新版・小熊秀雄全集第2巻 |
創樹社 |
1990(平成2)年12月15日 |
序
たぐひなく美しい幻に満ちた東洋の国日本の過去は、私の祖国として愛着措かないものである。
そして同時に美くしかるべき私の国に、私といふ悪魔の相貌をもつた子が生れたといふことに就いて、私は何者かに充分責められていゝ。
今茲に私の異態の知れない思想を一冊の詩集にまとめて世におくるといふことは、喜んで良いことであらうか、悲しんで良いことであらうか、私自身わからない。
或る者は私の思想をさして、人道主義であるとし、或は悪魔主義、或は厭世主義の詩人であるとし、またロマンチストかリアリストか軍配を挙げ兼ねてゐる。私はこの一ケ年間あらゆる角度から、千差万別の批評をなげかけられてきた、もし私に真理を信奉する不屈な負け嫌ひな態度がなかつたならば、私はいまこの詩集を世に出すに先立つて、私は世間的な批評の重石で、ぺちやんこに圧死してゐたであらう。ともあれこゝに私の思想の小体系を一冊にまとめて、民衆の心臓への接触の機会をつくり得たことはこの上もなく嬉しい。
読者諸氏は私のこの詩集の読後感として、『ある特別なもの』を感じられることと信じる。従来の詩の形式、詩の概念に、何かしら新しいプラスを私の詩から感じられたことと信じる、それは他でもない私はその詩人としての力量と可能な力をもつて、これまでの日本の詩の形式へ破壊作業を行ひつづけてこれまで来たその幾分の収穫である。真に民衆の言葉としての『詩』を成り立てなければならないといふ私の詩の事業は、果敢ないものであるが、私の本能がそれを今後も持続させるだらう。
或る者が『小熊は偉大な自然人的間抜け者である』といつた言葉が私をいちばん納得させた評言であつた、私は民衆の偉大な間抜けものゝ心理を体験したと思つてゐる、民衆はいま最大の狂躁と、底知れぬ沈欝と現実の底なる尽きることのない哄笑をもつて、生活してゐる、一見愚鈍であり、神経の鈍磨を思はせる一九三五年代の民衆の意志を代弁したい。
そしてこの一見間抜けな日本の憂愁時代に、いかに真理の透徹性と純潔性を貫らぬかせたらよいか、私は今後共そのことに就いて民衆とともに悩むであらう。
一九三五年五月
小熊秀雄
I
蹄鉄屋の歌
泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄(ひづめ)から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷だらうか、
若い馬よ。
少年よ、
私はお前の爪に
真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
そしてわたしは働き歌をうたひながら、
――辛抱しておくれ、
すぐその鉄は冷えて
お前の足のものになるだらう、
お前の爪の鎧になるだらう、
お前はもうどんな茨の上でも
石ころ路でも
どんどんと駈け廻れるだらうと――、
私はお前を慰めながら
トッテンカンと蹄鉄うち。
あゝ、わが馬よ、
友達よ、
私の歌をよつく耳傾けてきいてくれ。
私の歌はぞんざいだらう、
私の歌は甘くないだらう、
お前の苦痛に答へるために、
私の歌は
苦しみの歌だ。
焼けた蹄鉄を
お前の生きた爪に
当てがつた瞬間の煙のやうにも、
私の歌は
灰色に立ちあがる歌だ。
強くなつてくれよ、
私の友よ、
青年よ、
私の赤い焔(ほのほ)[#焔の火へんを炎にしたうえで、へんとつくりをいれかえた字、焔の正字と同字]を
君の四つ足は受取れ、
そして君は、けはしい岩山を
その強い足をもつて砕いてのぼれ、
トッテンカンの蹄鉄うち、
うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ、
共に同じ現実の苦しみにある。
馬上の詩
わが大泥棒のために
投繩を投げよ
わが意志は静かに立つ
その意志を捕へてみよ。
その意志はそこに
そこではなく此処に
いや其処ではなくあすこに
おゝ検事よ、捕吏よ、
戸まどひせよ。
八つ股の袖ガラミ捕物道具を、
そのトゲだらけのものを
わが肉体にうちこめ
私は肉を裂いてもまんまと逃げ去るだらう。
仔馬、たてがみもまだ生えた許り、
可愛い奴に私はまたがる、
私の唯一の乗物、
そいつを乗り廻す途中には
いかに大泥棒といへども
風邪もひけば
女にもほれる、
酒ものめば、
昼寝もする、
すべてが人間なみの生活をする。
ただ私の大泥棒の仕事は
馬上で詩をつくること、
先駆を承はること、
前衛たること、
勇気を現はすことにつきる。
私が馬上にあつて
詩をうたへば――。
あゝその詩は
金持の世界から何者かをぬすむ、
まづ奴等の背骨をぬすむ
奴等がぐにや/\に腰がくだけてしまふやうに
それから歴史を盗む、
そしてこつちの帳面にかきかへてしまふ、
それから婦人を盗む、
こいつはたまらない獲り物だ。
偶然をぬすんで必然の袋へ、
学者をぬすんで
我々の記録をつくつて貰ふ、
少女をぬすんで
我々の仲間のお嫁さんに、
国家をぬすんで
こ奴を血にいつたん潜らせる。
宗教をぬすんで
こいつだけは只でくれても
我々の世界では貰ひ手がない。
わが友よ、
戦へ、
敵のもちものは豊富だぞ――、
ぬすめ、
それぞれ大泥棒の襟度を現はせよ、
仔馬の集団、
赤きわが遠征隊、
捕吏の追跡、
閃めくカギ繩マントでうけよ、
マントが脱げたら
上着でうけよ、
上着がぬげたら素裸だ、
鞍が落ちたら
裸馬だ。
すべて我々は
赤裸々にかぎる、
行手は嵐、
着衣は無用だ、
裸のまゝ乗り入れよ。
裸の詩をうたへよ。
わが大泥棒の詩人たちよ。
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