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命は助かったが、退院までには三月は掛るだろうという大怪我だった。
「あんぽんたん奴! 働きもせんとぶらぶら飲み歩いてるような根性やさかい、ぼやぼやして怪我もするネや」
他吉は知らせをきいて言ったが、しかしさすがに怒った顔も見せられず、毎日病院を見舞った。
君枝はもちろん三等病室で寝泊りし、眠れぬ夜は五日も続いたが、二週間ばかりするといくらか手が離せるようになった。
その代り、病院の払いに追われだした。もともとはいるだけ使ってしまうという潜水夫の習慣で、たいした蓄えもなく、そのわずかの蓄えも遊んでいるうちに、すっかり使っていた。
頼りにする鶴富組の主人は△△沖の方へ出張していたし、おまけに、次郎をひいたトラックの運転手は、よりによって夫の死後女手ひとつで子供を養っているという四十女で、そうと聴けば見舞金も受けとれなかった。
「貴女(おうち)が悪いんのんとちがいま。うちの人がなんし水の中ばっかしで暮して来やはったんで、陸の上を歩くのが下手糞だしたさかい、おまけに雪降りの道でっしゃろ?」
無理に笑って、見舞金を突きかえした。
女運転手は恐縮して、毎日見舞いに来た。
「そない毎日来て貰たら、恐縮(きずつの)おます。貴女(おうち)も、お忙しいでっしゃろさかい……」
言うているうちに、君枝はふと、自分も看病の合間に運送屋の手伝いをして見ようかと思った。
河童路地の近くに、便利屋というちっぽけな運送配達屋がある。引越し道具のほか、家具屋、表具屋、仏壇屋などから持ちこまれる品物の配達をしているのだが、小型トラックがなくなった上に近頃は手不足で折角の依頼を断ることが多いと聴いていたので、君枝は早速掛け合ってみた。
「へえ、あんたみたいな別嬪さんが……?」
便利屋の主人は驚ろいたが、配達の手伝いなら、時間に縛られることが無いので、看病の合間に出来るし、足には自信があると案外君枝が本気らしかったので、
「そんなら自転車に乗ってくれまっか」
手当てはもとよりたいしたことは無く背を焼かれるような病院の払いには焼石に水だったが、けれど全くはいらぬよりはましだと、君枝は早速自転車の稽古をはじめた。ひとつには、そうして人手不足の際に働くということが、入院して働けぬ次郎の代りをつとめることにもなろうという気持もあった。
ところが、ハンドルを握ったとたんに、もう君枝は尻餅をついて、便利屋の前はたちまち人だかりがした。
君枝は鼻の上に汗をためて、しきりに下唇を突きだして跨り、跨り、漸くのことで動きだすと、
「退(ど)いとくれやっしゃ。衝突しまっせ。危のおまっせ」
と、金切声で叫び、そして転んで、あはははと笑った。
亭主が怪我をして入院しているというのに、この明るさはどこから来ているのかと、便利屋の主人はあきれた。
翌日から君枝は、病院へ便利屋の電話が掛ると、いそいそと出掛け、リヤカーをつけて配達にまわった。
ある日、仏壇を積んで、南河内の萩原天神まで行った。
堺の三国を過ぎると、二里の登り道で、朝九時に大阪を出たのに、昼の一時を過ぎても、まだ中百舌鳥(なかもず)であった。
里子にやられていた幼い頃のことを想いだしながら、木蔭[#「木蔭」は底本では「本蔭」と誤記]で弁当をひらいていると、雨がぱらぱらと来て、急に土砂降りになった。
合羽を仏壇にかぶせ、自身は濡れ鼠になりながらペタルを踏み、やっと目的地について、仏壇を届けて帰る道もなお降っていたが、それでもへこたれようとしなかったのは、子供の頃からさまざまな苦労に堪えて来た故であろうか。
大阪に帰ると、日が暮れた。男なら一服というところを、その足で千日前の自安寺へお詣りした。
水掛け地蔵の身体をたわしで洗っていると、
「お君ちゃん」
声を掛けられた。
もとの朝日軒のおたかが、定枝、久枝、持子の三人の娘を連れて来ていたのだった。
