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小熊秀雄全集(おぐまひでおぜんしゅう)-13

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 6:59:03  点击:  切换到繁體中文

底本: 新版・小熊秀雄全集第五巻
出版社: 創樹社
初版発行日: 1991(平成3)年11月30日
入力に使用: 1991(平成3)年11月30日第1刷
校正に使用: 1991(平成3)年11月30日第1刷


底本: 新版・小熊秀雄全集第四巻
出版社: 創樹社
初版発行日: 1991(平成3)年4月10日
入力に使用: 1991(平成3)年4月10日第1刷
校正に使用: 1991(平成3)年4月10日第1刷

 

●目次
◆未収録詩篇(1936~1940)
性別の谷
一つの太陽と二つの現実
パドマ
雪の伝説を探るには
右手と左手
或る旦那の生活
寓話的な詩二篇
 温和しい強盗
 猿と臭い栗
国民の臍を代表して
さあ・練習始め
芝居は順序よくいつてゐる
日比谷附近
多少の埃は
平民と愛
愛と衝動と叡智
文学の大根役者に与ふ
転落
インテリの硬直
喜怒哀楽の歌
怖ろしい言葉を
訴訟狂のやうに
カミナリ
小説家は滑稽なものだ
勝つたのさ
糸繰りの歌
日本的精神
一九三八年
情死
寸感
学生の頭の問題
朝の歌
夕焼色の雲の断片
作家トコロテン氏に贈る
大弓場の詩
小松の新芽
寓話詩
ある小説家に与ふ
ジイドと洗濯婆
泥酔歌
青年歌
刺身
無題(遺稿)
画帳(遺稿)
親と子の夜(遺稿)

◆俳優女流諷刺詩篇
俳優人物詩
 赤木蘭子論
 滝沢修論
 宇野重吉論
 三島雅夫論
 細川ちか子論
 小沢栄論

女流諷刺詩篇
 太田洋子
 風見章子
 小山いと子
 轟夕起子
 真杉静枝
 松原 操
 水戸光子
 森 赫子
 矢田津世子
 由利アケミ
 長谷川時雨について
 神近市子について
 板垣直子について
 或る女流作家に与ふ

◆雑纂・補遺詩篇
散文詩 雪のなかの教会堂
追悼詩 ひとりたび
聯詩の会―広瀬氏歓迎席上
 風船
 夜の花
 豚
 夜の陶器
日中往復はがき詩集
 作品第一番
 作品第二番
 作品第三番
ハンマーマンの歌
便乗丸船長へ

----------------------
未収録詩篇(1936~1940)

性別の谷

  ――ある男性的な夫人に――

     1

長い時間
ふたりは机を挾んで話しあつた、
私は考へてみた、すると何事も話なさなかつたやうに、
問題の解決は少しもなかつたやうだ、
婦人と向ひあつて
いろ/\の婦人問題に就いて
しやべるといふことが、
今では全く無駄に思はれた、
それでは婦人のことは誰と語るべきだらう、
男達は女のことに就いてはヒットラーのやうに、
偽の英雄のやうに、
物事を端し折つて解決してしまふ、
しんみりと男同志が
女のことについて語り合ふとき
――女の正体はわからないね
と最後に男達は投げ出してしまふ。

     2

勢ひ強い語気や、
はげしい物言ひ、
男のやうなあなたの性格は
益々私に逆にあなたの
女らしさを感じさせるだけだし、
あなたが現代の女の霊魂の沈滞のために
代表してたゝかつてゐる
悲壮なるものを私はあなたからうけとる。

