親不孝なイソクソキ
けだもの達も、鳥達も、大昔は、たつた一人の母親に、養はれて居りました。
母親はたいへん皆を優しく、同じやうに可愛がつて居りました。
ある日、小川の流れた野原に、たくさんの鳥達が集つて、さかんにお化粧をはじめました。烏はせつせと藁で、自分の体をこすつて、黒くつや/\と磨きますし、山鳩は小川の浅瀬で、しきりに体を洗つてゐました。
其のほか鴨や、山鳥や、シギや、岩燕(いはつばめ)や、鴎や、あらゆる鳥達が、小川の岸に集つて、口の周囲(まはり)を染めたり、羽を洗つたり、白粉をつけたり、紅をつけたり、手をそめたり、熱心に化粧をしてゐるのですから、その賑やかなことといつたら、ちやうど海水浴場へ行つたやうな賑やかさでした。
かうした騒ぎの最中に、一羽の鳶の子が、転げるやうに飛んできて
『みなさん。大変ですよ、母さんが急にお腹(なか)をやみだして、悪いんですよ』と告げました。
鳥達は母親の危篤と聞いて吃驚(びつくり)して、あわてて川からあがるものや、化粧道具を片づけるものや、それはたいへな騒ぎとなりました。
なかでもふだんから、いちばん親孝行な、アマム・エチカッポ(雀のこと)は、いま小さな壺をもつて、口をそめてゐた最中に、この知らせを聞いたものですから、
『わたしお化粧どこぢやないわ』と言つて墨のはひつた、いれものをぽんと後に投りました。
そしてたいへん慌てながら、傍(わき)に化粧をしてゐた、おめかし屋のイソクソキ(啄木鳥(きつつき)のこと)にむかつて、
『さあ、母さんの病気です。いそいで参りませう』と言ひました、するとイソクソキは
『お腹の痛いくらいなら、大丈夫よ、わたしお化粧が、いますこしで終へるんですもの。』
かう言つて動かうとはしませんでした。
アマム・エチカッポは、イソクソキにはかまはずに、母親のところへ、どの鳥よりもまつさきに馳けつけましたが、親不孝なイソクソキは、どの鳥よりも、いちばん後(おく)れて来ました。
皆の馳けつけた頃には、母親の腹痛は、だいぶよくなつて居りました。
母親はアマム・エチカッポが、誰よりもまづ先に飛んできて呉れたので、たいへん喜びました。
いまでも雀の嘴(せ)のあたりの黒いのはこのとき墨の容物(いれもの)を投げた、墨が垂れてついたもので、羽にぽつ/\と、黒い斑点のあるのは、墨の散つてついたのだといふことです。
母親はアマム・エチカッポの孝行に感じて
『お前は、一生のうち、アマム(米又は粟)[#底本の『米又は粟』から変更]を喰べて暮らしなさい。』と言ひました。
そして親不孝のイソクソキには
『お前の不孝者には[#「お前のような不孝者は」か?]、一生涯腐つた木を突ついて、虫をお喰べなさい。』と言ひました。
それからと言ふものは、雀は清浄(きれい)な米や粟を、啄木鳥は、腐れた木から虫を探して喰べるやうになりました。
今でも愛奴(あいぬ)達は、余り家のちかくの樹に、イソクソキが来て、虫を探すことを喜びません、そして灰をまいてこの不浄な鳥のちかよつたことを、清める習慣があります。(大14・11愛国婦人)
珠を失くした牛
一
森の中の生活は、たいへん静かでおだやかでした。誰もむだ口をきいたり喧嘩をしたりするものがありませんでしたから、ながいあひだ平和な日がつづきました。
すると或る日のことです。どこからか一匹の野牛(のうし)が、この森の中にやつてきました、そして誰にことはりもなく、どしりと大きな体を草の上に横にして草をなぎ倒し、かつてに棲家をつくつてしまつたのでした。
『ほつほホ、あなたは何処から、やつてきましたか』
森の支配人をしてゐる、白い鳩は、かう優しく杉の木の枝の上から、この野牛にたづねかけますと、野牛は大きな首をふいにあげて
『なんだ、小癪なチビ鳩め、どこからやつて来てもいゝぢやないか。けふから俺様が森の支配人だ』
