現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集 |
筑摩書房 |
1974(昭和44)年6月5日 |
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷 |
1988(昭和63)年7月25日初版第15刷 |
天地愛好すべき者多し、而して尤も愛好すべきは処女の純潔なるかな。もし黄金、瑠璃、真珠を尊としとせば、処女の純潔は人界に於ける黄金、瑠璃、真珠なり。もし人生を汚濁穢染の土とせば、処女の純潔は燈明の暗牢に向ふが如しと言はむ、もし世路を荊棘の埋むところとせば、処女の純潔は無害無痍にして荊中に点ずる百合花とや言はむ、われ語を極めて我が愛好するものを嘉賞せんとすれども、人間の言語恐らくは此至宝を形容し尽くすこと能はざるべし。噫人生を厭悪するも厭悪せざるも、誰か処女の純潔に遭ふて欣楽せざるものあらむ。
然れども我はわが文学の為に苦しむこと久し。悲しくも我が文学の祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず。徳川氏時代の戯作家は言へば更なり、古への歌人も、また彼の霊妙なる厭世思想家等も、遂に処女の純潔を尊むに至らず、千載の孤客をして批評の筆硯に対して先づ血涙一滴たらしむ、嗚呼、処女の純潔に対して端然として襟を正うする作家、遂に我が文界に望むべからざるか。
夫れ高尚なる恋愛は、其源を無染無汚の純潔に置くなり。純潔より恋愛に進む時に至道に叶へる順序あり、然れども始めより純潔なきの恋愛は、飄漾として浪に浮かるゝ肉愛なり、何の価直なく、何の美観なし。
わが国の文学史中に偉大なる理想家なしとは、十指の差すところなり。近世のローマンサーなる曲亭馬琴に至りては批評家の月旦甚だ区々たり、われも今卒かに彼を論評する事を欲せず。細論は後日を期しつ、試みに彼が一代の傑作たる富山の奥の伏姫を観察して見む。ロマンチック・アイデアリストとしての馬琴の一端は、之を以て窺ひ知るを得んか。
わが美文学は、宗教との縁甚だ深からず、別して徳川氏の美文学を以て然りとなす。俳道の達士桃青翁を除くの外、玄奥なる宗教の趣味を知りたる者あらず、是あるは恐らく馬琴なるべし、然ども桃青と馬琴とは其方向を異にして仏教の玄奥に入れり、もし桃青の仏教を一言の下に評するを得ば彼は入道したるなり、もし馬琴の仏教を一言の下に表はすことを得ば彼は知道なり、桃青は履践し、馬琴は観念せり、桃青は宗教家の如くに仏道をその風流修行に応用したり、馬琴は哲学者の如くに仏道を其理想中に適用したり、桃青の仏道は不立文字にして、馬琴の仏道は寧ろ小乗的なるべし。われは桃青を俳道の偉人として尊敬すると共に、馬琴を文界の巨人として畏敬せざるを得ず。
軽浮剽逸なる戯作者流を圧倒して、屹然思想界に聳立したる彼の偉功の如きは、文学史家の大に注目すべきところなるべし。然れども是等の事、凡てわが論題外なり、いで富山の洞に寂座し玉ふ伏姫を観察せむ。
「八犬伝」一篇を縮めて、馬琴の作意に立還らば、彼はこの大著作を二本の角の上に置けり。其一はシバルリイと儒道との混合躰にして、他の一は彼の確信より成れる因果の理法なり。全篇の大骨子を彼の仁義八行の珠数に示したるは、極めて美くしく儒道と仏道とを錯綜せしめたるものなり。その結構より言ふ時は、第一輯は序巻なり、而して第二輯の第一巻は全篇の大発端にして、其実は「八犬伝」一部の脳膸なり、伏姫の中に因果あり、伏姫の中に業報あり、伏姫の中に八犬伝あるなり、伏姫の後の諸巻は、俗を喜ばすべき侠勇談あるのみ。
