パリ入り
まだパリからはよほどはなれていた。 わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝から晩まで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。 この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。続いてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血の気のなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽな胃ぶくろをかかえて歩き続けた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿が見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへ連れて行くのであろう。 沈黙はわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくい舌が手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、優しくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいに愛し合っていた。 わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。 こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間をなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣の力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座の仲間が後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前一座の部長であったとき、座員を前にやり過ごして、いちいち点呼する習慣があったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情とちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。 こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらす種にはなった。 行く先ざきの野面はまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白い灰色の空であった。畑をうつ百姓のかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食に飢えたからすが、こずえの上で虫を探しあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんと静まり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間は炉のすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置き小屋でこそこそ仕事をしていた。 でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。 夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯にはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。 ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しい晩であった。ちょうど雌ひつじが子どもに乳を飲ませる時節で、ひつじ飼いのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことを許してくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、腹が減って死にそうだとも話しえなかったけれど、親方は例のうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじの乳が好きなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話の効き目がいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩が過ごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじの乳を好いていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。 パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿がそこにもここにも建っていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。 われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気がなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。 けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。 それはある大きな村から遠くない百姓家にとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来の標柱でわかった。 さてわたしたちは日の出ごろ宿をたって、別荘のへいに沿って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前には果てしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物のかげが見えた。 わたしはいっしょうけんめい目を見張って、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼や塔などのごたごたした正体を見きわめようと努めていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとを続けるというふうで、 「これからわたしたちの身の上も変わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。 「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。 「うん」 親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色にかがやく光が目にはいったように思った。 まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。 「わたしたちはパリへ行ったら別れようと思う」とかれはとつぜん言った。 すぐに空はまた暗くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと現していた。 「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」 「別れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。 「ああそうだよ。別れなければね」 こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう久しくわたしはこんな優しいことばを聞かなかった。 「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。 「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸せな人間であったよ」 わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。 「しかも不幸なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、別れなければならないのだ」 「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。 「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利がないのだ。それは覚えておいで。わたしはあの優しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは別れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候の悪い二、三か月だけも別れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座では、パリにいてもなにができよう」 かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊風の敬礼をして、それを胸に置いて、あたかもわたしたちはかれの誠実に信頼することができるというようであった。親方は犬の頭に優しく手を当てそれをおさえた。 「そうだよ。おまえは善良な忠実な友だちだ。けれど情けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」 「でもわたしのハープは……」 「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人がたった一人、男の子を連れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ老いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の骨でも折れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど情けないありさまにもなってはいない。それにお上の救助を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」 「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。 「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告をさえすれば欲しいだけの弟子は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気と忍耐が必要だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、間の時節ばかり通って来た。春になればだんだん境遇も楽になる。そこでわたしはおまえを連れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける望みはじゅうぶんある」 たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。 わたしたちは別れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。 流浪のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも酔っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。 それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化であった。初めが養母、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を愛して、その人といっしょにいることのできる相手を見つけることができないのであろうか。 だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。 でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも独りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。 わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気を持て」とわたしに求めた。わたしはこのうえかれに苦労を加えることを望まなかった。けれどつらいことであった。かれと別れるのはまったくつらいことであった。 かれも重ねてわたしに泣きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に続いた。 わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く積もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。 橋のたもとからは、村続きでせまい宿場があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が散らばっていた。往来には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に寄りそって歩いた。カピは後からついて来た。 いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは果てしのない長い町の中にはいった。両側には見わたすかぎり家が建てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家ばかりであった。 雪がほうぼうにうず高く積み上げられていて、黒く固まったかたまりの上に、灰やくさった野菜や、いろいろのきたない廃物が投げ捨てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。 「ここはどこです」とわたしは言った。 「パリだよ」 どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。
ルールシーヌ街の親方
いま、わたしのぐるりを取り巻いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇のの目を見張って新しい周囲を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは忘れるくらいであった。 パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼い夢想とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて固まったいうす黒いどろが、荷車の輪にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板のようにへばりついていた。確かにパリはボルドーにもおよばなかった。 これまで通って来た町に比べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、例のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。 町の角には、ルールシーヌ街と書いた札が打ってあった。 親方は案内を知っているらしくせまい通りにこみ合う往来の人の群れを分けて進んだ。わたしはそのそばに寄りそって歩いた。 「おい、気をつけて、わたしの姿を見失わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。 わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。 「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろをドアにぶら下げていた男にたずねた。 「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」 「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段を上がりながら親方はこう言った。その階段は厚いどろがこちこちに積もって、ややもするとすべって足を取られそうになった。街といい、家といい、はしご段といい、いよいよわたしを安心させる性質のものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。 四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉のような大きな屋根裏の部屋にはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台みんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。 「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」 かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋にはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。 「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」 こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体がなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみと優しみの表情、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情をふくんで、相手の目をひきつけずにはおかないのであった。 「確かに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。 「確かですよ。もう昼飯の時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」 「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」 「かしこまりました」 わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。 「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」 「…………」 「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしは例の服従の習慣から、それをいやとは言えなかった。 「きみはイタリア人かい」 親方の重い足音がもうはしご段の上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。 「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。 「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。 「きみはどこ」 「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」 「ぼくはフランス人です」 「そう、それはいいね」 「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうが好きなの」 「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」 「じゃあ、あの人悪い人なんですか」 子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話を続けるのを好まないように炉のほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへ寄ると、このなべがなんだか変わった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐな管がつき出して、蒸気がぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方には錠がかかっていた。 「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。 「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用しないのだ」 わたしはほほえまずにはいられなかった。 するとかれは悲しそうに言った。 「きみは笑うね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇だったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、腹が減っている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」 「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」 「ああ、それが罰なんだ…」 「まあ……」 「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年は続けた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、心得になることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょに連れて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって器量がいいのだからね。