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心機妙変を論ず(しんきみょうへんをろんず)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 10:49:36  点击:  切换到繁體中文


 彼は此の際に於て、天地の至真を感ぜし事其一なり。すべてのものを蔑視したる彼は今、女性の真美を感得せり、血肉あるの女性は血肉の美を示せども、天地の至妙を示すものにあらず、始め貞操を以て辞せしものも、人間を嘲罵する彼の心絃には触れざりしを、この際に於て豁然くわつぜん悟発して、人間に至真の存するあるをさとらしめたり。
 彼はこの際に於て、己れの意中物を残害すると同時に、己れの迷夢をも撃破し了れり。彼の惑溺は袈裟ありて然るにあらざりしも、この袈裟の横死は彼が一生の惑溺を医治したり。意中物は己れの極致なり、己れの極致を殺したる時に、いかで己れの過去を存することを得む。彼は極致と共に死したり、而して他の極致を以て更生するまでの間は所謂いはゆる無心無知の境なり、激奮猛奔して、而して中奥に眠熟みんじゆくするが如き境なり、この境を過ぐるは心機一転に欠くべからず、而してこの境は石火なり、流星なり、数秒時間なり。この数秒時間の後に、他の極致は歩を進めて彼のうちに入る、しばらく混乱したる後に彼は新生の極致を得て、全く向前かうぜんの生命と異なるものとなるなり。
 彼はこの際に於て天地のじつを覚知せり。「死」、彼に於て何の恐るゝところなく、生、彼に於いて何の意味あるかを知らしめず、茫々たる天地、有にもなく無にもなきに似たる有様にありしものが、始めて「死」といふ実を見たり。死は永遠の死にして、再見の機あらざるべき実を知りたり。無常彼に迫りて、無常の実を示し、離苦彼を囲みて、離苦の実を表はし、恋愛その偽装を脱して、恋愛の実を顕はし、痴情その実躰を現じ、大悪その真状を露はし、彼をして棘然きよくぜんとして顛倒せしめ、しかのちに彼をして始めて己れの存立の実なると天地万有の実なるとを覚知せしめたり。而して彼をして天地神明に対して、極めて真面目なるものとならしめたり。
 彼はこの際に於て、恋愛の至道と妄愛の不義とを悟れり。さきに愛慕したるものまことの愛慕にあらず、動物的慾愛にすぐるところあらざりし。れども事のこゝに至りて、始めて妄執の妄執たるを達破し、妄愛の※(「夕/寅」、第4水準2-5-29)てんいんしたるを頓脱し、恋愛の方向一転して、皮膚の愛慕を転じて内部精神の美に対する高妙なる愛慕を興発せり。この愛慕は一の目的物にあつまりて、而して四散せり、四散せるものた聚りて或一物の上に凝れり、彼の以後の生涯、是を証するを見るべし。
 最後に彼は此際に於て仏智を得たり。彼は無慚、無愧、無苦、無憂にして、百煩悩の繁擁はんようするところとなりて、みづから知ること能はざりしなり。しかるに発露刀一たび彼の心機を断截だんせつするや、彼は自ら依怙いこするところをうしなひたり、仏智はこの一瞬間に彼のうちに入り、彼をして照明の心鏡に対せしめ、慚愧苦憂、輾転煩悶せしめ、然る後に自己を寄するところを知らしめたり。
 およそ傲逸彼の如きは、乱世にありて一仏徒として終ること能はざるところなり、然るに彼をして遂に剣鎗につゑつかずして、経典にらしめたるもの、そもいかなる鬼物の神力ならむ。ほかならず、この一瞬時の発露刀なり、心機妙変なり。剛健彼の如く、執着彼の如く、驕慢彼の如く、血性彼の如きものをして、志の壮偉なる事は全盛の平家を倒して孤島飄落の人を起す程にありて、而して胸中一物のねがふところなく、だ一寺の建立を願欲せしむるに過ぎざりしもの、抑も奈何いかんの故ある。曰く彼時かのときの変化なり。熱烈の舌一世を罵り、勇猛の気英雄を呑み、豪快天地を嘲るが如き挙動を為しながら、別に一片の真率無慾なるところ、専念回向ゑかうするところ、瞑目静思する処ろ、殆数個の人あるが如き観あるもの、何ぞや。曰く、彼時かのときの発心なり、彼時の心機妙変なり。彼時に得たるものが深く胸奥に印して、抹除すること能はざればなり。あゝこの、ある意味に於ての荒法師が、筐中きやうちゆう常に彼可憐の貞女の遺魂を納めて、その重荷を取り去ることを得ざりしと、懸瀑に難行して、胸中の苦熱とざし難き痛悩とは、あに生悟なまざとりの聖僧の能く味ふを得るところならんや。
 冷淡にして熱血ある好漢、遂に半悟の人とならず、能く自家の弱性を暴露し、罪業を懺悔ざんげせり。然り、彼の一生は事業の一生にあらずして、懺悔の一生なり、彼を以て改革家なりと評する如きは、蛇尾を見て蛇頭を見ざるの論なり。
 文覚が袈裟を害したるは実に彼の心機を開発したるものなり、蓮花蕾を破りて玉女泥中に現れたるは、実にこのあしたなり。至善の至悪をたふしたるもこのあしたなり、無漏の有漏に勝ちたるも、光明の無明を破りたるも、神性人性を撃砕したるも、皆この時に於てありしなり、而して其時間は一閃電の間に過ぎず、人つひに戦はずして勝つ能はざるか、仆れずしておきる能はざるか、われは文覚の為に悲しむ、われは彼の発機はつきを観じて、彼の為に且つ泣き且つ喜ぶ、彼をしてかくの如き大毒刃の下に大発心を得せしめたる神意、果して如何いかん。天知子の「女学生」に載せし「怪しき木像」我眼前わがめのまへに往来して、遂に我をして未熟の文をいだすに至らしめぬ。アーノルドの「あづま」世にいづるの時は近しと聞く、英国の詩宗が文覚を観るの眼光いかんは、読者と共に刮目くわつもくして待つべし。

(明治二十五年九月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二八號」女學雜誌社
   1892(明治25)年9月24日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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