二科展所感
坂本繁二郎小論
○島崎鶏二氏――この人の作品に絵性があるとか、文学的であるとかいふ非難を折々耳にするが、その批評は当つてゐない、絵画に於ける文学性などといふ理論は成立しないのである、画家仲間でさういふだけである、その非難の後に密着するものは、曰く造型的な力量が欠けてゐると、――主題が一つの暗示性をともなふと往々文学的であると一口に非難してしまふが、この種の作品に対してさう批評をしないで、科学的な観点からの具体的な評を求めたいものである。画中の人物のアクションが、作画的固定性を超越し、その人物が次の動作に移動するといふ、絵画上の叙述性を示すと、すぐに文学的であるとか絵的であるとかいつてケナすのは誤りである。『川辺』や『野路』など肉の薄いものではあるが、一種の凄惨なリアリティをもつてゐる『野路』の子供達の表情に痴鈍な美がある。
○岡田謙三氏――色彩に対する感覚的な尖鋭さはゼロと言つてもいゝ、色彩の根底に近代的な卑俗性が流れてゐる、色彩はあくまで純粋でなくてはいくまい、福島金一郎氏の作品の色彩と比較したら判るだらう、岡田氏は勉強家だといはれてゐるが、感覚の鈍磨は将来のがれることができまい。
○長谷川利行氏――彼は乱作家である、しかし自己主張もこれまでに徹底すれば、少くも憎むことはできまい、何か一種の風格を場中に漂はしてゐた、観念の分裂と痛々しく闘ふ生活的な画家といふところだらう。
○棟方寅雄氏――『人々』北方のインテリゲンチャ[#「インテリゲンチャ」は底本では「イテテリゲンチャ」]のやうな青年がならんだ絵だ、この人の作品には何時も強いヒュマニティがあつて好感がもてる、若い世代のリアリストとしては画風の上では古いが、作意の上では新しい。
○北川民治氏――『メキシコタスコの祭日』其他で相当楽しませてはくれたが、この画風で日本の現実を描き得たらすばらしい、然しまづそれは不可能に近い、形式といふものは、そこに内容的に盛りあげる現実の種類によつて、最初の形式のまゝで保ちきれないものである、氏は旅行者であるかぎり、メキシコの現実を生々しく描くことが出来た、(それは真個うのリアリティとしての描法でなく、異国主義的見方としての写実性である)然し日本へ帰つてきた北川氏は、その瞬間から異国主義者を停めねばならない、旅行者を停めたのだ、色調や、画風の一切の組立を新しくしなければならない立場に立つ、外遊してきた先方ですぐれた絵を書いてきて、日本に帰つてきた途端に一切を失つた画家が少くない、環境に沈潜して、客観的視野を失つたためである、この異色のある自由人北川氏に、更に異色のある態度の確保をこそ望みたい。
○伊藤継郎氏――描く対象に対する偏愛はかまはない、しかし色調を固執することは誤りである。対象に依つて色彩は必然的に変化してゆくものであるし、それを怖れる必要はない、前回のものにこの種の固執があつて、粗雑な画面の扱があつたが、今回の出品画にはその危険は去つたやうだ、『鳩を配した裸婦』の写実力は明日へのたくましい進発を約束したものがある、仕事は困難になつてゆくだらう。然し洗練された自我を盛りあげるために、画風も自分のものを既に樹立した感じである。
○竹谷富士雄氏――特待である、『夏』『海の女』では『夏』に詩味豊かなものがある、突込んである割に、映えないのは作者の心理に停頓があるからだ、色彩の重ねの効果を計画の中で軽蔑しすぎた感がある、近代感覚としても先走つた軽跳なモダニズムを排して、重厚で暗鬱な時代の色調を表現してゐるために、実感的である。
○福島金一郎氏――他人は福島氏を目してボナールの画風の追求者であるといつた風に解してゐる、然し私はさうは思はない、既に画風に独特なものが芽生えてゐる、熱帯地方の蝶の翼にみる色彩の純粋さを思はせる美しさがある、その意味では福島氏は観念を美しくカケ合した画風であるし坂本繁二郎氏の場合には、観念を美しく叩き込んだ画風と言はれるだらう。もし福島氏にして強ひて新しさに行かうとせずに、自己のために朽ちるといふ作画態度であつたなら、もつと度胸のよい仕事と、独自性が生れる筈である。
○吉原治良氏――『窓』我々を目醒めさせるやうな刺戟的な態度ではないが、却つてさういふ温和な方法の中で、我々を捉へる魅力的なものをもつてゐる、新しがるためにシュールリアリストになつたのではない――といつた真剣味を吉原氏の作品から受け取ることができる。
