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青春の逆説(せいしゅんのぎゃくせつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 10:05:30  点击:  切换到繁體中文

底本: 定本織田作之助全集 第二巻
出版社: 文泉堂出版
初版発行日: 1976(昭和51)年4月25日
入力に使用: 1995(平成7) 年3月20日第3版

 

第一部  二十歳

    第一章

      一

 お君は子供のときから何かといえば跣足になりたがった。冬でも足袋をはかず、夏はむろん、洗濯などするときは決っていそいそと下駄をぬいだ。共同水道場の漆喰しっくいの上を跣足のままペタペタと踏んで、
「ああ、良え気持やわ」
 それが年頃になっても止まぬので、無口な父親も流石に、
「冷えるぜエ」とたしなめたが、聴かなんだ。蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉んだ。また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふき出ている裸にざあッと水が降り掛って、ピチピチと弾み切った肢態が妖しく顫えながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。
「五へんも六ぺんも水かけまんねん。良え気持やわ」と、後年夫の軽部かるべに言ったら、若い軽部は顔をしかめた。
 お君が軽部と結婚したのは十八の時だった。軽部は小学校の教師、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取り入るためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の驥尾きびに附して、日本橋筋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。
 お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで、背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけた障子のようにひっそりした無気力な男だった。女房はまるで縫物をするために生れて来たような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりに坐り込んで針を運ばせていた。糖尿病をわずらってお君の十六の時に死んだ。女手がなくなって、お君は早くから一人前の大人並みに家の切りまわしをした。炊事、針仕事、借金取の断り、その他写本を得意先に届ける役目もした。若い見習弟子がひとりいたけれど、薄ぼんやりで役に立たず、邪魔になるというより、むしろ哀れだった。
 お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行くと、二十八の軽部はぎょろりとした眼をみはった。裾から二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部は思わず眼をそらした。
「女は出世のさまたげ」
 熱っぽいお君の臭いにむせながら、日頃の持論にしがみついた。しかし、三度目にお君が来たとき、
「本に間違いないか、今ちょっと調べて見るよってな、そこで待っとりや」と坐蒲団をすすめて置いて、写本をひらき、
 ――あと見送りて政岡が……、ちらちらお君を盗見していたが、次第に声もふるえて来て、生唾をぐっと呑み込み、
 ――ながす涙の水こぼし……
 いきなり霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬのが、軽部は不気味だった。その時のことを、あとでお君が、
「なんや斯う、眼エの前がぱッと明うなったり、真ッ黒けになったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に見えた」と言って、軽部にいやな想いをさせたことがある。軽部は小柄な割に顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのし掛っていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔だと己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、さすがに何がなし良い気持はしなかった。
 ……その時、軽部は大きな鼻の穴からせわしく煙草のけむりを吹き出しながら、
「この事は誰にも言うたらあかんぜ。分ったやろ。また来るんやぜ」と駄目押した。けれども、それきりお君は来なかった。軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまたげになるだろうと思った。序でに、良心の方もちくちく痛んだ。あの娘は妊娠しよるやろか、せんやろかと終日思い悩み、金助が訪ねて来ないだろうかと怖れた。己惚れの強い彼は、「教育者の醜聞」そんな見出の新聞記事まで予想し、ここに至って、苦悩は極まった。いろいろ思い案じた挙句、今の内にお君と結婚すれば、たとえ妊娠しているにしても構わないわけだと気がつき、ほッとした。何故このことにもっと早く気がつかなかったか、間抜けめと自ら嘲った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とする予定だった。写本師風情の娘との結婚など夢想だにしなかったのではないか。僅かに、お君の美貌が彼を慰めた。
 某日、軽部の同僚と称して、薄地某が宗右衛門町の友恵堂の最中もなかを手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられている金助を相手に四方山の話を喋り散らして帰って行き、金助にはさっぱり要領の得ぬことだった。ただ、薄地某の友人の軽部村彦という男が品行方正で、大変評判の良い、血統の正しい男であるということだけが朧気にわかった。
 三日経つと、当の軽部がやって来た。季節外れの扇子などを持っていた。ポマードでぴったりつけた頭髪を二三本指の先で揉みながら、
「実はお宅の何を小生の……」妻にいただきたいと申し出でた。金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は恐らく物心ついてから口癖であるらしく、
あてでっか。あて如何どないでもよろしおま」表情一つ動かさず、強いて言うならば、綺麗な眼の玉をくるりくるり廻していた。
 あくる日、金助が軽部を訪れて、
「ひとり娘のことでっさかい。養子ちゅうことにして貰いましたら……」
 都合が良いとは言わせず、軽部は、
「それは困ります」と、まるで金助は叱られに行ったみたいだった。
