七
「……僕のことを想いだして、訪ねて来たわけだな」
「へえ」と横堀は笑いながら頭をかいた。今夜の宿が見つかったのと、餅にありついたので、はじめて元気が出たのであろう。
「電車賃がよくあったね」
「線路を伝うて歩いて来ましてん。六時間掛りました。泊めて貰へんと思いましたけど……」時計が夜中の二時を打った。
「泊めんことがあるものか。莫迦だなア。電車賃のある内にどうしてやって来なかったんだ」
「へえ。済んまへん」
「途中大和川の鉄橋があっただろう」
「おました。しかし、踏み外して落ちたら落ちた時のこっちゃ。いっそのことその方が楽や、一思いに死ねたら極楽や思いましてん」
そんな風に心細いことを言っていたが、翌朝冬の物に添えて二百円やると、
「これだけの元手(もと)があったら、今日び金儲けの道はなんぼでもおます。正月までに五倍にしてみせます」横堀はにわかに生き生きした表情になった。
「ふーん。しかし五倍と聴くと、何だかまた博奕にひっ掛りそうだな。あれはよした方がいいよ。人に聴いたんだが、あれは本当は博奕じゃないんだよ。博奕なら勝ったり負けたりする筈だが、あれは絶対に負ける仕組みだからね。必ず負けると判れば、もう博奕じゃなくて興行か何かだろう。だから検挙して検事局へ廻しても、検事局じゃ賭博罪で起訴出来ないかも知れない、警察が街頭博奕を放任してるのもそのためだと、嘘か本当か知らんが穿ったことを言っていたよ。まアそんなものだから、よした方がいいと思うな」
「いや、今度は大丈夫儲けてみせます」
と、横堀は眼帯をかけながら、あれからいろいろ考えたが、たしかにあの博奕にはサクラがいて、サクラが張った所へ針の先が停ると睨んだ、だから今度はまず誰がサクラと物色して、こいつだなと睨んだらその男と同じ所へ張れば、外れっこはないんだとペラペラ喋って、
「――ま、見てとくなはれ。わても男になって来ま」
そう言ってソワソワと出て行った後姿を二階の窓から見ると、痛々しい素足だった。まだ電車は来まいと、家人に足袋を持たせて後を追わせながら、しかし私は横堀をモデルにした小説を考えていた。
十銭芸者の話も千日前の殺人事件の話も阿部定の話も、書けばありし日を偲ぶよすがになるとはいうものの、今日の世相と余りにかけ離れた時代感覚の食い違いは如何ともし難く、世相の哀しさを忘れて昔の夢を追うよりも、まず書くべきは世相ではあるまいか。しかも世相は私のこれまでの作品の感覚に通じるものがあり、いわば私好みの風景に満ちている。横堀の話はそれを耳かきですくって集めたようなものである。けちくさい話だが、世相そのものがけちくさく、それがまた私の好みでもあろう。
ペンを取ると、何の渋滞もなく瞬く間に五枚進み、他愛もなく調子に乗っていたが、それがふと悲しかった。調子に乗っているのは、自家薬籠中の人物を処女作以来の書き馴れたスタイルで書いているからであろう。自身放浪的な境遇に育って来た私は、処女作の昔より放浪のただ一色であらゆる作品を塗りつぶして来たが、思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間の相(すがた)と見て、その相(すがた)をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間であり、体系や思想を持たぬ自分の感受性を、唯一所に沈潜することによって傷つくことから守ろうとする走馬燈のような時の場所のめまぐるしい変化だけが、阿呆の一つ覚えの覘(ねら)いであった。だから世相を書くといいながら、私はただ世相をだしにして横堀の放浪を書こうとしていたに過ぎない。横堀はただ私の感受性を借りたくぐつとなって世相の舞台を放浪するのだ、なんだ昔の自分の小説と少しも違わないじゃないかと、私は情なくなった。
「いや、今日の世相が俺の昔の小説の真似をしているのだ」
そう不遜に呟いてみたが、だからといって昔のスタイルがのこのこはびこるのは自慢にもなるまい。仏の顔も二度三度の放浪小説のスタイルは、仏壇の片隅にしまってもいいくらい蘇苔が生えている筈だのに、世相が浮浪者を増やしたおかげで、時を得たりと老女の厚化粧は醜い。
そう思うと、もう私の筆は進まなかったが、才能の乏しさは世相を生かす新しいスタイルも生み出せなかった。思案に暮れているうちに年も暮れて、大晦日が来た。私はソワソワと起ち上ると外出の用意をした。
「年の瀬の闇市でも見物して来るかな」
呑気に聴えるが、苦しまぎれであった。西鶴の「世間胸算用」の向うを張って、昭和二十年の大晦日のやりくり話を書こうと、威勢は良かったが、大晦日の闇市を歩いてその材料の一つや二つ拾って来ようと、まるで債鬼に追われるように原稿の催促にせき立てられた才能乏しい小説家の哀れな闇市見物だった。
