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家なき子(いえなきこ)01

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:43:28  点击:  切换到繁體中文

底本: 家なき子(上)
出版社: 春陽堂少年少女文庫、春陽堂
初版発行日: 1978(昭和53)年1月30日
入力に使用: 1978(昭和53)年1月30日

 

家なき子

SANS FAMILLE

(上)

マロ Malot

楠山正雄訳




     生い立ち

 わたしはだった。
 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしがけばきっと一人の女が来て、やさしくだきしめてくれたからだ。
 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけてまどガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながらあたためてくれた。その歌のふし文句もんくも、いまにわすれずにいる。
 わたしが外へ出て雌牛めうしの世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしをさがしに来て、あさの前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
 ときどきわたしはあそ仲間なかまとけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、やさしいことばでなぐさめてくれるか、わたしのかたをもってくれた。
 それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしてもやさしくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
 ところでそれがひょんな事情じじょうから、この女の人が、じつはやしなおやでしかなかったということがわかったのだ。
 わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代をごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
 なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースやえにしだのほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした砂地すなじの高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
 そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、おか見捨みすてて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした牧草ぼくそうもあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。
 その谷川の早いすえがロアール川の支流しりゅうの一つへ流れこんで行く、その岸の小さな家で、わたしは子どもの時代を送った。
 八つの年まで、わたしはこの家で男の姿すがたというものを見なかった。そのくせ、『おっかあ』とんでいた人はやもめではなかった。おっとというのは石工いしくであったが、このへんのたいていの労働者ろうどうしゃと同様パリへ仕事に行っていて、わたしが物心ものごころついてこのかた、つい一度も帰って来たことはなかった。ただおりふしこの村へ帰って来る仲間なかまの者に、便たよりをことづけては来た。
「バルブレンのおっかあ、こっちのもたっしゃだよ。相変あいかわらずかせいでいる、よろしく言ってくれと言って、このお金をあずけてよこした。数えてみてください」
 これだけのことであった。おっかあも、それだけの便たよりで満足まんぞくしていた。ご亭主ていしゅがたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる――と、それだけ聞いて、満足まんぞくしていた。
 このご亭主ていしゅのバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんとなかが悪いのだと思ってはならない。こうやって留守るすにしているのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに滞在たいざいしているのは仕事に引きめられているためで、やがて年を取ればまた村へ帰って来て、たんまりかせいで来たお金で、おかみさんと気楽にくらすつもりであった。
 十一月のある日のこと、もう日のくれに、見知らない一人の男がかきねの前に立ち止まった。そのときわたしは、門口かどぐちでそだをっていた。中にはいろうともしないで、かきねの上からぬっと頭を出してのぞきながら、その男はわたしに、「バルブレンのおっかあのうちはここかね」とたずねた。
 わたしは、「おはいんなさい」と言った。
 男はかどの戸をきいきい言わせながらはいって来て、のっそり、うちの前につっ立った。
