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家なき子(いえなきこ)01
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養父
おっかあはご亭主にだきついた。わたしもそのあとから同じことをしようとすると、かれはつえをつき出してわたしを止めた。 「なんだ、こいつは……おめえいまなんとか言ったっけな」 「ええ、そう、でも……ほんとうはそうではないけれど……そのわけは……」 「ふん、ほんとうなものか。ほんとうなものか」 かれはつえをふり上げたままわたしのほうへ向かって来た。思わずわたしは後じさりをした。 なにをわたしがしたろう。なんの罪があるというのだ。わたしはただだきつこうとしたのだ。 わたしはおずおずかれの顔を見上げたが、かれはおっかあのほうをふり向いて話をしていた。 「じゃあ感心に謝肉祭のお祝いをするのだな、まあけっこうよ。おれは腹が減っているのだ。晩飯はなんのごちそうだ」とかれは言った。 「どら焼きとりんごの揚げ物をこしらえているところですよ」 「そうらしいて。だが何里も遠道をかけて来た者に、まさかどら焼きでごめんをこうむるつもりではあるまい」 「ほかになんにもないんですよ。なにしろおまえさんが帰るとは思わなかったからね」 「なんだ、なんにもない。夕飯にはなにもないのか」とかれは台所を見回した。 「バターがあるぞ」 かれは天井をあお向いて見た。いつも塩ぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。 「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どら焼きなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」 どら焼きをなべから出してしまえというのだ。 でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご亭主の言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主は炉のすみのいすにこしをかけていた。 わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動き得なかった。食卓に背中を向けたまま、わたしはかれの顔を見た。 かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右の肩のほうへ曲がっていた。かたわになったので、よけいこの男の人相を悪くした。 バルブレンのおっかあはまたおなべを火の上にのせた。 「おめえ、それっぱかりのバターでスープをこしらえるつもりか」とかれは言いながら、バターのはいったさらをつかんで、それをみんななべの中へあけてしまった。もうバターはなくなった……それで、もうどら焼きもなくなったのだ。 これがほかの場合だったら、こんな災難に会えば、どんなにくやしかったかしれない。だが、わたしはもうどら焼きもりんごの揚げ物も思わなかった。わたしの心の中にいっぱいになっている考えは、こんなに意地の悪い男が、いったいどうしてわたしの父親だろうかということであった。 「ぼくのとっつぁん」――うっとりとわたしはこのことばを心の中でくり返した。 いったい父親というものはどんなものだろう、それをはっきりと考えたことはなかった。ただぼんやり、それはつまり、母親の声の大きいのくらいに考えていた。ところが、いま天から降って来たこの男を見ると、わたしはひじょうにいやだったし、こわらしかった(おそろしかった)。 わたしがかれにだきつこうとすると、かれはつえでわたしをつきのけた。なぜだ。これがおっかあなら、だきつこうとする者をつきのけるようなことはしなかった。どうして、おっかあはいつだってわたしをしっかりとだきしめてくれた。 「これ、でくのぼうのようにそんな所につっ立っていないで、来て、さらでもならべろ」とかれは言った。 わたしはあわててそのとおりにしようとして、危なくたおれそこなった。スープはでき上がった。バルブレンのおっかあはそれをさらに入れた。 するとかれは炉ばたから立ち上がって、食卓の前にこしをかけて食べ始めた。合い間合い間には、じろじろわたしの顔を見るのであった。わたしはそれが気味が悪くって、食事がのどに通らなかった。