「西鶴は『詰りての夜市』を書いているが、俺の外出は『詰りての闇市』だ」
そう自嘲しながら、難波で南海電車を降り、市電の通りを越えて戎橋筋の闇市を、雑閙に揉まれて歩いていたが、歌舞伎座の横丁の曲り角まで来ると、横丁に人だかりがしている。街頭博奕だなと直感して横丁へ折れて行くと果して、
「さア張ったり張ったり。度胸のある奴は張ってくれ。十円張って五十円の戻しだ。針は見ている前で廻すんだから、絶対インチキなしだ。あア神戸があいた。神戸はないか神戸はないか」と呶鳴っている。
横堀がやられたのはこれだなと思って、ひょいと覗くと、さアないかと呶鳴っているのは意外にも横堀であった。昨日出て行った時に較べて、打って変ったように小ざっぱりして、オーバも温かそうだ。靴もはいていた。
「よう」と声を掛けようとすると、横堀も気づいて、にこっと笑って帽子を取った。人々は急に振り向いた。街頭博奕屋がお辞儀をしたので、私を刑事か親分だと思ったのかも知れない。
こそこそ立ち去って雁次郎横丁の焼跡まで来ると、私はおやっと思った。天辰の焼跡にしょんぼり佇んでいる小柄な男は、料理衣こそ着ていないが天辰の主人だと一眼で判り、近づいて挨拶すると、
「やア、一ぺんお会いしたいと思ってました」とお世辞でなくなつかしそうに眼をしょぼつかせて、終戦後のお互いの動静を語り合ったあと、
「――この頃は飲む所もなくてお困りでしょう」と言っていたが、何思ったか急に、「どうです私に随いて来ませんか、一寸面白い家があるんですがね」と誘った。
「面白い家って、怪しい所じゃないだろうね」
「大丈夫ですよ。飲むだけですよ。南でバーをやってた女が焼けだされて、上本町でしもた家を借りて、妹と二人女手だけで内緒の料理屋をやってるんですよ」
「しもた屋で……? ふーん。お伴しましょう」
戎橋から市電に乗り、上本町六丁目で降りるともう黄昏れていた。寒々とした薄暗い焼跡を上本町八丁目まで歩き、上宮中学のまえを真っ直ぐ三町ばかし行くと、右側にこぢんまりした二階建のしもた家があった。
「ここです」天辰の主人が玄関の戸をあけると、その鈴(ベル)の音で二十(はたち)前後の娘が出て来た。唇をきっと結び、美しい眼をじっと見据えたその顔を見た途端、どきんとした。「ダイス」のマダムの妹だったのだ。妹は私に気づいたが、口は利かず固い表情のまま奥へはいった。やがて羽織を着た女が奥から出て来て、「あら」と立ちすくんだ。窶(やつ)れているが、さすがに化粧だけは濃く、「ダイス」のマダムであった。
「――どないしてはりましたの」
「どないもしてないが……」
「痩せはりましたな」
「そういうあんたも少し」
「痩せてスマートになりましたやろ」
「あはは……」
それが十銭芸者の話を聴いた夜以来五年振りに会う二人の軽薄な挨拶だった。笑ったが、マダムの窶れ方を見ながらでは、ふと虚ろに響いた。
「なんだ、お知り合いでしたか、丁度よかった。じゃ忘年会ということにして……」
天辰の主人の思いがけない陽気な声に弾まされて、ガヤガヤと二階へ上る階段の途中で、いきなりマダムに腕を抓られた。ふと五年前の夏が想い出されて、遠い想いだった。
けれど、やがて妹が運んで来た鍋で、砂糖なしのスキ焼をつつきながら飲み出すと、もうマダムは不思議なくらい大人しい女になって、
「――お客さんはまアぼつぼつ来てくれはりまっけど、この頃は金さえ出せば闇市で肉が買えますし、スキ焼も珍らしゅうないし、まア来てくれるお客さんはお二人は別でっけど、食気よりも色気で来やはンのか、すぐ焼跡が物騒で帰(い)ねんさかい泊めてくれ。お泊めすると、ひとりで寝るのはいやだ、あんたが何だったら妹を世話してくれ。まるで淫売屋扱いだす。つくづく阿呆な商売した思(おも)て後悔してますねんけど、といって、おかしな話だっけど妹と二人でも月に二千円はいりまっしゃろ。わてがもう一ぺん京都から芸者に出るいうても支度に十万円はいりますし、妹をキャバレエへ出すのも可哀相やし、まア仕様がない思(おも)ってやってまんねん」
世帯じみた話だった。パトロンは無さそうだし、困っても自分を売ろうとしないし、浮気で淫蕩的だったマダムも案外清く暮しているのかと、私はつぎの当ったマダムの足袋をふと見ていた。
新しい銚子が来たのをしおに、
「ところで」と私は天辰の主人の方を向いて、
「――あの公判記録は助かりましたか」と訊くと、
「いや焼けました。金庫と一緒に……」ぽつんと言って、眼をしょぼつかせ、細い指の先を器用に動かしながら、机の上にこぼれた酒で鼠の絵を描いていた。
「そりゃ惜しいことしましたな。帝塚山のお宅の方は助かったんだから、疎開させとけば……」と言い掛けると、