 やがて、軽部は小宮町に小さな家を借りてお君を迎えたが、この若い嫁に「大体に於て満足している」と、同僚たちに言いふらした。お君は白い綺麗なからだをしていた。なお、働き者で、夜が明けるともうぱたぱたと働いていた。
 ――ここは地獄の三丁目、行きは良い良い帰りは怖い。と朝っぱらから唄うたが、間もなく軽部にその卑俗性を理由に禁止された。
「浄瑠璃みたいな文学的要素がちょっともあれへん」と言いきかせた。かつて彼は国漢文中等教員検定試験を受けて、落第したことがあった。それで、お君は、
 ――あはれ逢瀬の首尾あらば、それを二人が最期日と、名残りの文のいひかはし、毎夜毎夜の死覚悟、魂抜けてとぼとぼうかうか身をこがす……。と、「紙治」のサワリなどをうたった。下手糞でもあったので、軽部は何か言い掛けたが、しかし満足することにした。
 ある日、軽部の留守中、日本橋の家で聞いて来たんですがと、若い男が顔を出した。
「まあ、田中の新ちゃんやないの、どないしてたの?」
 もと近所に住んでいた古着屋の息子の田中新太郎で、朝鮮の聯隊に入営していたが、除隊になって昨日帰って来たところだという。何はともあれと、上るなり、
「嫁はんになったそうやな。なんで自分に黙って嫁入りしたんや」と、田中新太郎は詰問した。かつて唇を三回盗まれたことがあり、体のことがなかったのは単に機会だったと今更口惜しがっている彼の肚の中などわからぬお君は、そんな詰問は腑に落ちかねた。が、さすがに日焼けした顔に泛んでいるしょんぼりした表情を見ては、哀れを催した。天婦羅丼をとったりして、もてなしたが、彼はこんなものが食えるかと、お君の変心を怒りながら、帰ってしまった。その事を夕飯のときに軽部に話した。軽部は新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて、箸、茶碗、そしてお君の頬がぴしゃりと鳴った。お君はきょとんとした顔で暫く軽部の顔を見ていたがにわかに泣声を出した。すると、大きな涙がぽたぽたと畳の上に落ちた。泣声をあとに、軽部は憂鬱な散歩に出掛けた。出しなに、ちらりと眼に入れた肩の線がそんな話のあとでは一層悩ましく、ものの三十分もしない内に帰って来ると、お君の姿が見えぬ。火鉢の側に腰を浮かせて、半時間ばかりうずくまっていると、
 ――魂抜けて、とぼとぼうかうか……、
 声がきこえ、湯上りの匂いをぷんぷんさせて、帰って来た。その顔を一つ撲って置いてから、軽部は、
「女いうもんはな、結婚まえには神聖な体でおらんといかんのやぞ。キッスだけのことにしろやね、……」
 言い掛けて、いつかの苦い想出がふっと頭に来た。何か矛盾めくことを言うようだったから、簡単な訓戒に止めることにした。軽部はお君と結婚したことを後悔した。しかし、お君が翌年の三月、男の子を産むと、日を繰ってみてひやっとし、結婚して置いて良かったと思った。生れた子は豹一と名付けられた。日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄が未だ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。
 同じ年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、随分盛会だった。
 軽部村彦こと軽部八寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことだからと露払いを買って出で、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の前で簾を下したまま語ったが、それでも、沢正オ! と声が掛ったほどの熱演だった。熱演賞として湯呑一個貰った。露払いを済ませ、あと汗びしょのまま会の接待役としてこまめに立ち働いたのが悪かったのか、翌日から風邪をひいて寝込んだ。こじれて急性肺炎になった。かなり良い医者に診てもらったのだが、ぽくりと軽部は死んだ。涙というものは何とよく出るものかと不思議なほど、お君はさめざめと泣き、夫婦はこれでなくては値打がないと、ひとびとはその泣き振りに見とれた。
 しかし、ふた七日の夜、追悼浄瑠璃大会が校長の肝いりで同じく日本橋クラブの二階でひらかれると、お君は赤ん坊を連れて姿を見せ、どっさりの校長が語った「紙治」のサワリで、パチパチと音高く拍手した。
 手を顔の上にあげ、人眼につきひとびとは眉をひそめた。軽部の同僚たちは、何か腹の中でお互いの妻の顔を想い泛べて、随分頼りない気持を顔に見せた。校長はお君の拍手に満悦したようだった。
 三七日の夜、あらたまって親族会議があった。四国の田舎から来た軽部の父が、お君の身の振り方に就て、お君の籍は金助のところに戻し、豹一こどもも金助の養子にしてもろたらどんなもんじゃけんと、渋い顔をして意見を述べ、お君の意嚮を訊くと、
あてでっか。あて如何どないでもよろしおま」
 金助は一言も意見らしい口をきかなかった。
 いよいよ実家に戻ることになり、お君が豹一を連れて日本橋の裏長屋へ帰ってみると、家の中は呆れるほど汚かった。障子の桟にはべたッと埃がへばりつき、天井には蜘蛛の巣がいくつも、押入れには汚れ物が一杯あった。お君が嫁いだ後、金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任せていたが、よりによって婆さんは腰が曲り、耳も遠かったのだ。
「此のたびはえらい御不幸な……」と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこら中はたきはじめた。
 三日経つと、家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、実は田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとらざるを得なかった。そして、
 ――ここは地獄の三丁目、の唄が朝夕きかれた。よく働いた。そんなお君の帰って来たことを金助は喜んだが、この父は亀のように無口であった。軽部の死に就てもついぞ一言も纒まった慰めをしなかった。
 古着屋の田中新太郎は既に若い嫁をもらっており、金助の抱いて行った子供を迎えに、お君が銭湯の脱衣場へ姿を見せると、その嫁も最近生れた赤ん坊を迎えに来ていて、仲善しになった。雀斑だらけの鼻の低いその嫁と見比べてみると、お君の美貌は改めて男湯で問題になるのだった。露骨に俺の嫁になれと持ち掛けるものもあったが、お君はくるりくるり綺麗な眼の玉をまわして、笑っていた。金助の所へ話をもって行くものもあった。その都度金助がお君の意見を訊くと、例によって、
あて如何どないでも……」
 良いが、俺は嫌だと、こんどは金助は話を有耶無耶に断ってしまった。
 夏、寝苦しい夜、軽部の乱暴な愛撫が瞼に重くちらついた。見習弟子はもう二十一歳になっていて白い乳房を子供にふくませて転寝しているお君を見ては、固唾をのみ、空しく胸を燃していた。
 歳月が流れた。

