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人外魔境(じんがいまきょう)01 有尾人

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:25:39  点击:  切换到繁體中文


 マヌエラ、なんだと思うね。カークほどの身の丈で、お父さんより肥っていて、片手を頭にのせてずしりずしりと歩いてくる。時には、両肢(りょうあし)をかがめその長い手で、地上を掃(は)きながら疾風のようにはしる――ゴリラだ。私は、それと分るとぞっと寒気がし、顎(あご)ががくがくとなり、膝がくずれそうになった。私は懸命に洞の中へ飛びこみ、最前の穴らしい窪みをみつけて隠れた。が、その洞穴(ほらあな)は、浅くゆき詰っている。なお悪いことに、そのゴリラが穴のまえで蹲(うずくま)ったのだ。やがて、夜が明けたとき、視線が打衝(ぶつか)った。私は、あの傀偉(かいい)な手の一撃でつぶされただろうか。
 マヌエラ、私は暫(しばら)くしてから嗤(わら)いはじめたのだよ。じぶんながら、なんという迂闊(うかつ)ものだろうと思った。なんのために、そのゴリラが森の墓場へきたか忘れていたのだ。ゴリラはさいしょ、私をみたとき低く唸ったが、ただ見るだけで、なんの手だしもしない。
 七尺あまり、頭はほとんど白髪でよほどの齢らしい。つまり、老衰で森の墓場へきたのだと、私はやっとそう思った。野獣がここへくるときは闘争心は失せ、なにより彼らを狂暴にする恐怖心を感じぬらしい。そして食物もとらず餓えながら、静かに死の道にむかってゆくのだ。マヌエラ、ここで私は冥路(よみじ)の友を得たのだ。
 Soko(ソコ)――と、やがてそのゴリラをそっと呼んでみた。この“Soko(ソコ)”というのはコンゴの土語で、むしろ彼らにたいする愛称だ。それから、Wakhe(ワケ),Wakhe(ワケ)――と、檻(おり)のゴリラへする呼声をいっても、その老獣はふり向きもしなかった。
 ただ遠くで、家族らしい悲しげな咆哮が聴えると――ほとんどそれが、四昼夜もひっきりなく続いたのだが――そのときは惹(ひ)かれたようにちょっと耳をたて、しかもそれも、ただ所作だけでなんの表情にもならない。そうして、私とゴリラと二人の生活が、十数日間にわたって無言のまま続いた。私は、同棲者になんの関心も示さない、こんな素っ気ない男をいまだにみたことはない。
 さて、もう鉛筆もほとんど尽きようとしている。あとは、簡略にして終りまで書こうと思う。
 それから、私は精神医としていかにゴリラを観察したか、特にアッコルティ先生に伝えて欲しいと思う。それからも、毎日ゴリラはその場所を動かず、ただ懶(だる)そうに私をみるだけだった。衰弱のために、もう動くのさえどうにもならぬらしい。私が脈を見てもぼんやりと委せているだけだ。しかし、これは森の墓場へきたという本能だけではなく、先天的にゴリラというやつは体質性の憂鬱症(メランコリア)なのである。つまり、「沈鬱になり易い異常的傾向(アブノルメ・テンデンツ・デプレショネン)」がある。ああ、また鉛筆の芯(しん)が折れた。もう私は、これを書いてはいられない。
 ここで早く、あなたへの愛とカークへの友情と、やがて私が死ぬだろうということを書かねばならない。私は、ながらく肉食ばかりしたため壊血病にかかった。いまは、歯齦(はぐき)の出血が、日増しにひどくなってゆく。そうだ! 病の因となった青果類はむろんのこと、この悪魔の尿溜(ムラムブウェジ)には一点の緑すらもないのだ。昆虫霧で、日中さえ薄暮のように暗い。その下は、ただ鹹沢(しおざわ)の結晶が瘡(かさ)のようにみえるだけで、旧根樹(ニティルダ・アンティクス)の枯根がぼうぼうと覆うている。
 その根をゴリラのように伝わることが出来ればいいが、人間で、おまけに今の私にはそんな体力はない。まったくのところ、どこかの一隅に有尾人がいるかもしれない。またどこかに、象の腐屍がごろごろ転っていて、それを食う群虫がその昆虫霧かもしれない。しかし、この一局部にいてはなにも分らないのだ。ただ、ここが森の墓場であり、荒廃と天地万物が死を囁(ささや)いてくる、場所であることだけは知っている。
 私はきょうめずらしく鵜※(がらんちょう)をつかまえた。よくあなたがドドを馴らして、木のポストに入れさせていた封筒のことを思い出したのだ。私はそれで、この手紙を書いてその封筒にいれ、鵜※(がらんちょう)に結びつけて放そうと思う。運よく……、そんな機会は万一にもあるまいが、もし、あなたの手に入ればそれは愛の力だ。
 私は、この墓場に埋まる最初の人間として……悪魔の尿溜にいり込んだはじめての男として……また、ゴリラと親和した唯一の人として……ことに、あなたへの献身をいちばん誇りとする……。
 いま、午後だが大雷雨になってきた。もう一日、この手紙を続けて、鵜※(がらんちょう)を放すのを延ばそう。
 マヌエラ、この一日延ばしたことがたいへんな禍(わざわい)となった。といって、いま私が死のうとしているのではない。私が、いままで心を向けていたあらゆるものの価値が、まるで、どうしたことか感ぜられなくなってしまったのだ。あなたのことも、カークのこともこの悪魔の尿溜(ムラムブウェジ)征服も、いっさい過去のものが塵(ちり)のように些細(ささい)にみえてきた。
 どうしたことだろう。じぶんでそうであってはならないと心を励ましても、その力がまるで咒縛(じゅばく)されているように、すうっと抜けてしまうのだ。きっとマヌエラ、これは魂を悪魔の尿溜(ムラムブウェジ)に奪われたのだろう。人間という動物であるものが森の墓場へきて、恋人をおもったり娑婆(しゃば)を恋しがったりすることが、そもそも悪魔の尿溜の神さまにはお気に召さないのかもしれない。戒律(タブー)だ。それを破った私は当然罰せられる。それで今日から、「知られざる森の墓場(セブルクルム・ルクジ)」の掟(おきて)に従うことになった。いや、おそろしい力に従わせられたのだ。
 今朝、ゴリラがちょうど二週間目に死んだ。
 私は、鹹沢(しおざわ)のへりにいて洞窟にいなかったが、そこへ妙な、聴きなれない音が絶(き)れ絶(ぎ)れにひびいてくる。それが、洞窟のほうなのでさっそく戻ると、ゴリラがまさに死のうとする手でじぶんの胸をうち、かたわらの石をうっては異様な拍子を奏でているのだ。私もゴリラに音楽があるという噂は聴いていたけれど、その音は、「いま遠い、遠いところへゆく」と叫んでいるようなもの悲しげなものだった。私は、とたんに哀憐の情にたまらなくなってきて、ゴリラの最期を見護(みと)ろうと膝に抱えたとき、意外な、軽さにすうっと抱きあげてしまった。
 まったく、力のあまりというのが、その時のことだろう。ながい、絶食と塩分の枯痩(こそう)とで、そのゴリラは骨と皮になっていた。それにしても、この私とてもおなじように痩(や)せ、まして、壊血病になやみながらこの老巨獣を、抱きあげられたことはなんといっても不思議であった。私は、ここにいる間に森の人になったのではないか。痩せても二百ポンド以上のものを軽々とのせ、その両手をみたときは泥のような酔心地だった。
 ゴリラを抱いた。と、すべて人間社会にあるものが微細にみえてきた。個人も功績も恋愛などというものも、すべて吹けば飛ぶ塵のようにしか考えられなくなった。マヌエラ、これが悪魔の尿溜の墓の掟なのだ。獣は野性をうしない、人は人性をわすれる――私も死にゆく巨獣となんのちがいがあろう。
 こうして、私は、悪魔の尿溜(ムラムブウェジ)を征服し、そうして征服されたのだ。だがマヌエラ、まだ私はさようならだけはいえるよ。

