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冬の日(ふゆのひ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 8:12:31  点击:  切换到繁體中文


        二

 堯は母からの手紙を受け取った。
「延子をなくしてから父上はすっかり老い込んでおしまいになった。おまえの身体も普通の身体ではないのだから大切にしてください。もうこの上の苦労はわたしたちもしたくない。
 わたしはこの頃夜中なにかに驚いたように眼が醒める。頭はおまえのことが気懸りなのだ。いくら考えまいとしても駄目です。わたしは何時間も眠れません。」
 堯はそれを読んである考えに悽然せいぜんとした。人びとの寝静まった夜を超えて、彼と彼の母が互いに互いを悩み苦しんでいる。そんなとき、彼の心臓に打った不吉な摶動はくどうが、どうして母を眼覚まさないと言い切れよう。
 たかしの弟は脊椎せきついカリエスで死んだ。そして妹の延子も腰椎ようついカリエスで、意志をうしなった風景のなかを死んでいった。そこでは、たくさんの虫が一匹の死にかけている虫の周囲に集まって悲しんだり泣いたりしていた。そして彼らの二人ともが、土に帰る前の一年間を横たわっていた、白い土の石膏せっこうの床からおろされたのである。
 ――どうして医者は「今の一年は後の十年だ」なんて言うのだろう。
 堯はそう言われたとき自分の裡に起こった何故かばつの悪いような感情を想い出しながら考えた。
 ――まるで自分がその十年で到達しなければならない理想でも持っているかのように。どうしてあと何年経てば死ぬとは言わないのだろう。
 堯の頭には彼にしばしば現前する意志を喪った風景が浮かびあがる。
 暗い冷たい石造の官衙かんがの立ち並んでいる街の停留所。そこで彼は電車を待っていた。家へ帰ろうかにぎやかな街へ出ようか、彼は迷っていた。どちらの決心もつかなかった。そして電車はいくら待ってもどちらからも来なかった。圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並樹、まばらな街燈の透視図。――その遠くの交叉路こうさろには時どき過ぎる水族館のような電車。風景はにわかに統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。
 おさない堯は捕鼠器ほそきに入った鼠を川に漬けに行った。透明な水のなかで鼠は左右に金網を伝い、それは空気のなかでのように見えた。やがて鼠は網目の一つへ鼻を突っ込んだまま動かなくなった。白い泡が鼠の口から最後にうかんだ。……
 たかしは五六年前は、自分の病気が約束している死の前には、ただ甘い悲しみをいただけで通り過ぎていた。そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜好しこうや安逸や怯懦きょうだは、彼から生きていこうとする意志をだんだんに持ち去っていた。しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にかいつわりの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前には、そういった風景が現われるのだった。
 何人もの人間がある徴候をあらわしある経過を辿って死んでいった。それと同じ徴候がおまえにあらわれている。
 近代科学の使徒の一人が、堯にはじめてそれを告げたとき、彼の拒否する権限もないそのことは、ただ彼が漠然忌み嫌っていたその名称ばかりで、頭がそれを受けつけなかった。もう彼はそれを拒否しない。白い土の石膏の床は彼が黒い土に帰るまでの何年かのために用意されている。そこではもう転輾てんてんすることさえ許されないのだ。
 夜が更けて夜番の撃柝げきたくの音がきこえ出すと、堯は陰鬱な心の底でつぶやいた。
「おやすみなさい、お母さん」
 撃柝の音は坂や邸の多い堯の家のあたりを、微妙に変わってゆく反響の工合で、それが通ってゆく先ざきを髣髴ほうふつさせた。肺のきしむ音だと思っていたはるかな犬の遠え。――堯には夜番が見える。母の寝姿が見える。もっともっと陰鬱な心の底で彼はまたつぶやく。
「おやすみなさい、お母さん」

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