お金をもうけるには不器量ではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドが好きで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹に別れるのはどんなにつらかったろう。 ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさん置いてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。働くだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを往来で見世物に出させて、毎晩三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足があれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶん骨が折れる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけい痛いのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人仲間にやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩きっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」 かれはことばを切った。 「それで」とわたしはたずねた。 「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは痛いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには効き目がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩ぼくの晩飯のいもを減らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で固いが、胃ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」 「じゃあ、どうするとくれるの」 「それはきみ、だれだって自分の心を満足させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの亡くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」 「ああ、ひどい寒さだね」 「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は続いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに飢えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯にいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯をもらわずに平気で出て行くか、そのわけを初めて知った。それからはぼくにうちで留守番させて、このスープの見張りを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜をなべに入れて、ふたに錠をかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでは腹は張らない。どうしてよけい空腹になる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここには鏡もないのだからわからない」 「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。 「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」 わたしはあきれて、かれの顔をながめた。 「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑をふくんで言った。「ひどく加減が悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もう腹を減らすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸せにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」 病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理にも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。 「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話を続けた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしく痛むのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったり泣いたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくは先に慈恵病院にいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子をいつも入れているし、看護婦の尼さんたちがそれは優しく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、舌をお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」 かれはそばへ寄って来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実をかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血の気のないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることを好まなかった。 「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」 「いよいよかね」 かれは足を引きずりながらのろのろ食卓のほうへ行って、それをふき始めた。 「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのは損だからね。なにしろこのごろいただくげんこは先よりもずっと効くからね。人間はなんでも慣れっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」 びっこひきひきかれは食卓の回りを回って、さらやさじならべた。勘定すると二十枚さらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台は十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布はうまやから、もう古くなって馬が着ても暖かくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。 「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。 「なにがさ」 「子どもを置く所は、どこでもこんなかしら」 「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」 「どこへ」 「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」 どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋の中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木を持っていた。わたしはガロフォリの炉にたかれている古材木の出所と値段もわかったように思った。 「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへ寄って行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。 「ううん」とかれは言った。 「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」 「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木をぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足の代わりになるだろう」 「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。順ぐりにやられるんだ」 マチアはそう機械的に言って、あたかもこの子どもも罰せられると思うのがかれに満足をあたえるもののようであった。わたしはかれの優しい悲しそうな目のうちに、険しい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれに似てくるということは、わたしがのちに知ったことであった。 一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台の上のくぎにかけた。音楽師でなく、ただ慣らしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。 それから重い足音がはしご段にひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。 はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。 「この子どもはなんだ」と、かれは言った。 マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上をかれに伝えた。 「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」 「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。 「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」 「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。 「ははあ、このこぞうはことばの値打ちを知っている。要らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」 「ええ、わたしはフランス人です」 ガロフォリが部屋にはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきに席をしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルト帽をとって、ていねいに寝台の上に置くと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀よさをもって、寺小姓が和尚さんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。 「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチを炉の中に投げこんだ。 この罪人はあわてて過失をつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらく燃やしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。 「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじ笑いをしながら言った。 「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」 この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。 「さて」とガロフォリは具合よくいすに納まって、パイプをふかしながら言った。 「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」 こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意であった。 ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。初めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。 「おまえにはきのう一スー貸してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」 子どもは赤くなって、当惑を顔に表して、しばらくもじもじしていた。 「一スー足りません」とかれはやっと言った。 「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」 「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」 「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」 「わたしが悪いんではないんです」 「言い訳をしなさんな。規則は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着の罰に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな結び目のある皮ひもの二本ついた、柄の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで現した。 「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑を見せて言った。 「たぶんきさまだけではあるまい。仲間のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷なじょうだんを開いて、みんな無理に笑わされた。 「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」 みんなは例の大きな材木を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。 「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。 「わたしのせいではありません」 「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」 「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」 「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその棒でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」 「わたしは三十六スー持って来ました」 「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした面をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」 「でも材木は」と子どもがさけんだ。 「晩飯の代わりにきさまにやるわ」 この残酷なじょうだんが罰せられないはずの子どもたちみんなを笑わせた。それからほかの子どもたちも一人一人勘定をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者が一列にかれの前にならべられることになった。 「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために働くのだ」 かれは炉のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰を見ているにしのびないというようであった。 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。 ぴしり、第一のむちがふるわれて、膚に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは忘れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。 「人情のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党ではない。きさまらは仲間が苦しんでいるところを見て笑っている。この小さな仲間を手本にしろ」 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。 第二のむちをくって犠牲はひいひい泣き声を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがに情けを見せるのだと思ったが、そうではなかった。 「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲に向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつき破るのだ。ちっとはおれの苦しい心も察して、気のどくに思うがいい。だからこれから泣き声を立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでも情けや恩を知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」 リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲の背中でくるくる回った。 「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。 ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責を見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。 人目でかれはなにもかも了解した。かれははしご段を上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけ寄って、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。 これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。 「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」 「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。 「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。 「よせ」とヴィタリス親方が命令した。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」 「この老いぼれめ。よけいな世話を焼くな」とガロフォリが急に調子を変えてさけんだ。 「警察ものだぞ」とヴィタリスが反抗した。 「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。 「そうだ」と、わたしの親方は乱暴な相手の気勢にはちっともひるまないで答えた。 「ははあ」とかれはあざ笑った。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察に関係はないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」 親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手を引っ張った。 「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。 「まあ、いいやな」ガロフォリが今度は笑いながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」 「おまえなんぞに言うことはなにもない」 それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしご段を下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄の口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
(つづく)
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