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家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文



     パリ入り

 まだパリからはよほどはなれていた。
 わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝からばんまで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
 この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。つづいてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血ののなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽなぶくろをかかえて歩きつづけた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿すがたが見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへれて行くのであろう。
 沈黙ちんもくはわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくいしたが手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、やさしくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいにあいし合っていた。
 わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
 こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間なかまをなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣しゅうかんの力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座いちざ仲間なかまが後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前いぜん一座の部長であったとき、座員を前にやりごして、いちいち点呼てんこする習慣しゅうかんがあったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情かんじょうとちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
 こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらすたねにはなった。
 行く先ざきの野面のづらはまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白いはい色の空であった。はたをうつ百姓ひゃくしょうのかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食にえたからすが、こずえの上で虫をさがしあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんとしずまり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間はのすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置ものお小屋ごやでこそこそ仕事をしていた。
 でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
 夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯ばんめしにはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
 ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しいばんであった。ちょうどひつじが子どもにちちを飲ませる時節じせつで、ひつじいのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことをゆるしてくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、はらって死にそうだとも話しえなかったけれど、親方はれいのうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじのちちきなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話のがいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩ひとばんごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじのちちいていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
 パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿てんがそこにもここにもっていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
 われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気ゆうきがなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
 けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
 それはある大きな村から遠くない百姓家ひゃくしょうやにとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来おうらい標柱ひょうちゅうでわかった。
 さてわたしたちは日の出ごろ宿やどをたって、別荘べっそうのへいに沿って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前にはてしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物たてもののかげが見えた。
 わたしはいっしょうけんめい目を見張みはって、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼しょうろうとうなどのごたごたした正体を見きわめようとつとめていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとをつづけるというふうで、
「これからわたしたちの身の上もわってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
 親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色こんじきにかがやく光が目にはいったように思った。
 まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったらわかれようと思う」とかれはとつぜん言った。
 すぐに空はまたくらくなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりとあらわしていた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
わかれるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
 こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もうひさしくわたしはこんなやさしいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸ふしあわせな人間であったよ」
 わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸ふこうなことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、わかれなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへてて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利けんりがないのだ。それはおぼえておいで。わたしはあのやさしいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務ぎむができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしはわかれるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候じこうの悪い二、三か月だけもわかれているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座いちざでは、パリにいてもなにができよう」
 かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊ぐんたい風の敬礼けいれいをして、それをむねいて、あたかもわたしたちはかれの誠実せいじつ信頼しんらいすることができるというようであった。親方は犬の頭にやさしく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良ぜんりょう忠実ちゅうじつな友だちだ。けれどなさけないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人ろうじんがたった一人、男の子をれたのでは、ろくなことはない。わたしはまだいくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足のほねでもれてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほどなさけないありさまにもなってはいない。それにおかみ救助きゅうじょを受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間なかまに入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告こうこくをさえすればしいだけの弟子でしは集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気ゆうき忍耐にんたい必要ひつようだ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、あい時節じせつばかり通って来た。春になればだんだん境遇きょうぐうも楽になる。そこでわたしはおまえをれて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人ふじんとやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開けるのぞみはじゅうぶんある」
 たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
 わたしたちはわかれなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
 流浪るろうのあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷ざんこくであった。ひどく口ぎたなかったり、いつもっぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
 それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化へんかであった。はじめが養母ようぼ、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人をあいして、その人といっしょにいることのできる相手あいてを見つけることができないのであろうか。
 だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
 でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつもひとりぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
 わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気ゆうきを持て」とわたしにもとめた。わたしはこのうえかれに苦労くろうくわえることをのぞまなかった。けれどつらいことであった。かれとわかれるのはまったくつらいことであった。
 かれも重ねてわたしにきつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後につづいた。
 わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深くもっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
 橋のたもとからは、村つづきでせまい宿場しゅくばがあった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家がらばっていた。往来おうらいには荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手にりそって歩いた。カピは後からついて来た。
 いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちはてしのない長い町の中にはいった。両側りょうがわには見わたすかぎり家がてこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどにくらべては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家こいえばかりであった。
 雪がほうぼうにうず高くみ上げられていて、黒くかたまったかたまりの上に、はいやくさった野菜やさいや、いろいろのきたない廃物はいぶつが投げてられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
 どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方にわかれて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。


