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冬の蠅(ふゆのはえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 8:11:46  点击:  切换到繁體中文


     2

 その日はよく晴れた温かい日であった。午後私は村の郵便局へ手紙を出しに行った。私は疲れていた。それからたにへ下りてまだ三四丁も歩かなければならない私の宿へ帰るのがいかにも億劫おっくうであった。そこへ一台の乗合自動車が通りかかった。それを見ると私は不意に手を挙げた。そしてそれに乗り込んでしまったのである。
 その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だった特徴で自分を語っていた。暗いほろのなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めている事や、泥除け、それからステップの上へまで溢れた荷物を麻繩が車体へ縛りつけている恰好や――そんな一種の物ものしい特徴で、彼らが今から上り三里下り三里の峠をえて半島の南端の港へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであった。私はそれへ乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合いな客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間に過ぎないのだった。
 日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負い網を負って山から帰って来る頃で、見知った顔が何度も自動車をけた。そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変わった他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。たにの音が遠くなった。年古としふりた杉の柱廊が続いた。冷たい山気がみて来た。魔女のまたがったほうきのように、自動車は私を高い空へ運んだ。いったいどこまでゆこうとするのだろう。峠の隧道すいどうを出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐ふがいない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。
 樫鳥かけすが何度も身近から飛び出して私をおどろかした。道は小暗い谿襞たにひだを廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さでいっぱいであった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちたけやきならの枝をうように渡って行った。
 最後にとうとう谿が姿をあらわした。杉のが細胞のように密生している遙かな谿! なんというそれは巨大な谿だったろう。遠靄とおもやのなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さく懸っていた。眩暈めまいを感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇道そりみちが寒ざむと白く匍っていた。日は谿向こうの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何も聴こえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿の眺めになおさら夢のような感じを与えていた。
「ここでこのまま日の暮れるまで坐っているということは、なんという豪奢な心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜はどうなるかわからない」
 私は私の置き去りにして来た憂鬱な部屋を思い浮かべた。そこでは私は夕餉ゆうげの時分きまって発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へ這入はいっている。それでもまだ寒い。悪寒にふるえながら秋の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬ったらどんなに気持いいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自身になる。しかしその想像のなかでは私は決して自分の衣服を脱がない。衣服ぐるみそのなかへはいってしまうのである。私の身体には、そして、支えがない。私はぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺死体のように横たわってしまう。いつもきまってその想像である。そして私は寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っている。――
 あたりはだんだん暗くなって来た。日の落ちたあとの水のような光を残して、えざえとした星が澄んだ空にあらわれて来た。凍えた指の間の煙草の火が夕闇のなかで色づいて来た。その火の色は曠漠こうばくとした周囲のなかでいかにも孤独であった。その火をいて一点の燈火も見えずにこの谿は暮れてしまおうとしているのである。寒さはだんだん私の身体へい込んで来た。平常外気の冒さない奥の方まで冷え入って、懐ろ手をしてもなんの役にも立たないくらいになって来た。しかし私はやみと寒気がようやく私を勇気づけて来たのを感じた。私はいつの間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことに自分を予定していた。ひしひしと迫って来る絶望に似たものはだんだん私の心に残酷な欲望を募らせていった。疲労または倦怠アンニュイが一たんそうしたものに変わったが最後、いつも私は終わりまでその犠牲になり通さなければならないのだった。あたりがとっぷり暮れ、私がやっとそこを立ち上がったとき、私はあたりにまだ光があったときとはまったく異った感情で私自身を艤装ぎそうしていた。
 私は山の凍てついた空気のなかをやみをわけて歩き出した。身体はすこしも温かくもならなかった。ときどきそれでも私の頬を軽くなでてゆく空気が感じられた。はじめ私はそれを発熱のためか、それとも極端な寒さのなかで起る身体の変調かと思っていた。しかし歩いてゆくうちに、それは昼間の日のほとぼりがまだまだらに道に残っているためであるらしいことがわかって来た。すると私には凍った闇のなかに昼の日射しがありありと見えるように思えはじめた。一つの燈火も見えないやみというものも私には変な気を起こさせた。それは灯がついたということで、もしくは灯の光の下で、文明的な私達ははじめて夜を理解するものであるということを信ぜしめるに充分であった。真暗な闇にもかかわらず私はそれが昼間と同じであるような感じを抱いた。星の光っている空は真青であった。道を見分けてゆく方法は昼間の方法と何の変わったこともなかった。道を染めている昼間のほとぼりはなおさらその感じを強くした。
 突然私の後ろから風のような音が起こった。さっと流れて来る光のなかへ道の上の小石が歯のような影を立てた。一台の自動車が、それを避けている私には一顧の注意も払わずに走り過ぎて行った。しばらく私はぼんやりしていた。自動車はやがて谿襞たにひだを廻った向こうの道へ姿をあらわした。しかしそれは自動車が走っているというより、ヘッドライトをつけた大きな闇が前へ前へ押し寄せてゆくかのように見えるのであった。それが夢のように消えてしまうとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱に溢れて道を踏んでいた。
「なんという苦い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいて私は日なたのなかで感じるようななんらの偽瞞をも感じない。私の神経は暗い行手に向かって張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、膚をく酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦慄を感じることができる。歩け。歩け。へたばるまで歩け」
 私は残酷な調子で自分をむち打った。歩け。歩け。歩き殺してしまえ。