     3

女には底の知れないふかいところに、
到底男の理解ができない『凝結かたまり』があると
ある友が私にいつた言葉をふつと思ひ出しながら、
こゝろよいあなたの声の空気の震へに身をまかせて
話しつゞけてゐる私の唇が、
突然、衝動的に歪んだ
あなたはそれを見てとつたでせうか、
すべての男性的な女に対して
女の誤まつた理性に就いての
感想がふつと湧いたのです、
私が現在女性に対して
感じてゐることは
男としての女に対する焦燥があるだけです。
女に対して心に
焦らだちをもつた男の一人です。
誰が我々に男と女といふ性の区別を与へたのだらう、
一つの谷を降りて行きます、
この谷は二つのむかひ合つた
側面をもつてゐる、
一つは男の性の側面、
一つは女の性の側面です。
二つの側面の間を清麗な水が流れてゐる、
男は己れの側面を降りてゆき
そして底もしれないふかさに悩みくるしむ、
相会ふことを追求するのです、
男も女も呼びあつてゐる、
たがひに声はとゞき、
意志は伝達する、
たゞそれだけです、
永遠のへだたりをもつてゐる男と女とが
思想のこと、経済上のことを
語りあつてゐることを
谷やせゝらぎが嘲笑してゐるのです。

     4

然し私は信じたい、
谷の空間をとびこえて、
完全にあなたを、あらゆる婦人を
理解したり、愛したりできると、
――さあ、貴方は男のくせに

そんなに感情的であつてはいけません、
何ごとも理性ですよ、
理性ですよ。

帰り際に玄関で私にむかつて、
あなたは男性的に拳をあげて
私の男を勇気づけてくれました、
私の感情は軽蔑されました
あなたは理性を主張しました、
私はそれを感謝します。
だが問題は残つてゐるのです。

     5

男と女といふ二つの性別の谷は
今後ますます社会的矛盾の現はれとして
深くへだてられるでせう、
眼が醒めたとき
すべての女達が
男の抱擁の中に眠つてゐたとしたら
それは女にとつてこれ以上の幸福はないでせうが、
だが今は全くさうはゆかなくなつてゐるのです、
コネ合はすために
愛にも、食にも、
僅か許りのパン粉より現実からは
与へられてゐません、
ましてや忙がしい男の生活にとつて
女を抱擁する時間は僅かよりないのです、
私はそれを悲しみます。

     6

理性です――と叫んだあなたは
男にも増して理性的な強さをもつてゐる、
すべて従来の女たちのもつてゐた
感情の燃焼をうちけして
ときには男もたぢろぐ程
理性的な女となつてゐます。
だがそれで貴女の理性的な女は
すべての理性的な男に理解されるでせうか、
あなたの目指してゐる理性は
男の世界の偽りの理性です、
強くなりたいことが
男らしくなりたいと考へてもらひたくない
男は真に感情的になる前に
偽りの理智を恵まれました。

     7

私は理性的な男ではありません
そして女の理解を早める方法を知りました、
私はすべてに対して
一般的な理解といふことに対して
絶望し憎む
感情こそあらゆるものを
本質へより迅速に到達することを
信じて疑ひません。
ますます理性的になつてゆかうとする
女としてのあなたこそ
私の眼から怖ろしい感情家にみえます。
男は理性的であるために
すべての凡百の女に尊敬され
そして凡百の男は遂に女を理解し尽さない、
新しい時代の新しい感情と
新しい理智、
それは新しい女の中にも二つを備へ
新しい男の中にも二つを備へ
ふかい相へだたる谷の空間を
とびこえ谷を充実するもの、
完全な男と女の理解の方法は
それは強い感情的な意志をもつた
男がそれを為しとげるでせう。


一つの太陽と二つの現実

日本的現実では
ラジオで仏法僧を聴いてゐる、
ソビヱット的現実では
トラクターが騒いでゐる、
幸福なことには
日本のインテリゲンチャは
渋面じゆうめんつくつて能面のうめんそつくりだ、
悲しいことには――夜明けでない、
おかしなことには――戦の智慧者と
戦術家がみんな降参してしまつた、
大胆不敵にも
善悪の道徳的拠りどころをもたずに
詩や小説や評論を書いてゐる、
だから子宮後屈しきゆうこうくつ症は満足な
作品を産んだためしがない、
これらの理由に就いて彼等はいふ、
すべて日本とアチラとの現実がちがふからだ、と
もつともの話だ、
宇宙に太陽がひとつよりないのに、
国家が幾つにも別れてゐることは――、
残念なことだ、
思想がそれぞれちがふといふことは――、
日本的現実の中で
木霊こだまと言ひ争ひをするやうに
自分の声と争つてゐたまへ、
孤独と自慰との一日を暮らしたまへ、
君の幸福な寝床の上を
熱い太陽がとほりすぎるだらう、
たつた一つよりない太陽が
二つの現実を
皮肉に笑つて通りすぎるだらう。