○浪江勘次郎氏――『漁楽』『蒼天』等日本的なテーマを描いてゐるが、その企ては判るが既に仕事が限界的であつて、明日に期待ができない、何故といふに、テーマが日本的であることは大いに賛成だが、テーマを取り上げる前に、テーマに対する抽象的な理解を割切つて、科学的な分析を与へなければ、筆をとつてはならないからである、日本的テーマはそれを描くものが近代日本人であり、それを観る者が近代日本人であるといふ事実を無視しては、徒らに歴史に対する追従者の絵画であるといふ規定を与へられてしまふだらう。
○梨本正太郎氏――『潟の見える花畑』この人の絵をとりあげる批評家はおそらく私位なものだらう、この人とは何の面識がないので年齢などはわからないが、その絵から受ける感じは、作者は五歳の赤ん坊でなかつたら、百歳の老人が描いたものにちがひない、他の批評家が問題にしないだらうといふ私の言ひ方は、この人の絵は外見的にはアカデミックな一切の形式を完備してゐるから、軽忽な評者は『古い』と一言で言ひ切つてしまふだらうからである、五歳の小児の感能の世界は人生の薄明期を彷徨する世界であり、百歳の老人の世界は人生の薄暮に住む哀愁が漂ふ、梨本氏の作品はさういつた感覚的な蔭の多い美しさの蓄積されたものである。
○石井万亀氏――この作者の前衛性を見究める場合には、作品の線や色に就いての親切な客観的態度を批評者にとつて必要とされる、若いシュールリアリストは、線の整理や型の思ひ切つた飛躍を石井氏に求めてゐるやうであるが、私に言はせればシュールに新しいも古いもないのである、石井氏は若手のシュールに言はせれば古いシュールであるかも知れないが、封建性や伝統性への反逆と格闘をこの派の生命とするならば、私はむしろ古いシュールリアリストに新しい現実の再現をこそ期待するものが多い、石井氏の感覚の画面上での処理は決して消極的ではない、洗練されたものである。
○高岡徳太郎氏――『山』色彩は悪いが、全体的に何か魅力的なものがある、色彩の悪さに問題を抱含させてゐるからであらう、美的享楽を画面が我々に与へはしないが、混濁した現実が我々を美に反撥させるとき、往々我々を麻痺させることがあるが、その種の醜がもたらす快感がある。
○佐伯米子氏――この人はお家の芸に隠れた感がある、この人の女性的な繊細な線は、曾つては日本の作家の男性的な力に対抗するほどに、デリーケートに活躍した時代があつたが、今はその面影もない、この人には作家意欲の高さはあつても、たくましさがない、画面に喰ひ下る執着の乏しさがある。
○熊谷守一氏――『牡丹』は出色の作である、この小品は人間の精神の高さに於いて、こゝでは種として道徳的意味ではなく、自然観察の上の精神的高さに於いて、極限的なものを示してゐる、各人はその究極的な意味に於て美を語り尽さうとするものであるが、熊谷氏の小品『牡丹』では現実の豊饒化が企てられ、『絢爛美』に相当する現実が描かれてゐる、他の二点は既に私の頭の中にある熊谷氏の作品といふ概念のものであつたために『牡丹』のやうな新しい感動を与へなかつた。
○野間仁根氏――良い意味での爽快性、悪い意味での職人性は、『夏の淡水魚』の作である、野間氏の懐古展で見た実力はこゝでは見られない。
○中村暉氏――彫刻『少年道化』の良心的態度は支持されていゝものがある、作者の感情の美しさが無条件的に作品に現れてゐる、芸術家といふものは結局は精神上の叡智に依つて勝負けが決まるものであるから、中村氏のやうな聡明な行き届いた神経の下につくられた作品は最後的な勝に帰するだらう。
○渡辺小五郎氏――『膝をつく女のトルソー』は中村氏と同系列のヒューマニティの作家であつて、塊りをやかましくいふ彫刻界では反対者も多いだらうが、私はかうした繊細な態度を支持したい、彫刻家が土方の一種であるとすれば渡辺氏のやうな脆弱な精神は軽蔑されるだらうが、そのモロさに美しさがある、ガンガンと叩きつけたタッチだけを見せつける作品は嫌である。
○河合芳男氏――『女人像』の神経は渡辺氏に較べては太い、然し全く反対の立場にあるものではない、感情の切断面の美しさともいはれるべきものがある、形式美への追従を避けて、もつと圧縮した現実といふべきものを見せてほしかつた、相当に高い技術をもつてゐるのであるから今度は技術を殺すことに依つて迫力がつく筈である。
○川崎栄一氏――大作であつたが、肝心の距離感が喪失してゐた、テーマの上では難はなく、意志と恐怖と哀愁とは現代の三つのテーマとも言へるものであるが、川崎氏の群像はその時代的な象徴を語るものであつた。群像としての像のつながり関係も自然なまとめ方である。
