日本の諸国物語 |
講談社学術文庫、講談社 |
1983(昭和58)年4月10日 |
1983(昭和58)年4月10日第1刷 |
1983(昭和58)年4月10日第1刷 |
一
むかし、京都から諸国修行に出た坊さんが、白河の関を越えて奥州に入りました。磐城国の福島に近い安達が原という原にかかりますと、短い秋の日がとっぷり暮れました。
坊さんは一日寂しい道を歩きつづけに歩いて、おなかはすくし、のどは渇くし、何よりも足がくたびれきって、この先歩きたくも歩かれなくなりました。どこぞに百姓家でも見つけ次第、頼んで一晩泊めてもらおうと思いましたが、折あしく原の中にかかって、見渡す限りぼうぼうと草ばかり生い茂った秋の野末のけしきで、それらしい煙の上がる家も見えません。もうどうしようか、いっそ野宿ときめようか、それにしてもこうおなかがすいてはやりきれない、せめて水でも飲ましてくれる家はないかしらと、心細く思いつづけながら、とぼとぼ歩いて行きますと、ふと向こうにちらりと明りが一つ見えました。
「やれやれ、有り難い、これで助かった。」と思って、一生懸命明りを目当てにたどって行きますと、なるほど家があるにはありましたが、これはまたひどい野中の一つ家で、軒はくずれ、柱はかたむいて、家というのも名ばかりのひどいあばら家でしたから、坊さんは二度びっくりして、さすがにすぐとは中へ入りかねていました。
すると中では、かすかな破れ行灯の火かげで、一人のおばあさんがしきりと糸を繰っている様子でしたが、その時障子の破れからやせた顔を出して、
「もしもし、お坊さま、そこに何をしておいでだえ。」
と声をかけました。
出し抜けに呼びかけられたので、坊さんは思わずぎょっとしながら、
「ああ、おばあさん。じつはこの原の中で日が暮れたので、泊る家がなくって困っている者です。今夜一晩どうかして泊めては頂けますまいか。」
といいました。
するとおばあさんは、
「おやおや、それはお困りだろう。だがごらんのとおり原中の一軒家で、せっかくお泊め申しても、着てねる布団一枚もありませんよ。」
とことわりました。
坊さんはおばあさんがそういう様子の親切そうなのに、やっと安心して、
「いえいえ、雨露さえしのげばけっこうです。布団なんぞの心配はいりませんから、どうぞお泊めなすって下さい。」
と頼みました。
おばあさんはにこにこ笑いながら、
「まあまあ、そういうわけなら、御不自由でも今夜は家に上がってゆっくり休んでおいでなさい。」
といって、坊さんを上へ上げてくれました。
坊さんは度々お礼をいいながら、わらじをぬいで上へ上がりました。おばあさんは、囲炉裏にまきをくべて、暖かくしてくれたり、おかゆを炊いてお夕飯を食べさせてくれたり、いろいろ親切にもてなしてくれました。それで坊さんも、見かけによらないこれはいい家に泊り合わせたと、すっかり安心して、くり返しくり返しおばあさんにお礼をいっていました。
お夕飯がすむと、坊さんは炉端に座って、たき火にあたりながら、いろいろ旅の話をしますと、おばあさんはいちいちうなずいて聞きながら、せっせと糸車を回していました。そのうちだんだん夜が更けるに従って、たださえあばら家のことですから、外の冷たい風が遠慮なく方々から入り込んで、しんしんと夜寒が身にしみます。けれどあいにくなことには、炉の方の火がだんだん心細くなって、ありったけのまきはとうに燃やしつくしてしまいました。
おばあさんはふと坊さんの寒そうにふるえているのを見つけて、
「おやおや、まきがみんなになりましたか。お客さまがあると知ったらもっとたくさん取っておけばよかったものを、気のつかないことをしました。どれどれ、ちょっと裏の山へ行ってまきを取って来ますから、お坊さま、しばらく退屈でもお留守番をお頼み申します。」
こういっておばあさんは気軽に出て行こうとしました。
すると坊さんはたいそう気の毒がって、
「いやいや、この夜更けにそんな御苦労をかけてはすみません。何ならわたしが一走り行って取って来ましょう。」
といいますと、おばあさんは手をふって、
「どうして、とんでもない。旅の人に分かるものではない。まあまあ、何にもごちそうのない一つ家のことだから、せめてたき火でもごちそうのうちだと思ってもらいましょう。」
といいいい出かけて行きましたが、何と思ったのか戻って来て、
「その代わりお坊さま、しっかり頼んでおきますがね、わたしが帰ってくるまで、あなたはそこにじっと座っていて、どこへも動かないで下さいよ。うっかり動いて、次の間をのぞいたりなんぞしてはいけませんよ。」
とくり返し、くり返し、念を押しました。
「どういうわけだか知らないが、むろん用もないのに、人の家の中なんぞをかってにのぞいたりなんぞしませんから、安心して下さい。」
と坊さんもいいました。
それでおばあさんも安心したらしく、そのまま出ていきました。
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