 こんなよごれくさった男を見たことがなかった。なにしろ、頭のてっぺんから足のつま先まで板をったようにどろをかぶっていた。それも半分まだかわききらずにいた。よほど長いあいだ、悪い道をやって来たにちがいない。
 話し声を聞いて、バルブレンのおっかあはかけだして来た。そして、この男がしきいに足をかけようとするところへ、ひょっこり顔を出した。
「パリからことづかって来たが」と男は言った。
 それはごくなんでもないことばだったし、もうこれまでも何べんとなく、それこそ耳にたこのできるほど聞きれたものだったが、どうもそれが『ご亭主ていしゅはたっしゃでいるよ。相変あいかわらずかせいでいるよ』という、いつものことばとは、なんだかちがっていた。
「おやおや。ジェロームがどうかしましたね」
 と、おっかあは両手をもみながら声を立てた。
「ああ、ああ、どうもとんだことでね。ご亭主ていしゅはけがをしてね。だが気を落としなさんなよ。けがはけがだが命には別状べつじょうがない。だが、かたわぐらいにはなるかもしれない。いまのところ病院にはいっている。わたしはちょうど病室でとなり合わせて、今度国へ帰るについて、ついでにこれだけの事をことづけてくれとたのまれたのさ。ところで、ゆっくりしてはいられない。まだこれから三里(約十二キロ)も歩かなくてはならないし、もうおそくもなっているからね」
 でもおっかあは、もっとくわしい話が開きたいので、ぜひ夕飯ゆうはんを食べて行くようにと言ってたのんだ。道は悪いし、森の中にはおおかみが出るといううわさもある。あしたの朝立つことにしたほうがいい。
 男は承知しょうちしてくれた。そこでのすみにすわりこんで、はらいっぱい食べながら、事件じけんのくわしい話をした。バルブレンはくずれた足場の下にしかれて大けがをした。そのくせ、そこはだれも行く用事のない場所であったという証言しょうげんがあったので、建物たてもの請負人うけおいにんは一文の賠償金ばいしょうきんもしはらわないというのである。
「ご亭主ていしゅのどくな。運が悪かったのよ」
 と、男は言った。
「まったく、運が悪かったのよ。世間にはわざとこんなことをたねに、しこたませしめるずるい連中れんちゅうもあるのだが、おまえさんのご亭主ていしゅときては、一文にもならないのだからな」
「まったく運が悪い」と男はこのことばをくり返しながら、どろでつっぱり返っているズボンをかわかしていた。その口ぶりでは、手足の一本ぐらいたたきつぶされても、お金になればいいというらしかった。
「なんでもこれは、請負人うけおいにん相手あいてどって裁判所さいばんしょへ持ち出さなければうそだと、おれはすすめておいたよ」
 男は話のしまいに、こう言った。
「まあ。でも裁判さいばんなんということは、ずいぶんお金のることでしょう」
「そうだよ。だが勝てばいいさ」
 バルブレンのおっかあは、パリまで出かけて行こうかと思った。でも、それはずいぶんたいへんなことだった。道は遠いし、お金がかかる。
 そのあくる朝、わたしは村へ行ってぼうさんに相談そうだんした。ぼうさんは、まあ向こうへ行って役に立つかどうか、それがよくわかったうえにしないと、つまらないと言った。それでぼうさんが代筆だいひつをして、バルブレンのはいっている慈恵じけい病院の司祭しさいにあてて、手紙を出すことにした。その返事は二、三日して着いたが、バルブレンのおっかあは来るにはおよばない、だが、ご亭主ていしゅ災難さいなんを受けた相手あいてにかけ合うについて、入費にゅうひのお金を送ってもらいたいというのであった。
 それからいく日もいく週間もたった。ときおり手紙が届いて、そのたんびにもっと金を送れ金を送れと言って来る。いちばんおしまいには、これまでの手紙よりまたひどくなって、もう金がないなら、雌牛めうしのルセットを売っても、ぜひ金をこしらえろと言って来た。
 いなかで百姓ひゃくしょう仲間なかまにはいってくらした者でなければ、『雌牛を売れ』というこのことばに、どんなにつらい、悲しい思いがこもっているかわからない。百姓にとって、雌牛のありがたさは、一とおりのものではなかった。いかほどびんぼうでも、家内かないが多くても、ともかくも雌牛めうしってあるあいだは、えて死ぬことはないはずだ。
 それにうちの雌牛は、なによりなかよしのお友だちであった。わたしたちが話をしたり、その背中せなかをさすってキッスをしてやったりすると、それはよく聞き分けて、やさしい目でじっと見た。つまりわたしたちはおたがいにあいし合っていたと言えば、それでじゅうぶんだ。
 けれどもいまはその雌牛めうしとも、わたしたちはわかれなければならなかった。『雌牛を売る』それでなければ、もうご亭主ていしゅ満足まんぞくさせることはできなかった。
 そこでばくろう(馬売買の商人)がやって来て、細かく雌牛のルセットをいじくり回した。いじくり回しながらしじゅう首をふって、これはまるで役に立たない。ちちも出ないしバターも取れないと、さんざんなんくせをつけておいて、つまり引き取るには引き取るが、それもおっかあが正直な、いい人で気のどくだから、引き取ってやるのだというのであった。
 かわいそうに、ルセットも、自分がどうされるかさとったもののように、牛小屋から出るのをいやがって鳴き始めた。
「後ろへ回って、たたき出せ」とばくろうはわたしに言って、首の回りにかけていたむちをわたした。
「いいえ、そんなことをしてはいけない」とおっかあはさけんだ。