○長谷川八十氏――一見粗雑なやうに見えてゐて、案外デリケートな落着いた作品である、動的なものは、作者の感情の推移の表現であるが、動的な形態を巧みに固定化し制約して効果をあげてゐる。
○渡辺義知氏――の国土を護る式の題材には賛成できない。渡辺氏の指導力が若い作家達にかうした題材の選択の上に模倣者があるとすれば問題である、芸術の題材を政治に結びつける誘惑を若い連中に与へるやうなものであるからである、渡辺氏の場合私は氏の大作は作品でなくてジャアナリズムだと考へてゐる、馬鹿力を出して作品をつくるといふ精力主義が陥るワナは、文学にせよ、美術にせよ、批判精神を失つた芸術家が、大作主義と技術主義に引つかゝる、こゝでは作品の大きさと技術を指示する以外に手はない、渡辺氏の場合にも『小品』に優れたものが多い。小品には人間の暖かさを発見できるからである。
坂本繁二郎小論
○坂本繁二郎氏の絵画に就いて少し許り長く書いてみる、何時も『馬』許りを描き、毎年同じやうな画風で押し通してゐる坂本氏の作家的な地位に就いては、誰もまだこの画家に対して決定性のある言葉を吐いてゐるのを聞かない、寸感や、小印象や、漠然と『良い』とだけ言つてゐるのは聞いた、前にも述べたやうに題材は『馬』と決つてゐる、画風はあの通りである、それでゐて批評者達は作者が態度を決めてゐるのに、何故批評を決めないのであるか、或は決めることが不可能であるのか、どつちであるのか? こゝに坂本氏の地位の微妙なところがある、こゝに芸術の妙味と、現実の面白さがある、坂本氏の芸術は怖ろしく偏つた芸術であるが、この偏向の芸術を現在何の不思議さも感じさせずに会場の一隅に列べさせてをくやうになるまでには、坂本氏の人間的強さと現実克服の長い間の聖戦がある、いま坂本氏の作品が一つの平衡状態に於いて我々に観させるやうになつたといふことは、言ひかへれば坂本氏の芸術が勝つたことになる。画面の上で何時も平衡状態を打破つて、いかにも年々発展し、飛躍してゐるかのやうに見せかけてゐる画家がいかに多いことか、本質的な変化が作家の心内に訪れるのを待ち切れないで一気に画風を変へるといふやり方で、幾分でも発展的なコースを辿れるのは、若い間のほんの僅かな期間だけである。現実とは如何に峻烈なものであつて、組み伏せるには余りに頑強な相手であるといふことに気がついた者は其処で改めて慎重にシキリをし直すものである、坂本氏の芸術態度はピタリと決つたシキリと緩慢な動きの中に大きな技を発見する、それを仮りに証明するとして、坂本氏の作品を制作年時代順に列べてみたらいゝ列ぶものは馬だけである――然し驚異すべき発見を見出すだらう、ジャン・コクトオが芸術には『先駆者なんか居ない、ただ遅参者だけが居るのだ!』と言つた意味は坂本氏の場合の意味である、天才などとはどれほど思ひがけないものを持つてゐようとも、常に適当な時間に到着するものであつて、その時間が鳴るや否や他の時計は一時的に遅くなる――とはコクトオの考へであるが、私も坂本氏の優れた遅参者としての態度、殊に最近益々その純粋さを益す坂本氏の作品を見て、それを痛感することが多い。
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熊谷守一氏芸術談
青木繁との交遊など
過日池袋モデル倶楽部に於て、倶楽部主催の座談会が催されたが当日二科会員熊谷守一氏を招待、氏の永年の作画生活からの傾聴すべき芸術談を聴いた。尚同氏と天才青木繁との交遊回顧談などもあり、かうした機会にノートしてをくことの無意味でないことを痛感したので、この一文をまとめて発表することにした。(小熊生)
絵といふものは作者が興奮しないときに、よく見るといふことが肝心である、さういふ状態までもつて来なければならぬ。
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上手の欠点といふことがある、実に上手に描ききつてゐる、これでもか、これでもかといつた絵である、しかし私はさういふ絵を見せられると『それがどうした!』と言つてやる、上手さばかり追求しても、自づからそこに限界があるからつまらぬ、それよりも鷹揚な美点をもつた絵が良い。
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私は描いてゐて『技巧』が入れば、いやに癇癪が起きる、他の人は却つてこれが都合が良く思ふらしいが!
