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後光殺人事件(ごこうさつじんじけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:20:00  点击:  切换到繁體中文


「どうかしてますね貴方は※(感嘆符疑問符、1-8-78)」朔郎は突然引っ痙れた声で笑った。「あんな絹紐から、どうしてそんな音が出ましょう?」
「成程、十本の中で両端の二本宛は単純な絹紐だよ。所が、中の八本は本物の小道具なんだ。土蜘蛛の糸にはもう二十年此の方、電気用の可熔線フューズを芯にして使っている。しかも、その中の一本には極く太目のものを君は芯にしているんだ。だから、最初八つ打ったのだが、七本の細い可熔線フューズはその場で切れてしまって、残った太目の一本だけが、二回目の時に、ボーンと一つ鳴ったって訳さ」
「いや、実に奇抜な趣向です。しかし、一体それは、貴方の独創なのですか」朔郎は膏汗をタラタラ流し、辛くも椅子の背で倒れるのを支えていたが、強いて嘲ける様な表情を作った。
「いや、君の鳥渡した手脱りからだよ。大体、弾条ゼンマイ全部すっかり弛み切れているなんて、使っている蓄音機には絶対にあり得る状態じゃない。君は兇行後に凡ゆるものを原形に戻して置いた許りでなく、故意に自分の口から出さず他人に云わせて、不在証明アリバイを極めて自然な様に見せかけ様としたのだ。だが、たった一つ、弾条ゼンマイを捲いて置くのを忘れたんだよ。僕はあの蜘蛛糸を見た時、此れなら不在証明を作れると直感したのだ。だから、それで不在証明が証明される様だったら、君が犯人だと信じていたのだよ」
「すると、もうそれだけですか?」朔郎は思わず絶望的にのけぞったが、なおも必死の気配を見せた。
「まだある。今度は像の後光だよ。然し、実に巧く月の光線を利用したもんだなア。月夜には頭上にある節穴から、約五分程の間だけ、像の後頭部に光が落ちる。それを知ったので、像に後光が現われた時刻を調べてみると、二回とも、節穴から月光が洩れる刻限に当っているらしい。それで、後光の全貌が判ったのだよ。つまり、最初の夜は、臭化ラジウムと硫化亜鉛とで作った発光塗料を、あらかじめ黒い布帽子に円く点在させておいて、それを像の後頭部に冠せ、その布帽子に長い紐をつけて、紐の末端を敷石の上に置いた鋲に結び付けて置いたのだ。そして、刻限を計って慈昶を誘い出したのだが、月の光が頭上に落ちている間はそれに遮られていたけれども、月の位置が動いて堂が真暗になると、発光塗料が螢光色の光円を作って、凄愴な擬似後光を発光させたのだよ。勿論慈昶は仰天して逃げ出したのだろうが、君は鋲を下駄で踏んでそれを引き摺って駈けながら、途中で取り外して懐中に入れたのだろう。どうだね、厨川君。――それから、兇行の夜になると、今度は胎龍の面前で後光を発光させたのだ、然しその時の順序は、前の二回とは反対で、擬似後光を胎龍の眼に触れるとすぐ、月光で消す様にしたのだったね――確か※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 曝露された犯罪者特有の醜い表情は、遂の間に消え失せていて、朔郎の顔は白蝋の仮面さながらだった。
「だが、一体胎龍は、何処でどんな兇器で殺されたのだね? それから、屍体の状態とあの不可解極まる表情は? それ以外にも、此の事件には、数々の謎が含まれているのだが……?」と熊城は、一息入れる隙を法水に与えなかった。
「ウン」ゆったりと唇を濡して、法水の舌が再び動き始めた。
「では、厨川君の計画を最初から述べる事にするから、その中に現われて来るものを、よく注意していてくれ給え。所で此の事件は、三月晦日の天人像の怪異で幕が上るのだが、それ以前に、胎龍の語る夢を精神分析的に解釈して、最初の機会が熟するのを待っていた。そして案の状、投げた骰子さいに目が出たので、次第に、胎龍は、一昨日おととい僕が話した夢判断通りの径路を辿って、一路衰滅の道へ堕ちて行ったのだ。――つまり厨川君は、犯罪としては実に破天荒な、大脳を侵害する組織を作り上げたのだよ。また、胎龍から意識を奪って全く無抵抗にした原因と云うのも、実はそこにある事なんだ」
「………」朔郎は機械人形の様に頷いた。
