お月さまと馬賊
一
ある山奥の、岩窟(いはや)の中に、大勢の馬賊が住んでをりました。ある日、馬賊達は、山のふもとの町へ押しかけて、さんざん荒しまはつた揚句、さまざまの品物を、どつさり馬に積んで引揚げてまゐりました。
馬賊達は、山塞(さんさい)でさつそく、お祝ひの酒盛りを夜更(よふ)けまで賑やかにやりました。歌つたり騒いだりして、馬賊達はすつかり酔つぱらつて、やがて部屋の中の、あつちにも、こつちにも、ごろりごろりと、魚のやうに転ろげてねむりました。馬賊の大将も、たいへんいゝ気持になりました、そしてあまりお酒を飲んだので、顔が火のやうにほてつて、苦しくてたまらなかつたので、冷めたい夜の風にでも冷やしたなら、きつと気持がよくなるだらう、と考へましたので、山塞の扉(と)をひらいて戸外(そと)にでてみました。
戸外(そと)は、ひやひやとした風がふいてをりました、それにその夜(よ)は、それは美しいお盆のやうな銀のお月さまが、空にかかつてゐたものですから、地上が昼のやうにあかるかつたのです。
『なんといふ、きれいなお月さんだらうな』
馬賊の大将は、お月さまの、すべすべとなめらかな顔と、自分の頤髯のもぢやもぢやと、蓬(よもぎ)のやうに生えた顔とをくらべて考へてみました。
それから馬賊の大将は、裏手の厩(うまや)の中から大将の愛馬をひきだしてきて、それにまたがりました。そのへんは山の上でも、平らな青い草地になつてをりましたので、馬賊の大将は、どこといふあてもなしに、馬にのつたまま、ぶらり/\と散歩をしました。
『けふは、お前の勝手なところにでかけるよ。』
大将はかういつて、馬の長い頸を優しく平手でたたきました。
馬はいつもならば、荒々しく土煙をあげて、街中を狂気のやうに馳け廻らなければなりませんのですが、その夜(よ)は主人のおゆるしがでましたので、気ままに、柔らかい草のあるところばかりを選んで、足にまかせて歩るき廻りました。
大将は草の上に夜露がたまつて、それが青いお月さまの光に、南京玉のやうに、きらきらとてらされてゐる、あたりの景色にすつかり感心をしてしまつて、どこといふあてもなしに歩るきまはりましたが、やがて飲んだお酒がだいぶ利いてまゐりますと、とろりとろりと馬の上で、ゐねむりを始めました。とうとう馬賊の大将は、鼻の穴から大きな提灯をぶらさげて馬の頸にしがみついたまま、すつかり寝込んでしまひました。
二
ふと大将が眼をさましてみますと、自分は馬の背から、いまにも落つこちさうになつて眠つてをりました、
『おやおや、月に浮かれて、とんだところまで散歩をしてしまつた。』
かう言つて、大将はぐるぐるあたりを見廻しますとそこは、やはり広々とした青草の野原で、あひかはらずお月さまは、鏡のやうにまんまるく下界を照らしてをりました。
しかし山塞と、だいぶ離れたところまで、きてをりましたので、馬の首をくるりと廻して帰らうといたしました、そして何心なく下をみると、そこは崖の上になつてゐて、つい眼したに街の灯がきらきらと美しく見えるではありませんか。
すると馬賊の大将は、急に荒々しい気持に返つてしまつたのです。
そして大胆にも自分ひとりで、この街を襲つてやらうと考へたのです、馬の手綱をぐい/\と引きますと、いままで呑気に草を喰べてゐた馬も、両眼を火のやうに、かつと輝やかして竿のやうに、二三度棒立ちになつてから、一気に夜更(よふ)けの寝静まつた街にむかつて、崖を馳けをりました。
そして馬賊の大将は、街の一本路を、続けさまに馬上で二三十発鉄砲をうちながら、馳け廻りました。それはかうたくさんの鉄砲をうつていかにも、大勢の馬賊が押しかけてきたやうに街の人々に思はせるためでした。
はたして街の人々は、大慌てに、そらまた馬賊が襲つてきたと、皆ふるへながら、押入れの中やら、地下室やらに逃げこんで小さくなつてをりました。
大将は家来もつれず、たつた一人の襲撃ですから、あまり深入りをして失敗をしてはいけないと考へましたので、鉄砲をうつて、街の人々をおどかしてをいてから街の場末の二三十軒だけに押し入つて、いろいろの宝物を革の袋に三つだけ集めました。それを馬の鞍に二つ結びつけ、自分の腰に一つつけて、さつそく引き揚げようといたしました。
ところが一番最後に押し入つた家(うち)は、一軒の酒場でありましたが、酒場の家の人達は、大将が押し入つてきましたので、驚ろいて奧の方に逃げこんでしまひました。
馬賊の大将は、がらんとして誰もゐない酒場に、仁王だちになつて、髯を針金のやうにぴんぴん動かしながら
『さあ、みんなお金も宝物(はうもつ)も出してしまへ。』