      二

 五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。
 その日、大阪は十一月末というに珍らしくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長と共にすっかり老い込み、耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手をひっぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車にひかれたのだった。救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰かにもらったキャラメルを手にもち、ひとびとに取りかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、「あッ、あれは毛利のちんぴらや」と自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が駈けつけると、黄昏の雪空にもう電燈をつけた電車が何台も立往生し、車体の下に金助のからだが丸く転っていた。ぎゃッと声を出したが、不思議に涙は出ず、豹一がキャラメルのべとべとひっついた手でしがみついて来たとき、はじめて咽喉の中が熱くなった。そして何も見えなくなった。やがて、活気づいた電車の音がした。
 その夜、近所の質屋の主人が大きな風呂敷包をもってやって来、おくやみを述べたあと、
「実は先達せんだってお君はんの嫁入りのときでしてん。支度の費用や言うてからに、金助はんにお金を御融通しましたのや。そのときの品が、利子もはいってまへんので、もう流れてまんネやけど、なんやこうお君はんとこでは大切な品や思いまんので、相談によって何せんこともおまへん、と、こない思いましてな。何れ電車会社の……」慰藉金を少くとも千円と見込んで、これでんねんと出したのを見ると、系図一巻と太刀一振だった。ある戦国時代の城主の血をかすかに引いている金助の立派な家柄が、それでわかるのだったが、お君にははじめて見る品だった。金助から左様な家柄に就てついぞ一言もきかされたこともなく、むろん軽部も知らず、軽部がそれを知らずに死んだのは、彼の不幸の一つだった。お君に知らさなかった金助も金助だが、お君もまたお君で、
「折角でっけど、そんなもんあてにはいり用おまへん」と、質屋の申出を断り、その後家柄のことも忘れてしまった。利子の期限云々とむろん慾に掛って執拗にすすめられたが、お君は、ただ気の毒そうに、
あてにはどうでも良えことだっさかい。それになんだんねん……」電車会社の慰藉金はなぜか百円そこそこの零細な金一封で、その大半は暇をとることになった見習弟子に呉れてやる肚だった。そんなお君に山口の田舎から来た親戚の者は呆れかえって、葬式、骨揚げと二日の務めを済ませるとさっさとひきあげてしまい、家の中ががらんとしてしまった夜、ふと眼をさまして、
「誰?」と、暗闇に声を掛けたが、答えず、思わぬ大金をもらって気が変になったのか、こともあろうにそれは見習弟子だと、やがて判った。しかし、あくる日になると、見習弟子は不思議なくらいしょげ返ってお君の視線を避けて、男らしくなく、むしろ哀れだったが、夕方国元から兄と称する男が引取りに来ると彼はほッとしたようだった。永々厄介な小僧を世話でしたのうと兄が挨拶したあと、ぺこんと頭を下げ、
「ほんの心じゃけ、受けてつかわさい」と、白い紙包を差し出して、何ごともなかった顔で、こそこそ出て行った。見ると、写本の字体で、ごぶつぜんとあり、お君が呉れてやったお金がそっくりそのままはいっていた。国へ帰って百姓すると言った彼の貧弱な体やおどおどした態度を憐み、お君はひとけのなくなった家の中の空虚さに暫くぽかんと坐ったままだったが、やがて、
