我が平民界の侠客をうつして文章に録せしもの、甚だ多し、われは一々之を参照する能はず、こゝに馬琴が其「侠客伝」に序して曰ひし数句を挙げて、其意見を窺ひ見む。曰く、近世有乙大鳥居逸平、関東小六、幡随長兵、及号二茨城草袴、白柄大小神祇一者甲、皆是閭巷侠、而其所レ為、或未三必合二於義一、啻立レ気斉作二威福一、結二私交一以立二彊於世一者也、較乙諸古者道徳之士、不レ動二声色一、消二宇内之大変一者甲、相去非二唯霄壌而已一、然気豪、以レ此至レ捍二当世之兇暴一、此戦国余習未レ改、其私義廉潔以有レ然也、使三当時無二此人一、則士風自レ是衰、侠客之義、曷可レ少哉、余有レ感焉、而無レ所二激憤一、不レ激不レ憤、猶且伝二侠客一。云々。
支那の大歴史家同じく「遊侠伝」なる一小篇をのこして曰へることあり。今游侠、其行雖レ不レ軌二於正義一、然其言必信、其行必果、已諾必誠、不レ愛二其躯一、赴二士之阨困一、既已存亡死生矣、而不レ矜二其能一、羞レ伐二其徳一、蓋亦有二足レ多者一。
韓非子の侠を論ずるの語に曰く、儒以レ文乱レ法、侠以レ武犯レ禁。老子は侠を談じて、大道廃有二仁義一、仁義者道之異称也、而有二似而非者一。と曰ふに対して、馬琴は、夫侠之為レ言、彊也持也、軽レ生高レ気、排レ難解レ紛、孔子所謂、殺レ身成レ仁者是已。と言へり。
われは侠を上下する論を立つるにあらず、天知子及び愛山生の所論に対して余はむしろ平民界の侠気に同情を投ぐるの念起りたれば、聊か卒の説を為し、我が平民界の「侠」及び「粋」の由つて来るところを穿鑿したるに過ぎず。もし夫れ侠なるものを愛好するやと問はるゝ人あらば、我は是を愛好すなりと答ふるに躊躇せざるべし。然れども我に侠を重んずるやと問ふ者あらば、我は答ふるところを知らず、われは実に徳川時代に平民の理想となりて異色の光彩を放ちしこの「侠」を、其時代の平民の為に憐れむなり。かつて幡随院長兵衛の劇を見たる時に、われは実に長兵衛の衷情を悲しめり、然れども我は長兵衛の為に悲しむより、寧ろ当時の平民の為に悲しみしなり。彼等平民は自ら重んずる故を知らず、自から侠客なるものをして擅横縦暴の徒とならしめたり、侠客の侠客たる所以、甚だ重しとせず、平民界に入て一種の理想となりたる跡、真に痛むべし。
(明治二十五年七月)
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