わたしも横目でかれを見たが、向こうの目と出会うと、あわてて目をそらしてしまった。 「こいつはいつもこのくらいしか食わないのか」とかれはふいにこうたずねた。 「きっとおなかがいいんですよ」 「しょうがねえやつだなあ。こればかりしかはいらないようじゃあ」 バルブレンのおっかあは話をしたがらない様子であった。あちらこちらと働き回って、ご亭主のお給仕ばかりしていた。 「てめえ、腹は減らねえのか」 「ええ」 「うん、じゃあすぐとこへはいってねろ。ねたらすぐねつけよ。早くしないとひどいぞ」 おっかあはわたしに、なにも言わずに言うとおりにしろと目で知らせた。しかしこの警告を待つまでもなかった。わたしはひと言も口答えをしようとは思わなかった。 たいていのびんぼう人の家がそうであるように、わたしたちの家の台所も、やはり寝部屋をかねていた。炉のそばには食事の道具が残らずあった。食卓もパンのはこもなべも食器だなもあった。そうして、部屋の向こうの角が寝部屋であった。一方の角にバルブレンのおっかあの大きな寝台があった。その向こうの角のくぼんだおし入れのような所にわたしの寝台があって、赤い模様のカーテンがかかっていた。 わたしは急いでねまきに着かえて、ねどこにもぐりこんだ。けれど、とても目がくっつくものではなかった。わたしはひどくおどかされて、ひじょうにふゆかいであった。 どうしてこの男がわたしのとっつぁんだろう。ほんとうにそうだったら、なぜ人をこんなにひどくあつかうのだろう。 わたしは鼻をかべにつけたまま、こんなことを考えるのはきれいにやめて、言いつかったとおり、すぐねむろうと骨を折ったがだめだった。まるで目がさえてねつかれない。こんなに目のさえたことはなかった。 どのくらいたったかわからないが、しばらくしてだれかがわたしの寝台のそばに寄って来た。そろそろと引きずるような重苦しい足音で、それがおっかあでないということはすぐにわかった。 わたしはほおの上に温かい息を感じた。 「てめえ、もうねむったのか」とするどい声が言った。 わたしは返事をしないようにした。「ひどいぞ」と言ったおそろしいことばが、まだ耳の中でがんがん聞こえていた。 「ねむっているんですよ」とおっかあが言った。「あの子はとこにはいるとすぐに目がくっつくのだから、だいじょうぶなにを言っても聞こえやしませんよ」 わたしはむろん、「いいえ、ねむっていません」と言わねばならないはずであったが、言えなかった。わたしはねむれと言いつけられた。それをまだねむらずにいた。わたしが悪かった。 「それでおまえさん、裁判のほうはどうなったの」とおっかあが言った。 「だめよ。裁判所ではおれが足場の下にいたのが悪いと言うのだ」そう言ってかれはこぶしで食卓をごつんと打って、なんだかわけのわからないことを言って、しきりにののしっていた。 「裁判には負けるし、金はなくなるし、かたわにはなるし、びんぼうがじろじろ面をねめつけて(にらみつけて)いる。それだけでもまだ足りねえつもりか、うちへ帰って来ればがきがいる。なぜおれが言ったとおりにしなかったのだ」 「でもできなかったもの」 「孤児院へ連れて行くことができなかったのか」 「だってあんな小さな子を捨てることはできないよ。自分の乳で育ててかわいくなっているのだもの」 「あいつはてめえの子じゃあねえのだ」 「そうさ。わたしもおまえさんの言うとおりにしようと思ったのだけれど、ちょうどそのとき、あの子が加減が悪くなったので」 「加減が悪く」 「ああ、だからどうにもあすこへ連れては行けなかったのだよ。死んだかもしれないからねえ」 「だがよくなってから、どうした」 「ええ、すぐにはよくならなかったしね、やっといいと思うと、また病気になったりしたものだから。かわいそうにそれはひどくせきをして、聞いていられないようだった。うちのニコラぼうもそんなふうにして死んだのだからねえ。わたしがこの子を孤児院に送ればやっぱり死んだかもしれないよ」 「だが……あとでは」 「ああ、だんだんそのうちに時がたって、延び延びになってしまったのだよ」 「いったいいくつになったのだ」 「八つさ」 「うん、そうか。じやあ、これからでもいいや。どうせもっと早く行くはずだったのだ。だが、いまじゃあ行くのもいやがるだろう」 「まあ、ジェローム、おまえさん、いけない……そんなことはしないでおくれ」 「いけない、なにがいけないのだ。いつまでもああしてうちに置けると思うか」 しばらく二人ともだまり返った。わたしは息もできなかった。