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画家と時世に就いては――ずつと絵をやつてくると、住むところと時代や階級で、生れ変つて来なければどうにもならないものがある。もつとも私は自分の絵でも、自分が描いたと思つたら大間違ひだと考へてゐる。
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画家は環境を否定することはできない、自分だけといふわけにはいかない。
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画はやり易い方法でやつた方が出来が良い、絵になつてから結果がよい。
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理想と実際とは逆な場合が多い、ちぐはぐになつていける人は幸せだ。
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理詰めで解決しないで、なるべく仕事で解決したらいゝ、理論や理屈の多い人は、さういふことが自分で気持をこはす種になつてゐるのではないか。
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大勢で絵をかくことの得な点は、ならんで仕事をしてゐると自分の欠点を他人がやつてくれてゐるのをよく発見することがある。
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私は絵を描き始める、丁度五分位経つたとき鼻唄がでてくる、さういつた時が肝心なときである。
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技巧に就いて――技巧などは花火のやうなものである、それを出しきつてしまふか、とめるかが問題である、出しきらずに例へ低くても、もうちつと手前で止める、さうしたやり方が出来がよい。
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佐伯裕三などは呼吸の切れた作家のお手本である、あれだけ描いて真蒼になつてゐる。
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坂本繁二郎は昔から同じことをやつてゐる男であつた、さうかと思ふと坂本とは反対にミヅテンのやうにがらがらと画風を変へてゐる連中も少くないが、結局坂本は個性的な作家である。
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絵の仕事は、自分が喜んでゐられるかどうかといふことが大切である。たとへば赤い帽子をかぶつたとする、自分がおかしければ他人もおかしい、そうでなければ平気でかぶり通せるわけだ。
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研究所などで研究生が乱暴な絵を描いてゐる、昼がきて弁当のパンかなにかを出してこの連中が喰べてゐるが、そのまづいパンを如何にも大切さうに喰つてゐる、私は思ふせめて自分の描いてゐる絵をパン位に大切に描いてくれたらと思ふ。
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古賀春江の絵は好きだが、それは彼が病人であつて、あゝいふ絵をかいたから良いので、もし健康な普通の人があゝいふ絵を描いたらはり倒してやりたい位である。
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青木繁といふ男は実に変つた男であつた、青木が田舎から帰るとき、シルクハットを冠つて、燕のやうな格好をした洋服を着て、『やあ、いま来た!』といつた調子で現れたときは、ふきだしてしまつた。はたから見たらその奇行に驚ろくが、青木の気持を知つてゐる者からみたら、やることが奇行でもなんでもよい、自然な無邪気なやり方であつた。友達の留守に、友達の絵の具箱を無断で持ち出して絵を描いてくる、そんなことをよせといふと彼の言ひ草が変つてゐる。
『おれは良い仕事をやるのだ、そのためにはすべてのろくでもない画家は、おれの埋め草になつたらいゝのだ!』彼はこの調子であるから、仲間にも誤解をうけた。下手なお前よりも、自分は後世にのこるやうな仕事をするのだから絵の具は俺に使はせろといふわけである。そんな具合だから、青木は非常に自我が強くて、一度斯うと言ひ出したら後へ引くやうなことがなかつた、それに就いてこんな話がある。
