一〇 とこよの意義
とこよと言ふ語は、どう言ふ用語例と歴史とを持つてゐるか。とこは絶対・恒常或は不変の意である。「よ」の意義は、幾度かの変化を経て、悉く其過程を含んで来た為に「とこよ」の内容が、随つて極めて複雑なものとなつたのである。「よ」と言ふ語の古い意義は、米或は穀物を斥したものである。後には、米の稔りを表す様になつた。「とし」と言ふ語が、米穀物の義から出て、年を表すことになつたと見る方が正しいと同じく、此と同義語の「よ」が、齢・世など言ふ義を分化したものと見られる。更に万葉以後或は「性欲」「性関係」と言ふ義を持つたものがある。此は別系統の語かも知れぬが、常世の恋愛・性欲方面の浄土なる考へに脈絡がある様だからあげておく。
とこよを齢の長い義に用ゐた例は沢山にある。「とこよ」と言ふ語は、古くは長寿者を直に言ふ事になつてゐる。だが、長寿の国の義から出たと説くのは逆である。「とこよ」の義には、まだ前の形があるのである。「常世の国に住みけらし」と万葉人が老いの見えぬ女の美しさを讃へたのは、長寿の国の考への外に「恋愛の国に居たから」と言ふ考へ方も含まれてゐる様である。
とこよの第一義は、遥かに後までも忘れられずにゐた。奈良盛時の大伴坂上郎女が、別れを惜しむ娘を諭して「常夜にもわが行かなくに」と言うたのは、海のあなたを意味したものとも取れるが、多少さうした匂ひをも兼ねて、其原義をはつきり見せたのである。宣長も、冥土・黄泉などの意にとつて、常闇の国の義としてゐる。常闇は時間について言ふ絶対観でなく、物処について言ふもので、絶対の暗黒と言ふ事である。此意味に古くから口馴れた成語と思はれるものに「常夜行く」と言ふのがある。かうした「ゆく」は継続の用語例に入るもので、絶対の闇の日夜が続く義である。
皇后(神功)南の方、紀伊の国に詣りまして、太子に日高に会ふ。……更に小竹ノ宮に遷る。是時に適りて、昼暗きこと夜の如し。已に多くの日を経たり。時人常夜行くと言ふ。
と日本紀にあるのは、此暗さを表すのに、語部の口にくり返されたと思はれる、成語を思ひ合せて「此が昔語りの天窟戸の条に言ふ天照大神隠れて常夜行くと言うたあり様なのだ」と考へたものであらう。此常夜は、ある国土の名とは考へられて居なかつたやうに見えるが「とこよ」の第一義だけは、釈る様である。併し尚考へて見ると、単純に「常夜の国に行つてゐる」やうなあり様と言ふ感じを表す語であつたかも知れない。さう思へば、古事記の「爾高天原皆暗く、葦原中つ国悉に闇し。此に因りて常夜往く……」とあるとこよゆくも甚固定した物言ひで、或は古事記筆録当時既に、一種の死語として神聖感を持たれた為に、語部の物語りどほりに書いたものであらう。第一義としての常闇の国土なる「とこよ」が、祖先の考へにあつた事は想像してよい。
一一 死の島
宝船の話から導いた琉球宗教の浄土にらいかないが元、死の島であつたことを説いた。私どもの国土に移り住んだ祖先のにらいかないは、実はとこよのくにと言ふ語で表されてゐたのであつた。村々の死人は元より、あらゆる穢れの流し放たれる海上の島の名であつたのである。其恐しい島が、富みと齢乃至は恋の浄土としての常世とはなつた過程は、にらいかないの思想の展開が説明してくれて居る。海岸に村づくりした祖先の亡き数に入つた人々の霊は、皆生きて遥かな海中の島に唯稀にのみあるものとせられてゐたのである。さうして、児孫の村をおとづれて、幸福の予言を与へて去る。その来るや常世浪に乗りて寄り、去る時も亦、常世浪に揺られて帰るのである。
時に、天照大神、倭姫ノ命に誨へて曰く、是の神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の美国なり。是国に居らむと思ふ。(日本紀)
子らに恋ひ、朝戸を開き我が居れば、常世の浜の浪の音聞ゆ(丹後風土記逸文)
此等は、如何にも極楽東門に向ふと言ふ様な感じであるが、更に語の陰にある古い印象を窺ふと、神の徂徠の船路を思はせるものがある。すくなひこなの神は此浪に揺られて、蘿摩の実の皮の船に乗つて、常世の国から流れ寄つた小人の神であつた。さうして去る時も粟島の粟稈に上つて稈に弾かれて常世に渡つたと言ふ。最古いものと言はれる宝船の画に「かゞみのふね」と書いてあるのは、此船がすくなひこなの命の乗り物なることを示したもので、学者の入れ智恵の疑はれる点である。唯すくなひこなの古ごとを忘れて後も、蘿摩の皮に嫌ふべきものを載せて海に棄てた風習があつたものとすれば、蚤の船の類のものとして其古さが加はる訣なのである。
とこよの国と根の国とが、一つと見え、又二つとも思はれる様になつたのは、とこよが理想化せられて、死の島と言ふ側は、根の国で表される事になつて了つた後の事である。而も、とこよは海上の島、或は国の名となり、根の国は海底の国ときまつたのである。
まれびとの来る島として、老いず死なぬ霊の国として、とこよは常夜ではなくなつて来た。恰もよし、同音異義の「よ」に富み(穀物)又は齢の意義があつた。聯想が次第に此方に移つて、事実と語と相俟つて、遂に動かされぬ富みと齢の浄土となつた事であつた。
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