 それでルセットのはづな(馬の口につけて引くつな)をつかまえながら、やさしく言った。
「さあ、おまえ出ておくれ。ねえ、いいかい」
 ルセットはそれをこばむことができなかった。それで往来おうらいへ出ると、ばくろうはルセットを車の後ろにしばりつけた。馬がとことこかけだすと、ルセットはいやでもあとからついて行かなければならなかった。
 わたしたちはうちの中にはいったが、しばらくのあいだまだルセットの鳴き声が聞こえていた。
 もうちちもなければバターもない。朝は一きれのパン、ばんしおをつけたじゃがいものごちそうであった。
 雌牛めうしを売ってから四、五日すると、謝肉祭しゃにくさいが来た。一年まえのこの日には、バルブレンのおっかあが、わたしにどらきとげりんごのごちそうをこしらえてくれた。それでたくさんわたしが食べると、おっかあはごきげんで、にこにこしてくれた。
 けれどそのときはものころもがパンをとかすちちや、揚げ物の油のバターをくれるルセットがいた。
 もうルセットもいない、ちちもない、バターもない、これでは、謝肉祭しゃにくさいもなにもないと、わたしはつまらなそうにひとごとを言った。
 ところがおっかあはわたしをびっくりさせた。おっかあはいつも人から物をりることをしない人ではあったが、おとなりへ行ってちちを一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、わたしがお昼ごろうちへ帰って来ると、おっかあは大きななべにパンをあけていた。
「おや、パン粉」とわたしはそばへって言った。
「ああ、そうだよ」と、おっかあはにっこりしながら答えた。「上等なパン粉だよ、ごらん、ルミ、いいかおりだろう」
 わたしはこのパンをなんにするのか知りたいと思ったが、それをおしてたずねる勇気ゆうきがなかった。それにきょうが謝肉祭しゃにくさいだということを思い出させて、おっかあをふゆかいにさせたくなかった。
「パンでなにをこさえるのだったけね」とおっかあはわたしの顔を見ながら聞いた。
「パンさ」
「それからほかには」
「パンがゆ」
「それからまだあるだろう」
「だって……ぼく知らないや」
「なあに、おまえは知っていても、かしこい子だからそれを言おうとしないのだよ。きょうが謝肉祭しゃにくさいで、どらきをこしらえる日だということを知っていても、バターとおちちがないと思って、言いださずにいるのだよ。ねえ、そうだろう」
「だって、おっかあ」
「まあとにかく、きょうのせっかくの謝肉祭しゃにくさいを、そんなにつまらなくないようにしたつもりだよ。このはこの中をごらん
 わたしはさっそくふたをあけると、ちちとバターとたまどと、おまけにりんごが三つ、中にはいっていた。
 わたしがりんごをそぐ(小さく切る)と、おっかあはたまごこなぜてころもをしらえ、ちちを少しずつ混ぜていた。
 衣がすっかりれると、なべのまま、熱灰あつばいの上にのせた。それでどらきが焼け、げりんごが揚がるまでには、晩食ばんしょくのときまで待たなければならなかった。正直に言うと、わたしはそれからの一日が、それはそれは待ち遠しくって、何度も、何度も、おさらにかけたぬのを取ってみた。
「おまえ、ころもにかぜをひかしてしまうよ。そうするとうまくふくれないからね」とかの女はさけんだ。けれど、言うそばからそれはずんずんふくれて、小さなあわが上に立ち始めた。たまごちちがぷんとうまそうなにおいを立てた。
「そだを少し持っておいで」とおっかあが言った。「いい火をこしらえよう」
 とうとう明かりがついた。
「まきをの中へお入れ」
 かの女がこのことばを二度とくり返すまでもなく、わたしはさっきからこのことばの出るのをいまかいまかと待ちかまえていたのであった。さっそく赤いほのおがどんどんの中にえ上がり、この光が台所じゅうを明るくした。
 そのときおっかあは、げなべをくぎからはずして火の上にのせた。
「バターをお出し」
 ナイフの先でかの女はバターをくるみくらいの大きさに一きれ切ってなべの中へ入れると、じりじりとけ出してあわを立てた。
 もうしばらくこのにおいもかがなかった。まあ、そのバターのいいにおいといったら。
 わたしがそのじりじりこげるあまい音楽にむちゅうで聞きほれていたとき、裏庭うらにわでこつこつ人の歩く足音がした。
 せっかくのときにだれがじゃまに来たのだろう。きっとおとなりからまきをもらいに来たのだ。
 わたしはそんなことに気を取られるどころではなかった。ちょうどそのときバルブレンのおっかあが、大きな木のさじをはちに入れて、ころもを一さじ、おなべの中にあけていたのだもの。
 するとだれかつえでことことドアをたたいた。ばたんと戸が開け放された。
「どなただね」とおっかあはふり向きもしないでたずねた。
 一人の男がぬっとはいって来た。明るい火の光で、わたしはその男が大きなつえをかたわきについているのを見つけた。
「やれやれ、祭りのごちそうか。まあ、やるがいい」とその男はがさつな声で言った。
「おやおやまあ」とバルブレンのおっかあが、あわててさげなべを下にいてさけんだ。
「まあジェローム、おまえさんだったの」
 そのときおっかあはわたしのうでをって、戸口に立ちはだかったままでいた男の前へれて行った。
「おまえのとっつぁんだよ」


 

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