您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 折口 信夫 >> 正文

翁の発生(おきなのはっせい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 15:29:29  点击:  切换到繁體中文


     三 沖縄の翁

祖先考妣の二位の外に、眷属大勢群行して、家々をおとなふ形。盂蘭盆の行事である(一)。海上或は洞穴を経て、他界の異形(又は荘厳な姿)の、人に似た霊物が来て、村・家を祝福する形。清明節其他、祭りの日にある(二)。村の族長なる宗家の主人並びに一門中の代表者と見なされる群衆を伴うた、前族長なる長者が踊り場へ来て、村を祝福するのを一番として、村々特有の狂言チヤウゲン(能狂言・俄などに似た)を行うて、後は芸尽しになる。村によれば、長者の一行が舞台に来ると、家長の挙げる扇に招かれて、海の彼方の富みの国から、其主神が来て、穀物の種を与へて去る式をする処もある。此神の名は儀来ニライ大主ウフヌシ、長者の名は長者の大主ウフヌシ、家長の名は親雲上ペイチンと言ふ。童満祭ワラビミチに行ふ(三)。私の目で見た知識よりも、更に大きな補助を、島袋源七・比嘉春潮二氏の報告から得ました。
此中で(一)は最、常世人に近い形であります。海の彼方なるオホやまと――又は、あんがまあと言ふ国があると考へたのが変じて、其行事又は群行の名としたのらしい――から、祖霊の男女二体及び、其他故人になつた村人の亡霊の来る日を、盂蘭盆に習合したので、其又一つ前には、初春を意味する清明節に、常世人として来た事が考へられます。此中心になる大主前ウシユメイと言はれる老夫――老女アツパアを伴ふ――が時々立つて、訓戒・教導・祝福などを述べるのであります。其間に、眷属どもの芸尽しがあります。
此からしても、内地の古記録から考へられる常世のまれびとの元の姿はやゝ、明るくなつて来ます。此と通じてゐるのは(三)の式であります。此は村踊りと言ひ、又村芝居とも言はれてゐます。祖霊を一体の長者の大主とし、眷属の霊を一行としたものです。さうして今は、其本処の考へを忘れてゐますが、他界の聖地から来たものに違ひありません。親雲上は、其等の群行から、正面に祝福を受ける人として、予め一行を待つ形が変つたのでせう。其に、儀来の大主を加へたのは、長者大主一行の本義の忘れられた為、更に祝福の神を考へ出したのです。
此が変じて(二)になると、色々の形に変化してゐます。なるこ神てるこ神と言ふ二体の、聖なる彼岸の国主とするのもあり、唯の一体の海神ウンヂヤミとする処もあります。もつと純化しては、海の向うのにらいかないの国の神とし、更に天上の神として、おぼつかぐらと言ふ其国を考へてゐます。其史実化したのが、あまみきょしねりきょの夫婦神です。先島サキジマの中には、まやの国といふ彼岸の聖地から、まやの神及びともまやと称する神が来るとしてゐるものもあつて、此は、蒲葵クバの簑笠を被つた異形神であります。同じく、先島諸島に多く、あかまたくろまたなど言ふ風に、仮面の色から名づけた二体の巨人が、蔓草を身に被り、畏ろしい形相の面を被つて出ます。処によつては、青またと言ふのが、代つて出る事もあつて、洞穴又は村里離れた岬などから出るのです。此は、鬼と言ふべきものであります。にらいの大主と浄化した地方に対して、此にいる宮城スクから来る者は、祖霊と神との間に置くべき姿をしてゐます。祖霊の、異形身と畏怖の情とが、其まれびととの関係を忘れた世に残れば、単に、祝福と懲罰と授戒との為に来る巨人を、考へる様になる筈です。此が、聖化し、倫理化して考へられると、にらいかないの神となるのです。

     四 尉と姥

かう言つて来ますと、考妣二体、又は一位の聖なる者の、或は群行者を随へて来る神来臨の形式が思はれます。内地の、古代から近代に続いてゐる、まれびとの姿も一つ事なのです。考妣二体の聖なる老人と言へば、直に聯想するのは、高砂の松の精と住吉明神一対の「尉と姥」の形です。謡の高砂が、さうした標本を示す前から、翁媼の対立は、考へられて居ました。平安初期に、既に、大嘗祭の曳き物なる「標山シメヤマ」にすら、蓬莱山の中に、翁媼の人形を立てゝ居ました。常世の国の考妣二位のまれびとを、常世の蓬莱化した時代にも、仙人の代りに据ゑて怪しまなかつたのです。高砂に出る住吉明神は、播州からは彼方の津の国をさす処に、来臨する神と、神行きひの信仰とを印象して居るのです。
日本の書物で、まづ正確に高砂式のまれびとの信仰を書き残したのは神武紀です。香具山の土を、大和の代表物モノザネとして呪する為に取りに行つたのは、椎根津彦シヒネツヒコ弟猾オトウカシとでした。弟猾は男の様に考へられて来ましたが、兄猾を兄か姉かとしても、此は、女性の神巫だつたのです。男の方は老翁になり、女の方は老媼にヤツし、敵中を抜けて、使命を果しました。此は、常世人の信仰があつたから出来た物語です。敵人は見逃し、御方は祝福せられる呪詞呪法の助勢を得た事を、下に持つて居るのです。呪詞呪法は、常世の国から齎らされたもの、と信じられてゐたのでした。
歳暮に来て、初春の年棚の客となる歳神トシガミ――歳徳神トシトクジンとも言ふ――の姿も、高砂の尉と姥の様な、と形容する地方が多いやうです。さすれば、考妣二体の祖霊です。近世の歳神は、海を考へにおいた常世神と違つて、山から来る様に、大抵思はれてゐます。同じ名の神の性格にも、古今で、大分違ひがある様ですが、出雲人の伝へた御歳神・大歳神は、山祇ヤマツミの類と並べてある処を見ると、山中に居るものと見てゐたらしいのです。古く、海祇ワタツミから山祇に変化すべき理由があつたからです。近代の歳神には、穀物の聯想が少くなつて、暦の歳の感じが多く這入つてゐますが、此名は俗陰陽道などが、古代の神の名を利用して、残し伝へたものと思はれます。だから、方位の聯想などがあるのです。
山から来る歳神にも、一人としか考へられてゐないのがあります。又群行を信じてゐる地方もあります。歳神にお伴があるわけです。かうなると、祖霊来臨の信仰に近づいて来ます。年神棚を吊らず、年縄や年飾りをせぬ家や村があります。此等は、山の歳神以前の常世神の迎へ方を守つてゐて、家風の原因を忘れたものが多いのでせう。だが、まだ外にも理由はある様です。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告