のどの中にかたまりができたようであった。 しばらくして.バルブレンのおっかあが言った。 「まあ、パリへ出て、おまえさんもずいぶん人が変わったねえ。おまえさん、行くまえにはそんなことは言わない人だったがねえ」 「そうだったかもしれない。だが、パリへ行っておれの人が変わったかしれないが、そこはおれを半殺しにもした。おれはもう働くことはできない。もう金はない。牛は売ってしまった。おれたちの口をぬらすことさえおぼつかないのに、おたがいの子でもないがきを養うことができるか」 「あの子はわたしの子だよ」 「あいつはおれの子でもないが、きさまの子でもないぞ。それにぜんたい百姓の子どもじゃあない。びんぼう人の子どもじゃあない。きゃしゃすぎて物もろくに食えないし、手足もあれじゃあ働けない」 「あの子は村でいちばん器量よしの子どもだよ」 「器量がよくないとは言いやしない。だがじょうぶな子ではないと言うのだ。あんなひょろひょろした肩をしたこぞうが労働者になれると思うか。ありゃあ町の子どもだ。町の子どもを置く席はないのだ」 「いいえ、あの子はいい子ですよ。りこうで、物がわかって、それで優しいのだから、あの子はわたしたちのために働いてくれますよ」 「だが、さし当たりは、おれたちがあいつのために働いてやらなければならない。それはまっぴらだ」 「もしかあの子のふた親が引き取りに来たらどうします」 「あいつのふた親だと。いったいあいつにはふた親があったのか。あればいままでに訪ねて来そうなものだ。あいつのふた親が訪ねて来て、これまでの養育料をはらって行くなどと考えたのが、ずいぶんばかげきっていた。気ちがいじみていた。あの子がレースのへりつきのやわらかい産着を着ていたからといって、ふた親があいつを訪ねに来ると思うことができるか。それに、もう死んでいるのだ。きっと」 「いいや、そんなことはない。いつか訪ねて来るかもしれない……」 「女というやつはなかなか強情なものだなあ」 「でも訪ねて来たら」 「ふん、そうなりゃ孤児院へ差し向けてやる。だがもう話はたくさんだ。おれはあしたは村長さんの所へあいつを連れて行って相談する。今夜はこれからフランスアの所へ行って来る。一時間ばかりしたら帰って来るからな」 そのあいだにわたしはさっそく寝台の上で起き上がって、おっかあを呼んだ。 「ねえ、おっかあ」 かの女はわたしの寝台のほうへかけてやって来た。 「ぼくを孤児院へやるの」 「いいえ、ルミぼう、そんなことはないよ」 かの女はわたしにキッスをして、しっかりとうでにだきしめた。そうするとわたしもうれしくなって、ほおの上のなみだがかわいた。 「じゃあおまえ、ねむってはいなかったのだね」とかの女は優しくたずねた。 「ぼく、わざとしたんじゃないから」 「わたしは、おまえをしかっているのではない。じゃあ、あの人の言ったことを聞いたろうねえ」 「ええ、あなたはぼくのおっかあではないんだって……そしてあの人もぼくのとっつぁんではないんだって」 このあとのことばを、わたしは同じ調子では言わなかった。なぜというと、この婦人がわたしの母親でないことを知ったのは情けなかったが、同時にあの男が父親でないことがわかったのは、なんだか得意でうれしかった。このわたしの心の中の矛盾はおのずと声に現れたが、おっかあはそれに気がつかないらしかった。 「まあわたしはおまえにほんとうのことを言わなければならないはずであったけれど、おまえがあまりわたしの子どもになりすぎたものだから、ついほんとうの母親でないとは言いだしにくかったのだよ。おまえ、ジェロームの言ったことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の並木通りで拾って来たのだよ。二月の朝早くのことで、あの人が仕事に出かけようとするとちゅうで、赤んぼうの泣き声を聞いて、おまえをある庭の門口で拾って来たのだ。あの人はだれか人を呼ぼうと思って見回しながら、声をかけると、一人の男が木のかげから出て来て、あわててにげ出したそうだよ。おまえ[#「おまえ」は底本では「おえ」]を捨てた男が、だれか拾うか見届けていたとみえる。おまえがそのとき、だれか拾ってくれる人が来たと感じたものか、あんまりひどく泣くものだから、ジェロームもそのまま捨てても帰れなかった。それでどうしようかとあの人も困っていると、ほかの職人たちも寄って来て、みんなはおまえを警察へ届けることに相談を決めた。おまえはいつまでも泣きやまなかった。かわいそうに寒かったにちがいない。