您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 北村 透谷 >> 正文

処女の純潔を論ず(おとめのじゅんけつをろんず)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 10:40:43  点击:  切换到繁體中文


 次に観察すべきは富山洞とやまのほらなり。富山洞はいかなる種類の幻界なるべきや。
 人間世界を因果転輪の車の上に立つものとせば、富山は馬琴の想像中にありて因果の車の軸なり。因果の理法の盈満コンプリケイシヨンを示したるものは富山洞とやまのほらのトラヂヱヂイにして、富山はこの理法をあらはしたる舞台なり。伏姫は世を捨てつ世に捨てられて此山に入れり。この山の真相を言へば、一方に経文あり。一方に凡悩あり。一方に仙縁あり。一方に毒業あり。一方に無染あり。一方に無慾あり。一方に菩提あり。一方に畜生あり。表面を仏界なりとせば、裡面りめんは魔界なり。表面を魔界なりとすれば、裡面は仏界なり。仏が魔か、魔が仏か、一なるが如く他なるが如く、紛乱錯綜いづれをいづれと定め難し。斯くの如くにして業因業果の全く盈満えいまんするまでは、一箭いつせんの飛んで勢の尽くるまでは、落ちざるが如きを示せり。これ幻界なり。権者ごんじやの大方便と題するものは、即ち所謂コンペンセイシヨンの大法なるにあらずや。故に富山の洞を言ふ時は、馬琴の想像中に於て、因果の理法をつゞめたる一幻界に外ならじ。
 この幻界に、かの妖犬に伴はれて入りぬる伏姫はいかに。
 山峡に伴はるゝ時の決心は、身を妖犬に許せしなり。許せしとはいへども、肉膚を許せしにはあらず、誠心を許せしなり。この誠心は抛げて八房のかうべにかゝれり。かれもしこの誠心を会得すれば好し、然らざれば渠を一刀に刺殺さんとの覚悟あり。彼の感得せし水晶の珠数はかけて今なほ襟にあり、護身刀まもりがたなの袋の緒は常にとき右手めてに引着けたり、法華経八軸は暫らくも身辺を離れず、而して大凡悩大業獣に向ふこと莫逆ばくぎやくの朋友に対するが如し。誠心は非類にも許すべしとすれど、肉膚は堅く純潔を守りて畜生に許さず。一方には穢土穢物を嫌ひたまはざる仏の慈悲に似たるものあり、他方には餓鬼畜生の慾情と戦へる霊妙なる人類としての純潔あり。これ伏姫がほらに入りたる時の有様なり。
「又あるときは。父母ちゝはゝのおん為に。経の偈文げもん謄写かきうつして。前なる山川におし流し。春は花を手折たをりて。仏に手向たむけ奉り。秋は入る月にうそぶきて。そゞろ西天にしのそらこふめり。」といふに至りては、伏姫の心中既に大方の悲苦を擺脱はいだつして、澄清洗ふが如くになりたらむ。八房も亦た時に至りては、読経の声に耳を傾け、心をすまし欲を離れて、只管ひたすら姫上ひめうへ眷慕けんぼするの情を断ちぬ。更に進んで「仄歩しよくほけはしけれども。わらび首陽しゆやうに折るの怨なく。岩窓がんさうに梅遅けれども。とつぎて胡語を学ぶの悲みなし。」といふに至りては、伏姫の心既に平滑になりて、苦痛全くえ、真如鏡面又た一物の存するなし。
 れども亦た凡悩の夢に驚かさるゝ事、全く無きにあらず。
有一日あるひ伏姫は。すゞりに水をそゝがんとて。いで石湧しみづむすび給ふに。横走よこばしりせし止水たまりみづに。うつるわが影を見給へば。そのかたちは人にして。かうべは正しく犬なりけり。」云々しか/″\
とありて、之より月水のたえたることを説けり。
 こゝにも亦た因果の道法を隠微のうちに示顕して至妙に達せり。月水の絶たるは、仙童にふまでもなく懐胎のしるしなり。而してこの懐胎は八犬子を生む為にあらずして、そのじつ、宿因の満潮を示したるものなり。これよりして強く張りたる弦はゆるみはじめたるなり。そのたいは人にして其頭は犬なりと云ふは、即ち是れ宿因の絶頂に登りたるを指すにやあらむ。
