一四 おひら様と大宮の祭りと今日、おひら様の分布は、必しも東北ばかりでない。十数年以来採訪せられた材料から見ると、曾ては都方から東へ向けて、神明信仰に附随した伴神の信仰の、宣伝せられた跡が窺はれる。だが、おひら様が注意に上つた時代に於いては、既に巫女が箱に入れて歩く風習を失うて了うて居た。だから此を、人形芝居の旅興行の形に関聯して考へる事は、困難な事の様に見えるが、後世の様に、蚕の守り神と言ふ風に固定しない以前には、確かにさうした時期があつたのであらうと思ふ。併し此は、又、逆に考へて見る事も出来なくはない。おひら様は、東国に根生(ネバ)えの種を持つて居たのではないかと言ふ事である。其には、宮廷の「大宮(オホミヤ)の祭(メマツ)り」が想像に上る。此は疑ひもなく、東国風をうつしたもので、思ふに常陸の笠間の社と関係が深いものらしい。此祭りの中心になるのは、一つの華蓋(キヌガサ)である。此に様々な物を下げるが、其中心になるものは、男女の姿をした人形(ヒトガタ)であつた。華蓋(キヌガサ)は、祭りのすんだ後には、水に流されるものと思はれるが、此人形(ヒトガタ)とおひら様、延いてはひなとの間に、或関係がないであらうか。併し此とても、単に東国風とは限らず、どこでも、男女二体の人形(ヒトガタ)を作る習慣があつたので、只僅かに、大宮の祭りに著しく印象が残つて居た、と言ふに止まるのであるかも知れない。ひなの研究には、此材料の解剖が、大事だと思ふ。或は、かうした風が東国にあつて、後に西から上つて来た神明の人形舞はしと結びついた、と言ふ風な事も考へられぬではない。更に、おひら様について考へて見たい事は、此は男女一対を、本体と見るべきか否かである。私の考へるところでは、女並びに馬の形をした男性の人形、此二つが揃うて、初めて完全たおひら様になるので、其が偶、一つだけ用ゐられると言ふやうな形も、出来たのだと思はれる。 十五 おひら様の正体今日、東北に残つて居るおひら様だけで見ると、必しも、夫婦である事を本体として居る、とは断言出来ない。けれども時には、男を、馬頭を戴いたもの、或は全体馬としたものに配するに、女体のものを以てして居る。そして此をおひら様の普通の形だ、と見て居る処もある。おひら様に関した由来を、其祭文によつて見ると、疑ひもなく、かうした一対のものを原則としたと見てよい。其二つを、祭文を語り乍ら遊ばせたのである。だから時としては、馬頭だけを離しても、又女体の方だけを離しても、おひら様と考へる事が出来たのである。図――博物館所蔵のもの――のおひら様の如きは、蚕神である馬頭がなくなつて、殆普通の立ちびなの形に近づいて居る。これと、図の三河びな・薩摩びなをくらべて見ると、形に於ては、非常に変化がある様だが、後者は、けづりかけに紙或はきれを以て掩うたものである事が、明らかであると同時に、前者との間にも、形式上通じた所のあるのが見える。此から考へると、此等のものは毎年、年中行事として、一度棄てたものに相違ない。さうして其が、毎年捨てられる代りに、新らしい布帛を掩ふ事によつて、元に戻つた事を示す形のおひら様が、出来たのではあるまいか。かうして、棄てられるおひら様以外に、神明巫女の手によつて、常に保存せられる強力なおひら様が、専らおひら様として信ぜられる様になつたと考へて見る事が出来る。このおひら様は、其巫女の信仰形式の変るに従つて、姿をあらためてくる事もあつたに相違ない。譬へば、熊野の巫女が、仏教式に傾いた場合には、遊ばすべき人形(ヒトガタ)の代りに、仏像を以てする様になつた事もあつた、と考へてよさゝうだ。図――武蔵国西多摩郡霞村字今井吉田兼吉氏所蔵のもの――に見えてゐるおしら様の如きは、馬と女体とを備へた仏像であるが故に、おひら様の要素を備へたものと見て、或部分の巫女の間に、信仰の行はれた事があつたのであらう。私は、ひゝなの家と称するものは、或家のひな型であると前に言うたが、茲に於ても、其をもう一度言ひたい。ひゝなの家は、ひゝなの宮・寺であると共に、ひゝなによつて祝福せられ、或は代表せらるべき人の家のひな型である。溯つて考へれば、ひゝなの一つの容(イ)れ物(モノ)であつた。謂はゞほかゐの様なものから次第に発達して、遂に内裏(ダイリ)の様な形にまで、変つて来たのだと思ふ。此おひら様の片一方だけについての記録が、更級日記の初めに見えて居るをみな神である。名前から見ても、男神に対して居る人形である事が、想像出来る。此人形が、時としては一対になり、時としては単独で、家庭に祀られて、或は恐れられ、或は馴じまれて居つた。さうして、追ひ/\に此から、玩びの人形と言ふ意味をも、分化して来たのである。単に人形の歴史だけについて言ふも、従来考へて居つた様に、単純には解決の出来ない、幾つもの要素がある。私の只今の考へに、最近い説を仮りに言ふとしたら、ひなはひな型のひなで、ひな型と称する言葉は、現行のもの以前に、もつと適切な用語例を、持つて居たのではないだらうか。さう考へて見ると、人形(ヒトガタ)と言ふ言葉と内容とが、全く同じ事になるのである。此人形が、お迎へ人形となり、其が主神に合体して、神の形代(カタシロ)とも考へられる様になり、更に下つては、後の人形芝居を生む事にもなつたのである。
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