かうした皿を、子どもの時から嫁入る迄、被き通した姫の物語がある。「鉢かづき姫」の草子である。此には、鉢とあるのは、深々と顔まで、掩うて居たからである。おなじ荒唐無稽でも、多少合理的にと言ふので、皿より鉢の方を択んだ伝へを、書き留めたのであらう。其程大きくなくとも、不思議の力が、其皿の下に、物を容れさせたのである。鉢と言ひ、皿と言うても、大した違ひはないのである。鉢かづき姫が、御湯殿に勤めて、貴い男に逢ひ初めるくだりは、禊ぎの役を勤めた、古代の水の神女の俤がある。が、湯殿に仕へるだけでは、此以外の物語にもある様だ。唯湯殿で男にあふ点が特殊である。慶応義塾生高瀬源一さんが、鉢かづきの入水して流されて行く処が、殊に水の縁の深い事を示してゐるのではないかと問うた。鉢かづきの鉢がこはれると、財宝が堆く出て、めでたく解決がつく。かうして見ると、此姫の物語も、やはり、水の神の姿を持つてゐる。
水の神は、頭に皿を伏せて頂いてゐる。其下には、数々の宝が匿されてゐる、と考へたのである。皿が拡張すれば、笠になる。水の精霊なる田の神の神像の、多く笠を着てゐるのも、かうした理由を、多少含んでゐるかも知れぬ。大阪で育つた私どもの幼時は、まだこんな遊戯唄が残つてゐた。
頭の皿は、いつさら、むさら。
なゝさら、やさら。こゝのさら、とさら。
とさらの上へ灸を据ゑて、
熱や 悲しや 金仏けい。けいや。
……………………
何の意味をも失うてはゐるが、皿を数へるらしい文句である。皿数への文句としては、「嬉遊笑覧」に引いた、土佐の「ぜゞがこう」の文句が、暗示に富んでゐる。
向河原で、土器焼ば(ヤキハ?)
いつさら、むさら、なゝさら、やさら。
やさら目に遅れて、づでんどつさり。
其こそ 鬼よ。
簑着て 笠着て来るものが鬼よ。
此唄を謡ひながら、順番に手の甲を打つ。唄の最後に、手の甲を打たれた者が、鬼になる。かういふ風に書いて、此が世間の皿数への化け物の諺の出処だらう、とおもしろい着眼を示してゐる。
皿数への唄に似たものは、古くは、今昔物語にもある。女房が夫を捨てゝ、白鳥となつて去る時、書き残した歌、
あさもよひ 紀の川ゆすり行く水の いつさや むさや。いるさや むさや
下の句は、何とも訣らぬだけに、童謡か、民謡らしく思はれる。だが「いつさや むさや」は、「いつさら むさら」と関係がありさうに思ふ。皿数へ唄が、五皿六皿から始まるらしいのを考へ合せると、殊にさう思はれる。時代の新古によつて、類似民俗の前後をきめるのは、とりわけ民謡の場合、危険である。だがこの唄では、今昔に俤を残したものゝ方が古くて、皿数への方が、其系統から変化したもの、と思うてよい様である。皿数への唄一個が因で、果して皿数への妖怪を考へ出したであらうか。少々もの足らぬ感じがする。尊敬する喜多村氏の為に、其仮説を育てゝ見たい。
「いつさや むさや」時代には、大体皿の聯想のなかつたもの、と見てよからう。さうすれば、皿数への妖怪にも、交渉のあるはずがない。さやがさらとなり、いつが五、むが六の義だ、と解せられると、「なゝさら やさら」と、形の展開して行くのは、直であらう。皿数への形が整ふと、物数への妖怪の聯想が起る。壱岐本居の河童の話に、門に出して干してあつた網の目を、勘定してゐるものがあるので、網に伏せて見ると、があたろであつたと言ふ。何の為に目をよんだかは、説明する人はなかつたが、妖怪には、目の多いものを恐れる習性があるといふ事は、全国的に考へてゐるから、此をよみ尽せば、もう何でもなく、其家に入ることが出来る、と考へたものと見たのだらう。物よみの妖怪に入れてよいものとしては、歌・経文をくり返し読んだ、髑髏の話などもある。
物数への怪が、こゝ迄進んで来ると、皿数への唄と、相互作用で変化して行く。皿数へに最適したものは、河童である。此に結びつけて、井戸の中から、皿を数へる声が聞えるなどゝ言ひ出したのであると思ふ。いづれ、田舎に起つた怪談であらうが、段々河童離れして、若い女の切りこまれた古井の話が、到る処に拡つた。河童が、若い女に替る理由はある。水の神の贄として、早処女が田の中へ生き埋めになつた物語、及び其が形式化して「一の早処女」を、泥田の中に深く転ばす行事がある。又、水に関聯した土木事業には、女の生贄を献つた、といふ伝へが多い。此は実は、生贄ではなかつた。水の神の嫁と言うた形で、択ばれた処女が仕へに行つた民俗を、拗れさせたのである。田や海河の生贄となつた、処女の伝説が這入りこんで来ると、切りこまれたのは、若い女。皿を数へる原因は、一枚を破るか、紛失したからだと説く。皿を破つたからして、必しも、くり返し/\皿数へをするわけもない。数とりをせねばならぬ理由は、元の河童にあつたのを、唯引きついだに留つてゐる。