 更に進みて仙童に言はせたる予言のうちに、「今このやつの子をのこせり。八はすなはち八房の八をかたどり。又法華経のまきかずなり。」とあるに至りては、明らかに業と法との両者の対峙して、伏姫に臨めるを示し、遂に其宿因よりして却つて八英雄を得るに至らしめたる禍福の理法、ます/\明らかなり。同じ筆意にて成れる文字こののちにも見えたり、曰く「こは不思議や。と取なほして。とさまかうさま見給ふに。数とりの珠に顕れたる。如是畜生発菩提心の。やつの文字は跡もなく。いつの程にか仁義礼智忠信孝悌となりかはりて。いとあざやかに読まれたり。」
 更に又た、
「やよ八房。わがいふ事をよく聞けかし。よにさちなきもの二ツあり。又幸あるものふたつあり。すなはち吾儕わなみなんぢなり。己れは国主の息女むすめなれども。義を重しとするゆゑに。畜生にともなはる。これこの身の不幸なり。しかれどもけがし犯されず。ゆくりなくも世をのがれて。自得の門に三宝の引接いんぜうこひねがひしかば。遂に念願成就して。けふ往生の素懐をとげなん。…………またたゞ汝は畜生なれども。国に大功あるをもて。やがて国主の息女むすめを獲たり。人畜にんちくの道ことにして。その欲を得遂げざれども。耳に妙法のたときをきゝて。…………おなじ流に身をなげて。共に彼岸かのきしに到れかし。」
といふに到ては、平等無差別、遙かに人間を離れて菩薩の心備はれり。誠心は隠すところなく八房に与へたり、而して不穢不犯、玲瓏れいろうたるチヤスチチイの処女、禍福の外に卓立し、運命の鉄柵を物ともせざるは、にこの馬琴の想児なり。
 最後に護身刀まもりがたなを引抜て真一文字に掻切かききりたる時に、一朶いちだの白気閃めき出で、空に舞ひ上りたる八珠「粲然さんぜんとして光明ひかりをはな」つに及びて、「よろこばしやわが腹に。物がましきはなかりけり。神の結びし腹帯も。疑ひもやゝとけたれば。心にかゝる雲もなし。」云々しか/″\と云ふに至りては、明らかに因果の結局をあらはして、八房と伏姫との関係を閉ぢたり。
 要するに伏姫は因果の運命にその生涯を献じたる者なり。因果は万人に纏ひて悲苦を与ふるものなるに、万人は其繩羅じようらを脱すること能はずして、生死の巷に彷徨はうくわうす、伏姫は自ら進んでこの大運命に一身をゆだねたるものなり。は彼をこの大運命の囚獄に連れ行きたる囚吏なり、宿因は八房に代表せられて、彼を破滅に導きたるなり。破滅は又た幸福を里見の家にきたらせたるなり。すべて是等の錯綜せる哲理の外に、晃々としてこの大作を輝かすものこそあれ。そを何ぞと曰ふに、伏姫の純潔なり。始めより終りまでの純潔なり。その純潔の誠実は通じて非類の八房を成仏せしめしは、尊ふとしと言ふも愚ろかなり。

 わが伏姫を論ぜんと企てしは、その純潔を観察するにとゞめんとせしなるに、図らずも馬琴の哲学に入りて因果論などをほのめかすに至りぬ。浅学の身にして文学上の大問題に蹈入りたるは深く自ら恥づるところ。読者もしこの心して読まざれば、或は我が精神にたがはむことを恐る。
(明治二十五年十月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二九號」女學雜誌社
   1892(明治25)年10月8日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「口+慊のつくり」    107-下-12

上一页  [1] [2]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告