     ルールシーヌまちの親方

 いま、わたしのぐるりをいているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇こうきのの目を見張みはって新しい周囲しゅういを見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことはわすれるくらいであった。
 パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしのおさな夢想むそうとだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけてかたまったいうす黒いどろが、荷車のにはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板あついたのようにへばりついていた。たしかにパリはボルドーにもおよばなかった。
 これまで通って来た町にくらべては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、れいのいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋いざかやの店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
 町の角には、ルールシーヌまちと書いたふだが打ってあった。
 親方は案内あんないを知っているらしくせまい通りにこみ合う往来おうらいの人のれを分けて進んだ。わたしはそのそばにりそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿すたが見失みうしなわないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要ひつようがなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
 わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろをドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段かいだんを上がりながら親方はこう言った。その階段かいだんあついどろがこちこちにもって、ややもするとすべって足を取られそうになった。まちといい、家といい、はしごだんといい、いよいよわたしを安心させる性質せいしつのものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
 四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉こくもつぐらのような大きな屋根裏やねうら部屋へやにはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台ねだいみんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
 かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋へやにはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
 こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体どうたいがなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみとやさしみの表情ひょうじょう、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情どうじょうをふくんで、相手あいての目をひきつけずにはおかないのであった。
たしかに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう昼飯ひるめしの時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
 わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしはれい服従ふくじゅう習慣しゅうかんから、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
 親方の重い足音がもうはしごだんの上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうがきなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
 子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話をつづけるのをこのまないようにのほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへると、このなべがなんだかわった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐなくだがつき出して、蒸気じょうきがぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方にはじょうがかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用しんようしないのだ」
 わたしはほほえまずにはいられなかった。
 するとかれは悲しそうに言った。
「きみはわらうね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇きょうぐうだったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、はらっている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それがばつなんだ…」
「まあ……」
「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年はつづけた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、心得こころえになることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょにれて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって器量きりょうがいいのだからね。お金をもうけるには不器量ぶきりょうではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドがきで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹にわかれるのはどんなにつらかったろう。
 ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさんいてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。はたらくだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを往来おうらいで見世物に出させて、毎晩まいばん三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足ふそくがあれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶんほねれる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけいいたいのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人仲間なかまにやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩まいばんきっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
 かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのはいたいけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくにはがないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩まいばんぼくの晩飯ばんめしのいもをらすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気でかたいが、ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来おうらいの人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足まんぞくさせるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちのくした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年はつづいて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまにえて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯ばんめしにいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯ひるめしにもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋みずがしやにもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯ばんめしをもらわずに平気で出て行くか、そのわけをはじめて知った。それからはぼくにうちで留守番るすばんさせて、このスープの見張みはりを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜やさいをなべに入れて、ふたにじょうをかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでははららない。どうしてよけい空腹くうふくになる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここにはかがみもないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
 わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑びしょうをふくんで言った。「ひどく加減かげんが悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もうはららすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸ふしあわせにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
 病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理むりにも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話をつづけた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしくいたむのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったりいたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくはせん慈恵病院じけいびょういんにいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子かしをいつも入れているし、看護婦かんごふあまさんたちがそれはやさしく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、したをお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
 かれはそばへって来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実しんじつをかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血ののないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることをこのまなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
 かれは足を引きずりながらのろのろ食卓しょくたくのほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのはそんだからね。なにしろこのごろいただくげんこはせんよりもずっとくからね。人間はなんでもれっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
 びっこひきひきかれは食卓しょくたくの回りを回って、さらやさじならべた。勘定かんじょうすると二十まいさらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台ねだいは十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布もうふはうまやから、もう古くなって馬が着てもあたたかくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもをく所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
 どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋へやの中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木ふるざいもくを持っていた。わたしはガロフォリのにたかれている古材木の出所と値段ねだんもわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへって行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木ざいもくをぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足ふそくの代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。じゅんぐりにやられるんだ」
 マチアはそう機械的きかいてきに言って、あたかもこの子どももばっせられると思うのがかれに満足まんぞくをあたえるもののようであった。わたしはかれのやさしい悲しそうな目のうちに、けわしい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれにてくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
 一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台ねだいの上のくぎにかけた。音楽師おんがくしでなく、ただらしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
 それから重い足音がはしごだんにひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
 はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
 マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上こうじょうをかれにつたえた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの値打ねうちを知っている。らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
 ガロフォリが部屋へやにはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきにせきをしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルトぼうをとって、ていねいに寝台ねだいの上にくと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀ぎょうぎよさをもって、寺小姓てらこしょう和尚おしょうさんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチをの中に投げこんだ。
 この罪人ざいにんはあわてて過失かしつをつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらくやしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじわらいをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
 この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすにおさまって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
 こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意こういであった。
 ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。はじめのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スーしてある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
 子どもは赤くなって、当惑とうわくを顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
わけをしなさんな。規則きそくは知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着おうちゃくばつに夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きなむすのある皮ひもの二本ついた、の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまであらわした。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑びしょうを見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間なかまのあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷ざんこくなじょうだんを開いて、みんな無理むりわらわされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
 みんなはれいの大きな材木ざいもくを持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってそのぼうでパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあしたつらをして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木ざいもくは」と子どもがさけんだ。
晩飯ばんめしの代わりにきさまにやるわ」
 この残酷ざんこくなじょうだんがばっせられないはずの子どもたちみんなをわらわせた。それからほかの子どもたちも一人一人勘定かんじょうをすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者ぎせいしゃが一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのためにはたらくのだ」
 かれはのほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰ちょうばつを見ているにしのびないというようであった。
 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中せなかを出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
 ぴしり、第一のむちがふるわれて、はだに当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることはわすれられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
人情にんじょうのある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党あくとうではない。きさまらは仲間なかまが苦しんでいるところを見てわらっている。この小さな仲間を手本にしろ」
 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
 第二のむちをくって犠牲ぎせいはひいひいごえを立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがになさけを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲ぎせいに向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつきやぶるのだ。ちっとはおれの苦しい心もさっして、気のどくに思うがいい。だからこれからごえを立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでもなさけやおんを知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
 リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲ぎせい背中せなかでくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
 ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責かしゃくを見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
 人目でかれはなにもかも了解りょうかいした。かれははしごだんを上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけって、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
 これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が命令めいれいした。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「このいぼれめ。よけいな世話をくな」とガロフォリが急に調子をえてさけんだ。
警察けいさつものだぞ」とヴィタリスが反抗はんこうした。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は乱暴らんぼう相手あいて気勢きせいにはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざわらった。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察けいさつ関係かんけいはないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
 親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手をった。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度はわらいながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
 それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしごだんを下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄じごくの口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
(つづく)





底本:「家なき子(上)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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