次に観察すべきは富山洞なり。富山洞はいかなる種類の幻界なるべきや。
人間世界を因果転輪の車の上に立つものとせば、富山は馬琴の想像中にありて因果の車の軸なり。因果の理法の盈満を示したるものは富山洞のトラヂヱヂイにして、富山はこの理法をあらはしたる舞台なり。伏姫は世を捨てつ世に捨てられて此山に入れり。この山の真相を言へば、一方に経文あり。一方に凡悩あり。一方に仙縁あり。一方に毒業あり。一方に無染あり。一方に無慾あり。一方に菩提あり。一方に畜生あり。表面を仏界なりとせば、裡面は魔界なり。表面を魔界なりとすれば、裡面は仏界なり。仏が魔か、魔が仏か、一なるが如く他なるが如く、紛乱錯綜いづれをいづれと定め難し。斯くの如くにして業因業果の全く盈満するまでは、一箭の飛んで勢の尽くるまでは、落ちざるが如きを示せり。これ幻界なり。権者の大方便と題するものは、即ち所謂コンペンセイシヨンの大法なるにあらずや。故に富山の洞を言ふ時は、馬琴の想像中に於て、因果の理法をつゞめたる一幻界に外ならじ。
この幻界に、かの妖犬に伴はれて入りぬる伏姫はいかに。
山峡に伴はるゝ時の決心は、身を妖犬に許せしなり。許せしとは雖ども、肉膚を許せしにはあらず、誠心を許せしなり。この誠心は抛げて八房の首にかゝれり。渠もしこの誠心を会得すれば好し、然らざれば渠を一刀に刺殺さんとの覚悟あり。彼の感得せし水晶の珠数は掛て今なほ襟にあり、護身刀の袋の緒は常に解て右手に引着けたり、法華経八軸は暫らくも身辺を離れず、而して大凡悩大業獣に向ふこと莫逆の朋友に対するが如し。誠心は非類にも許すべしとすれど、肉膚は堅く純潔を守りて畜生に許さず。一方には穢土穢物を嫌ひたまはざる仏の慈悲に似たるものあり、他方には餓鬼畜生の慾情と戦へる霊妙なる人類としての純潔あり。これ伏姫が洞に入りたる時の有様なり。
「又あるときは。父母のおん為に。経の偈文を謄写して。前なる山川におし流し。春は花を手折て。仏に手向奉り。秋は入る月に嘯て。坐に西天を恋めり。」といふに至りては、伏姫の心中既に大方の悲苦を擺脱して、澄清洗ふが如くになりたらむ。八房も亦た時に至りては、読経の声に耳を傾け、心を澄し欲を離れて、只管姫上を眷慕するの情を断ちぬ。更に進んで「仄歩山嶮けれども。蕨を首陽に折るの怨なく。岩窓に梅遅けれども。嫁て胡語を学ぶの悲みなし。」といふに至りては、伏姫の心既に平滑になりて、苦痛全く痊え、真如鏡面又た一物の存するなし。
然れども亦た凡悩の夢に驚かさるゝ事、全く無きにあらず。
「有一日伏姫は。硯に水を滴んとて。出て石湧を掬給ふに。横走せし止水に。うつるわが影を見給へば。その体は人にして。頭は正しく犬なりけり。」云々。
とありて、之より月水の絶たることを説けり。
こゝにも亦た因果の道法を隠微の中に示顕して至妙に達せり。月水の絶たるは、仙童に訊ふまでもなく懐胎の徴なり。而してこの懐胎は八犬子を生む為にあらずして、その実、宿因の満潮を示したるものなり。これよりして強く張りたる弦は弛みはじめたるなり。その体は人にして其頭は犬なりと云ふは、即ち是れ宿因の絶頂に登りたるを指すにやあらむ。
更に進みて仙童に言はせたる予言の中に、「今この八の子を遺せり。八は則八房の八を象り。又法華経の巻の数なり。」とあるに至りては、明らかに業と法との両者の対峙して、伏姫に臨めるを示し、遂に其宿因よりして却つて八英雄を得るに至らしめたる禍福の理法、益明らかなり。同じ筆意にて成れる文字この後にも見えたり、曰く「こは不思議や。と取なほして。とさまかうさま見給ふに。数とりの珠に顕れたる。如是畜生発菩提心の。八の文字は跡もなく。いつの程にか仁義礼智忠信孝悌となりかはりて。いと鮮に読まれたり。」
更に又た、
「やよ八房。わがいふ事をよく聞けかし。よに幸なきもの二ツあり。又幸あるものふたつあり。則吾儕と汝なり。己れは国主の息女なれども。義を重しとするゆゑに。畜生に伴る。これこの身の不幸なり。しかれども穢し犯されず。ゆくりなくも世を遯れて。自得の門に三宝の引接を希ひしかば。遂に念願成就して。けふ往生の素懐を遂なん。…………又只汝は畜生なれども。国に大功あるをもて。軈て国主の息女を獲たり。人畜の道異にして。その欲を得遂げざれども。耳に妙法の尊きを聴て。…………おなじ流に身を投て。共に彼岸に到れかし。」
といふに到ては、平等無差別、遙かに人間を離れて菩薩の心備はれり。誠心は隠すところなく八房に与へたり、而して不穢不犯、玲瓏たるチヤスチチイの処女、禍福の外に卓立し、運命の鉄柵を物ともせざるは、実にこの馬琴の想児なり。
最後に護身刀を引抜て真一文字に掻切たる時に、一朶の白気閃めき出で、空に舞ひ上りたる八珠「粲然として光明をはな」つに及びて、「歓しやわが腹に。物がましきはなかりけり。神の結びし腹帯も。疑ひも稍解たれば。心にかゝる雲もなし。」云々と云ふに至りては、明らかに因果の結局をあらはして、八房と伏姫との関係を閉ぢたり。
要するに伏姫は因果の運命にその生涯を献じたる者なり。因果は万人に纏ひて悲苦を与ふるものなるに、万人は其繩羅を脱すること能はずして、生死の巷に彷徨す、伏姫は自ら進んでこの大運命に一身を諾ねたるものなり。義は彼をこの大運命の囚獄に連れ行きたる囚吏なり、宿因は八房に代表せられて、彼を破滅に導きたるなり。破滅は又た幸福を里見の家に臨らせたるなり。凡て是等の錯綜せる哲理の外に、晃々としてこの大作を輝かすものこそあれ。そを何ぞと曰ふに、伏姫の純潔なり。始めより終りまでの純潔なり。その純潔の誠実は通じて非類の八房を成仏せしめしは、尊ふとしと言ふも愚ろかなり。
わが伏姫を論ぜんと企てしは、その純潔を観察するに止めんとせしなるに、図らずも馬琴の哲学に入りて因果論等をほのめかすに至りぬ。浅学の身にして文学上の大問題に蹈入りたるは深く自ら恥づるところ。読者もしこの心して読まざれば、或は我が精神に違はむことを恐る。
(明治二十五年十月)
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