新版・小熊秀雄全集第2巻 |
創樹社 |
1990(平成2)年12月15日 |
自画像
(一)
此所にトムさんと言ふ至つてお人好しの農夫がをりました、この村の人達は余りお[#「人」が脱落か?]好しの事をトムさんのやうだとよく言ひますが、全くトムさんはお人好しでした。随分よく働きます。それに無口で大力で正直で何ひとつも欠点がありませんでしたが、唯そのお人好しがあんまり過ぎるので困りました。
トムさんは三人ものお嫁さんを貰ひましたが、ふしぎに二三日たつと三人ともみな逃げ帰つてしまつたのでした、それには色々のわけがあるのです。最初のお嫁さんを貰つた時でした。トムさんは大変お嫁さんを可愛がつて一粒の豆でも仲善く半分頒[#「頒」に「ママ」の注記]合つて食べる程でしたから、お嫁さんも大変満足して居たのでした。
処が丁度、お嫁さんをもらつて三日目の真夜中頃ミシリ/\と屋根で音がしたと思ふと、天井の空窓から太い繩を下して三人の泥棒がトムさんの家へ忍びこんだのです。三人の泥棒はグウグウ高鼾で寝込んでゐるトムの枕元に立つて不意に枕を足で蹴飛ばしましたので、トムさんは吃驚(びつくり)して眼を覚しました、トムさんは自分の眼の前に背のヒョロ高い顔の真黒い鬚だらけの泥棒がによつきり突き立つてゐるので、トムさんは驚くまいことか、一時は腰を抜かさんばかりに吃驚(びつくり)しました。然しお人善しのトムさんはやがて泥棒に向つて「お前さん方は商売とはいゝ乍らこの真夜中に御苦労さまの事です、まあご一服唯今お茶を差しあげます、然し皆様私は昨夜戸締りもあんなにしつかりしてをいたのにどこから入つて来ました」かう尋ねました。
(二)
泥棒達はお互に眼を白黒させて居りましたが、その内の一人が「俺達はこの空窓から飛び込んだのさ」と答へました。トムさんは之を聞いて「それはあぶない所から這入つて来ましたね、一寸表戸をトントン叩いて下されば直ぐ開けるのでしたのに」と云ひました。泥棒達はまご/\して居て隣近所に騒がれては大変とトムさんの家の真ん中へ持つてきた一反風呂敷を各々ひろげまして棚の物やら何やら片つ端から入れはじめました。これをじつとみてゐたトムさんは何と思つたのか、自分も向う鉢巻をして泥棒達と一緒に自分の家の品物を「これもあげる」「あすこにも有る」と大汗でドンドン拠[#「拠」にママの注記]り出したのでトムさんのお嫁さん始め泥棒達何が何やら訳がわかりません。
さて泥棒達は風呂敷に包めるだけ品物を包んでしまふとさつさと出て行かうと致しました。するとトムさん何と思つたのか泥棒を呼びとめて「お前さん達は案外欲の無い人達ばかりですね、まだ室の中にこんなに品物が残つてゐるではありませんか」といひました。
すると泥棒達は振り向いて、
「君の親切は有難いが何分俺達は之以上もてないので残念だが、お前さんにお返ししてをくよ」といひました。トムさんは「それはいけない私があげようとする物をもつて行かぬといふ失礼な事が有るものですか……あゝよい事がある私の家の馬車を貸してあげませう」といひ、裏の馬小屋から馬車を引出して之に品物を全部積んで渡しました。然し泥棒達は馬を追ふ事を知りませんでしたから、トムさんは三人の泥棒を馬車に乗せ自分が馬を追つて場末にある泥棒の家まで送りとゞけました。その上馬車を呉れて来て了ひました。
お嫁さんはトムさんの余りのお人善しにあきれはてゝ、早速実家へ逃帰つてしまひました。トムさんは家へ帰つてみてお嫁さんの逃げ帰つた事を知り大変に一時は悲観致しました。
それから二年程たつて、又ある人の世話で二番目のお嫁さんを貰ひましたトムさんは、今度もまた一粒の豆を半分宛分け合つて食べる様に仲善くいたしましたので、お嫁さんも大変満足して居りました所が、丁度三日目の事トムさんは用事があつてあるお寺の近所を通りました、するとそこのお寺の椽の下の暗闇に十二、三人の乞食共が荒莚を敷いてごろごろ芋虫の様に寒さうに寝てをりました。
(三)
トムさんはこの前に不思議さうに突立つて居りましたが、やがて乞食に向つて「お前さん達はこの寒空にこんなお寺の椽の下に寝むらずに、何処かの宿へでも泊つたら良いではありませんか」といひました。すると乞食は之を聞いて「あなたも面白いことをいふ人だ、あつたかい布団へ寝たり泊つたりするお銭があれば乞食などしませんよ」と笑ひました。トムさんは「成程な」と同情しまして「それぢや私の家へお出でなさい、この椽の下にねるより余程ましですよ」といひましたので乞食達は大変喜んでトムさんの後へぞろぞろついて行きました。
