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「罪と罰」の殺人罪(「つみとばつ」のさつじんざい)
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明治文學全集 29 北村透谷集 |
筑摩書房 |
1976(昭和51)年10月30日 |
1976(昭和51)年10月30日初版第1刷 |
1976(昭和51)年10月30日初版第1刷 |
不知庵主人の譯に成りし罪と罰に對する批評仲々に盛なりとは聞けるが、病氣其他の事ありて余が今日までに見たるは僅に四五種のみ、而して其中にも學海先生が國民の友に掲げられし評文は特に見目立ちて見えぬ。余は平生學海居士が儒家らしき文氣と馬琴を承けたる健筆に欽羨するものなるが、罪と罰に對する居士の評文の餘りに居士を代表する事の多きには聊か當惑するところなき能はざりし。 居士は、人命犯には必らず萬已むを得ざる原因ある事を言ひ、財主の老婆が、貪慾を憤ふるのみの一事にして忽ち殺意を生ずるは殺人犯の原因としては甚だ淺薄なりと言ひ、而して自ら辨じて言はるゝは、作者の趣意は、殺人犯を犯たる人物は、その犯後いかなる思想を抱くやらんと心を用ひて推測り精微の情を寫して己が才力を著はさんとするのみと。再び曰く、その原因の如きはもとより心を置くにあらずと。末段更に、財主の妹を殺したる一條を難じて「その氣質はかねて聞たる正直質樸のものたるに、これをも殺したるはいかにぞや………さてはのち我にかへりて大にこれを痛み悔ゆべきに、」云々と言はれたり。 余は學海居士の批評に對して無用の辨を費やさんとするものにあらず、右に引きたるは、居士の批評法の如何に儒教的なるや、いかに勸善懲惡的なるやを示さんとしたるのみ、居士には居士の定見あり、そを評論せんは一朝一夕の業にはあらじ。 余は「罪と罰」第一卷を通讀すること前後二囘せしが、その通讀の際極めて面白しと思ひたるは、殺人罪の原因のいかにも綿密に精微に畫出せられたる事なり、もし或兇漢ありて或貞婦を殺し、而して後に或義士の一撃に斃れたりと書かば事理分明にして面白かるべしと雖、罪と罰の殺人罪は、この規矩には外れながら、なほ幾倍の面白味を備へてあるなり。 一醉漢ありて酒毒の爲に神經を錯亂せられ、これが爲に自殺するに至りたる事ある時は、彼は酒故に自殺したりと言ふを躊躇せざるべし、酒は即ち自殺の原因なり。一頑漢ありて、社會の制裁と運命の自然なる威力に從順なる事能はず、これが爲に人には擯けられ、世には捨てられ、事業を愚弄し、人間をくだらぬものとし、階級秩序の如きをうるさきものとし、誠愛誠實を無益のものと思ひ、無暗に人を疑ひ、矢鱈に天を恨み、その極遂に精神の和を破りて行ふべからざる事を行ひ自ら知らざる程の惡事を爲遂ぐる事あらば、其惡事例へば殺人罪の如き惡事は意味もなく、原因も無きものと云ふを得べきや、之を心理的に解剖して仔細に其罪惡の成立に至までの道程を描きたる一書を淺薄なりとして斥くる事を得べきや。 殺人罪は必らずしも或見ゆべき原因によりて成立つものにあらざるなり、必らずしも酬報の理論若くは勸善懲惡の算法より割出し得るものにあらざるなり、我が「罪と罰」一卷に見るところのもの全篇悉く慘憺たる血くさき殺戮の跡を印するを認むるなり、見よ飮酒は彼非職官吏を殺しつゝあるにあらずや非職官吏の放蕩懶惰は其愛らしき妻を殺しつゝあるにあらずや其無邪氣の娘を殺しつゝあるにあらずや、婬賣と名け肺病と名け、※[#「りっしんべん+隋」、109-下-4]慢と名つくるもの、これ實に精神的に死してあるなり殺してあるなり、悲哀懊惱の幽暗なる事は「死」の幽暗なるよりも多きなり。讀者余が言を信ぜずば罪と罰に就きて、更に其他の記事を精讀せられよ、思ひ盖し半に過ぎんか。 余が前號の批評にも云ひし如く罪と罰とは最暗黒の露國を寫したるものにてあるからに馬琴の想像的侠勇談にある如く或復讎或忠孝等の故を以て殺人罪を犯さしめたるものにあらざること分明なり。最暗黒の社會にいかにおそろしき魔力の潛むありて學問はあり分別ある腦膸の中に、學問なく分別なきものすら企つることを躊躇ふべきほどの惡事をたくらましめたるかを現はすは蓋しこの書の主眼なり。而して斯の如く偶然の機會よりして偶然の殺戮を見得るが故に、一見して淺薄にして原因もなきものゝ種なる、この書の眞價は實に右に述べたる魔力の所業を妙寫したるに於て存するのみ。もしこの評眼をもちて財主の妹を財主と共に虐殺したる一節を讀まば、作者の用意の如何に非凡なるかを見るに惑はぬなるべし。
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