時代推理小説 半七捕物帳(六) |
光文社時代小説文庫、光文社 |
1986(昭和61)年12月20日 |
1997(平成9)年3月20日第7刷 |
一
文化九年――申年の正月十八日の夜である。その夜も四ツ半(午後十一時)を過ぎた頃に、ふたりの娘が江戸小石川の目白不動堂を右に見て、目白坂から関口駒井町の方角へ足早にさしかかった。
駒井町をゆき抜ければ、音羽の大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には江戸城の御賄組の組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内福であったらしい。今ここへ来かかった二人の娘は、その賄組の瓜生長八の娘お北と、黒沼伝兵衛の娘お勝で、いずれも明けて十八の同い年である。
今夜は関口台町の鈴木という屋敷に歌留多の会があったので、二人は宵からそこへ招かれて行った。いつの世にも歌留多には夜の更けるのが習いで、男たちはまだ容易にやめそうもなかったが、若い女たちは目白不動の鐘が四ツを撞くのを合図に帰り支度に取りかかって、その屋敷で手ごしらえの五目鮨の馳走になって、今や帰って来たのである。屋敷を出る時には、ほかにも四、五人の女連れがあったのであるが、途中でだんだんに別れてしまって、駒井町へ来る頃には、お北とお勝の二人になった。
夜更けではあるが、ふだんから歩き馴れている路である。自分たちの組屋敷まではもう二、三丁に過ぎないので、ふたりは別に不安を感じることも無しに、片手に提灯を持ち、片袖は胸にあてて、少し俯向いて、足を早めて来た。
坂を降りると、右側は二、三軒の屋敷と町屋で、そのあいだには寺もある。左側は殆どみな寺である。屋敷は勿論、町屋も四ツ過ぎには表の戸を閉めているので、寺町ともいうべき此の大通りは取り分けて寂しかった。春とは云っても正月なかばの暗い夜で、雪でも降り出しそうな寒い風がひゅうひゅう吹く。二人はいよいよ俯向き勝ちに急いで来ると、お北は何を見たか、俄かに立ち停まった。
「あら、なんでしょう」
お勝も提灯をあげて透かして見ると、ふたりの行くさきに一つの白い影が舞っているのである。更によく見ると、それは白い蝶である。普通に見る物よりやや大きいが、たしかに蝶に相違なかった。蝶は白い翅をひるがえして、寒い風のなかを低く舞って行くのであった。二人は顔を見あわせた。
「蝶々でしょう」と、お勝はささやいた。
「それだからおかしいと思うの」と、お北も小声で云った。「今頃どうして蝶々が飛んでいるのでしょう」
時は正月、殊にこの暗い夜ふけに蝶の白い形を見たのであるから、娘たちが怪しむのも無理はなかった。二人はそのまま無言で蝶のゆくえを見つめていると、蝶は寒い風に圧されるためか、余り高くは飛ばなかった。むしろ地面を掠めるように低く舞いながら、往来のまん中から左へ左へ迷って行って左側の或る寺の垣に近寄った。それは杉の低い生垣で、往来からも墓場はよく見えるばかりか、野良犬などが毎日くぐり込むので、生垣の根のあたりは疎らになっていた。蝶はその生垣の隙間から流れ込んで、墓場の暗い方へ影をかくした。
それを不思議そうに見送っていると、二人のうしろから草履の音がきこえて、五十ばかりの男が提灯をさげて来た。彼は通り過ぎようとして見返った。
「御組屋敷のお嬢さん達じゃあございませんか」
声をかけられて、二人も見かえると、男は音羽の市川屋という水引屋の職人であった。ここらは江戸城に勤めている音羽という奥女中の拝領地で、音羽の地名はそれから起こったのであると云う。その関係から昔は江戸城の大奥で用いる紙や元結や水引のたぐいは、この音羽の町でもっぱら作られたと云い伝えられ、明治以後までここらには紙屋や水引屋が多かった。この男もその水引屋の職人で、源蔵という男である。多年近所に住んでいるので、お北もお勝も子供のときから彼を識っていた。
「今時分どこからお帰りです」と、源蔵はかさねて訊いた。
「鈴木さんへ歌留多を取りに行って……」と、お北は答えた。
「ああ、そうでしたか」と、源蔵はうなずいた。「そうして、ここで何か御覧になったんですか」
「白い蝶々が飛んでいるので……」
「白い蝶々……。ご覧になりましたか」
「こんな寒い晩にどうして蝶々が飛んでいるのでしょう」と、お勝が訊いた。
