一八 翁のもどき
遠州や三州の北部山間に残つてゐる田楽や、其系統に属する念仏踊りや、唱門師風の舞踏の複合した神楽、花祭りの類の演出を見まして、もどきなる役の本義が、愈明らかになつて来た様に感じました。説明役であることもあり、をこつき役である場合もあり、脇役を意味する時もあるのでした。翁に絡んで出るもどきには、此等が皆備つてゐるのでした。まづ正面からもどきと言はれるのは、翁と共に出て、翁より一間遅れて――此が正しいのだが、今は同時に――文言を、稍大きな声でくり返す役の名になつてゐます。此は陰陽師又は修験者としての正式の姿をしてゐるのです。説明役と同時に脇方に当ります。此は重い役になつてゐる鬼の出場する場合にも出ます。此時は、鬼との問答を幾番かするのです。鬼に対するもどきは、脇役です。
翁の形式が幾通りにもくり返されます。ねぎとか、なかと祓――中臣祓を行ふ役の意らしい――とか海道下りとか称へてゐるのは、皆、翁の役を複演するもので、一種の異訳演出に過ぎないのです。即、翁を演ずる役者なるねぎの、其の村に下つた由来と経歴とを語るのでした。だから、此は翁のもどきなのです。処が、翁にも此番にも、多くのをこつきのもどきが出て、荒れ廻ります。而も、此外に必、翁に対して、今一つ、黒尉が出ます。此を三番叟といふ処もあり、しようじっきりと言ふ地もあります。又猿楽とも言ひます事は、前に述べました。此は大抵、翁の為事を平俗化し、敷衍して説明する様な役です。が、其に特殊な演出を持つてゐます。前者の言ふ所を、異訳的に、ある事実におし宛てゝ説明する、と言ふ役まはりなのです。翁よりは早間で、滑稽で、世話に砕けたところがあり、大体にみだりがはしい傾向を持つたものです。
信州新野の雪祭りに出るしようじっきりと言ふ黒尉は、其上更に、もどきと言ふ役と其からさいほうと称する役方とを派生してゐます。此は、多分才の男系統のものなる事を意味する役名なのでせうが、もどきの上に、更に、さいほうを重ねてゐるなどは、どこまでもどきが重なるのか知れぬ程です。畢竟、古代の演芸には、一つの役毎に、一つ宛のもどき役を伴ふ習慣があつたからなのです。
つい此頃も、旧正月の観音の御縁日に、遠州奥山村(今は水窪町)の西浦所能の田楽祭りを見学しました。まづ、近年私の見聞しました田楽の中では、断篇化はしてゐますが、演芸種目が田楽として古風を、最完全に近く、伝へてゐるものなることを知りました。
一九 もどき猿楽狂言
西浦田楽のとりわけ暗示に富んだ点は、他の地方の田楽・花祭り・神楽などよりも、もつともどきの豊富な点でありました。外々のは、もどきと言ふ名をすら忘れて、幾つかの重なりを行うてゐますが、こゝのは、勿論さうしたものもありますが、其上に、重要なものには、番毎にもどきの手といふのが、くり返されてゐることです。さうして更に、注意すべき事は、手とあることです。舞ひぶり――もつと適切に申しますと、踏みしづめのふりなのです――を主とするものなることが、察せられます。
大抵、まじめな一番がすむと、装束や持ち物も、稍、壊れた風で出て来て、前の舞を極めて早間にくり返し、世話式とでも謂つた風に舞ひ和らげ、おどけぶりを変へて、勿論、時間も早くきりあげて、引き込むのです。
此で考へると、もどき方は大体、通訳風の役まはりにあるものと見てよさゝうです。其中から分化して、詞章の通俗的飜訳をするものに、猿楽旧来の用語を転用する様になつて行つたのではありますまいか。して見れば、言ひ立てを主とする翁のもどきなる三番叟を、猿楽といふのも、理由のあつた事です。
此猿楽を専門とした猿楽能では、其役を脇方と分立させて、わかり易く狂言と称へてゐ、又をかしとも言ひます。此は、をかしがらせる為の役を意味するのではなく、もどき同様、犯しであつたものと考へられます。こゝに、猿楽が「言」と「能」との二つに岐れて行く理由があるのです。能は脇方としての立ち場から発達したもの、狂言は言ひ立て・説明の側から出た名称と見られませう。
かうして見ますと、狂言方から出る三番叟が、実は翁のもどき役である事が知れませう。さうして、其が猿楽能の方では、舞が主になつて、言ひ立ての方が疎かになつて行つたものと見る事が出来ます。
かう申せば、翁は実に神聖な役の様に見えますし、して方元来の役目の様に見えますが、私はそこに問題を持つてゐるのです。一体、白式・黒式両様の尉面では、私に言はせると、黒式が古くて、白式は其神聖観の加はつて来た時代の純化だ、とするのです。
役から見ると「翁のもどき」として、三番叟が出来たのですが、面から言ふと、逆になります。白式の翁も元は、黒尉を被つて出たものであつたのを、採桑老風の面で表さねばならぬ程、聖化したのです。さうして、其もどき役の方に黒面を残したものと見られるのです。
此黒面は、私は山人のしるしだと思ふのであります。譬へば、踏歌節会の高巾子のことほぎ一行の顔は、正しくはのっぺらぽうの物だつたらしいのです。即、安摩・蘇利古に近いものだつたのです。白式尉が採桑老らしくなると共に、山人面も次第に変化して、其を唯黒くしたゞけが違ふ尉面と言ふやうになつたのでありませう。古代の山人の顔は、今から知るよしもありませんが、黒といふ点では一致して居ても、黒式尉のやうな、顔面筋まで表した細やかな彫刻ではなかつたはずです。
併し、ちよつと申して置きました様に、黒といふ語が、我が国では、一種異様な舞踊の保持団体と関係のありさうなのは事実です。黒山舞の昔から、黒川能・黒倉田楽・黒平三番叟など皆山中の芸能村なのです。此等のくろは顔面の黒色を意味するものか、其とも、技芸の正雑を別つ上の用語か、今の処断言はいたしかねるのですが、何にしても「山人舞」と深い関係は考へられようと思ひます。
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