「阿呆らしい。帝塚山へあの本が置けるものですか。第一……」
そして暫らく言い詰っていたが、やがて思い切って言いましょうと、置注ぎの盃をぐっと飲みほした。
「――実はお二人の前だけの話だけど、あのお定という女は私と一寸関係がありましてね……」
「えっ?」
「話せば長いが……」
店が焼けてから飲み覚えた酒に、いくらか酔っていたのであろう、天辰の主人は問わず語りにポツリポツリ語った。
――天辰の主人は四国の生れだが、家が貧しい上に十二の歳に両親を亡くしたので、早くから大阪へ出て来て、随分苦労した。十八の歳に下寺町の坂道で氷饅頭を売ったことがあるが、資本がまるきり無かった故大工の使う鉋(かんな)の古いので氷をかいて欠けた茶碗に入れ、氷饅頭を作ったこともある。冷やし飴も売り、夜泣きうどんの屋台車も引いた。競馬場へ巻寿司を売りに行ったこともある。夜店で一銭天婦羅も売った。
二十八の歳に朝鮮から仕入れた支那栗を売って、それが当って相当の金が出来ると、その金を銀行に預けて、宗右衛門町の料亭へ板場の見習いにはいり、三年間料理の修業をした後、三十一歳で雁次郎横丁へ天辰の提灯を出した。四年の間に万とつく金が出来て、三十五歳で妻帯した。細君は北浜の相場師の娘だったが、家が破産して女専を二年で退学し、芸者に出なければならぬ破目になっていたところを、世話する人があって天辰へ嫁いだのだった。勿論結納金はかなりの金額で、主人としては芸者を身うけするより、学問のある美しい生娘に金を出す方が出し甲斐があると思ったのだが、これがいけなかった。新妻は主人に体を許そうとしなかった。自分は金で買われて来たらしいが、しかし体を売るのは死ぬよりもいやだと、意外な初夜の言葉だった。おれがいやかと訊くと、教養のない男はいやだと言って触れさせない。それでも三年後には娘が生れたのだから、全然そんなことはなかったわけではないが、そんな時細君の体は石のように固く、氷のように冷たく、ああ浅ましい、なぜ女はこんな辛抱をしなければならぬのかと、聖書を読むのである。
もともと潔癖性の女だったが、宗教に凝り出してからは、ますますそれがひどくなって食事の前に箸の先を五分間も見つめていることがある。一日に何十回も手を洗う。しまいには半時間も掛って洗っているようになり、洗って居間へ戻る途中廊下で人にすれ違うと、また引き返して行って洗い直すのである。
おまけに結婚後十日目には、頭髪がすっかり抜けてしまい、つるつるの頭になったのでカツラを被った。時々人のいない所でカツラを取って何時間も掛って埃を払っている――そんな姿を見ると、つくづく嫌気がさして来たある夜、どう魔がさしたのかポン引に誘われて一夜女を買った。ところが、その女はそんな所の女とは思えないくらい美人で、金で売り乍ら自分から燃えて行く肌の熱さは天辰の主人をびっくりさせた。この女が明日は自分以外の男を客に取るのかと、得体の知れない激しい嫉妬が天辰の主人をおろおろさせてしまった。すぐ金を出して、女を天下茶屋のアパートに囲った。一月の間魂が抜けたように毎夜通い、夜通し子供のように女のいいつけに応じている時だけが生き甲斐であったが、ある夜アパートに行くと、いつの間にどこへ引き越したのか、女はもうアパートにいなかった。通り魔のような一月だったが、女のありがたさを知ったのはその一月だけだった。黙って行方をくらませた女を恨みもせず、その当座女の面影を脳裡に描いて合掌したいくらいだった。……
「――うちの禿げ婆のようなものも女だし、あの女のようなのもいるし、女もいろいろですよ」
「で、その女がお定だったわけ……?」
「三年後にあの事件が起って新聞に写真が出たでしょうが、それで判ったんですよ。――ああえらい恥さらしをしてしまった」
ふっと気弱く笑った肩を、マダムはぽんと敲いて、
「書かれまっせ」と言った。
その時襖がひらいて、マダムの妹がすっとはいって来た。無器用にお茶を置くと、黙々と固い姿勢のまま出て行った。
紫の銘仙を寒そうに着たその後姿が襖の向うに消えた時、ふと私は、書くとすればあの妹……と思いながら、焼跡を吹き渡って来て硝子窓に当る白い風の音を聴いていた。
底本:「定本織田作之助全集 第五巻」文泉堂出版株式会社
1976(昭和51)年4月25日発行
1995(平成7) 年3月20日第3版発行
入力:小林繁雄
校正:伊藤時也
ファイル作成:野口英司
2000年3月17日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
※本文中のゆすり点
は「々」に置き換えました。
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