帝大の通りを本郷三丁目の方から、私と青木と或る夜通つてきた。すると遙か前方に街燈が光つて見えたが、その燈火の後光を見て、私が光りが下に向つて射してゐるといふと、青木は『いやあの光りは上へ向つて射してゐる』と主張した。そこで私はそれは違ふあの光りは下に、つまり街路へ向けて射してゐるのだと主張して譲らず、青木はその反対だと言ひ、どうしても頑張る、果ては私と青木は歩るきながら激論になつた、結局二人はその街燈の傍まで行つて勝ち負けを決めようではないかといふことになつた。
さて街燈のある柱の下に行つて見ると二人の主張がどつちも真理であることが判つた。それは私は平素歩るくのに下をうつむいてあるく癖がある、それは一つの性格であるだから下を向いて歩るく私にとつては上の方に射してゐる光線は見えない、ところが青木繁といふ男は、大の威張り屋で、路を歩るくにも傲然と天井を向いてあるく方だから上へ射してゐる街燈の光線は見たが、下の方の光りなどは見ないといふわけで、この話などは青木の不屈な性格を語るに適当な話だらうと思ふ。美術学校時代の青木は、学生仲間にあつても、ひとり超然としたものがあつた、先生の黒田が、青木に眼をかけてゐてその素質を認めてゐたが、御本人の青木はそれに反して、黒田など眼中にをかないといふ態度であつた、教室で生徒がモデルをかいてゐるところへ黒田が入つてくる、黒田は生徒の絵を批評をするのであつた、さういふ場合青木は黒田が教室に入つて来ると、途端にぷいと画架の前を立つて、教室のドアをピシャンと音をたてゝ閉めて出て行つてしまふ。さういふやり方のなかには、青木は心の中で、『おれの絵などを黒田がわかるものか、おれの絵を見る資格などを彼がもつてゐるものか!』といつた自信がふくまれてゐたらしい、やり方としてはなかなか皮肉だが、自分の仕事に対する強い執着の前には、先生の批評をさへこばむといふ、芸術家としての可愛らしさがあつた。今ではちよつと絵を描きさへすれば画かきで誰でも通る時代であるが、当時はさうもいかなかつた、今は世の中が組織だつてきてゐるから、画家の性格や、製作態度も昔のやうにはいかないにちがひないが、やはり昔の画家の方が芸術家の生活態度として、いまよりずつと真剣であつたやうに思ふ。青木と私とは画架を前にして、ならんで製作してゐるときなど『おい、ひとつ場所を変へて見ようぢやないか!』などといふことがある、そこで青木は自分の場所を離れて、私の画の前に来る、そして私が青木の描いてゐた画の前に立つ、そこで青木が、私の絵をみながら、先方のモデルと見較べながら[#「見較べながら」は底本では「見較べなから」]『熊谷みろこんな出鱈目の線を引く奴があるか、かういふ風に線は引くんだよ』といひながら、私の絵をどんどんなほしてしまふ、すると私はまた私で青木の絵を『青木、お前の眼は盲か、こんな皮膚の色があるか、斯ういふ風に色といふものはだすんだ!』と私は私流に青木の裸体の色を訂正する、そしてお互の欠点をなほしながら二人は『あはは!』と声を合して笑つたものである。今では百号や百五十号の大作を描く画家は珍らしくもなんともないが、当時そんな大作をするものは少なかつた、突込んで丹念に描いてゐたから二十号大のカンバスでも、今の三百号位のものを描くほどの努力を払つてゐたと言へる。小杉放庵などもまだ若い頃で青木の処へ絵を持ちこんで見せてゐたらしい、彼は当時池の端の芸妓かなんかをかいて得意でゐた、青木は威張つて自信をふりまいたが、その反面に謙遜なものがあつた、我々が見ると決して悪い出来だとは思はないのに、彼自身は自分の絵を、描きかけだからよくない/\と何時も弁解してゐた、描きかけどころか、実に綿密に細かくかいてゐるのであつたし、その絵は非常に優れたものであつた。私はその頃アカデミックな手法でかいてゐたが、青木は私の絵をみて、何時もかう言ひ言ひした。『熊谷、お前は今はそんな絵を描いてゐるが、今に見ろ、きつとおれみたいになるから!』と私の運命が、青木と同じ方向にゆくといふことを、早くから彼は予言的に言つてゐたものであつた。青木といふ男は、その頃は全く彼の理解者が少なくて不遇そのものであつた。よく友人が私にむかつて、『お前は青木とつきあつてゐるのか』と青木と私と交際してゐるといふことを非難めいて言はれたものである、青木も田舎から自信をもつて東京に出てきた。