愛情詩集
痲痺から醒めよう
私を可哀さうだと
思つてくれるのか、
そして抱擁してくれるのか、
いゝ理解と、かわいゝ愛よ、
政治をうしなつた青年の
血みどろの焦燥を
慰さめてくれる貴女たちの愛よ、
女達は男の苦しみを
愛で埋めようとしてゐる、
文学の政治性に酔つてゐた日が去つた
文学のモルヒネ患者は
そろそろ薬が切れかけて
し(ママ)つきりなしに、号泣と、倦怠と
空白と、痲痺と、あくびの連続、
わたしは知つてゐる、
適宜に対手の棍棒が
痲痺を与へる程度の打撃を
我々の後頭部に
加へられてゐるといふことを、
さあ、早く醒めなければならない、
早く政治がなくても
淋しがらない文学の子となつたらいゝ、
非戦闘部員は政治から放逐された、
そして女の愛を激しく求めてゆく、
愛はまた新しい痲痺状態を与へ始める、
思ひあがつた文学者の
政治の愛の毒よりも、
女の真実の愛ははるかに楽しい、
しかしこゝにもまた怖ろしい
よろめきがある。
汽車と踏切番
動揺と苦しみの
愛の路ははてもない。
漂泊(さまよ)ひだした貴女と私、
どうぞ、寂寥のために
物怖ぢのために――、
私に寄り添はず
胸の中にも抱かれずに
茫然としたくるしみの中で
はつきりと愛の行路を
発見して行かう。
さあ、疲れたら塩気のあるものを
また糖分をなめたり喰べたりして
獣のやうにではなく
人間のやうに
愛の路をすゝんでゆかう、
あなたの行く路は幸福に通ずる鉄の路です、
あなたが汽車になってゆくとき
わたしは踏切番になり、
あなたが今度は踏切番になつたとき
わたしが汽車になつてゆく、
ふたりが愛の乗客になつて
酔つてしまつたら、激しい生活の流れを
さへぎることをしなかつたら
きつと二人の生活は転覆するでせう。
愛はとかく通りすぎるものです、
時間も無視して酔ふものです、
一方が、一方をかならず守るものが必要です
怪我のないやうに目的地に着くやう
汽車になつたり踏切番になつたりしてゆかう。
昂然たる愛にしよう
[*底本では「昂」は下左の部分が「工」の俗字を使用]
心がうなだれたとき
わたしはあなたを抱へ起した
わたしの心がうなだれたとき
あなたはわたしの顔を支へた、
なんて愛とは
うなだれ勝になるものか、
支へがたいものは貴女の可憐な
肉体のなかにある女の純情だ、
跳ねかへる弾機(ばね)は
わたしの四肢の中にある男の意志だ、
冷静にならう、
愛は大きな事業だから、
笑つて語らう、
愛がうなだれて個人的な酔ひとして
芝生の上に眠つてしまつたとき
社会的な隷属の蜘蛛のあみが
するすると二人の上にをりてくる
本能とたたかふ
理智の剣で
パッと網を跳ねあげたらいゝ、
決して教養は
愛に冷酷なものでない、
それは愛を暖めるものだ、
うなだれ勝な愛を
昂然たるものにしよう、
貧乏人の理智と教養とをもつて、
かつて築かなかつた幸福
浄化された慾望は
どんなに若者たちの愛を清潔にするだらう、
人間としてほゝゑましい微笑を
投げかけあつて生活したらいゝ
新しいあなたの愛情に
古い報い方をしないやうに
新しい精神をささげよう。
女を見飽きたり、知り飽きたりしたと
臆面もなく言ふ男が多いのに
私は驚いた、
うつくしさの再吟味を
理論でやつてから
改めて女の美しさを発見しようとする
気の長い男達が少くないのだ。
そのうちに老齢がやつてくる
若いものの逢引に
シッシッと唾をかけたり
水をさしたりする可哀さうな
ひがみ屋になるだらう。
私は若さに答へよう――、
愛に速度を加へつつ
肉体的にもつれる暇を
生活のたたかひにもつて行きたい、
人々が曾つて築かなかつた
精神の濃度な
精神の物質化――の世界に
あなたと愛の生活を昂めようとする、
愛の冒険のさなかにあつて、
二つの性の冒険をなしとげつつ、
生活の伴侶として
ひとつの結合にむかふ。
弱い愛に負けてゐる
強いものと闘ふ私は
ただ専心に熱中すればいゝ、
なんの技術を用ゐる余地があらう、
弱いものに
真実を語ることが
いかに苦しいことであるか、
君はそれを知つてゐるか、
説きがたい愛を説かうとするとき、
私はどんな態度に出なければならぬか、
私は相手の弱さを
強くひきあげなければならないから
私はほんとうに汗みどろになるのだ、
私は弱い相手には
時間――といふ唯一の救済者の
力を借りるより方法がない
時間がすべてを解決し
すべてを正しい位置につかせてくれる、
不自然も、矛盾も、技巧も、嘘も、
泥酔、歌、儀礼、謙譲も、
愛に不用なこれらのものも
いまは一切入用な時だ
強いものには技術がいらない、
弱いものには説かなければならない、
無事に夜よ、去つてゆけ、
愛の説明の時間よ、
苦痛の時間よ、
私の強い愛が、
あなたの弱い愛に負けてゐる。
さういふ自然さは美しい
健康な胸でしつかりと
生活をまもつてゐる貴女
働いてゐる女の鼓動の整調さがきこえる、
どんなに本能的に私の胸の中で
身ぶるひしてゐるときでも
動物的な心臓の鼓動の昂まりから
人間的な静まりにかへつてゆく、
顔見合せて吐息をつく
あゝ、無事で何の過失も起きなかつた――、
なにが無事で、
どんな過失をのがれたのか
ふたりの前を流れてゐる河は
逆流しなかつたことだ、
太陽は自然の正しい位置に
冷静にほゝゑんでゐる、
たがひに冷静であつたことを感謝した、
私は肉体的に貴女を愛することで
あなたから生活をうばふ権利を
誰からも与へられてゐない、
肉体的であるといふことを
私は少しも怖れてはゐない、
ただ求めないものを
与へないだけだ、
さういう自然さは美しい。
愛と訓練
貴女達の強い性格を
私は好ましくながめる、
あなたは生活を愛し、職業を軽蔑しない、
生産者だから
私は大きな感情で
あなた達を愛することができる、
愛はすべてを単純化したがる
復(ママ)雑のまゝでをかなければ
ならないものまでも――、
だから愛することは
辛く、怖ろしく、
たがひに社会意識を失ふことが
ないかどうかを吟味し、吟味しながら
手がたく愛し合はうとする、
それも又新しい型の階級の本能だらう、
愛の恍惚は生活を忘却してしまふ、
それをぐんと堪へ得るもののみが、
新しい恋愛のできる資格者だ、
はたらく女達よ、
美しい惨忍性をもつてゐる、
それは訓練された主観だらう。
底本:「新版・小熊秀雄全集第4巻」創樹社
1991(平成3)年4月10日第1刷
入力:浜野智
校正:八巻美恵
ファイル作成:浜野智
1998年9月8日公開
1999年8月28日修正
青空文庫作成ファイル:
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