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古代生活の研究(こだいせいかつのけんきゅう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 16:02:05  点击:  切换到繁體中文


     七 楽土自ら昇天すること

奄美大島から南の鹿児島県下の島々は、どの点からでも、琉球と一と続きの血筋であるが、琉球の北端から真西に当る伊平屋イヘヤ群島をこめて、なるこ・てること言ふ理想国を考へてゐる。伊平屋は、南方のまやの国の考へも持つて居た様だし、琉球本島のにらいかないをも知つて居た事は、巫女の伝誦して居た神文をば証拠にする事が出来る。尚、琉球本島の宗教で、にらいかない以上のものとしたをぼつかぐらと言ふ地の名さへ唱へた様である。本島では、天の事をあまみやと言つた様に見えるが、此も神の名あまみきょしねりきょから想像出来るあまみしねりも楽土の名から出たものらしい。をぼつかぐらなる天上の神の国が琉球の信仰の上に現れたのは、当時の人の考へ得た限りでの、全能な神を欲する様になつてからの事であらう。私どもの今の宗教的印象を分解して見ても、幽冥界カクリヨに属してゐる者は、一つに扱うて居る場合が多い。単に神の住みかと言ふだけではない。悪魔の世界なる内容も持つて居る。神・悪魔・死霊など、其性質に共通した点が尠くない。其著しい点は、皆夜の世界に属する事である。鶏鳴と共に顕明界ウツシヨに交替するからだ。一番鶏に驚いて事遂げなかつたのは、魔や霊に絡んだ民譚だけではない。神々すら屡鶏の時をつくる声の為に、失敗した事を伝へてゐる。尊貴な神にすら、祭りの中心行事は、夜半鶏鳴以前に完へる事になつて居る。わが国の神々の属性にも存外古い種を残してゐるので、太陽神と信じて来た至上神の祭りにすら、暁には神上げをしなければならなかつた。古今集大歌所の部と、神楽歌とに見えた昼目ヒルメノ歌を見れば、祭りの暁の気持ちは流れこむ様に、私どもの胸に来る。昔になるほど、神に恐るべき要素が多く見えて、至上の神などは影を消して行く。土地の庶物の精霊及び力に能はぬ激しい動物などを神と観じるのも、進んだ状態で、記録から考へ合せて見ると、其以前の髣髴さへ浮んで来るのである。其が果して、此日本の国土の上であつた事か、或は其以前の祖先が居た土地であつた事かを疑はねばならぬ程の古い時代の印象が、今日の私どもの古代研究の上に、ほのかながら姿を顕して来る事は、さうした生活をした祖先に恥ぢを感じるよりも、堪へられぬ懐しさを覚えるのである。庶物の精霊に「媚び仕へ」をした時代に、私どもの祖先の生活に段々力を持つて来、至上の神に至る段階になつた神と、神の国との話をせなければならなくなつた。
くどいまでに、琉球の例をとつて来たのは、此話をすらりと通す為である。生物・無生物が、すこしの好意もなしに、人居を廻つて居る事を、絶えず意識に持つた祖先の生活を考へて見ればよい。古風土記には、いづれもさう言ふ活き物としての自然と闘うた暮し方の、後々まで続いてゐた事を示す幾多の話を書きとめてゐる。記録に載つて、私どもに最遠い「古代」を示す祖先たちは、海岸から遠ざかる事を避けた村人であつたと思はれる。山地に村を構へた人々の上は、今語る古代には、まだ現れなかつたのである。記録の年立トシダテに随ふなら、神武以前の物語をする事になる。

     八 まれびとのおとづれ

祖先の使ひ遺した語で、私どもの胸にもまだある感触を失はないのは「まれびと」といふ語である。「まらうど」と言ふ形をとつて後、昔の韻を失うて了うた事と思はれる。まれびとの最初の意義は、神であつたらしい。時を定めて来り臨む神である。大空から、海のあなたから、或村に限つて、富みと齢と其他若干の幸福とを齎して来るものと、村人たちの信じてゐた神の事なのである。此神は宗教的の空想には止らなかつた。現実に、古代の村人は、此まれびとの来つて、屋の戸をオソぶるおとづれを聞いた。音を立てると言ふ用語例のおとづるなる動詞が、訪問の意義を持つ様になつたのは、本義「音を立てる」が戸の音にばかり偏倚したからの事で、神の来臨を示すほと/\と叩く音から来た語と思ふ。まれびとと言へばおとづれを思ふ様になつて、意義分化をしたものであらう。戸を叩く事に就て、根深い信仰と聯想とを、未だに持つてゐる民間伝承から推して言はれる事である。宮廷生活に於てさへ、神来臨して門におとづれ、主上の日常起居の殿舎を祓へてまはつた風は、後世まで残つてゐた。平安朝の大殿祭は此である。
夜の明け方に、中臣ナカトミ斎部イムベの官人二人、人数引き連れて陰明門におとづれ、御巫ミカムコ(宮廷の巫女)どもを随へて、殿内を廻るのであつた。かうした風が、一般民間にも常に行はれてゐたのであるが、事があまり刺戟のない程きまりきつた行事になつてゐたのと、原意の辿り難くなつた為に、伝はる事尠く、伝へても其遺風とは知りかねる様になつて了うてゐたのである。此よりも古い民間の為来しきたりでは、万葉の東歌アヅマウタと、常陸風土記から察せられる東国風である。新嘗の夜は、農作を守つた神を家々に迎へる為、家人はすつかり出払うて、唯一人その家々の処女か、主婦かゞ留つて、神のお世話をした様である。此神は、古くは田畠の神ではなく、春のはじめに村を訪れて、一年間の予祝をして行つた神だつたらしい。
まれびとなる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移つた時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考へ、更に地上のある地域からも来る事と思ふ様に変つて来た。古い形では、海のあなたの国から初春毎に渡り来て、村の家々に一年中の心躍る様な予言カネゴトを与へて去つた。此まれびとの属性が次第に向上しては、天上の至上神を生み出す事になり、従つてまれびとの国を、高天原に考へる様になつたのだと思ふ。而も一方まれびとの内容が分岐して、海からし、高天原からする者でなくても、地上に属する神たちをも含める様になつて、来り臨むまれびとの数は殖え、度数は頻繁になつた様である。私の話はまれびとと「常世トコヨの国」との関係を説かねばならなくなつた。

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