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冬の日(ふゆのひ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 8:12:31  点击:  切换到繁體中文


     三

 たかしは掃除をすました部屋の窓を明け放ち、とうの寝椅子に休んでいた。と、ジュッジュッという啼き声がしてかなむぐらの垣の蔭に笹鳴ささなきのうぐいすが見え隠れするのが見えた。
 ジュッ、ジュッ、堯は鎌首をもたげて、口でその啼き声をねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家うちでカナリヤを飼っていたことがある。
 美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴きは口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなどのように、機微な感情は現わさなかった。食欲に肥えふとって、なにか堅いチョッキでも着たような恰好をしている。――堯がねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。
 低地をへだてて、谷に臨んだ日当りのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲団が干してある。――堯はいつになく早起きをした午前にうっとりとした。
 しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどきの赤い実がつややかにあらわれているのを見ながら、家の門を出た。
 風もない青空に、黄にりきった公孫樹いちょうは、静かに影を畳んで休ろうていた。白い化粧煉瓦を張った長い塀が、いかにも澄んだ冬の空気を映していた。その下を孫をぶった老婆がゆっくりゆっくり歩いて来る。
 たかしは長い坂を下りて郵便局へ行った。日の射し込んでいる郵便局は絶えず扉が鳴り、人びとは朝の新鮮な空気をき散らしていた。堯は永い間こんな空気に接しなかったような気がした。
 彼は細い坂を緩りゆっくり登った。山茶花さざんかの花ややつでの花が咲いていた。堯は十二月になってもちょうがいるのに驚いた。それの飛んで行った方角には日光に撒かれたあぶの光点が忙しく行き交うていた。
痴呆ちほうのような幸福だ」と彼は思った。そしてうつらうつら日溜りにかがまっていた。――やはりその日溜りの少し離れたところに小さい子供達がなにかして遊んでいた。四五歳の童子や童女達であった。
「見てやしないだろうな」と思いながら堯は浅く水が流れている溝のなかへ痰を吐いた。そして彼らの方へ近づいて行った。女の子であばれているのもあった。男の子で温柔おとなしくしているのもあった。おさない線が石墨で路に描かれていた。――堯はふと、これはどこかで見たことのある情景だと思った。不意に心が揺れた。揺り覚まされた虻が茫漠ぼうばくとした堯の過去へ飛び去った。そのうららかな臘月ろうげつの午前へ。
 たかしあぶは見つけた。山茶花を。その花片のこぼれるあたりに遊んでいる童子たちを。――それはたとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断わりを言って急いで自家うちへ取りに帰って来る、学校は授業中の、なにか珍しい午前の路であった。そんなときでもなければ垣間かいま見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。そう思ってみて堯は微笑ほほえんだ。

 午後になって、日がいつもの角度に傾くと、この考えは堯を悲しくした。おさないときの古ぼけた写真のなかに、残っていた日向ひなたのような弱陽が物象を照らしていた。
 希望を持てないものが、どうして追憶をいつくしむことができよう。未来に今朝のような明るさを覚えたことが近頃の自分にあるだろうか。そして今朝の思いつきもなんのことはない、ロシアの貴族のように(午後二時頃の朝餐ちょうさん)が生活の習慣になっていたということのいい証拠ではないか。――
 彼はまた長い坂を下りて郵便局へ行った。
「今朝の葉書のこと、考えが変わってやめることにしたから、お願いしたことご中止ください」
 今朝彼は暖い海岸で冬を越すことを想い、そこに住んでいる友人に貸家を捜すことを頼んでったのだった。
 彼は激しい疲労を感じながら坂を帰るのにあえいだ。午前の日光のなかで静かに影を畳んでいた公孫樹いちょうは、一日が経たないうちにもうこがらしが枝をまばらにしていた。その落葉が陽をうしなった路の上を明るくしている。彼はそれらの落葉にほのかな愛着を覚えた。
 たかしは家の横の路まで帰って来た。彼の家からはその勾配のついた路は崖上になっている。部屋から眺めているいつもの風景は、今彼の眼前でこがらしに吹きさらされていた。曇空には雲が暗澹あんたんと動いていた。そしてその下に堯は、まだ電燈も来ないある家の二階は、もう戸が鎖されてあるのを見た。戸の木肌はあらわに外面に向かってさらされていた。――ある感動で堯はそこにたたずんだ。傍らには彼のんでいる部屋がある。堯はそれをこれまでついぞ眺めたことのない新しい感情で眺めはじめた。
 電燈も来ないのに早や戸じまりをした一軒の家の二階――戸のあらわな木肌は、不意に堯の心を寄辺よるべのない旅情で染めた。
 ――食うものも持たない。どこに泊まるあてもない。そして日は暮れかかっているが、この他国の町は早や自分を拒んでいる。――
 それが現実であるかのような暗愁が彼の心をかげっていった。またそんな記憶がかつての自分にあったような、一種いぶかしい甘美な気持が堯を切なくした。
 何ゆえそんな空想が起こって来るのか? 何ゆえその空想がかくも自分を悲しませ、また、かくも親しく自分を呼ぶのか? そんなことが堯にはおぼろげにわかるように思われた。
 肉をあぶる香ばしい匂いが夕凍ゆうじみの匂いに混じって来た。一日の仕事を終えたらしい大工のような人が、息を吐く微かな音をさせながら、堯にすれちがってすたすたと坂を登って行った。
「俺の部屋はあすこだ」
 堯はそう思いながら自分の部屋に目を注いだ。薄暮に包まれているその姿は、今エーテルのように風景に拡がってゆく虚無に対しては、何の力でもないように眺められた。
「俺が愛した部屋。俺がそこにむのをよろこんだ部屋。あのなかには俺の一切の所持品が――ふとするとその日その日の生活の感情までが内蔵されているかもしれない。ここから声をかければ、その幽霊があの窓をあけて首を差し伸べそうな気さえする。がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍どてらがいつしか自分自身の身体をそのなかに髣髴ほうふつさせて来る作用とわずかもちがったことはないではないか。あの無感覚な屋根瓦や窓硝子ガラスをこうしてじっと見ていると、俺はだんだん通行人のような心になって来る。あの無感覚な外囲は自殺しかけている人間をそのなかに蔵しているときもやはりあのとおりにちがいないのだ。――と言って、自分は先刻の空想が俺を呼ぶのに従ってこのままここを歩み去ることもできない。
 早く電燈でも来ればよい。あの窓の磨硝子すりガラスが黄色い灯をにじませれば、与えられた生命に満足している人間を部屋のなかに、この通行人の心は想像するかもしれない。その幸福を信じる力が起こって来るかもしれない」
 路にたたずんでいる堯の耳に階下の柱時計の音がボンボン……と伝わって来た。変なものを聞いた、と思いながら彼の足はとぼとぼと坂を下って行った。

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