 ――船に積んだアら、どこまで行きやアる、木津や難波なんばアの橋のしイたア……
 思い出したように哀調を帯びた子守唄を高い声で豹一に聴かせた。
 お君は上塩町地蔵路地の裏長屋に家賃五円の平屋ひらやを見つけて、そこに移ると、早速、「おはり教えます」と、小さな木札を軒先に吊した。長屋の者には判読しがたい変った書体で、それは父親譲り、裁縫おはりは絹物、久留米物など上手とはいえなかったが、これは母親譲り、月謝五十銭の界隈の娘たち相手にはどうにか間に合い、むろん近所の仕立物も引き受けた。
 慌しい年の暮、頼まれた正月はる着の仕立に追われて、夜を徹する日が続いたが、ある夜更け、豹一がふと眼をさますと、スウスウと水洟をすする音がきこえ、お君は赤い手で火鉢の炭火を掘りおこしていた。戸外では霜の色が薄れて行き、……そんな母親の姿に豹一は幼心にもふと憐みを感じたが、お君は子供の年に似合わぬ同情や感傷など与り知らぬ母だった。
「お君さんはかたが悪うおますな」と、長屋の者が慰めに掛っても、
「仕方おまへん」と、笑って見せた。軽部の死、金助の死と相つづく不幸もどこ吹いた風かといった顔だったから、愚痴の一つも聞いてやり、貰い泣きもさして貰いまひょと期待した長屋の女たちは、何か物足らなかった。
 大阪の路地にはたいてい石地蔵がまつられていて、毎年八月の末に地蔵さんの年中行事が行われたが、お君の住んでいる地蔵路地は名前からして、他所よその行事に負けられなかった。戸毎に絵行燈をかかげ、狭苦しい路地の中で、近所の男や女が、
 ――トテテラチンチン、トテテラチン、チンテンホイトコ、イトハトコ、ヨヨイトサッサ、……と踊った。お君は無理して西瓜二十個寄進し、薦められて踊りの仲間にはいった。お君が踊りに加わったため、夜二時までとの警察のお達しが明け方まで忘れられた。
 相変らず、銭湯で水を浴びた。肌は娘の頃の艶を増していた。ぬか袋を使うのかと訊かれた。水を浴びてすくっと立っている、眼の覚めるような鮮かな肢態に固唾をのむような嫉妬を感じていた長屋の女が、あるときお君の頸筋を見て、
「まあ、お君さんたら、頸筋に生ぶ毛が一杯……」生えているのに気が付いたのを倖い、大袈裟に言うので、銭湯の帰り、散髪屋へ立ち寄ってあたって貰った。剃刀が冷やりと顔に触れた途端、どきッと戦慄を感じたが、やがてさくさくと皮膚の上を走って行く快い感触に、思わず体が堅くなり、石鹸と化粧料の匂いのしみ込んだ手が顔の筋肉をつまみあげるたびに、体が空を飛び、軽部を想い出した。
 そのようなお君に、そこの職人の村田は商売だからという顔をときどき鏡にたしかめて見なければならなかった。しかし、その後月に二回は必ずやって来るお君に、村田は平気で居れず、ある夜、新聞紙に包んだセルの反物を持って路地へやって来て、
「思い切って一張羅イを張りこみましてん。済んまへんが一つ……」縫うてくれと頼むと、そのままぎこちない世間話をしながらいつまでも坐り込み、お君を口説く機会は今だ今だと心に叫んでいたが、そんな彼の肚を知ってか知らずにか、お君は、長願寺の和尚おっさんももう六十一の本卦ですなというつまらぬ話にも、くるりくるりと眼玉をまわして、げらげら笑っていた。
 豹一は側に寝そべっていたが、いきなり、つと起き上ると、きちんと両手を膝の上に並べて、村田の顔をみつめ、何か年齢を超えて挑みかかって来る眼付きだと、村田は怖れ見た。やがて村田は自分の内気を嘲りながら、帰って行った。路地の入口で放尿した。その音を聞きながら、豹一は不安な顔でごろりと横になった。