出てきてみると志とちがつて、自分のやることや望むことが、いちいちひつくり返されてゆくので、しまひには性格も変つて、今度は人を人と思はぬほど、威張ることを覚えてしまつたため、それで却つて理解者も少ないし、誤解もされるやうになつた、私が青木を非凡な男だと思つたことの一つに、彼は稽古のときには筆癖があるが、ひとたび製作となると、その筆癖がちよつとも邪魔にならず、かへつてそれを特長として生かしてゐたといふことなどで、肖像画などを頼まれると、その頃肖像画風に、所謂写真のやうにかいたものだ、或るとき青木は殿様に肖像画を依頼されたことがあつたが、その肖像画なるものがちつともその殿様に似てゐない許りか、自分流なかき方で面白、おかしく殿様の顔を表現した。さういふことは当時としては珍らしいことで、殿様を単に肖像画化さないで、自分の理解に立つて、それを諷刺化してしまつたといふことなどは、ちよつとやれることではない、私はそれをみて豪い男だと思つたものである、青木が不遇であつたといふことにもいろいろ理由があらうが、その芸術家としての考へ方や、生活態度といふものは、支那思想からきたものであつたために、その深い作画態度は一般に理解され難かつたものと思はれる。
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独立展を評す
独立展の作家諸君に対しては私は次の言葉を当てはめることから始めよう、即ち『彼等は教養の不足に苦しむといふよりも、寧ろ教養の混乱に苦しんでゐる、然も教養の混乱に苦しんでゐる事が教養の不足に容易に気がつかせないといふ厄介な状態に陥ち込んでゐる――』
こゝでは画家としての無教養者の集まりが独立展だといふのではない、ただその持ち合せの画家的教養なるものが現実そのものに先手をうたれたかたちで混乱状態に陥ち入つてゐるといふ意味である。
役にたたない教養であつても尚且つ絵は描き得るといふ前提の下に、この人々の絵画なるものを、完全に絵画であるといふ立場を私は肯定して、批評して行かうと思ふ、それは厄介な仕事には違ひない、ただその厄介さを買つて出る程に、私といふ一門外漢にも絵を批評するといふ親切さがまだ残つてゐるといふことを認めていたゞきたい。
私は印象批評といふことが嫌ひである、しかし多くの洋画が、私にとつては印象批評を避けては、全く一言半句も批評することができないほどに、この人々の絵が何が何やら判らないものを描いてゐるとすれば、これらの人々の全く印象的な態度に応へる批評態度として、印象批評をやるより方法がないと思ふ。
そこで私は一瀉千里的に、これまであまりやりたくなかつた印象批評、直感批評を、この展覧会の人々の作品にやつてみたい、そして勝負をかういふ風に決めたい、即ちかゝる人々の描く、全く現象的な印象的な、わけのわからない仕事も、また何等かの形でその作画過程に、現実的根拠があるのであるから、私の直感批評もまた、私の背後に現実的根拠をもつてゐる、さういふ意味で、この人々が描いた現実的根拠の反映としての、現象としての絵画と、私の印象批評の現実的根拠と、その結果としてどつちが正しいかといふ、勝ち敗けを決めたい、それは誰が決めるのか、それは私が決め、出品者が決められる(或は反対する)といふ以外の一般観衆に決めて貰つた方がいゝ、もつと徹底した言ひ方をすれば、独立展をみにくる観客なるものの、社会的な層が如何なるものであるかといふ吟味から先に決めてかゝらう、若し観客なるものが、役者が役者を観客に招いたやうな結果つまり画家が専門家だけにみせてゐて、大衆が全く見に来てゐなかつたと仮定したらどうなるだらう、私はその意味で、独立展をみに来ない(観客)の意識感情まで代表して、批評したい位に考へてゐる。
現在の現実の反映はなかなか独立展では見事に完全であるつまり社会的現実の矛盾の反映として、実に立派な絵が多いのである――しかし矛盾の反映即ち芸術の価値――とはどつこい問屋でもさうはおろさないのである。民衆の生活は相当に矛盾そのものであつて、現実は複雑そのものである従つて一般民衆はこれ以上に何も芸術家に、現実以上に(心理的に)矛盾を多くして欲しとは思つてはゐないのであるもう沢山なのである、簡潔とか整理とかいふ言葉に、芸術が現実の人間として、その所有してゐる観念に対して、その観念をもつて簡潔にしてくれ整理してくれと大衆から懇願してゐるのである、心理主義者がもつ当然の陥ち入る穴は、形式主義であり、従つてその態度から生れた、芸術上の不真実は、直接に、善悪の問題と関係がある、つまりあゝした絵が多いことが、現実の歪曲であるとすれば悪である、悪は取りのぞかなければならない、批評家がもしファシストであれば、手に刀をもつて一人づつ斬り殺しにでかけなければならない程切実な問題である、然し批評家の武器は、ほんものの剣ではなくて、言葉である、従つてどのやうに激しくても、被批評者は心理的には殺されることがあつても、肉体的に死ぬやうなことがないから安心できるだらう。
