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翁の発生(おきなのはっせい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 15:29:29  点击:  切换到繁體中文


     一一 ある言ひ立て

以上の夜話の後、私どもは、山崎楽堂さんの「申楽の翁」を聴かして貰ひました。其理会と愛執とから出て来る力には、うたれないでは居られませんでした。此続き話なども、大分、其影響をとり込んで来さうな気がいたします。其で、やがて、発表になるはずの、山崎さんの論旨を先ぐりした部分も出て来さうで、気がひけてなりません。併しまあ、此も芸能にはつきものゝもどきしや/\り出たとでも思うて戴きます。
こんな事を申し上げるのも、外ではありません。学問の研究の由つて来たる筋道と、発表の順序とだけは、厳重にはつきりさせて置くと言ふ、礼儀を思ふからであります。私どものしてゐる民俗学の発生的見地は、学者自身の研究発表の上にも、当然、持せられるべきはずであります。内外の事情の交錯発生する過程を明らかにすると言ふ事は、研究方法を厳しく整へるよりも、もつと/\重大な事なのです。
殊に「申楽の翁」の如き、まだ記録を公にしない研究から、多分論理をひき続けて行く私の論文の様な場合には、此用意が大事だと感じました。
如何様な価値と分量とを持つた論文にしても、其基礎の幾分をなしてゐる、未発表の研究を圧倒して了ふ権利はない訣なのです。私は常に、此だけは、新しい実感の学問の学徒としての、光明に充ちた態度と心得てゐるのであります。

     一二 春のまれびと

柳田国男先生の「雪国の春」は、雪間の猫柳の輝く様な装ひを凝して、出ました。私どもにとつては、真に、春のまれびとの新しいことぶれの様な気がします。殊に身一つにとつて、はれがましい程の光栄に、自らみすぼらしさの顧みられるのは、春の鬼に関する愚かな仮説が、先生によつて、見かはすばかり立派に育てあげられてゐた事であります。此、真に、世の師弟の道を説く者に、絶好の例話として提供せらるべき事実であります。実の処、をこがましくも、春の鬼・常世トコヨまれびとことぶれの神を説いてゐる私の考へも、曾て公にせられた先生の理論から、ひき出して来たものでありました。南島紀行の「海南小記」(東京朝日発表、後に大岡山書店から単行)の中に、つゝましやかに、言を幽かにして書きこんで置かれた八重山の神々の話が、其であります。学説と言ふものは、実にかくの如く相交錯するものでありまして、私が山崎さんの研究の一部たりとも、冒認する事を気にやんでゐる衷情も、お察しがつきませう。
今から四年前(大正十三年)の初春でした。正月の東京朝日新聞が幾日か引き続いて、諸国正月行事の投書を発表した事がありました。其中に、

なもみげたか。はげたかよ
あづき煮えたか。にえたかよ

こんな文言を唱へて家々に躍り込んで来る、東北の春のまれびとに関する報告がまじつてゐました。私は驚きました。先生の論理を馬糞紙のめがふおんにかけた様な、私の沖縄のまれびと神の仮説に、ぴつたりしてゐるではありませんか。雪に埋れた東北の村々には、まだ、こんな姿の春のまれびとが残つてゐるのだ。年神にも福神にも、乃至は鬼にさへなりきらずにゐる、畏と敬と両方面から仰がれてゐる異形身の霊物モノがあつたのだ。こんな事を痛感しました。私はやがて、其なもみの有無を問うて来る妖怪の為事が、古い日本の村々にも行はれてゐた、微かな証拠に思ひ到りました。かせものもらひに関する語原と信仰とが其であります。此事は、其後、多分、二度目の洋行から戻られたばかりの柳田先生に申しあげたはずであります。
「雪国の春」を拝見すると、殆ど春のまれびと及び一人称発想の文学の発生と言ふ二つに、焦点を据ゑられてゐる様であります。殊に「真澄遊覧記を読む」の章の如きは、かの「なもみはげたか」の妖怪の百数十年前の状態を復元する事に、主力を集めてゐられます。馬糞紙のらつぱは、更に大きくして光彩陸離たる姿と、スヾやかに鋭い声を発する舶来の拡声器を得た訣なのです。

     一三 雪の鬼

真澄の昔も、今の世も、雪間の村々ではなもみ火だこと考へてゐる事は、明らかです。が、火だこを生ずる様な懶け者・かひ性なしを懲らしめる為とする信仰は、後の姿らしいのです。
かせとりかさとりとも此を言ふ様ですが、此称へでは、全国的に春のほかひゞとの意味に用ゐてゐます。かせこせなどゝ通じて、やがて又カサくさなどゝも同根の皮膚病の汎称です。此をとりに来るのは、人や田畠の悪疫を駆除する事になるのです。なもみはぎかせとりの文言は形式化したものでありますが、春のまれびとの行つた神事のなごりなる事だけは、明らかになつて居ました。
ものもらひなどもさうです。恐らく、春のほかひゞとが此に関係して居つた為の名でせう。ばら/\に分布してゐる、此目瘡の方言まろとなる称へは、祝言・ことほぎがまだ、原信仰を存して、まらうどのするものとした時代から、ほかひ(乞士)・もの貰ひの職となつた頃まで、引き続いてゐた事を見せてゐる様に思ひます。即、まれびと瘡が、なもみの一種であつたらしい、と言ふ仮説を持つてゐたのであります。なもみ瘡が、薬草の※(「台/木」、第4水準2-14-45)耳子ヲナモミめなもみなどに関係のある事だけは、多少想像してもよいと思ひます。此草、支那に於てすら「羊負来」と呼ばれる通り、異郷の草種だつたのです。
かう言ふ風に考へられてゐる、私の疎かな組織に組み入れた春の妖怪は、沖縄にも、旧日本にもあつたのです。
寺々の夜叉神も、陰陽師・唱門師から、地神経を弾いた盲僧・田楽法師の徒に到るまで、家内・田園の害物・疾病・悪事を叱り除ける唱へ言を伝へてゐたのも、皆、此まれびと」としての本来の俤を留めてゐたのです。
私は数年来、知らぬ奥在所の人々からは、気の知れぬと思はれるばかり、春の初めを幾度か、三・遠二州の山間に暮しました。其処で見た田楽や田楽系統の神事舞の中にも、やはり正式には、家内・田園の凶悪を叱る言ひ立てを見出しました。此が大抵、翁或は其変形したものゝ発する祭文或は宣命といふものになつて居りました。

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