パドマ
  ――パドマとは梵語の蓮をいふ――

この世に怖ろしいものは韻律であらう、
あらゆるものは、これをもつて捕へることができる、無智な人々へは
単純な韻律の繰り返しを与へたらよい、
寺では木魚を鳴らす
ポクポク、ポク、ポク、ポクポクと
なんまいだ、なんまいだ、
なんまいだ、
君がもし恋人を計画的に
くどき落さうとするならば
彼女を、醒めてゐるものを――
夢の世界へ突き落さうとするのであれば、
乱調子に女の肩をゆすぶつてはいけない、
ただ静かに単純なくりかへしをもつて
彼女のもつとも××腺に近いところを叩いてゐたらいゝ
すると彼女は君のために、うつとりするだらう、
無智なる時代は
七五調をもつて恋文を書いたらいゝ、
無智なる時代は
五、七、五、七、七をもつて
恋歌を組み立てよ、
平和とは単純であるか――、
今はあらゆるものが波立つ
決して単純ではない、
ただ無智な人々ばかりが
生活の苦しみの救ひを
あらゆる単純なものに求めてゆく、
老いた百姓たちが
日中揃つて鍬をふりあげ
ハッシとそれを土に打ち込む
疲労は結晶となつて彼等の額からたれ
鍬の柄を伝つて汗は土の中に入る、
たちまち百姓達の額の汗は乾いてしまふ、
なんといふ百姓達のおそるべき
生活の苦痛の忘却よ、
爽やかに夕風が吹いてくると
百姓たちの労働は終る
そして僧侶たちの夜の労働と交替する、
寺男は鐘楼にのぼつて
鐘の急所を目がけて
撞木を老練にうちつける
臍をうたれた鐘の気狂ひ笑ひよ、
音は波紋を描いて
余韻は村中を駈けまはり、野に去る、
夜となる、村の若衆たちは踊りの
樽太鼓の鳴る方へゆく、
善男善女は梵鐘のリズムに吸ひつけられる、
寺院では合唱隊が読経を始め
一段高いところの肱掛椅子にもたれて
老師はいましも物柔らかに慇懃に
百姓たちに熱心に仏を説く、
ほれぼれするやうな
声はかういつてゐる、
――お爺さん

お婆さん
聞きちがへるぢやないぞよ、――
はきちがへるぢやないぞよ、――
救つて下されぢやないぞよ、――
助けて下されぢやないぞよ、――
弥陀の親様の方から
助けさしてくれいよ、
救はしてくれいよの、
お声がかりぢやぞよ。

寺院は風にさわぐ稲の穂のやうにざわめきたち、
あちこちに消え入るやうな人々の声、
なんまんだぶ、なんまんだぶ、
なんまんだぶ、
一個の木像を前にして
僧侶は前進、後退法衣の鮮やかな裾さばき
読経は男声四重唱
鐘、太鼓、木魚、銅鑼のオーケストラ、
見あげるやうな寺院の高い天井まで
読経の声と、香の煙と、匂ひで満たす、
緊張をもつて儀式は始まり
緊張をもつて終るやうに
一隊が朗々と読経すれば
指揮者が急所急所のカンどころで
経本をもつて立ちのぼる香煙サッと
切つて大見得をきる、
肝心なところでは合の手に
銅鑼係りがドラをもつて
ヂャンボン、ヂャンボン、心得たものだ、
なんと充実した音響の世界、
僧侶は、信者がこゝで思索することを好まない、
一切は弥陀の他力本願であつて
仏を批判するものは地獄へをちるぞ――
高坐の上から説教師は
技術のすばらしさをもつて大衆を説得する、
突如、狼のやうに叫ぶかとおもへば
また猫のやうな猫撫で声になる、
摂津の八郎兵衛の宗教物語、
――お師匠さま