「わたくしももう三度見ましたが……」と、源蔵も不思議そうに云った。「まったく不思議ですよ。去年の暮頃から、時々に見た者があると云いますがね。この寒い時節に蝶々が生きている筈がありませんや、おまけに暗い晩に限って飛ぶというのは、どうもおかしいんですよ」
武家の子とはいいながら、若い娘たちはなんとなく薄気味悪くなって、夜風がひとしお身にしみるように感じられた。
「蝶々はどっちの方へ飛んで行きました」と、源蔵はまた訊いた。
「お寺のなかへ……」
「ふうむ」と、源蔵は窺うように墓地の方を覗いたが、そこには何かの枯れ葉が風にそよぐ音ばかりで、新らしい墓も古い墓も闇の底に鎮まり返っていた。
提灯の火が又ひとつあらわれた。拍子木の音もきこえた。火の番の藤助という男がここへ廻って[#「廻って」は底本では「廻つて」]来たのである。三人がここに立ち停まっているのを見て、藤助も近寄って来た。
「なにか落とし物でもしなすったかね」
彼も三人を識っているのである。源蔵から白い蝶の話を聞かされて、藤助も眉をよせた。
「その蝶々はわたしも時々に見るがな。なんだか気味がよくない。今夜はこの寺の墓場へ飛び込んだかね」
「誰かの魂が蝶々になって、墓の中から抜け出して来るんじゃないかね」と、源蔵は云った。
「なに、墓から出るんじゃない、ほかから飛んで来るんだよ。墓場へはいるのは今夜が初めてらしい」と、藤助は云った。
「だが、蝶々が何処から飛んで来て、どこへ行ってしまうか、誰も見とどけた者は無い。第一、あの蝶々はどうも本物ではないらしいよ」
「生きているんじゃ無いのか」
「飛んでいるところを見ると、生きているようにも思われるが……。わたしの考えでは、あの蝶々は紙でこしらえてあるらしいね。どうも本物とは思われないよ」
聴いている三人は又もや顔を見あわせた。
「わたしもそこまでは気が付かなかったが……」と、源蔵はいよいよ不思議そうに云った。「紙で拵えてあるのかな。だって、あの蝶々売が売りに来るのとは、違うようだぜ」
「蝶々売が売りに来るのは、子供の玩具だ。勿論、あんな安っぽい物じゃあないが、どうも生きている蝶々とは思われない。白い紙か……それとも白い絹のような物か……どっちにしても、拵え物らしいよ。だが、その拵え物がどうして生きているように飛んで歩くのか、それが判らない。なにしろ不思議だ。あんな物は見たくない。あんなものを見ると、なにか悪いことがありそうに思われるからね。といって、わたしは商売だから、毎晩こうして廻っているうちに、忌でも時々見ることがある。気のせいか、あの蝶々をみた明くる日は、なんだか心持が悪くって……」
こんな話を聴かされて、三人はますます肌寒くなって来た。お勝はお北の袂をそっと曳いた。
「もう行きましょうよ」
「ええ、行きましょう」と、お北もすぐ同意した。
「そうだ。だんだんに夜が更けて来る。お嬢さんたちはお屋敷の前まで送ってあげましょうよ」と、源蔵が云った。
藤助に別れて、三人はまた足早にあるき出したが、音羽の通りへ出るまでに、蝶は再びその白い影をみせなかった。娘たちの組屋敷は音羽七丁目の裏手にあるので、源蔵はそこまで送りとどけて帰った。
お北の父の瓜生長八は、城中へ夜詰の番にあたっていたので、その夜は自宅にいなかった。瓜生の一家は長八と、妻のお由と、長女のお北と、次女のお年と、長男の長三郎と、下女のお秋の六人暮らしで、男の奉公人は使っていない。長三郎は十五歳で、お年は十三歳である。お北の帰りが少し遅いので、長三郎を迎えにやろうかと云っているところへ、お北は隣家のお勝と一緒に帰って来た。水引屋の職人に送って貰ったと云うのである。
「唯今……。どうも遅くなりました」
茶の間へ来て、母のまえに手をついた娘の顔は蒼かった。
「お前、どうしたのかえ」と、母のお由は怪しむように訊いた。
「いいえ、別に……」
「顔の色が悪いよ」
「そうですか」
白い蝶が若い娘たちを気味悪がらせたには相違なかったが、お北自身は顔の色を変えるほどに脅かされてもいなかった。彼女は却って母に怪しまれたのを怪しむくらいであった。しかし、まんざら覚えのないわけでも無いので、白い蝶の一件を母や妹に打ち明けようと思いながら、なぜかそれを口に出すのを憚るような心持になって、お北は結局黙っていた。
「この春は風邪が流行ると云うから、気をお付けなさいよ」と、なんにも知らない母は云った。