と叫びましたが、酒場の中はしーんとして返事をする者もありません。
ふと棚の上をみますと、そこには、青や赤や紫や、さまざまの色の酒の甕がづらりとならんで、ぷん/\とそれはよい匂ひを大将の鼻の穴にをくつてきましたので、大将は『これはたまらん』と、この大好物を窓際のテイブルの上に、もちだして、ちびりちびり飲みながら、窓からお月さまをながめて、ひとやすみいたしました。
三
馬は窓際に立たしてをきました、それは、もしも大将を捕へようと、街の兵隊が押しよせてきたときには、大将はひらりと窓をのり越えて、馬の背にまたがつて、雲を霞と逃げてしまふ用意であつたのです。ところが酒場の人の知らせで街の馬に乗つた兵隊が百人ほど、一度にどつと酒場に押しよせてきたときには、大将はひらりと、得意の馬術で、逃げだすどころか、あまりお酒をのみすぎて、上機嫌で月をながめてゐましたので、それは苦もなく兵隊にしばられてしまひました。
そして馬賊の大将は、首を切られてしまひました。
一方馬賊の山塞では、いくら待つてゐても、大将が山塞に帰つてきませんので、家来達はたいへん心配をいたしました、さつそく四方八方へ手別(てわ)けをして、大将をさがしましたが、その行衛(ゆくゑ)がわかりませんでした。
一人の大将の家来が、或る街の処刑場(しをきば)の獄門の下を通りかかるとおい/\と家来を呼び止(とめ)るものがありました。ふと獄門の上を見あげますと、獄門の横木の上に、行衛(ゆくゑ)不明の馬賊の大将の首がのつてゐるではありませんか。
『おや、これは大将、なんといふ高いところに、家来共は夜(よ)の眼も寝ずに、あなたさまの行衛(ゆくゑ)を探してを[#底本の「お」を「を」に変更]りましたのに。』かう言つて獄門の首を、家来は見あげました、すると大将の首は、たいへん不機嫌な顔をしながら『つくづくと、わしは馬賊の職業(しやうばい)がいやになつた。山塞に帰つて、みなの者に言つてくれ、大将は、たいへんたつしやで、毎日陽気に月見をしてゐるから、心配をしないでくれ。たまには人間らしい風流な気持になつて、この大将を見ならつて、酒でものんで月でもながめる気はないかとね。』
大将は、獄門のうへで、二日酔のまつ赤な顔をしながら、かう言ひました、そして陽気に月をながめながら歌をうたひました。
切られた大将の首は、酒場でたらふくお酒をのみましたので、なかなか酔がさめませんでした、そして毎日のやうに、月をながめながら歌をうたひました。
すると或る日、獄門の横木の大将の首のつい隣りのところに、新らしく切られた首がひとつのつかりました、そして大将の首に話しかけるではありませんか。それは馬賊の家来の首であつたのです。
『わたしも、すつかり悪心を洗ひ清めて、月をながめるやうな、風流な男になりましたから』
かういつて、ぺこりと家来の首はお低頭(じぎ)をいたしました。
大将の首も、喜んで、そこで二人が合唱をやりました。
するとまたその翌日新らしい馬賊の首が一つ獄門の横木にならびました、そして、それから十日と経たないうちに、山塞の馬賊の首がづらり[#底本「ずらり」を修正]とならんでしまつたのです。
それは人を殺したり、お金を盗つたりする悪い心が、みなお月さんをながめるやうな、風流や優しい心になつたからです。そして一人一人山奥から街の酒場にやつてきては、お酒をのんで兵隊に首を切られたからでした。
そこで大将の首は、家来の首のづらり[#底本「ずらり」を修正]とならんだ、まんなかで、長い頤髯をぴんぴんと動かして拍子をとつて、にぎやかに合唱をはじめました。
どれもどれも、いずれ劣らぬお酒に酔つた、まつ赤な顔をして、大きな声を張りあげて、浮かれて歌をうたふものですから、その賑やかなことと言つたらたいへんでした。
街の人達は、夜どほし馬賊の首達が合唱をいたしますので、やかましく眠ることができませんので、兵隊に、あの沢山の首をなんとか、始末をしてくれなければ困りますと申し出ました。
そこで兵隊は、あまりたくさん獄門に首がならんで、後から切つた罪人の首の、のせ場もなくなつたものですから、処刑場(しをきば)の広場のまん中に、大きな穴を掘つて、その中に首を投りこんで、上からどつさり土をかけてしまひました。
それからのち、馬賊の首達は、月見の宴(えん)をやることもできなくなり、酒の酔もだんだんとさめてきたので、たいへんさびしかつたといふことです。(大15・6愛国婦人)
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