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人生に相渉るとは何の謂ぞ(じんせいにあいわたるとはなんのいいぞ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 10:50:28  点击:  切换到繁體中文

 

明月や池をめぐりてよもすがら

の一句なり。
 池の岸に立ちたる一個人はをもて成りたる人間なることを記憶せよ。彼はすべての愛縛、すべての執着、すべての官能的感覚に囲まれてあることを記憶せよ。彼は限ある物質的のちからをもて争ひ得る丈は、是等無形の仇敵と搏闘はくとうしたりといふことを記憶せよ。彼は功名と利達と事業とに手を出すべき多くの機会ありたることを記憶せよ。彼は人世に相渉るの事業に何事をも難しとするところなかりしことを記憶せよ。然るに彼は自ら満足することを得ざりしなり、自ら勝利を占めたりと信ずることを得ざりしなり、浅薄なる眼光を以てすれば勝利なりと見るべきものをも、彼は勝利と見る能はざりしなり。爰に於て彼はを撃つの手をやすめて、を撃たんともがきはじめたるなり。彼は池の一側に立ちて、池の一小部分をにらむに甘んぜず、徐々として歩みはじめたり。池の周辺を一めぐりせり。一めぐりにては池の全面を睨むに足らざるを知りて、再回せり。再回は池の全面を睨むに足りしかど、池の底までを睨らむことを得ざりしが故に、更に三回めぐりたり、四回めぐりたり、而してつひによもすがらめぐりたり。池は即ちなり。而して彼が池を睨みたるは、暗中に水を打つ小児の業に同じからずして、何物をか池に写して睨みたるなり。何物をか池に打ち入れて睨みたるなり。何物にか池を照さしめて睨みたるなり。睨みたりとは、る仕方の当初を指して言ひ得る言葉なり。視る仕方の後を言ふ言葉は Annihilation の外なかるべし。彼は実を忘れたるなり、彼は人間を離れたるなり、彼は肉を脱したるなり。実を忘れ、肉を脱し、人間を離れて、何処にか去れる。杜鵑とけん行衛ゆくゑは、問ふことを止めよ、天涯高く飛び去りて、絶対的の物、即ち Idea にまで達したるなり。
 彼は事実の世界を忘れたるにあらず、池をめぐりて両三回するはを見貫く心ありてなり、は自然の一側なり、而してを照らすものも亦た自然の他の一側なり、は吾人の敵となりて、吾人に迫ることを為せども、他の一側なるは、吾人の好友となりて、吾人を導きて天涯にまで上らしむるなり、池面にうつり出たる団々たる明月は、彼をして力としての自然をしりへに見て、一躍して美妙なる自然に進み入らしめたり。
 サブライムとはの判断にあらずして、の領分なり、即ち前に云ひたる池をめぐりてよもすがらせる如き人の、一躍して自然の懐裡に入りたる後に、彼処かしこにて見出すべき朋友を言ふなり。この至真至誠なる朋友を得て、而して後、夜を徹するまで池をめぐるの味あるなり。池をめぐるは Nothingness をめぐるにあらず、この世ならぬ朋友と共に、逍遙遊するを楽しむ為にするなり。
 造化主は吾人に許すに意志の自由を以てす。現象世界に於て煩悶苦戦する間に、吾人は造化主の吾人に与へたる大活機を利用して、猛虎の牙を弱め、倒崖たうがいの根を堅うすることを得るなり。現象以外に超立して、最後の理想に到着するの道、吾人の前に開けてあり。大自在の風雅を伝道するは、此の大活機を伝道するなり、何ぞ英雄剣を揮ふと言はむ。何ぞ為すところあるが為と言はむ。何ぞ人世に相渉らざる可からずと言はむ。くうの空の空を撃つて、星にまで達することを期すべし、俗世をして俗世の笑ふまゝに笑はしむべし、俗世を済度するは俗世に喜ばるゝが為ならず、肉の剣はいかほどに鋭くもあれ、肉を以て肉を撃たんは文士が最後の戦塲にあらず、眼を挙げて大、大、大の虚界を視よ、彼処に登攀して清涼宮を捕握せよ、清涼宮を捕握したらば携へ帰りて、俗界の衆生に其一滴の水を飲ましめよ、彼等はきむ、嗚呼あゝ、彼等庶幾こひねがはくは活きんか。
 自然の力をしてほしいまゝに吾人の脛脚けいきやくを控縛せしめよ、然れども吾人の頭部は大勇猛のちからを以て、現象以外のべつ乾坤けんこんにまで挺立ていりふせしめて、其処に大自在の風雅と逍遙せしむべし。彼の物質的論家の如きは、世界を狭少なる家屋となして、其家屋の内部を整頓するの外には一世の能事なしとし、あまんじて爰に起臥せんとす、而して風雨の外より犯す時、雷電の上より襲ふ時、慄然として恐怖するを以て自らの運命とあきらめんとす。霊性的の道念に逍遙するものは、世界を世界大の物と認むることを知る、而して世界大の世界を以て、甘心自足すべき住宅とは認めざるなり、世界大の世界を離れて、大大大の実在リアリチイを現象世界以外に求むるにあらずんば、止まざるなり。物質的英雄が明晃々くわう/\たる利剣を揮つて、狭少なる家屋の中に仇敵と接戦する間に、彼は大自在の妙機を懐にして無言坐するなり。
 悲しき Limit は人間の四面に鉄壁を設けて、人間をして、或る卑野なる生涯を脱すること能はざらしむ。おほとりの大を以てしてもせみの小を以てしても、同じくこのを破ること能はざるなり。而して蜩の小を以て自らその小を知らず、鵬の大を以て自ら其の大を知らず、同じくに縛せらるゝを知らず欣然として自足するは、あはれむべき自足なり。この憫れむべき自足を以て現象世界に処して、快楽と幸福とに欠然たるところなしと自信するものは、浅薄なる楽天家なり。彼は狭少なる家屋の中に物質的論客と共に坐を同くして、泰平を歌はんとす。歌へ、汝が泰平の歌を。
 然れども斯の如き狭屋の中には、味もなき「義務」双翼を張りて、極めて得意になるなり。剛健なる「意志」其の脚を失ひて、幽霊に化するなり。訳もなき「利他主義」は荘厳なる黄金仏となりて、礼拝せらるゝなり。「事業」といふ匠工たくみは唯一の甚五郎になるなり、「快楽」といふ食卓は最良の哲学者になるなり。ペダントリーといふ巨人は、屋根裡やねうらに突き上るほどの英雄になるなり。すべての霊性的生命は此処を辞して去るべし。人間を悉く木石の偶像とならしむるに屈竟くつきやうの社殿は、この狭屋なるべし。この狭屋の内には、菅公は失敗せる経世家、桃青は意気地なき遁世家、馬琴は些々さゝたる非写実文人、西行は無慾の閑人となりて、白石の如き、山陽の如き、足利尊氏の如き、仰向すべきは是等の事業家の外なきに至らんこと必せり。
 頭をもたげよ、而して視よ、而して求めよ、高遠なる虚想を以て、真に広濶なる家屋、真に快美なる境地、真に雄大なる事業を視よ、而して求めよ、なんぢの Longing を空際に投げよ、空際より、爾が人間に為すべきの天職をり来れ、嗚呼あゝ文士、何すれぞ局促として人生に相渉るを之れ求めむ。

(明治二十六年二月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「文學界 二號」女學雜誌社
   1893(明治26)年2月28日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年1月27日作成
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●表記について
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