現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集 |
筑摩書房 |
1974(昭和44)年6月5日 |
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷 |
1988(昭和63)年7月25日初版第15刷 |
第一
かなしきものは秋なれど、また心地好きものも秋なるべし。春は俗を狂せしむるに宜れど、秋の士を高うするに如かず。花の人を酔はしむると月の人を清ましむるとは、自から味を異にするものあり。喜楽の中に人間の五情を没了するは世俗の免かるゝ能はざるところながら、われは万木凋落の期に当りて、静かに物象を察するの快なるを撰ぶなり。
第二
希望は人を欺き易きものぞ。今年の盛夏、鎌倉に遊びて居ること僅かに二日、思へらく此秋こそは爰に来りて、よろづの秋の悲しきを味ひ得んと。図らざりき身事忙促として、空しく中秋の好時節を紅塵万丈の裡に過さんとは。然れども秋は鎌倉に限るにあらず、人間到るところに詩界の秋あり。欺き易き希望を駕御するの道は、斯にこそあれ。
第三
我庵も亦た秋の光景には洩ざりける。咽なきやぶるばかりのひよどりの声々、高き梢に聞ゆるに、を開きてそこかこゝかとうち見れば、そこにもあらず、こゝにもあらず、を閉ぢて書を披けば一層高く聞ゆめり。鳥の声ぞと聞けば鳥の声なり、秋の声ぞと聞けば、おもしろさ読書の類にあらず。
第四
病みて他郷にある人の身の上を気遣ふは、人も我もかはらじ、左れど我は常に健全なる人のたま/\床に臥すを祝せんとはするなり。病なき人の道に入ることの難きは、富めるものゝ道に入り難きに比しからむ。世には躰健かなるが為に心健かならざるもの多ければ、常に健やかなるものゝ十日二十日病床に臥すは、左まで恨むべき事にあらず、況してこの秋の物色に対して、命運を学ぶにこよなき便あるをや。斯く我は真意を以て微恙ある友に書き遣れり。
第五
萩薄我が庭に生ふれど、我は在来の詩人の如く是等の草花を珍重すること能はず。我は荒漠たる原野に名も知れぬ花を愛づるの心あれども、園芸の些技にて造詣したる矮少なる自然の美を、左程にうれしと思ふ情なし。左は言へど敢て在来の詩人を責むるにもあらず、又た自己の愛するところを言はんとにもあらず、唯だ我が秋に対する感の一として記するのみ。
第六
鴉こそをかしきものなれ。わが山庵の窓近く下り立ちて、我をながし目に見やりたるのち、追へども去らず、叱すれども驚かず、やゝともすれば脚を立て首を揚げて飛去らんとする景色は見すれど、わが害心なきを知ればにや、たゞちよろ/\と歩むのみ。浮世は広ければ、斯る曲物を置きたりとて何の障りにもなるまじけれど、その芥ある処に集り、穢物あるところに群がるの性あるを見ては、人間の往々之に類するもの多きを想ひ至りて聊か心悪くなりたれば、物を抛ぐる真似しけるに、忽ちに飛去りぬ。飛去る時かあ、かあ、と鳴く声は我が局量を嘲る者の如し。実に皮肉家と云ふもの、文界のみにはあらざりけり。
第七
夜更けて枕の未だ安まらぬ時蟋蟀の声を聞くは、真の秋の情なりけむ。その声を聞く時に、希望もなく、失望もなく、恐怖もなく、欣楽もなし。世の心全く失せて、秋のみ胸に充つるなり。松虫鈴虫のみ秋を語るにあらず。古書古文のみ物の理を我に教ふるにあらず。一蟋蟀の為に我は眠を惜まれて、物思ひなき心に思を宿しけり。
第八
芭蕉の葉色、秋風を笑ひて籬を蓋へる微かなる住家より、ゆかしき音の洩れきこゆるに、仇心浮きて其が中を覗ひ見れば、年老いたる盲女の琵琶を弾ずる面影凛乎として、俗世の物ならず。その律調の端正なること、今の世の浮華なる音楽に較ぶべからず。うれしき事に思ひぬ。
第九
紅葉館は我庵の後にあり。古風の茶亭とは名のみにて、今の世の浮世才子が高く笑ひ、低く語るの塲所なり。三絃の音耳を離れず、蹈舞の響森を穿ちて来る。その音の卑しく、其響の険なるは、幾多世上の趣味家を泣かすに足る者あるべし。紳士の風儀久しく落て、之を救済するの道未だ開けず。悲いかな。
第十
わが幻住のほとりに、情しらぬもの多く住むにやあらむ、わがうつりてより未だ月の数も多からぬに三度までも猫を捨てたるものあり。一たびは朝早く我机辺に泣くを見出し、二度目には雨ふりしきる日に垣の外より投入れられぬ。三度目は我が居らざりし時の事なれば知らず。浮世の辛らきは人の上のみにあらずと覚えたり。
第十一
今の世の俳諧士は憐れむべきものなるかな。我庵を隔つること杜ひとつ、名宗匠其角堂永機住めり、一日人に誘はれて訪ひ行きつ、閑談稍久しき後、彼の導くまゝに家の中あちこちと見物しけるが、華美を尽すといふ程にはあらねど、よろづ数奇を備へて粋士の住家とは何人も見誤らぬべし。間数も不足なき程にあれば何をか喞つべきと思ふなるに、俳翁頻りに其狭陋なるをつぶやきて止まず。一向に心得ねば、笑つて翁に言ひけるやう、御先祖其角の住家より狭しと思すにやと。俳士をして俗に媚ぶるの止むを得ざるに至らしめたるものあるは、余と雖之を知らぬにあらねど、高達の士の俗世に立つことの難きに思ひ至りて、黙然たること稍しばしなりし。
(明治二十二年十月)
●表記について
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