 座間の手記は、ここで終っていた。悪魔の尿溜(ムラムブウェジ)の妖気(ようき)に、森の掟に従わされ、よしんば生きていても遠い他界の人だ。不思議とマヌエラには一滴の涙もでなかった。
 彼女はなかに、もう一通同封されている英軍測量部の手紙をとりあげた。

 敬愛するお嬢さま――同封の書信を、お送りするについて、一奇譚(きたん)を申しあげねばなりません。それは、この発信地のヌヤングウェのポスト下には、同封の書信を握りしめた異様な骸骨が横たわっていたのです。それは、丈が四フィートばかりで、人間とも、類人猿ともつかぬ不思議なものでありました。当地は、おそろしい蟻の繁殖地で、朝の死体は夕には、肉はおろか骨の髄まで食われてしまうのです。ただ、その骸骨が不思議なものであっただけに、その旨を御興がてらに申し添えて置きます。

 ドドだ! マヌエラは、大声でさけんだ。
 ドドは、ヤンと一緒に陥没地へ落ちたが、やはり生きていたのだ。そうして、座間が放った鵜※(がらんちょう)をとらえ、肢に結びつけてある封筒をみたとき、急にあの訓練を思いだしてヌヤングウェのポストへいったのだ。そしてそのあいだの、百マイルの道に精も根もつき、やっと辿(たど)りついて昏倒(こんとう)したところを残忍な蟻どもに喰われたのだろう。
 彼女は、草原の熱風に吹きさらされる骨を思い、座間の怪奇を絶した異常経験には、一滴も、流さなかった涙をすうと滴らした。
 それから、ドドの血がついた封筒に唇をあて、人間よりも、高貴な純真なドドのために、心からの親しさでそっと十字を印したのである。


 



底本:「人外魔境」角川ホラー文庫、角川書店
   1995(平成7)年1月10日初版発行
底本の親本:「人外魔境」角川文庫、角川書店
   1978(昭和53)年6月10日発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:藤真新一
校正:鈴木厚司
ファイル作成:鈴木厚司
2001年7月20日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

この※気(うんき)に犬のように喘(あえ)いでいる。

第3水準1-92-88
鵜※(がらんちょう)

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