△中山巍氏――画面のポーズがもつてゐるセンチメントが色彩のリアリティを減殺してゐる(さて私が言ふ意味がこの作者に判るかどうか疑問である。)[#底本では「)」が欠如]『ギリシャの追想』この作の所謂追想なるものが、彼自身近代人としてか、或は古典人としてかその立場がさつぱり判らない。
△靉光氏――無説明的な説明を加へようとしても無駄だといふこと、物の『現象』とは何かといふ根拠から出発の仕直しをすべきだ(私はこの作者を真個うは好きなのだが、この作者の考へ方が甘く感じられてならない)。
△菊地精二氏――色々色彩の分布的な配列的な絵ではあるが案外色彩の段階といふものを知らない作家。
△森有材氏――『ゴール』色と陰との観念的な分解、運動してゐる人間が、いささか空間的に画面的な充実をしてゐる位がとり得『躍動』よろし、この絵はデティルを看過しなかつたことが、全体を躍動的にうごかし得たといふいゝ見本であらう。
△池田金之助氏――草の色彩青はよし、近代的な色彩としての理解がある、横はる裸婦に色の心理沈澱あり。
△妹尾正彦氏――精々お遊びなさいといひたい処である。
△多賀延夫氏――『鉄屑』苦心してゐて物質性がでゝゐない、物質の原素的なものの見極めを一応つけたら、現実的な色が抽象されてくるだらう、作者の態度は賛成だが。
△宮樫寅平氏――迫力をもつと生かせ、現在の色彩でそれで満足してゐる度胸があるかどうか。
△佐川敏子さん――『砂地』は明日のリアリストとしての出発を約束したいがどうか、然し現在は危かしいリアリストと私は診断したい。
△田中行一氏――グロンメール先生から離れたやうに見えるしかし事実は色彩の上でか、線の上でか、結果離れてはゐない『結髪』で自己のものを築きあげたらいゝと思ふ。
△寺田政明氏――今年は画面の整理で行つた『美しき季節』はよろし、デティルにかゝづりあつてゐたために、綜合的な力を欠いた憾みがある。もつと写実家としての方向転換を望む。
△森堯之氏――どうやらシュルリアリズムらしい絵を描く人に映像をもつと現実化したらよかつた、それは出来ない相談ではない。
△海老原喜之助氏――「市」色の単純化の方法の中に、この画家の心理的段階を容易に発見することができる、色に感覚がないのをリアリズムと履き違ひをしてゐるかのやうだ。
△川口軌外氏――色も形も汚ない、ボカシの方法を使つてはいけないといつたら、彼は小児のやうに泣く[#「泣く」は底本では「位く」]だらう、精々単純な技術を、最も有効に使つてゐる。
△中間冊夫氏――男女二人よろし、抱き合つてゐる女二人成功、綜合力があるリアリスト、つまり画面に神経が行きわたつてゐて気持がいゝ。
△菅野圭助氏――色彩よろし、色彩の方向がもつと決つたら形の方向もきめることができる――この注文は謎ではない。[#底本では「。」欠如]
△佐藤英男氏――『丘』作者の意図するところは判るが、重力の法則を無視して、空間に物質を止めようとするやうな空しい努力がある。背景としての空の部分のマチイルを逃げた処にこの作家の弱味がでゝゐる、画面に於ける空間とは、充実せる物質なりである、良い作家だが、追究を最後には逃げる悪い癖がこの作家を伸ばさない。
△大野五郎氏――感傷的な遊でも良いだらう、現実に詩人がゐなかつたら、この程度の詩的なものも認めるだらうが残念である。
△鈴木保徳氏――『島にて』空よろし、他の色甘し、『鶴をうつす人』鶴とそれを写生してゐる人とを描いてゐるが、状態は将に逆だ、鶴にうつされてゐる。
△木村忠氏――『裸婦』よろし、いゝ神経だ、将来の実力発揮のためにいゝ神経を害ねる勿れ。
△土岐流司氏――失題よろし、リアリストとして将来勝てる作家である、自重のこと。
△藤岡一氏――『マンドリン』『花甘藍』と題をつけるのはあまりにシャバ気がある、無題とまで徹底できなかつたら、かうしたコラージュ的な仕事を廃した方がいい。
△清水錬徳氏――気まじめさが足りないが、いゝ画であつた、いゝ加減善心に立ち還つた方が身の為めだらう、あまり画集などに頼らずに自分の個性的な仕事をすること。古い天才主義と別れること。
△井上長三郎氏――『絵画』誰も絵画でないといひもしない先から、何故『絵画』などといふ題をつけたか、それを知つてゐるのは作者自身と斯く批評する私とだけだらう――などといつたら両者結托してゐるやうに誤解し給ふな、大家となると往々題のつけ方が果す役割といふものを知つてゝやることがある、それは良いことではない、この絵の線からピンセットで一本一本不要な線をとつてしまつて、どれだけ必然的な線が残るかといふ仕事を観衆がやつてみたらいゝ、どれだけこの線の走り方、本数に科学的根拠があるかといふことが証明されるだらう、井上氏は一応はリアリストではあるが惜しむらくは科学的ではない。
