、もののわからないものだ。親切な礼儀正しい人は、やはり気質のいい犬を飼っている」 わたしはあしたおおぜいの前に現れるということを思うと、胸がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。 わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、腹をかかえて笑うところを見た。 あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、芝居をするはずのさかり場まで行列を作って行った。 親方が先に立って行った。背の高いかれは首をまっすぐに立て、胸を前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で拍子をとって行った。その後ろにカピが続いた。イギリスの大将の軍服をまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の羽根でかざったかぶとをかぶったジョリクールがその背中にいばって乗っていた。 ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。 わたしがしんがりを務めていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり適当な間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。 なによりも親方のふくするどいふえの音にひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家の窓という窓はカーテンが引き上げられた。 子どもたちの群れがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。 わたしたちの芝居小屋はさっそくできあがった。四本の木になわを結び回して、その長方形のまん中にわたしたちは陣取ったのである。 番組の第一は犬の演じるいろいろな芸当であった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を復習することにばかり気を取られていた。わたしが記憶していたことは、親方がふえをそばへ置き、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、静かな悲しい調子の曲であることもあった。なわ張りの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。 一番の芸当が終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中で銭を入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんな笑いだして、うれしがってときの声を上げた。 じょうだんや、嘲笑のささやきがそこここに起こった。 「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」 「そら、ここに手をかけた」 「出すだろうよ」 「出すもんか」 「おじさんから遺産をもらったくせに、けちな男だなあ」 さてとうとう銀貨が一枚おく深いかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一言もものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが得意らしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。 いよいよ芝居の始まりである。 「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」 親方は、片手に弓、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら口上を述べだした。 「これより『ジョリクール氏の家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇をごらんにいれたてまつります。わたくしほどの芸人が、手前みそに狂言の功能をならべたり、一座の役者のちょうちん持ちをして、自分から品を下げるようなことはいたしませぬ。ただ一言申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お手拍子ごかっさいのご用意を願っておくことだけでございます。始まり」 親方はゆかいな喜劇だと言ったが、じつはだんまりの身ぶり狂言にすぎなかった。それもそのはずで、立役者の二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。 けれども見物に芝居をよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで説明した。 そこでたとえば勇ましい戦争の曲をひきながら、かれはジョリクール大将が登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび功名を現して、いまの高い地位にのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の奴隷であったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。 家来の来るのを待つあいだに、大将は葉巻きをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、見物であった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピに連れられて舞台に現れることになる。 わたしが役を忘れていれば犬が教えてくれるはずになっていた。 やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、大将がわたしを紹介した。 大将はわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざ連れて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうして肩をそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。 芝居がまたいかにもわたしのあほうさの底が知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。 いろいろとわたしを試験をしてみた末、大将はかわいそうになって、とにかく朝飯を食べさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。 「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が口上をはさんだ。 わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には食器がならんで、さらの上にナプキンが置いてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。 カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。 そのとき大将が腹をかかえて大笑いをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。 わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。 やがて思いついたことがあって、わたしはそれを丸く巻いてネクタイにした。大将がもっと笑った。カピがまたでんぐり返しを打った。 そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている朝飯を食べだした。 ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に軍服のボタンの穴にナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む優美なしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、器用に歯をせせって(つついて)見せたとき、割れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、芝居はめでたくまい納めた。 「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」 宿屋に帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな喜劇役者になって、主人からおほめのことばをいただいて、得意になるほどになったのである。
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作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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