平戸には又、こんな伝へもあつた。ある大きな士屋敷に、下女が居た。皿を始末させたら、一枚とり落して破つた。主人が刀を抜いて切りつけると、女は走つて海へ飛びこんだ。其姿を見れば、河童であつたといふ。此話は、皿を落すのが、女河童であつて、其から直に、若い女に転化した、ときめて了ふ事の出来ない乏しい例だが、形は単純である。子供の頭の頂を丸く剃り、芥子坊主にするのは、水の神の氏子なる事を示して、とられぬ様にするのである。同様にがつそ或はおかつぱと言ふ垂髪も、河童の形である。此方は、頂を剃らない。皿の隠れて居る類の形と見たのであらう。
鬼事遊びの中には、子供専門の鬼を、中心にしてゐる事が多い。かくれんぼうなども、隠れん坊ではないかも知れぬ。薩・隅・日の三国に共通したかごと似た形に、かぐれと言ふ河童の方言がある。其以前、もつと広く行はれた時分、「かくれん坊」の語根となつたのではないか。
目隠しを言ふめなしちご・めなしどちなども、目なし子鬼の義であらう。どちはみづちの系統の語であり、ちごも、河童或は河童の好物しりこだまを意味する、福岡辺の方言である。河童の外にも、もゝんぐわ・がごじ・子とろ・めかこうなど言ふのがゐる。
六 河童の正体
世間に言ふとほり、一口に河童として、混雑を避けて来たが、所謂河童と謂うた姿の河太郎・河童の姿を、標準と見做しておいた。だが其外に、河童と言ふに不適当な姿をしたものがあるのである。
あんなに、馬の護符を出す津島神社の四方、かなり広い範囲に亘つて、河童は居ない。みづち一類の語が、用ゐられてゐる。大抵、鼈を言ふやうである。飛び離れた処々にも、この語を使ふ地方で著しい事は、みづし・みんつち・めどち・どちなど言ふが、大抵水の主の積りで、村人は畏がつてゐる。殆、人間の祈願など聞き分ける能力のあるものではない。近づく人をとり殺すと言ふ、河童の一性情を備へて居るばかりで、大抵その正体は、空想してゐる場合が多い。だからみづちは、必しも、一定した動物を言はない様である。みづち信仰の最高位にある、山城久世の水主(ミヅシ)神社の事を考へて見たい。元来地方々々に、自然に生じたと見るよりも、此社の信仰の、宣布せられた事を考へる方が、正しいらしい。だが今では、みづちには、祠のある物すら尠い。みづちの中にも含まれてゐる鼈の類は、又、どんがめ・どんがす・がめなど謂ふ別の語で、はつきり区別して示されてゐる。
みづてんぐ・みづてんなどは、土佐に盛んに用ゐられ、又今も盛んに活躍してゐるとせられてゐる。正体は、河童と天狗との間を行く様なもので、嘴の尖つてゐる為に、かう言ふ名がある。相撲を人に強ひ、負ければ水に引きこむと言ふ。みづちよりは、稍人間に近いものである。此語、河童の多い北九州にも、曾つて行はれて水天狗の字を音読する様にもなつた。ある大家では、封国の水の神を、江戸屋敷の屋敷神としてゐたのを公開した。其後、久しくはやり神となつた。昔の誓文を固く守つて、水に由る災ひは勿論、其以外にも、信仰者には利益を下す、と言はれてゐる。
ひようすべは、九州南部にまだ行はれてゐる。此も形は、甚、漠としてゐる。河童の様でもあり、鳥の様でもある。此も、水主神と同じく、其信仰を、宣伝々播した時代があつたのである。私の観察するところでは、奈良の都よりも古く、穴師神人が、幾群ともなく流離宣教した。その大和穴師兵主神の末である。播州・江州に大きな足だまりを持つて居た。北は奥州から、西は九国の果てまで、殆、日本全国に亘つたらしい布教の痕は、後世ひどく退転して、わけもわからぬ物になつて了うたのである。
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