伏姫に対する八房は馬琴の創作にあらずと難ずるものもあれど、余はむしろ此を馬琴の功に帰するものなり。試みに八房を把りて察して見む。伏姫を観るの順序に於て斯くするを至当と思へばなり。
八房の前世は、彼の金碗孝吉に誅せられたる奸婦玉梓なり。
「伏姫は此形勢を。つく/″\と見給ひて。此犬誠に得度せり。怨るものゝ後身なりとも。既に仏果を得たらんには。」云々。
又た義実が自白の言に「かくてかの玉梓が。うらみはこゝに※[#「口+慊のつくり」、107-下-12]らず。八房の犬と生かはりて。伏姫を将て。深山辺に。隠れて親に物を思はせ。」云々。
然れば、馬琴の八房は玉梓の後身たること、仏説に拠つて因果の理を示すものなること明瞭なり、然して、この八房をして伏姫を背ひ去るに至らしめたる原因は何ぞと問ふに、事成る時は、伏姫の婿にせんと言ひたる義実の一言なり。伏姫が父を諫めて、賞罰は政の枢機なることを説き、一言は以て苟且にすべからざるを言ひ、身を捐てゝ父の義を立てんとするに至りては、宛然たるシバルリイの美玉なり。爰に至りて伏姫の「運命」を形くりしもの二段階あり、その一は根本の因果にして仏説をその儘なり、而して其二は一種のコンペンセイシヨンにして、一言の失言より起れるものとす。其二の者は蓋し哲学的観念より来れるものなるべし。
馬琴を論ずるもの、徒らに勧善懲悪を以て彼を責むるを知つて、彼の哲学的観念の酬報説に論入せざる、評家の為に惜まざるを得ず。勧善懲悪主義は支那思想より入り来りたる小説の大本の主義なれば、馬琴と雖是に感染せざるを得ざるは勢の然らしむる所なるが、馬琴の中には別に勧懲主義排斥論をして浸犯するを得ざらしむるものゝ存するあるなり。父義実の一言を誤らざらんとて、一身の破滅を甘んずるは、シバルリイの極めて美はしき玉なり、而して其の是を実行するに至りては、海潮の干満整然として、理法の円満を描くに似たり。
伏姫の運命を形りしもの、右の二者あるの外に、驚くべき配合の美と言ふべきは、八房の他の一側なり。彼は玉梓の悪霊を代表すると共に、仏説の所謂凡悩なるものを代表せり、この凡悩の人間に纏するの実象を縮めて、之を伏姫と呼べる清浄無垢の女姫に加へたり。凡悩を見ること、他の多くの作家が為す如く惑溺癡迷の人物に加ふる事をせず。極めて無邪気にして極めて清潔なる一処女に附き纏はしむ。悪魔の魅力を仮用して高潔なる舞台を濁穢する泰西作家の妙腕は、即ち馬琴が八房の中にあり。始めは伏姫徐々として八房の後に従へり、後には八房伏姫を背にして飛鳥の如くに走れり、凡悩の人間を魅するの状を写す何ぞ一に斯の如く霊なる。輝武健馬に鞭ちて逐へども遂に及ばず、凡悩の魔力何んぞ人間の及ぶところならんや。雲霧深く籠めて、山洞又た人力を以て達すべき道なし、輝武の眼には川一条なり、然れども霊界の幻想を以て曰へば、川一条は人界と幻界との隔てなり。「横ざまに推倒されて」以下の文章深く味ふべし。
役行者は蓋し「天命」の使者なるべし。是に就きて言ふべき事あれど本題を離るゝ事遠ければ茲には言はず、唯だ読者と共に記憶すべきは、伏姫が幼少の時に行者より得たる珠数の事なり。馬琴の深く因果の理法を信ずるや、普通の作家の如く行の奇跡を以て伏姫の業因を断たしむることなく、却つて彼八行の珠玉を与へて、伏姫の運命の予言者とならしめ指導者とならしめたるもの、支那小説の古套とは言へ馬琴の妙筆にあらざれば、斯の如き照応を得ること能はざらむ。
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