現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集 |
筑摩書房 |
1969(昭和44)年6月5日 |
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷 |
1977(昭和52)年4月20日初版第7刷 |
空を望んで駿駆する日陽、虚に循つて警立する候節、天地の運流、いつを以て極みとはするならん。
朝に平氏あり、夕に源氏あり、飄忽として去り、飄忽として来る、一潮山を噬んで一世紀没し、一潮退き尽きて他世紀来る、歴史の載するところ一潮毎に葉数を減じ、古苔蒸し尽して英雄の遺魂日に月に寒し。
嗟吁人生の短期なる、昨日の紅顔今日の白頭。忙々促々として眼前の事に営々たるもの、悠々綽々として千載の事を慮るもの、同じく之れ大暮の同寝。霜は香菊を厭はず、風は幽蘭を容さず。忽ち逝き忽ち消え、冥として踪ぬべからざるを致す。
墳墓何の権かある。宇内を睥睨し、日月を叱せし、古来の英雄何すれぞ墳墓の前に弱兎の如くなる。誰か不朽といふ字を字書の中に置きて、而して世の俗眼者流をして縦に流用せしめたる。嗚呼墳墓、汝の冷々たる舌、汝の常に餓ゑたる口、何者をか噬まざらん、何物をか呑まざらん、而して墳墓よ、汝も亦た遂に空々漠々たり、水流滔々として洋海に趣けど、洋海は終に溢れて大地を包まず、冉々として行暮する人世、遂に新なるを知らず、又た故なるを知らず。
花には花に弄せられざるもの誰ぞ、月には月に翫ばれざるもの誰ぞ、風狂も亦た一種の変調子、風狂も亦た一種の変調子なりとせば、人間いかにして変調子ならざる事を得む。暗冥なる「死」の淵に、相及び相襲ぎて沈淪するもの、果して之れ人間の運命なるか。舌能く幾年の久しきに弁ぜん。手能く幾年の長きに支へん。弁ずるところ何物ぞ。支ふるところ何物ぞ。わが筆も亦た何物ぞ。言ふ勿れ、蓊欝たる森林、幾百年に亘りて巨鷲を宿らすと。言ふ勿れ、豊公の武威、幾百世を蓋ふと。嗟何物か終に尽きざらむ。何物か終に滅せざらむ。寤めざるもの誰ぞ、悟らざるもの誰ぞ。損喪せざるもの竟に何処にか求めむ。
寤果して寤か、寐果して寐か、我是を疑ふ。深山夜に入りて籟あり、人間昼に於て声なき事多し。寤むる時人真に寤めず、寐る時往々にして至楽の境にあり。身躰四肢必らずしも人間の運作を示すにあらず、別に人間大に施為するところあり。ひそかに思ふ、終に寤ざるもの真の寤か。終に寐せざるもの真の寐か。此境に達するは人間の容易すく企つる能はざるところなり。
愛すべきものは夫れ故郷なるか、故郷には名状すべからざるチヤームの存するあり。風流雅客を嘲るもの、邦家を知らざるの故を以て彼等を貶せんとする事多し。故郷は之れ邦家なり、多情多思の人の尤も邦家を愛するは何人か之を疑はむ。孤剣提げ来りて以太利の義軍に投じ、一命を悪疫に委したるバイロン、我れ之を愛す。」請ふ見よ、羅馬死して羅馬の遺骨を幾千万載に伝へ、死して猶ほ死せざる詩祖ホーマーを。」邦家の事曷んぞ長舌弁士のみ能く知るところならんや、別に満腔の悲慨を涵へて、生死悟明の淵に一生を憂ふるものなからずとせんや。
俗物の尤も喜ぶところは憂国家の称号なり。而して自称憂国家の作するところ多くは自儘なり。彼等は僻見多し、彼等は頑曲多し。彼等は復讐心を以て事を成す。彼等は盲目の執着を以て業を急ぐ。彼等は夢幻中の虚想を以て唯一の理想となす。彼等の慷慨、彼等の憂国、多くは彼等の自ら期せざる渦流に巻き去られて終ることあるものぞ。
朽ちざるものいづくにある、死せざるものいづくにある。われ答を俟ちて躊躇せり、而して答遂に来らず。朽ちざるに近きものいづくにかある。死せざるに近きものいづくにかある。われこの答へを聞かんが為に過去の半生を逍遙黙思に費やせり。而して遂にその一部分を聞けりと思ふは、非か、非ならざるか。
天地の分れし時ゆ、神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振りさけ見れば渡る日の、影も隠ろひ、照る月の、光も見えず、白雲もい行憚り時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ云ひ継ぎ行かん富士の高嶺は。(赤人)
白雲、黒雲、積雪、潰雪、閃電、猛雷、是等のものを用役し、是等のものを使僕し、是等のものを制御して而して恒久不変に威霊を保つもの、富嶽よ、夫れ汝か。渡る日の影も隠ろひ、照る月の光も見えず、昼は昼の威を示し、夜は夜の威を示す、富嶽よ汝こそ不朽不死に邇きものか。汝が山上の浮雲よりも早く消え、汝が山腹の電影よりも速に滅する浮世の英雄、何の戯れぞ。いさましや汝の山麓を西に馳する風、こゝろよや汝の山嶺を東に飛ぶ風。流転の力汝に迫らず、無常の権汝を襲はず。「自由」汝と共にあり、国家汝と与に樹てり、何をか畏れとせむ。
遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。アルプス山の大欧文学に於ける、わが富嶽の大和民族の文学に於ける、淵源するところ、関聯するところ、豈寡しとせんや。遠く望んで美人の如く、近く眺めて男子の如きは、そも我文学史の証しするところの姿にあらずや。アルプスの崇厳、或は之を欠かん、然れども富嶽の優美、何ぞ大に譲るところあらん。われはこの観念を以て我文学を愛す。富嶽を以て女性の山とせば、我文学も恐らく女性文学なるべし。雪の衣を被ぎ、白雲の頭巾を冠りたる恒久の佳人、われはその玉容をたのしむ。
尽きず朽ちざる詩神、風に乗り雲に御して東西を飄遊し玉へり。富嶽駿河の国に崛起せしといふ朝、彼は幾億万里の天崕よりその山巓に急げり、而して富嶽の威容を愛するが故に、その殿居に駐まり棲みて、遂に復た去らず。是より風流の道大に開け、人麿赤人より降つて、西行芭蕉の徒、この詩神と逍遙するが為に、富嶽の周辺を往返して、形なく像なき紀念碑を空中に構設しはじめたり。詩神去らず、この国なほ愛すべし。詩神去らず、人間なほ味あり。
(明治二十六年一月)
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