二
おととしの五月、六所明神の闇祭りを見物に来た江戸の二人連れがあった。それは四谷の和泉屋という呉服屋の息子清七と、その手代の幾次郎で、この柏屋に泊まったのであるが、祭りは殆ど夜明かしで朝まで碌々眠られなかったので、夜が明けてから寝床にはいって午過ぎに起きた。これでは明るいうちに江戸へはいれまいと云うので、八ツ(午後二時)過ぎにここを出て、二人は調布に泊まることになった。いずれも二十二、三の若い同士であるので、唯の宿屋には泊まらないで、甲州屋という女郎屋にはいり込んだ。
ここは友蔵の娘が奉公している店で、そのお国が清七の相方に出た。お浅という女が幾次郎に買われた。お国はそのとき二十歳で、この店の売れっ妓であったが、見すみす一夜泊まりと判っている江戸の若い客を特別に取り扱ったらしく、その明くる朝は互いに名残りを惜しんで別れた。
江戸には遊び場所もたくさんある。殊に眼のさきには、新宿をも控えていながら、清七はお国のことを忘れ兼ねて、店の方をどう云い拵えたか知らないが、その後もふた月に一度ぐらいは甲州屋へ通っ[「っ」は底本では「つ」と誤植]て来た。その当時の甲州街道でいえば、新宿から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里二十四丁、あわせて四里の道を通って来るのであるから、相手のお国はいよいよ嬉しく感じたらしい。こうして一年あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人のあいだに身請けの相談が始まった。
こうなると親にも打ち明けなければならないので、お国は父の友蔵を呼んで相談すると、友蔵はよろこんで承知した。しかし江戸の客が身請けをするなぞと云えば、主人も足もとを見て高いことを云うに相違ないから、おれが直々に掛け合って、親許身請けと云うことにして、十五両か二十両に値切ってやる。ともかくもその清七という男に二十両ばかりの金を持たせて来いと教えた。
その教えに従って、清七は二十五両ほどの金を持って、府中の友蔵をたずねて行くと、友蔵はおとなしい清七をだまして、その金をまき上げてしまった。そうして、十五両や二十両の端下金で大事の娘をおめえ達に渡されるものか、娘がほしければ別に百両の養育料を持って来いとそらうそぶいた。それでは約束が違うと争ったが、清七は友蔵の敵でない。果てはさんざんに撲られて表へ突き出された。
くやし涙に暮れながら甲州屋へもどった清七は、お国とどういう相談を遂げたのか知らないが、その夜のうちに甲州屋をぬけ出して多摩川の河原に出た。水が浅いので死ねないと思ったのであろう。お国が持ち出した剃刀で、男は女の喉を突いた。さらに自分の喉を突いた。それでも直ぐには死に切れなかったらしく、血みどろの二人は抱き合ったままで、浅瀬にすべり込んで倒れているのを、明くる朝になって発見された。別に書置らしい物は残されていなかったが、二人が合意の心中であることは疑うまでもなかった。
それは去年の八月、河原の蘆の花が白らんだ頃の出来ごとで、若い男女をむごたらしい死の淵に追いやったのは、友蔵の悪法に因ることが自然に世間にも知れ渡ったが、相手が悪いので甲州屋でも表向きの掛け合いをしなかった。それをいいことにして、友蔵は平気で遊び暮らしていたが、その以来、さなきだに評判の悪い友蔵はいよいよ土地の憎まれ者になった。お国と清七の幽霊が恨みを云いに出るという噂も立てられた。友蔵は昼間こそ平気な顔をしているが、夜は血だらけの幽霊ふたりに責められて、唸って苦しむなどと誠しやかに云い触らす者もあった。
宿屋の女中らの話は先ずこうである。成程ひどい奴だと半七らも云ったが、お国と清七が合意の心中である以上、表向きには友蔵をどうすることもできないのは判っているので、その上の詮索もしなかった。明くる朝、宿屋を立って、宿のはずれへ来かかると、きのうの男の児が二、三人の友達と往来に遊んでいるのを見付けたので、幸次郎は声をかけた。
「おい、おい。お化けの出る家と云うのは何処だえ」
「あすこだよ」と、男の児は指さして教えた。それは七、八軒さきの小さい茅葺屋根の田舎家で、強い風には吹き倒されそうに傾きかかっていた。その軒さきには大きい槐の樹が立っていた。
どうで通り路であるから、その家の前を行き過ぎながら、三人は横眼に覗いてみると、槐の樹の股に一羽の大きい鵜がつないであって、その足に「うりもの」としるした紙片が結び付けられていた。それを幸いと、善八は立ち寄って呼んだ。
「もし、この鳥は売り物ですかえ」
うす暗い奥にはひとりの男が衾をかぶって転がっていたが、それでも眼を醒ましていたと見えて、直ぐに半身を起こして答えた。
「むむ、売り物だよ」
「幾らですね」
「三歩だよ」
「高けえね」
「なに、高けえことがあるものか」
云いながら起きて来たのは、年ごろ四十二、三の、色の赭黒い、頬ひげの濃い、見るからに人相のよくない大男であった。彼は三人をじろじろ睨んで、俄かに声をあらくした。
「え、ひやかしちゃあいけねえ。おめえ達はその鳥を知っているのか。それは鵜だよ。荒鵜だよ。おめえ達のような人間の買う物じゃあねえぜ」
「鵜は知っているが、値を訊いてみたのよ」と、善八は答えた。
「それだからひやかしだと云うのだ。江戸の人間が鵜を買って行って、どうするのだ。それとも此の頃の江戸じゃあ、鵜を煮て喰うのが流行るのか。朝っぱらからばかばかしい。帰れ、帰れ」と、彼は眼をひからせて呶鳴った。
「まあ、堪忍してくんねえ」と、半七は喙をいれた。「まったくおめえの云う通り、鵜を買って行っても土産にゃあならねえ。話のたねに値段を訊いただけのことだから、ひやかしと云われりゃあ一言もねえ。だが、この鵜は何処で捕ったのだね」
「四、五日前に何処からか飛び込んで来たのよ。おおかた明神の森へ帰る奴が戸惑いをしたのだろう。森にいる奴を捕るのはやかましいが、おれの家へ舞い込んで来たのを捕るのは、おれの勝手だ。そいつは荒鵜のなかでも荒い奴だから、うっかり傍へ寄って喰い付かれても知らねえぞ。馴れている俺でさえも怪我をした」
云い捨てて彼は奥へはいってしまった。もう相手にならないと見て、半七は挨拶をしてそこを立ち去った。
「あいつが友蔵か。成程、可愛くねえ奴らしい」と、幸次郎はあるきながら云った。
「善ぱが詰まらねえひやかしをするので、あんな奴にあやまる事になった」と、半七は笑った。
「本当に幽霊が出るか出ねえか知らねえが、あんな奴のところへ出たら災難だ。幽霊に肩を揉ませるか、飯を炊かせるか、判ったものじゃあねえ」
三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯を食って一と休みして、大木戸を越して四谷通りへさしかかると、塩町の中ほどで幸次郎は急に半七の袖をひいた。
「もし、親分。和泉屋というのはそこですよ」
そこには和泉屋という暖簾をかけた呉服屋が見えた。悪い奴に引っかかって、大事の息子を心中させて、気の毒なことをしたと思いながら、半七はそっと覗くと、四間間口で、幾人かの奉公人を使って、ここらでは相当の旧家であるらしく思われた。これだけの店の息子が二十両や三十両のことで命を捨てるにも及ぶまいにと、半七はいよいよ気の毒になった。
「ほかにも何か仔細があるかな」と、半七は又かんがえた。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页 尾页