△清水登之氏――『砂漠』あゝいふ色の黄色な砂漠などは現実にはない、あるものはあゝした色彩の『砂漠』といふ絵が存在するだけだ。
△磯部章三氏――『栄誉』よろし良心態度の前には敵なし。
△斎田武夫氏――『狐』は問題作である、私は主として色彩の触発性の点で、作者の苦心が充分に判る、外光派、印象派の色彩に対する理解が依然と新しさうな面つきをして絵の中に未解決のまゝで引ずりこまれてゐる、画家の多いのに、斎田氏は新しい光りに対する理解を示さうとしてゐることはいゝ、光の触発性に就いての私の意見は次の機会にのべたい。
△水野佳一氏――一応の理屈はもつてゐる、然しその理屈の未来性は決して新時代的なものではない、ケレン性を去れと言ひたい。
△須田国太郎氏――この作家は私は好きであるが、年毎に残念なことには、彼の態度の真面目さの如何に関はらず作者の矛盾ははつきりしてくる、現象主義者の当然陥ちこむ罪に陥ちこみ始めてゐる、観念主義者だけがもてあそぶ手法に二重映像といふものがある。須田氏もまたこゝに行きついた型である。
△浅田欣三氏――『同時的印象』と題して絵はシュルリアリストはこの程度の考へ方や技術をもたなければ問題にはならない、シュルリアリストは少くとも新しい傾向であるといふ意味で聡明でなければならない、その意味で浅田氏は聡明である、この程度の絵になると、私はこの絵だけで二十枚も三十枚も批評をしたくなる、私はこゝで少し理屈を言はして貰へば、浅田氏は印象といふものをどういふ風に理解してゐるかといふことを聞いてみたい、印象とは何か――印象とは人間の諸々の諸感覚のうちの一つの抽象であるといふことははつきりしてゐる、それではかうした抽象的なものに『同時的』とか『同一的』とかいふ命題を与へるといふことは正当であるかどうか、印象そのものの、同時性とは、同時に最も非同時的なものも内容として抱含されてゐなければならないといふこと、他のあらゆるものの差別性を肯定して始めて完全な姿になるといふこと、印象といふ抽象的感覚を二つ複合して辛うじて単一なものを表現するといふ考へ方が隠れてゐたら非常に消極的な画題や意図であると思うへるだらう、浅田氏の描法の一応の正しさは、細密描写の部分も、重要な手法として肯定してゐるといふ点であり、画面の種々の相関関係を見のがすまいとする態度は見受けられたこの人はもつと色々の企てをやつてほしい。
△橋本省吾氏――『コンポジション』はまあ安心をして見られる程度の良さの画。
△中村金作氏――『機械』いゝ色彩であるといふより自己の神経が色彩の上にでゝゐて、形態の上では追従的であつたが、色彩の上では非妥協的であつてゝ[#「あつてゝ」はママ]。
△中尾彰氏――モダニスト、よろし、あの張り切り方は、多くの独立型の張り切り方と、形がちがつてゐて面白い。
△里見勝蔵氏――『仏像』を賞めるといつたら意外に思ふだらうが、最も里見氏の本質的なものがはつきり出てゐるといふ意味で『仏像』はいゝ『少女』里見氏の描く女はすでに魅力を喪失し始めた。
△斎藤長三氏――馬車二輪はよろし、白い馬の方が描き切れてゐるといふ結果になつてゐる、馬車の上にのつてゐるものの甘い色彩は感心できる、もつとすべてを渋くしたら、覗つてゐるロマンが却つて出た筈であつた。いゝ作家といへよう。
△新羅笙介氏――コンポジションの驚ろくべき絵の具の盛り上げにも、私は何等驚ろかない科学的な幾何学的な世界にも空想的想像的現実があるといふことを調べて(芸術家らしく)そこを覗つた作品を描いてほしいものである。
△浦久保義信氏――絵の出来不出来を論ずるより、この絵とこの作者の運命的なものがどう変つてゆくか興味がある(これは美術評ではない)さほどに問題作であるといふ意味で宿命的な価値がある。仕事が今年は丹念になつてきたのでいゝ『孔雀』がいゝだらう、テーマはこの作者のものは総じて弱い。
△島居敏氏――ろばに乗る少年の図の素朴性は素朴でない連中の中では値打で[#「で」に「ママ」の表記]ある、芸術と素朴、何にやら島居氏にではなく他の連中の創作画態度の上に素朴といふ問題が残つてゐようではないか。
△佐藤九二男氏――『温泉』大胆な表現をどこまでも追究してゆかうといふ態度は、賛成である。あゝした表現でより効果をあげるかどうか更に自己を賭けてみたらいゝ。
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