聖書は私の母でない
わたしが激しい憤りに
みぶるひを始めるとき
それはあらゆる「自由」獲得の
征途にのぼつたときだ
その時、私は不謹慎でなければならない
不徳でも
また貪慾でもなければならぬ
これらの悪い批評を歓迎する
下僕共は主人の規律を守らうとして
あらゆる既存の調和と道徳を愛する
『人間が犯し得る、あらゆる不善は
いづれも皆、公然と聖書に
記されたるもののみならずや』
――ウィリアム、ブレーク――
聖書もまた喰ひたりない
私が犯す不善は
聖書の中に書いてないから
聖書は私の母ではない
彼は私を抱き緊めることができない
歴史はまだまだ聖書に
かかれてゐない偉大な不善を
われわれの手によつて犯すだらう
然もその不善は
あくまで独創的な
プロレタリアートのそれである。
漫詩 親孝行とは
悪い紙芝居屋とあつたものだ。
子供を集めて
言ふことがふるつている
『諸君
子供諸君。
お父さんとお母さんは
夫婦だよ――。』
子供の中にも物識りがゐる
『きまつてらあ、
夫婦だから
夫婦喧嘩をやるんだい――』
『諸君、
賢明なる
子供諸君。
それでは親孝行とは
どうするか知つてるか。』
『知つてらい、
今は不景気だから
三杯飯を喰ひたけりや
二杯で我慢をしてをくのが
親孝行だい――。』
『諸君、
最も賢明なる
プロレタリアの子供諸君。
紙芝居の小父さんが
褒賞(ほうび)をやらう
欲しいものは手を上げろ
――よろしい
それでは早速飴をやらう
家へ走つて行つて一銭貰つて来い。』
散文詩 鴉は憎めない
私は朝の鴉を愛する。英吉利(いぎりす)風(ふう)のフロックの、青年紳士の散歩者のやうに、いかにも軽快な歩調で、かるく飛ぶやうに、幾分しめつた朝の路上の明るさを、気軽るに歩るき廻つてゐる姿はよい。
ことに遠くの空からとんで来て、私の家(うち)の屋根の、とんがりのところへきて、一二度くるりと輪を画(ゑが)き、太くたくましい足を、充分に宙にのばしてから、その目的物である私の屋根の上に立つ、そして二三度、黒くつや/\とした体を、上下にゆり動かしてから、落ついたみなりとなる。
いつも朝のきまつた時間にきてとまる、そしてきまつた時刻には、どこかに飛んで行つて了ふ、いはゞ私の家の屋根は、彼の旅行にとつては唯一の標識であつて、途中の安息の習慣をつくつたのかも知れない。
彼がこのあまり広くもない、遊歩場に降りたつたときの姿は、ちやうど、遠くばら色の、未明の空を出発し、途中で幌馬車を乗りすてゝ[#底本「て」を変更]、いまこの屋根の上に、葉巻をくゆらすといつた格好で、その気どつた姿で、屋根の上をあちこちと漫歩するすがたが、平民主義の貴族の若様を想はせる。
彼は屋根の上から、清澄の朝の街にむかつて独唱する、ひとびとはこの独唱を、幸福の讃歌(うた)ときく、さはやかに澄んだ、祝福の歌ときく、おそらくは彼自身も、混濁のない、からつぽの胃袋を、充分にふくらまして、誠意ある朝の祝福をさゝげてゐるのにちがいない。私は彼の有名な悪食家であることを知つてゐる、だから食後の不浄の歌をきくことを好まない、そしていま朝の鴉の、食前の空腹の歌を嬉しく思はれる。
私は三つの鴉のうちで朝の鴉がいちばん好きだ。
いつの間にか、鴉は憂鬱な眼になつてゐた。昼の鴉は、朝のとをめいさとは似てもにつかぬ、疲れきつたすがたをして街の褐色の土のわづかばかり、拡がつた空地に、たくさんより集まつて、其処の窪みの土をさかんに掘り返しては、なにやら赤いものを引き出しては、うばひ合をしてゐた。
あるものは遠くの空から飛んできて、なんのためらひもなく、この争ひの集団の頭上に降りる。だがその鴉は、浪のやうにもみあふ中(うち)に、すぐ隠れて見えなくなる。
この集団から、いくらか離れた、草地を歩るいてゐるのもある。その歩行が妙によち/\とよろめいた、足取りの交叉をみせて、黒煙と音響をあまりに飽食した、都会の中毒者といつた姿だ、其他頸をぴんとあげて、腰をうかせるやうに、調子をとつて歩るいてゐる鴉をみると、黒いマントをきた、不良少年といつた格好をしてゐる。
これら午後の都会の空をとびまはる鴉は、日没のちかづくに随つて、彼等の感情は、異常な青さとなつて輝いてくる。ますます怪しいふくざつな感情と変化する、遥に颶風(ぐふう)の空から舞ひ降りて、斬首人(ざんしゆにん)のしやつぽに休息するほどの、捨身な感情とまでなつてしまふ。そして電柱から電柱へ、屋根から屋根へ、いつこくも落つかない飛行をくりかへす。
なかには、繁華な街の十字路の、乾ききつた、埃だらけの地面におりた鴉は、すりきれ果てた、みぢめな尻尾を、さかんに土にふり廻して、倦怠な楽書(らくがき)をやつてゐるすがたが、殊更日暮れの空気と調和した。なやましく退廃した景色となる。
私は夜の鴉の生活をしらないが、日没どきのぼんやりとした、空の明るさの中に、すつくと黒く伸びた、高い裸木(はだかぎ)に、果実のやうに止まつてゐた、鴉の集団を見あげたことがある、どの鴉もみな、あるきまつた間隔の距離に、ひつそりとした沈思を続けてゐるすがたが、いかにも暗示的で可愛らしい。
鴉は、朝と昼と夜との、三つの異つた個性と感情をもつてゐる。
この個性と感情は、をりをりの違つた空気と風景とによつて、さまざまに変形する。いくつにも細かに変形する。
わたしはこの不可解な友人を、たんに悪徳と怠惰の鳥とは見ない。多く逸楽し、多くの頽廃を知る人間は、多くの人生を知るやうに、わたしはこの悪食の友人を、たんなる鳥類とは見ない、わたしは他のさまざまの鳥類が、やさしく美麗なる羽をひろげて、純情のままに大空をかけめぐる、無心のすがたも愛らしいが、総(あら)ゆるものの、醜悪と腐敗の燐光を放つてゐる。私等人間社会に、もつとも密接な巷の土にきて、わたしらの生活に似かよつた、生活を営んでゐる、愛らしい鴉の感情を憎む気にはなれない。
ことに彼が、人間にも似た確(しつか)りとした理智の眼をもつて居り、同時に彼が、友人とはげしい争闘をするときは、嵐のやうな激情の、凄まじい男性味をもつてゐる。
私は彼を憎めない。彼が青い模様のついた、黒いマントを地面に引きずつて、ぴよん、ぴよんと、片足で歩いてゐるすがたを、じつと見てゐると、その黒色のもつ暗示の魅力に、いつの間にか、ずるると引きこまれてしまふ感情となる。
底本:「新版・小熊秀雄全集第1巻」創樹社
1990(平成2)年11月15日第1刷
入力:浜野智
校正:八巻美恵
ファイル作成:浜野智
1999年4月14日公開
1999年8月28日修正
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