「そして厨川君は、それ以外の三月余りの間を、絶えず夢を語らせては、その精神分析に依って、胎龍の脳髄中に成長して行く組織の姿を、冷然と見守っていた。と云う所迄が素描デッサンであって、あの日に愈絵筆ブラッシュ画板パレットを持ったのだよ。で、その手始めに、三度天人像に後光を現わしたのだ。胎龍はそれを超自然界からの啓示と信じて、やがて下ろうとする裁きに、畏怖と法悦の外何事も感じなくなってしまった。それが、所謂健否の境界なんだよ――精神の均衡が危くなって、将に片方の錘が転落しようとする。つまり、厨川君の作った組織が、僅か一筋の健全な細胞を残す迄に蝕い尽したのだが、それが表面平素と変らぬ様に見えたけれども、その実胎龍の内心には、空闥の日和下駄を無我夢中で引っ掛けた程に、凄惨な嵐が吹き荒れていたのだ。それから、胎龍は薬師堂に上って護摩を焚き、必死の祈願を込めて薬師如来の断罪を求めたのだ。所がその時、厨川君は薬師仏にも奇蹟を現わしたのだよ。突然如来の光背の辺で、後光が燦いたのだ」
「なに※(感嘆符疑問符、1-8-78)」熊城が思わず莨を取り落すと、
「ああ、貴方は実に怖ろしい人だ!」と呻く様に朔郎が嘆息した。然しながら、法水にとっては、その真相も、一つの事務的な整理に過ぎなかったのであった。
「所が、それが線香花火なんだよ。厨川君は、薬師仏の背後の壇上にある聖観音の首に、鏡をやや下向きに掛けて置き、薬師三尊の中の月光像の背後で、線香花火を燃やしたのだ。すると勿論その松葉火が鏡に映る訳だが、それを胎龍の座所から見ると、護摩の烟で拡大されて、恰度薬師仏の頭上で後光が閃いた様に見えたのだよ。と同時に、強烈な精神凝集コンセントレーションが起ると云う事は、心理学上当然な推移に違いないのだ。今に兜率天から劫火が下って薬師如来の断罪があるだろう――とそう云う疑念を、鋭敏な膜の様に一枚残しただけで、胎龍の精神作用を司どる瀕死の生体組織オルガニズム共が、一斉に作業を停止してしまったのだ。そうして、此の状態は、低い絶え絶えな経声と共に、恐らく数十秒の間続いた事だろう。その間に、厨川君は背後の物蔭に廻って、辛うじて聴き取れる経文の唱句をじいっと耳膜で数えながら、最後の――殺人具を最も効果的にする――或る一節に達するのを待ち構えていた。云う迄もなく、その時胎龍が唱えていた『秘密三昧即仏念誦』――それは、厨川君が平素から熟知していた。大体、経文には火に関する文字が非常に多いのだから、必ずしもそれに限った事はなかっただろうが、その『秘密三昧即仏念誦』は、多分暗誦出来る程に耳慣れがしていたに違いない。それで、線香花火を燃やすに適切な時間なども、予め錯誤せぬよう、目的の一節を基礎に算出する事が出来たのだったよ。所で、愈それが到来すると、俄然胎龍の悲壮な恍惚が絶頂クライマックスに突き上げられ、完全に現実から離脱してしまった。と同時に兇器が下されたのだよ。で、その一節と云うのは、経机の上で開かれていた『五障百六十心等三重赤色妄執火』と云う一句なので、その唱句が終った刹那に、突如胎龍の頭上に赤色妄執火が下ったのだ。と云うのは、背後から厨川君が例の赤い筒提灯を胎龍の頭上に被せて、それを次第に縮めて行ったからだ。胎龍のその時の状態では、てんで識別出来よう道理がない。そして、提灯の縮小につれて、妄執の火が次第に濃くなって行く。勿論胎龍はその刹那に火刑――とでも直感した事だろうが、それを反覆する余裕もなく、ひたすらこの恐怖すべき符合のために、脆弱な脳組織が瞬時に崩壊してしまったのだ。然し、それが超自己催眠とでも云う状態なのか、或は魅惑性精神病発作の最初数分間に現われる、強直性の意識混濁状態だったのか――孰れにしろ、その点は至極分明を欠くけれども………、兎に角斯うして、厨川君の侵害組織は遂に最後のピリオドを打つ事が出来、意識と全感覚の剥奪に成功したのだったよ。つまり、その結果実現された怪屍体の制作が、胎龍の大脳を、厨川君が理論的に歪め変形して行った結論だったのだ」
 それから筒提灯が何をしたか――法水の説明は、最終の截頭機ギロチンに及んで行った。
「そこで厨川君は、珠数の垂れを合掌している両手に絡めて置き、予め鋭利に研ぎ澄まして置いた提灯の鉄芯を顱頂部に当てて、それを渾身の力で押し込んだのだ。しかし胎龍は、焔々たる地獄の業火と菩薩の広大無辺な法力を、ホンの一瞬感じただけで、その儘微動もせず無痛無自覚のうちに死んで行ったのだよ。すると熊城君、その脳組織侵害法が君の所謂機構だったと云う事が判るだろう。それから僕が、その機構と殺人具とを繋ぐ不思議な型の歯車と云ったのが、取りも直さず、あの筒提灯だったのだよ」
「だが、どうしてそれと判ったね?」熊城は溜めていた息をフウッと吐き出して、汗を拭った。