けれど、それから警察へ連れて行って、暖かくしてあげてもまだ泣いていた。それで今度はおなかが減っているのだろうというので、近所のおかみさんをたのんで乳を飲ました。まあ、まったくおなかが減っていたのだよ。 やっとおなかがいっぱいになると、みんなは炉の前へ連れて行って、着物をぬがしてみると、なにしろきれいなうすもも色をした子どもで、りっぱな産着にくるまっていた。警部さんは、こりゃありっぱなうちの子をぬすんで捨てたものだと言って、その着物の細かいこと、子どもの様子などをいちいち書き留めて、いつどういうふうにして拾い上げたかということまで書き入れた。それでだれか世話をする者がなければ、さしずめ孤児院へやらなければなるまいが、こんなりっぱなしっかりした子どもだ、これを育てるのはむずかしくはない。両親もそのうちきっと探しに来るだろう。探し当てればじゅうぶんのお礼もするだろうから、と署長さんがお言いなすった。このことばにひかれて、ジェロームはわたしが引き取りましょうと言ったのだよ。ちょうどそのじぶん、わたしは同い年の赤んぼうを持っていたから、二人の子どもを楽に育てることができた。ねえ、そういうわけで、わたしがおまえのおっかあになったのだよ」 「まあ、おっかあ」 「ああ、ああ、それで三月目の末にわたしは自分の子どもを亡くした。そこでわたしはいよいよおまえがかわいくなって、もう他人の子だなんという気がしなくなりました。でもジェロームは相変わらずそれを忘れないでいて、三年目の末になっても、両親が引き取りに来ないというので、もうおまえを孤児院へやると言って聞かないので困ったよ。だからなぜわたしがあの人の言うとおりにしなかった、と言われていたのをお聞きだったろう」 「まあ、ぼくを孤児院へなんかやらないでください」とわたしはさけんで、かの女にかじりついた。 「どうぞどうぞおっかあ、後生だから孤児院へやらないでください」 「いいえ、おまえ、どうしてやるものか、わたしがよくするからね。ジェロームはそんなにいけない人ではないのだよ。あの人はあんまり苦労をたくさんして、気むずかしくなっているだけなのだからね。まあ、わたしたちはせっせと働きましょう。おまえも働くのだよ」 「ええ、ええ、ぼくはしろということはなんでもきっとしますから、孤児院へだけはやらないでください」 「おお、おお、それはやりはしないから、その代わりすぐねむると言ってやくそくをおし。あの人が帰って来て、おまえの起きているところを見るといけないからね」 おっかあはわたしにキッスして、かべのほうへわたしの顔を向けた。 わたしはねむろうと思ったけれども、あんまりひどく感動させられたので、静かにねむりの国にはいることができなかった。 じゃあ、あれほど優しいバルブレンのおっかあは、わたしのほんとうの母さんではなかったのか。するといったいほんとうの母さんはだれだろう。いまの母さんよりもっと優しい人かしら。どうしてそんなはずがありそうもない。 だがほんとうの父さんなら、あのバルブレンのように、こわい目でにらみつけたり、わたしにつえをふり上げたりしやしないだろうと思った……。 あの男はわたしを孤児院へやろうとしている。母さんにはほんとうにそれを引き止める力があるだろうか。 この村に二人、孤児院から来た子どもがあった。この子たちは、『孤児院の子』と呼ばれていた。首の回りに番号のはいった鉛の札をぶら下げていた。ひどいみなりをして、よごれくさっていた。ほかの子たちがみんなでからかって、石をぶつけたり、迷い犬を追って遊ぶように追い回したりした。迷い犬にだれも加勢する者がないのだ。 ああ、わたしはそういう子どものようになりたくない。首の回りに番号札を下げられたくない。わたしの歩いて行くあとから、『やいやい孤児院のがき、やいやい捨て子』と言ってののしられたくない。 それを考えただけでも、ぞっと寒気がして、歯ががたがた鳴りだす。わたしはねむることができなかった。やがてバルブレンも、また帰って来るだろう。 でも幸せと、ずっとおそくまでかれは帰って来なかった。そのうちにわたしもとろろとねむ気がさして来た。
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作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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