とそれは雷のやうな、大きな声でどなりつけ、火のやうな鼻呼吸(はないき)を、ふーつと鳩にふきかけましたので、
『ほつほホ、これはたいへんなお客さんが森へやつてきたゾ、ほつほホ』
かう驚ろいて、鳩は逃げてしまひました。
ところが、この野牛はたいへんな、あばれ者で、二言めには、熱い/\鼻呼吸をふきかけて、とがつた角をふり廻しますので、森のけものや鳥や虫達は、怖ろしがつて、誰も交際をしないのでした。
そのうへ、それはおしやべりで、あることないこと、を言ひふらしますので、誰もみなめいわくをいたしました。
野牛は、みなの者が、自分を怖ろしがつてゐることを、よいことにして、毎日のやうに森の中をあばれまはりました。
それで、森の者達は会議を開いて、この乱暴者を追ひだす方法を、いろいろと考へてみましたが、対手(あひて)の野牛は力も強く、角も刃物のやうに、とがつてゐるので、とうてい自分達の力の及ばないことがわかりました。
そこでこの森でいちばん智恵者である人間のところにでかけて行き、色々と相談をいたしました。
森の中に住む人間といふのは、親子の樵夫(きこり)でしたが、これをきいて、
『それは困つたことですね、あの強力者(がうりきもの)を、この森から追ひ出す方法はありませんよ、それでみんなが、あの野牛に対手にならなければ、しまひには、この森にもあきて、どこかに行つてしまふでせうから』
と言ひました。
二
野牛は、大威張りで森を荒しまはりましたが、たつたひとつ野牛が、いまいましくて、たまらないことがありました。
それは、けものや、鳥や、虫などはすつかり自分の家来にしてしまひましたが、樵夫の親子だけは、どうしても征服をしてしまふことができなかつたからでした。
いつか折があつたら、この親子の人間も、自分の家来にしてやらうと考へてをりました。
或る日、森の中の日あたりのよいところで、樵夫の父親が、二抱へもあるやうな、大きな杉の樹を、ごしり/\とひいてをりました。
すると其処へ野牛がやつてきました、そしていかにも自慢さうに、ながながと自分の身の上話をはじめました。樵夫は、たいへん仕事の邪魔になつてこまりましたが、のこぎりを引く手を止めずに、ごしり/\と樹を伐りながらその話をきいて、すこしも対手になりませんでした。
野牛は、なが/\としやべつてをりましたが、大きな杉の樹の根もとが、七分どほり伐つたころに、不意に力いつぱい、両方の角で押しましたので、あつと言ふまに、杉の大木は樵夫の方に倒れかかつて、かはいさうに、樵夫の父親は、ぺつちやんこに、樹の下になつてつぶれてしまひました。
『モーモー、この森は、おれの天下だ。おれは野牛大王だ』
悪い野牛は、後肢(あとあし)で土(どろ)を蹴りながら、大喜びで逃げてしまひました。
森の小鳥が、この出来事をさつそく山小屋に留守居をして居りました、樵夫の子供に知らせましたので、子供はびつくりして馳けつけました、子供はどんなに悲しんだことでせう。
けだものや、鳥達も、みな寄り集つてかなしんでくれました、そして悪い野牛を憎まないものは、ありませんでした。
その日、樵夫の子供は、かたばかりのお葬式(とむらい)をして、父親を、森の小高いところの土(どろ)を掘つて埋めました。
この父親を埋めた土(どろ)のちかくに棲んでをりました一匹のこほろぎが、たいへん樵夫の子供に同情をして、きつと私が仇討(あだうち)をしてあげますからと親切になぐさめてくれたのです。
その翌日(あくるひ)、森の中で盛大なお話の会がひらかれて、いちばんお話の上手なものを森の王様にしようといふ相談をしました、これをきいた野牛は、まつ赤になつて怒りながら、会場にかけつけて
『この俺を、のけ者にして相談をするとはけしからん、誰がなんと云つても俺は大王さまだ』
と叫びました。