      三

 豹一は早生れだから、七つで尋常一年生になった。始業式の日にもう泣いて帰ったから、お君は日頃の豹一のはにかみ屋を思い出し、この先が案じられると、訊けば、同級の男の子を三人も撲ったので教師に叱られた、ということだった。
 学校での休暇時間には好んで女の子と遊んだ。少女のような体つきで、顔も色白くこぢんまり整っていたから、女教師たちがいきなり抱きしめに来た。豹一は赧い顔で逃げ、二、三日はその教師の顔をよう見なかった。身なりのみすぼらしさを恥じていたのである。一つには、可愛がられるということが身につかぬ感じで、皮膚はもう自分から世間の風に寒く当っていた。
 一週間に五人ぐらい、同級の男の子が彼に撲られて泣いた。子供にしては余り笑わなかった。泣けば、自分の泣き声に聴き惚れているかのような泣き方をした。泣き声の大きさは界隈の評判だと、自分でも知っていた。ある時、何に腹立ってか、路地の井戸端にある地蔵に小便をひっ掛けた。見ている人があったので、一層ゆっくりと小便をした。お君は気の向いた時に叱った。
 八つの時、学校から帰ると、いきなり仕立おろしの久留米の綿入を着せられた。筒っぽの袖に鼻をつけると、紺の匂いがぷんぷん鼻の穴にはいって来て、気取り屋の豹一には嬉しい晴着だったが、流石に有頂天にはなれなかった。お君はいつになく厚化粧し、その顔を子供心に美しいと見たが、何故かうなずけなかった。仕付糸をとってやりながら、
「向う様へ行ったら行儀ようするんやぜ」
 お君は常の口調だったが、豹一は何か叱られていると聴いた。
 路地の入口に人力車が三台来て並ぶと、母の顔は瞬間めんのようになり、子供の分別ながらそれを二十六の花嫁の顔と見て、取りつく島もないしょんぼりした気持になった。火の気を消してしまった火鉢の上に手をかざし、張子の虎のように抜衣紋した白い首をぬっと突き出し、じじむさい恰好で坐っているところを、豹一は立たされ、人力車に乗せられた。見知らぬ人が前の車に、母はその次に、豹一はいちばん後の車。一人前に車の上にちょこんと収っている姿をひねてると思ったか、車夫は、
ん。落ちんようにしっかり掴まってなはれや」
 その声にお君はちらりと振り向いた。もう日が暮れていた。
「落てへんわいな」と豹一はわざとふざけた声で言い、それが夕闇のなかに消えて行くのをしんみり聴いていた。ふわりと体が浮いて、人力車は走り出した。だんだん暗さが増した。ひっそりとした寺がいくつも並んだ寺町を通るとき、木犀の匂いが光った。豹一は眩暈がし、一つにはもう人力車に酔うていたのだった。それが恥しく情けなかった。梶棒の先につけた提灯の火が車夫の手の動脈を太く浮び上らせていた。尋常二年の眼で提灯に書かれた「野瀬」の二字を判読しようとしていたが、頭の血がすうすう引いて行くような胸苦しさで、困難だった。その夜、一人で寝た。
 蒲団についたナフタリンの匂いが何か勝手が違って、母親のいない淋しさをしみじみ感じさせた。泣けもしなかった。小さな眼で意味もなく天井を睨んでいた。母は階下で見知らぬ人といた。野瀬安二郎だと、あとで判った。
 野瀬安二郎は谷町九丁目いちばんの金持と言われ、慾張りとも言われた。高利貸をして、女房を三度かえ、お君は四番目の女房だった。ことし四十八歳の安二郎がお君を見染めて、縁談を取りきめるまでには、大した手間は掛らなかった。
あてでっか。あて如何どないでもよろしおま」
 しかし、流石にお君は、豹一が小学校を卒業したら中学校へやらせてくれと条件をつけた。これは吝嗇漢けちんぼの安二郎にはちくちく胸痛む条件だったが、けれどもお君の肩は余りにも柔かそうにむっちり肉づいていた。