夜も更けているので、妹のお年は姉の帰りを待たずに、さっきから次の間の四畳半に寝ていたのであるが、このとき突然に魘されるような叫び声をあげた。なにか怖い夢でも見たのであろうと、お由は襖をあけて次の間へ行った。
唸っているお年を呼び起こして介抱すると、少女のひたいには汗の珠がはじき出されるように流れていた。
お年の夢はこうであった。彼女が姉と一緒に広い草原をあるいていると、姉の姿がいつか白い蝶に化して飛んでゆく。おどろいて追おうとしたが、とても追いつかない。焦れて、燥って、呼び止めようとするところを、母に揺り起こされたのである。
その夢の話を聴かされて、お北ははっと思った。今度こそは本当に顔色を変えたのである。しかもそうなると、白い蝶の一件を洩らすことがいよいよ憚られるように思われて、彼女はやはり口を閉じていた。母も少女の夢ばなしに格別の注意を払わないらしかった。
「子供のうちはいろいろの夢をみるものだ。姉さんはここにいるから、安心しておやすみなさい」
お年は再び眠った。他の人々も皆それぞれ寝床にはいったが、その後にはなんの出来事もなく、瓜生の一家は安らかに一夜を過ごした。宵からの疲れで、お北も他愛なく眠った。
風は夜のうちに止んでいたが、明くる朝は寒かった。こんにちと違って、その当時の音羽あたりは江戸の場末であるから、庭にも往来にも春の霜が深かった。早起きを習いとする瓜生の家では、うす暗いうちから寝床を離れて、お由は下女に指図して台所に立ち働いていた。お北は表へ出て門前を掃いていると、隣家の黒沼でももう起きているらしく、お勝も箒を持って門前へ出てきた。ふたりの娘はゆうべの挨拶を終ると、お勝は摺り寄ってささやくように云った。
「あなた、ゆうべの事を誰かに話しましたか」
「いいえ。まだ誰にも……」
「わたしはお母さまに話したのですよ」と、お勝はいよいよ声をひくめた。「そうしたら、お母さまはもう白い蝶々のことを知っているのです」
「お母さまも見たのですか」
「自分は見ないけれども、その話は聞いているのだそうです。お父さまに話したらば、そんな馬鹿なことを云うなと叱られたので、それぎり誰にも云わなかったのだそうです」
御賄組などはその職務の性質上、どちらかと云えば武士気質の薄い人々が多いのであるが、お勝の父の黒沼伝兵衛は生まれつき武士気質の強い男で、組じゅうでも義理の堅い、意地の強い人物として畏敬されていた。その伝兵衛に対してお勝の母が何か怪談めいた事など話した場合、あたまから叱り飛ばされるのは知れ切っていた。
お勝の母の話によると、このごろ夜が更けると怪しい蝶が飛びあるく。それはお勝らが見たのと同じように、普通の物よりやや大きい白い蝶で、それが舞い込んだ家には必ず何かのわざわいがある。多くは死人を出すと云うのである。
「お母さまがどうしてそんな事を御存じなのでしょう」と、お北は又訊いた。[#「。」は底本では「、」]
「それはね」と、お勝は更に説明した。「四、五日前に白魚河岸のおじさんが御年始にきた時に、お母さまに話したので……。八丁堀でも内々探索しているのだそうです」
白魚河岸のおじさんと云うのは黒沼の親類で、姓を吉田といい、白魚の御納屋に勤めている。吉田は土地の近い関係から、八丁堀同心らとも知合いが多いので、その同心の或る者から白い蝶の秘密を洩れ聞いたらしい。してみると、まんざら無根の流言とも云えないのであるが、伝兵衛は飽くまでもそれを否認していた。彼はこんなことまで云った。
「白魚河岸がそんな出たらめを云うのか。さもなければ、この頃はお膝元が太平で、八丁堀の奴らも閑で困るもんだから、そんな、詰まらない事を云い触らして、忙がしそうな顔をしているのだ。ばかばかしい」
こう一と口に云ってしまえばそれ迄であるが、白魚河岸のおじさんは嘘を云うような人ではない。八丁堀の人たちが幾ら閑だからといって、根も葉もないことに騒ぎ立てるはずもあるまいと、お勝の母は夫に叱られながらも、内心はそれを信じていた。
その矢さきに、お勝が現在その白い蝶の飛ぶ姿を見たと云うのであるから、母はいよいよそれを信じないわけには行かなくなった。
「それですから当分は夜歩きをしない方がいいと、お母さまは云っているのですよ」と、お勝はさらに付け加えた。
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