 その夜おそく私は半島の南端、港の船着場を前にして疲れ切った私の身体を立たせていた。私は酒を飲んでいた。しかし心は沈んだまますこしも酔っていなかった。
 強い潮の香に混って、瀝青チャンや油の匂いが濃くそのあたりを立てめていた。もやい綱が船の寝息のようにきしり、それを眠りつかせるように、静かな波のぽちゃぽちゃと舷側をたたく音が、暗い水面にきこえていた。
「××さんはいないかよう!」
 静かな空気を破ってなまめいた女の声が先ほどから岸で呼んでいた。ぼんやりしたあかりをむそうに提げている百トンあまりの汽船のともの方から、見えない声が不明瞭になにか答えている。それは重々しいバスである。
「いないのかよう。××さんは」
 それはこの港に船の男を相手にこびを売っている女らしく思える。私はその返事のバスに人ごとながら聴耳をたてたが、相不変あいかわらず曖昧あいまいな言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめたようすでいなくなってしまった。
 私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿たにのなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯ちょうちんが二つ三つ閑かな夜の挨拶を交しながらもつれて行くのが見え、私はそれがおおかた村の人が温泉へはいりにゆく灯で、温泉はもう真近にちがいないと思い込み、元気を出したのにみごと当てがはずれたことや、やっと温泉に着いて凍え疲れた四肢を村人の混み合っている共同湯で温めたときの異様な安堵あんどの感情や、――ほんとうにそれらは回想という言葉にふさわしいくらい一晩の経験としては豊富すぎる内容であった。しかもそれでおしまいというのではなかった。私がやっと腹をふくらして人心つくかつかぬに、私の充たされない残酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令したのであった。私は不安な当てで名前も初耳な次の二里ばかりも離れた温泉へ歩かなければならなかった。その道でとうとう私は迷ってしまい、途方に暮れてやみのなかへうずくまっていたとき、おそい自動車が通りかかり、やっとのことでそれを呼びとめて、予定を変えてこの港の町へ来てしまったのであった。それから私はどこへ行ったか。私はそんなところには一種の嗅覚でも持っているかのように、堀割に沿った娼家の家並みのなかへ出てしまった。藻草を纒ったような船夫達が何人も群れて、白く化粧した女を調戯からかいながら、よろよろと歩いていた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家へ這入はいった。私は疲れた身体に熱い酒をそそぎ入れた。しかし私は酔わなかった。酌に来た女は秋刀魚さんま船の話をした。船員の腕にふさわしいたくましい健康そうな女だった。その一人は私にいんをすすめた。私はその金を払ったまま、港のありかをきいて外へ出てしまったのである。
 私は近くの沖にゆっくり明滅している廻転燈台の火を眺めながら、永い絵巻のような夜の終わりを感じていた。舷の触れ合う音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、なごやかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭ふとうで尽きていた。ながい間私はそこに立っていた。気疎けうとい睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海のやみを見入っていた。――

 私はその港を中心にして三日ほどもその付近の温泉で帰る日を延ばした。明るい南の海の色や匂いはなにか私には荒々しく粗雑であった。その上卑俗で薄汚い平野の眺めはすぐに私を倦かせてしまった。山やたにせめぎ合い[#「鬩ぎ合い」は底本では「※[#「門<兒」]ぎ合い」]心を休める余裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまっていることを私は知った。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ帰って来たのである。

     3

 私は何日も悪くなった身体を寝床につけていなければならなかった。私には別にさした後悔もなかったが、知った人びとの誰彼がそうしたことを聞けばさぞ陰気になり気を悪くするだろうとそのことばかり思っていた。
 そんなある日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がいなくなっていることに気がついた。そのことは私を充分驚かした。私は考えた。おそらく私の留守中誰も窓を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかった間に、彼らは寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。彼らは私の静かな生活の余徳を自分らの生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責めさいなんでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死をいたんだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷つける空想だった。そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。





底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:横木雅子
1999年1月14日公開
2005年10月6日修正
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