トムさんのお嫁さんは汚ならしい乞食が十二、三人もぞろ/\やつてきて、お座敷へ上りこんだので吃驚して其晩の内に実家へ逃げ帰りました。
トムさんは之は失敗したと思ひ乞食達に向つて、お嫁さん[#「が」が脱落か?]逃帰つたわけを色々と話して、また元のお寺の椽の下へ帰つて下さいとお願ひしました。それをきいて乞食達は之は気の毒だと素直に出ていつて呉れました。
トムさんは早速お嫁さんの実家へテク/\出掛けていつて「乞食たちを全部帰してしまひましたから、お嫁さんを是非家へ帰してください」と頼みましたがお嫁さんは、それつ切り帰りませんでした。トムさんは大変悲観して、それからはもうお嫁さんを貰ふまいと心で決めました。村の人たちもトムさんのお人善しには呆れてそれぎりお嫁さんの世話をしてくれませんでした。
それに村の人達はトムさんが近頃野良へ出ても怠けてゐて少しも仕事をしないぞと噂をするやうになりました。
それはトムさんが近頃色々空想をする事を覚えたからです。今日もトムさんは一鍬土を起してじつと鍬の柄に凭れポカンと口をあけて、空想にふけつて居りました、思い出しては一鍬土をたがやし、またぼんやりと案山子のやうに突立つて色々空想をいたしました。やがて羽音高くトムさんの頭の上の青空を一群の白鳥が南の湖の方へとんで行きました、トムさんは、「やあ綺麗な白鳥だな……あのたつたのが白鳥の王様だな、すらつと一際首の長いのが王妃さまだな、そのあとの一番色の白いのがお姫さまだな、あゝ、もう私の処へお嫁さんが来ないかしら、もしくるならあの白鳥のお姫さまでも我慢するがな、然し私の家は年中焚火ばかりしてゐるから、あの雪のやうに白い白鳥のお嫁さんのお衣裳が汚く煤けては可愛さうだな」こんな事を思つて居りますと、一羽の鳥が「トムさんの馬鹿」と怒鳴つてトムさんのつい鼻先へ白い糞をおとしたので吃驚(びつくり)してまた一鍬土をたがやしました。
(四)
トムさんは今度は森陰の白い王城を眺めました。
「ああ、私は一生の内たつた一度でも良いからあの様な王城に暮してみたいものだ、純金の王冠をかぶり、黄金づくりの太刀を佩き白い毛の馬に跨り、何千人の兵士を指揮してみたいものだなア、然しこの国の王様のやうに白い立派な長い髭が私にはないがよしよしその時には付髭を夜店で買つてきてやらう、それからお金蔵のお金を全部出して臣民に呉れてしまひ、自分は応接間に紫天鵞絨の安楽椅子に心持悠つたりと反身に腰掛け、一本十円五十銭の葉巻きをくゆらし臣民に一人宛逢つて手のちぎれる程堅い握手をしてやるぞ、それから臣民の頬ぺたをなめてやつたつてかまはないさ」
こんな有様ですから一日かゝつてもやうやう一畦位より出来ませんでした。
その晩は近年にない大暴風でした、トムさんの家の屋根は今にも飛ばされさうな激しさでした。トムさんは余りの物凄さに部屋の炉ばたの焚き火によつて小さくふるへて居りました。するとこの激しい暴風雨の中に、トムさんの家にはこの一、二年この方、猫の子一匹訪ねてきたことがないのに、トントンと表戸を叩くものがあるではありませんか、トムさんは大変不思議に思ひまして、兎に角表戸をそつと開きますとドッと吹き入る雨風と一緒に一人の若い女が室の中に転りこみました。
トムさんは吃驚してよく/\見ますと、それは羽鳥の羽で出来た黒いマントを着た、それは/\美しい女でした。トムさんは眼玉をくるくるやりました。トムさんはその女の濡れた着物を干してやつたり色々親切に介抱をいたしました。そしてその女に今ごろこの暴風雨にこゝへきた事情をたづねました。女は南の国のお姫さんでした、たくさんの家来を連れて旅行をいたしましたが丁度この土地へ来かゝつた時暴風雨に襲はれて、家来とはちりぢりになつて了つたのです……と答へました。
その翌日すつかり暴風雨が収まつたのですが、そのお姫さんはトムさんの家を去らうとは致しませんでした。その翌日もその翌日も何時まで経つても帰る風は見えませんでした。
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