岸田國士全集23 |
岩波書店 |
1990(平成2)年12月7日 |
1990(平成2)年12月7日 |
1990(平成2)年12月7日 |
少しは面倒な仕事、柄にない仕事でも、みんなが順番にやるといふことになると、私はなんとしても厭やとは云へない。順番に何かの役目が廻つて来るといふことは、誰にでも幾分か楽しいことではないかと思ふ。人間生活の自然な相を映してゐるやうでもあり、秩序の観念の理想的な表示ででもあるやうな気がするためであらうか。私は、さういふ楽しさを子供の時分から楽しむ傾向があつた。楽しまねばうそだといふ風に考へてゐたのかも知れぬ。自分だけを特別に扱ふことは性来好まないのである。さて、自分の思ふやうに雑誌を編輯すると云つても、既に同人が何かしら書くことにきまつてゐるのだし、頼んでも書いてくれない人がゐるしするのだから、さう勝手な真似は出来ない。
が、二三特別な題目を選んで、当番の責任をふさぐことにした。
私はこれを文学の専門雑誌、或は文学者の道楽雑誌にしたくないと考へた。どつちにしろ、かゝる片々たる小冊子が、何を目論んだところで、それだけで大したことはできつこないのである。云ひたいことは何処でゞも云へるし、云へないことは何処でだつて云へないのだから、この雑誌が特別な色彩をもつとしたら、まあ、われわれが仲間同志では云ひ合ふ必要のないやうなことを、誰にともなく云ふやうな具合になるであらう。
文学賞のことでは、私個人としての意見はあるが、結局、一つや二つ出来たのでは、その目的が十分達せられぬといふ例として、仏蘭西の実例を参考に調べてもらつた。材料が不備で完全な報告は得られなかつたが、まあざつとこんなものである。
文学サロンといふ題目を撰んだ意味は、そのこと自身時代ばなれがしてゐるやうであるが、それだけに、文学の歴史、文学者の社会的地位といふやうなものを考へさせる一つの契機になりはせぬかと思つたからである。
文学オリンピヤアドの記事は、かういふ消息がとつくに文部省あたりへはひつてゐながら、一般は固より、日本の文壇の誰もが知らずにゐたといふ現象を、ちよつと皮肉に感じたから、文学者にとつては別に大したことではないが、ヂヤアナリズムの立場から酔興に取上げて見た。辰野隆氏に感想を依頼した着眼を認めてほしい。
翻訳権の問題は、常識として議論にならないと思つてゐたが、久能木氏が専門家の立場から、頗る独創的と思はれる意見を発表してくれた。その他の方々には自由に題目を選んでいたゞいた筈だが、何れも無理に執筆をお願ひした形になつて甚だ恐縮である。
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