支配人の白い鳩は、まあまあと野牛をなだめつけて、
『それでは、これからお話の競技会を始めます。』
と一同の者に、開会の言葉を申しました。野牛は、けふこそ、得意のおしやべりで、みなのものを負かして、王さまの位についてやらうと考へました。
三
四十雀(しじゆうから)、蛙、カナリヤ、梟、山鳩、木鼠(もづ)、虻やら、甲虫、蚊など、どれも得意の話ぶりでしたが、おしやべり上手の野牛には、どうしてもかなひません。それで野牛はますます得意になつて、しやべりだしました。
すると何処からともなく、
『さあ老ぼれ野牛、こんどは俺さまがお相手だ』
とさんざん野牛にむかつて悪口を言ふものがありました。
みるとこの悪口の主(ぬし)は、それはちいさな、一匹のこほろぎでありました。
そのこほろぎは、野牛に殺された樵夫の父親が、杉の大木を半分伐りかけて、やめてしまつた、樹の切り口の奧の方にはひつて、さかんに野牛の悪口を言つてゐるのでした。野牛は烈火のやうに怒りました。
『ぢやあ、チビこほろぎから始めろ』
『よしきた、老ぼれ野牛、さあ俺さまから始めるぞ。昔々あるところに、お爺さんとお婆さんとが住んでゐたのだ。お爺さんがあるとき山へ柴刈りに行つた、どつさりと柴を刈つてさて山のてつぺんで、お昼のお弁当をひらいた。おばあさんの、心づくしの海苔巻(のりまき)の握り飯を、頬ばらうとすると、どうしたはずみか握り飯を手から落した。握り飯は、ころころと転げた、ころころころ/\ところげた、山のてつぺんからふもとをさして、いつさんに、ころころころころころころ/\ころころ』
『ころころころころ、ころころころ』
さあその『ころころ、』の長いことがたいへんです、こほろぎは、それは美しい調子をつけて、いつまでも/\、『ころころ』と鳴きだした。
『おい/\こほろぎ奴(め)、まだその握飯がころげてゐるのかい』
『まだまだだ、握飯はいまやつと、丘を越えたばかりだ、お爺さんは、一生懸命その後を追ひかけてゐる、握飯はころころころころころころころころ』
その日は、夜(よ)をとほして、こほろぎは、ころころと話し続けました。その翌日(あくるひ)も、その翌日も、いつになつたらその話を止(や)めるか、わかりませんでした。
野牛は、とうとう腹をたててしまひました、こほろぎを、その角で、ただ一突きに突き殺してやらうと思ひましたが、樹の切り口の奧のところに、こほろぎがゐましたので、それもできませんでした。野牛はますます腹をたててこんどは、切り口に、長い舌をぺろりといれて、こほろぎを捕(つかま)へようといたしました。
そのとき、傍にゐました、樵夫の子供は『占(しめ)た』と、切り口にさしいれてあつた楔を手早く抜きましたので、野牛は切口に舌をはさまれてしまつたのです。
森のみんなは手を拍つて笑ひました。
野牛のとがつた角は後(うしろ)の方にまがり爪がふたつに割れるほど、あばれてみましたが、舌はぬけませんでした、はては大きな声で泣きながら、
『モーモー、おしやべりをしませんから。モーモー悪いことをしませんから』
とあやまりましたので、樵夫の子は野牛の口のなかから、おしやべりの珠をぬきとつて、とほくの草原になげてしまつてから野牛をゆるしてやりました。
野牛は、泣く泣く森を逃げだしました。
あの真珠のやうな、小さな言葉の珠を失くしてしまつてから、牛はもう言葉を忘れてしまひました。
『たしかこの辺だつたと思つたがなあ』
牛は野原の草の間を、失くした珠を探して、さまよひました。
『モーモー、おしやべりをいたしません、モーモー』
牛はそれから、こんきよく野原の青草を口にいれて、ていねいに噛みながら、失くした珠を探しました。(大15・2愛国婦人)
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页