「その一つは、厨川君は線香花火と月光像との間に、何か仕切を置くのを忘れたからだよ。線香花火は硝石と鉄粉と松煙の混合物だからね。そして、鉄粉は松葉火になって空気中に出ると、酸化して角が丸くなってしまうのだ。それから、もう一つは数字的な符合なんだよ。と云うのは、提灯の口金と胎龍の頭蓋との寸法サイズであって、刺傷痕と鉄芯が、双方の円芯に当っているからだ。勿論よく剃りの当った僧侶の頭蓋あたまなら、縫合部の位置に略々見当が附くだろうからね。そして、其処に偶然の一致があるのを、厨川君は発見したのだ。すると、それから考えると同じ事だけれども、喬村君と空闥の体躯が被害者そっくりだったと云う事や、また、柳江と伎芸天女の相似なども、たしかにあれは、自然の悪性な戯れに違いないのだよ。勿論玄白堂の板壁にある三つの孔なんぞも、その念入りの一つに過ぎないのだがね」
「成程」熊城は頷いて、眼で先を促した。
「で、此処迄判れば、屍体が絶命前の強直状態をその儘持続したと云う事が確実になる。事実、珠数の緊縛を解いて重心を定めたので、恰度祈祷中宛然の姿を保つ事が出来たのだ。おまけに、蝋受の皿がペッタリとかぶさったので、流血が略々火山型に凝結してしまったと云う訳なんだよ。さてそれから、薬師堂の扉を開け放して提灯を点し、目撃者を作った事は云う迄もないが、久八が通り過ぎたのを見定めると、今度は胎龍の日和下駄を履いて、坐像の屍体を玄白堂に運び入れたのだ。つまり、支倉君が少し溝が深いと云ったのは、その時の足跡なので、帰りは裸足はだしで石の上から左壁近くに跳び、その足跡をすぐ、池溝の堰を開いて消したのだ。そうして厨川君は、犯行の全部を終ったのだよ」
「成程、それで提灯を灯した理由が判る」
「ウン、あれには、すんでの事で瞞される所だった。全く自然な陰蔽方法だからな」法水はくすぐったそうに苦笑した。
「何しろ、血に染んだ個所と云うのが、鉄芯から蝋受皿の内側にかけてだけだろう。だから、その部分を洗ったにした所で、後で蝋燭を鉄芯の間際迄灯すから、尖鋭な槍先から下の不自然な部分が流れる蝋ですっかり隠されてしまう。併し、それを吊して人目に曝したのは、狡猾な擾乱手段に過ぎないのだ」
「すると、堰を切ったのも厨川だろう」
「そうだ。久八が堂の前を通ると、すぐに灯を消して池の畔へ出たのだ。それは、喬村君と柳江が毎夜会うのを知っていたので、それを利用して、僕等の視線を喬村君に向けようとしたからだ。所で厨川君は、最初に久八の犬の鎖を解いて池畔で放し、その鳴声に依って久八を誘き出してから、今度もまた向う岸で、線香花火を使ったのだよ。前以って血粉を混ぜたのを一本作って置いて、それに点火したのだが、血粉が溶けるので松葉火が出ず、一塊の火団となって池の中へ落ちたのだ。つまり、それが喫い終った莨を捨てたと見た、あの目撃談の正体なんだよ。しかしその時、厨川君は見当を付けて昼間のうち一本水浸しにして置いた、タパヨス木精蓮レセタばすの中へ落したのだよ。そうすると、血の臭気で蛭が集まって来る。そこへ、堰を開いて水面を低下したので、朝になって、残っていた蛭が花弁に包まれてしまったのだ。玄白堂内の足跡を消す以外に、厨川君には斯う云う陰険策があったのさ。多分僕を目標に計画した事なんだろうが、事実僕も、喬村君の影をどうしても払い切れなかったのだ」と云ってから、朔郎に向き直って、「然し、君は何故に喬村君を陥れようとしたのだね。それに胎龍を殺害した動機と云うのは? 幾ら僕でも、君の心中の秘密だけは判らんからね」
 朔郎は、囚われた犯罪者とは到底思われぬような、澄み切った瞳を向け、冷静な言葉で云った。
「僕は父の復讐をしたのです。父は胎龍と年雅塾の同門だったのですが、官展の出品で当選を争った際に、胎龍は卑怯な暗躍をして、父を落選させ自分が当選しました。父はそれを気に病んでから発狂し、一生を癲狂院で終ってしまいました。ですから子たる私は、どうしても眼で眼に酬いてやらねばならなかったのです。それから、喬村には理由はありません。ただ、動機と目される様な行為を続けていたので、それを利用したに過ぎなかったのでした」
 と云い終るが早いか、朔郎は突然身を飜えして、背後にある配電函キャビネットの側に駈け寄った。硝子がパンと砕けると同時に法水は思わず眼をつぶった。閃光が瞼を貫いて、裂く様な叫声を聴いたが、一瞬後の室内は、焦げた毛の臭が漂うのみで、さながら水底の様な静寂しずけさだった。※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみに高圧電流をうけて、此の若い復讐者は再び蘇生する事がなかったのである。





底本:「二十世紀鉄仮面」桃源社
   1969(昭和44)年5月10日発行
入力:酔尻焼猿人
校正:土屋隆
2004年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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