弥陀の親さまの
おんとしは
幾つでござりませうか、
おゝ、八郎兵衛
弥陀の親さまの、おんとしか、
みだの親さまのおんとしは
そちと同じだぞよ
そちと同じだぞよ、

物語ひとくさり語り終ると
あちこちでは感動の嘆息とスヽリ泣き、
老婆は痩せた膝の中へ、すつかり頭を突つこんで
鼻水をすすり、すすり、
――あゝ、有り難い

御慈悲さまでござります
私のやうなイタヅラものゝために
五劫十劫の
御苦労あそばされるとは
何とまあ
広大な御慈悲さまで
ござりませう
なんまんだぶ、なんまんだぶ、
なんまんだぶ、

寺院の正面には白い大きな蓮
人間がその中に入つて座る、
花弁はしづかに閉ぢられて
生きながら極楽往生、蓮華往生、
中でしづかに死んでゆく
いましも往生をのぞむ奇特な老人のために、
儀式は始つてゐる、
寺院は湧き立つ鍋のやうに震動してゐる、
そのとき老人は、空虚な足どりをもつて
二人の僧侶に肩をささへられながら
蓮に通ずる階段をのぼつてゆく
直視するに到底堪へないほどの
老人の顔は、素朴な百姓の顔、
彼は蓮の花弁の中に端座する
花弁が音もなくとぢられ
花弁がしづかに開かれるとき
彼の肉体から、生命が
タンポポの柔毛が風に舞ひたつやうに、
高く去つてしまふために、彼は坐つた、
花は閉ぢられた、
寺は儀式の終末を告げる最後の
努力をもつてあらゆる楽器は
激情的な騒音を連続的に立て
僧侶たちは花の中の物音を
打ち消さうとするかのやうに奏楽すれば
信者たちは、花の中から聞えてくるコトリといふ
物音をも聞き洩すまいとするかのやうに
周囲の雑音と彼等の耳はたたかつてゐる
花の中の老人はすでに冷静を失つてゐた、
花の中は暗黒、彼の坐つてゐる空間は極度にせまい、
けだものの皮に縫ひこめられた人間の
苦痛にひとしい花びらの中に
とらへられた人間の不安、
台の下から恐怖が襲つてきた
生に対する猛烈な執着
指でアバラ骨を掻き鳴らし
生死の間の歌うたふ
老人よ、彼は立ち上らうとして
百姓的な頑固な両腕の
狂暴な力をもつて
花びらを押しひらかうとする、
すべては徒労ですでに遅い
老人は肛門のあたりに
何かが触れたのを知つた、
火のやうに熱したものか、氷のやうに冷却したものか、
瞬間ヒヤリと台の下から忍びこんだもの、
火もまた熱度の頂天に達するときは
氷のやうな感触をもつ、
燃えた鉄の蛇は
直立した堅さをもつて
肛門に飛びこみ
老人の腹の中をかけまはる苦痛に
彼は花弁に体うちつけ
老人は二言何事かを――絶叫した、
その声は高い
だが百の銅鑼がその声をうち消した、
まじまじとパドマを見まもる群集たち
鳴物ハタと一斉にやみ
固く閉ぢられた白蓮は
群集の注視の真只中に
みるみる紅蓮にかはつてゆく、
その時花のつぼみは
ポンといふ高い音がして開いた
その響きは
池の面に咲いてゐる蓮が
いま暁の瞬間に
生命の花ひらく感動の声か――、
あるひは娘が
処女性を失ふ瞬間に
軽い驚きを、ともなつた
感動の声のそのやうにか――、
ひとつの物体が、
充実したつぼみの世界から更に
大きな開花の
次の充実の世界へ移つてゆく
その瞬間に、
自然に発する声か――、
それとも抵抗する蓮の花弁を
百姓の力をもつて中から
強く押し開いた掛声であつたか――、
いや、いや、
花びらに自由自在
開き且つ閉ぢることのできたのは、
人工的なカラクリの
蓮の声であり、
仏の声である、
生きた蓮の花開く声ではない、
生きた百姓の声ではない、
――無智、と叫んで
己れを罵つた
百姓の苦悶の最後の二言は
僧侶の騒音、
寺院のあらゆる整頓された儀式の
形式に打ち消され
 彼はただ蓮の中で己れの口から発し
 それを己れ
 の耳に聴いたにすぎない

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