持子は赤ん坊を抱いていた。
「あら、赤子(やあさん)出来はりましたの?」
君枝が言うと、おたかは相好くずして、
「見たっとくなはれ」
いかにも嬉しそうだった。
「――この子が出来てから言うもんは、あんた、娘どもが皆この子を奪いあいして、そら賑やかなことですわ」
もう四十を過ぎた定枝や久枝がめずらしそうに毎日赤ん坊の奪り合いをしている容子が、眼に見えるようであった。
「肝腎の私(うち)に一寸も抱かしてくれはれしめへんねん」
持子の声は明るかった。
「そない言うたかて、あんたは乳のます時はいつでも抱けるさかい……。なあ久ちゃん」
定枝は清潔に澄んだ美しい眼をくるくる動かせて、言った。
「いつもこの通りでんねん。今日かて、あんた、この子の虫封じのお守り貰いに来るのに、一家総出の大騒ぎでんねん」
おたかのその言葉をきいていると、君枝は思いがけぬ持子の不幸が、かえって一家を明るくしているにちがいないと思った。
「ちょっとうちにも抱かしとくなはれ」
赤ん坊を抱かせてもらった。
「――良う肥えたはりまんな」
「へえ、そらもう、郊外で空気はよろしおまっさかい」
おたかは言った。
別れて、病院へ戻ると、夜、君枝は次郎の寝台の傍で産衣を縫うた。七ヵ月さきに生れるとの産婆の言葉だった。
次郎は見て眼が熱くなり、
「ああ、魔がさしてた。潜水夫やめよう思たんは、あれは気の迷いやった。怪我した足が泣いとる。元の身体になったら、はよ潜れ言うて、泣いとる」
ひとりごとのように言い、そして、しみじみと、
「――お前にも苦労させるなあ。済まんなあ」
と、手を合わさんばかりにした。
「阿呆らしい。水臭いこと言いなはんな」
君枝はいつもの口調で言い、そしてこくりこくり居眠りをした。
他吉はそんな風に君枝が働きだしたのを見て、貧乏人の子はやっぱり違うと喜び、
「せえだい働きや」
と、言い言いして、さもありなんという顔でうなずいていたが、それから半月ばかり経ったある日、ふと君枝がおしめを縫うているのを見て、ああ知らなんだと、にわかに涙を落した。
そして、腹巻きの中から郵便局の通帳を出して来て、言うのには、
「今までこれを何べん出そ、出そ思たか判らへんかったけど、いや待て、今出してしもて、二人の気がゆるむようなことがあったら、どむならん、死金になってしまう――こない思て、君枝の苦労を見て見ぬ振りして来たんやけど、思たらほんまにわいは、ど阿呆[#「ど阿呆」に傍点]やった。君枝に子(ややこ)が出来てるいうこと、さっぱり知らんかったんや。堪忍してや。むごいお祖父やんや思わんといてや。そうと知ったら、君枝を自転車に乗せるんやなかったんや。あんなえらい仕事をしてるのを、黙って見てるネやなかったんや。よう辛抱してくれたな」
他吉ははや啜りあげたが、やがて、かさかさした掌で涙を拭くと、
「――ここに八百円あるねん。この金ここぞという時の用意に、いや、君枝の将来を見届けた暁に、死んだ婿の墓へ詣りがてら一ぺんマニラへ行って来たろ思て、その旅費に残して置いたんやが、もうこうなったら今が出し時や。この金で病院の払いをして、残った分を君枝のお産と、次郎ぼんの養生の費用(いりよう)にしてくれ」
「いや、そんなことをして貰たら困る。それはお祖父ちゃんの葬式金に残しといて」
次郎が手を振ると、
「げん糞のわるいことを言うな。葬式金を残すようなベンゲットの他あやんや思てるのか」
他吉は眼をむいた。
「そんなら、マニラ行きの旅費に……」
「知らん土地やなし、旅費はのうても、いざという時になったら、泳いででも行くわいな」
歯の抜けた顔で笑ったが、他吉はすぐしんみりして、
「――それにこの金の中には、君枝が下足番をして貰た金もはいってるんや。遠慮する金やあれへんぜ」
他吉はついぞ見せたことのない涙を、ぽたりぽたり落した。
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