 安二郎には子供がなく、さきの女房を死なせると、直ぐ女中を雇って炊事をやらせるほか、女房の代りも時にはさせていたが、お君が来ると、途端に女中を追い出し、こんどはお君が女中の代りとなった。
「人間は節約しまつせんことには、あかんネやぜ、よう聴いときや」と口癖して、一銭のお金もお君の自由に任せず、毎日の市場行きには十銭、二十銭と端金を渡し、帰ると、釣銭を出させた。ときには自分で市場へ行き、安鰯を六匹ほど買うて来て、自分は四匹、あとはお君と豹一に一匹ずつ与えた。いつか集金に行って乱暴をされたことがあって以来、山谷という四十男を雇って集金に廻らせていたが、むろん山谷は手弁当で、安二郎のところで昼食すら出すことはなかった。山谷は破戒僧面をして、ひとり身だった。ある日、豹一に淫らな表情で、お君と安二郎のことに就て、きくにたえぬ話を言って聞かせた。
如何どないしてん? ん」山谷が驚いて豹一の顔を見ると、怖いほど蒼白み、唇に血がにじみ、前歯も少し赤かった。眼がぎらぎら光って、涙をためていた。
 誇張して言えば、その時豹一の自尊心は傷ついた。人一倍傷つき易かった。なお、しょんぼりした。辱かしめられたと思い、性的なものへの嫌悪もこのとき種を植えつけられた。持前の敵愾心は自尊心の傷から膿んだ。横眼を使うことが堂に入り、安二郎を見る眼つきが変った。安二郎の背中で拳骨を振り廻した。母は毎晩安二郎の肩をいそいそ揉んだ。
 豹一は一里以上もある築港まで歩いて行き、黄昏れる大阪湾を眺めて、夕陽を浴びて港を出て行く汽船にふと郷愁を感じたり、訳もなく海に毒づいたりした。
 ある日、港の桟橋で、ヒーヒー泣き声を出したい気持をこらえて、その代り海に向って、
「馬鹿野郎」と、呶鳴った。誰もいないと思ったのが、釣をしていた男がいきなり振り向いて、
「こら、何ぬかす」そして白眼をむいている表情が生意気だと撲られた。泣きながら一里半の道を歩いて帰った。とぼとぼ来て夕凪橋の上でとっぷり日が暮れ、小走りに行くと、電燈をつけた電車が物凄い音で追い駈けて来て、怖かった。
 家へはいると、安二郎は風呂銭を節約しまつしての行水で、お君は袂をたかくあげて背中を流していた。それが済むと、お君が行水し、安二郎は男だてらにお君の背中を流した。そのあと、豹一のはいる番だったが、狸寝入して、呼ばれても起きなかった。
 だんだん憂鬱な少年となり、やがて小学校を卒業した。改めてお君が中学校へ入れてくれるように安二郎に頼んだが、
「わいは知らんぜ」安二郎はとぼけて見せた。軽部が中学校の教員になりたがっていたことなども俄かに想い出されて、お君はすっかり体の力が抜けた。安二郎は豹一に算盤を教え、いずれ奉公に出すか高利の勘定や集金に使う肚らしかった。
 夜寝しな、豹一の優等免状を膝の上に拡げていつまでも見、安二郎が言ってもなかなか寝なかった。やがて物も言わずに突き膝で箪笥の方へにじり寄り、それをしまいこむ、その腰のあたりを見ると、安二郎はおかしいほど狼狽した。お君が箪笥から自分のものを取り出して、そのまま暇を取ってしまうかと、思い込んだのである。渋々承知した。
 やがて豹一は中学校へはいったが、しかし、安二郎は懐を傷めなかった。お君はどこからか仕立物を引き受けて来て、その駄賃で豹一の学資を賄った。賃仕事だけでは追っ付かず、自分の頭のものや着物を質に入れたり、近所の人に一円、二円と小金を借りたりした。高利貸の御寮はんが他人に金を借りるのはおかしいやおまへんかと言われた。が、実は入学の時の纒った金は安二郎に借り、むろん安二郎はお君から利子をとる肚でいた。仕立物に追われて、お君の眼のふちはだんだん黝んで来た。

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