時代推理小説 半七捕物帳(六) |
光文社時代小説文庫、光文社 |
1986(昭和61)年12月20日 |
1997(平成9)年3月25日8刷 |
一
四月なかばの土曜日の宵である。
「どうです。あしたのお天気は……」と、半七老人は訊いた。
「ちっと曇っているようです」と、わたしは答えた。
「花どきはどうも困ります」と、老人は眉をよせた。「それでもあなた方はお花見にお出かけでしょう」
「降りさえしなければ出かけようかと思っています」
「どちらへ……」
「小金井です」
「はあ、小金井……。汽車はずいぶん込むそうですね」
「殊にあしたは日曜ですから、思いやられます」
「それでも当節は汽車の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い。ここで一日ゆっくりお花見をすると、どうしても一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸から行った者にはずいぶん難儀でした」
「あなたもお出でになった事があるんですね」
「ありますよ」と、老人は笑った。「小金井の桜のいいことは、かねて聞いていましたが、今も申す通り、なにぶん道中が長いので、つい出おくれていましたが、忘れもしない嘉永二年、浅草の源空寺で幡随院長兵衛の三百回忌の法事があった年でした。長兵衛の法事は四月の十三日でしたが、この三月の十九日に子分の幸次郎と善八をつれて、初めて小金井へ遠出を試みたと云う訳です。武家ならば陣笠でもかぶって、馬上の遠乗りというところですが、われわれ町人はそうは行かない。脚絆をはいて、草履を穿いて、こんにちでいう遠足のこしらえで、三人は早朝から山の手へのぼって、新宿、淀橋、中野と道順をおって徒あるきです。旧暦の三月ですから、日中は少し暖か過ぎる位でした。今から思うと、むかしの人間は万事が悠長だったのですね。途中の茶店などに幾たびか休んで、のん気に又ぶらぶら歩いて行く。それを保養と心得ていたのですよ。はははははは」
「しかしそれが本当の保養でしょう。今日のように、汽車に乗るにも気違いのような騒ぎじゃあ、遊びに行くのか、苦しみに行くのか判りません。どう考えても、ほんとうの花見は昔のことでしょうね。そこで、その時には別に変ったお話もありませんでしたか」
「ありましたよ」と、老人は又笑った。「犬もあるけば棒にあたると云いますが、わたくし共が出あるくと不思議に何かにぶつかるのですね。その時も小金井までは道中無事、小金井橋の近所で午飯を食ってそこらの花をゆっくり見物して、ここでお泊まりにしてしまえば、まあ無事だったわけですが、どうせ泊まるなら府中の宿まで伸そうと云うことになって、いずれも足の達者な奴らが揃っているので、畑のあいだの道を縫って甲州街道へ出て、小金井からおよそ一里半、府中の宿へ行き着いて、宿の中ほどの柏屋という宿屋にはいりましたが、まだ日が高いので、六所明神へ参詣ということになりました。闇祭りで有名の六所明神、ここへ来た以上は、一度参詣をしなければならないというわけです。あなたはお参りをなすった事がありますか」
「いいえ、小金井には学校時代に一度遠足に行った事があるだけで、府中は知りません」
「それでは少し説明をして置かなければならない。と云うのは、社の入口から随身門までおよそ一丁半、路の左右は松と杉の森で、四抱えも五抱えもあるような大木が天を凌いで生い茂っています。その森の梢にはたくさんの鷺や鵜が棲んでいるが、寒三十日のあいだは皆んな何処へか立ち去って、寒が明けると又帰って来る。それが年々一日も違わないので、ここでは七不思議の一つと云われています。そこで、その鷺や鵜は品川の海や多摩川のあたりまで飛んで行って、いろいろの魚をくわえて来るが、時にはあやまって其の魚を木の上から落とすことがある。土地の女子供はそれを見つけて拾って来る。ここらは海の遠い所ですが、鳥のおかげで、案外に海魚の新らしいのを拾うことが出来ると云うのは、何が仕合わせになるか判りません。早く云えば天から魚が降って来るようなわけで……」
「おもしろい話ですね。今でもそうでしょうか」
「さあ、今はどうだか知りませんが、昔はそうでした。現にわたくしも見たのだから嘘じゃありません」と、老人はつづけて笑った。「その時にも魚が降って来ましたよ。わたくしと幸次郎と善八、この三人が宿屋を出て、六所明神の社をさして行きかかると、今も申す通り、随身門までは右も左も松杉の大きい森、その森を横に見ながら辿って行くと、幸次郎がだしぬけにあっと云う。何かと思ってその指さす方角を見ると、一羽の大きい白鷺が大空から舞いさがって、森のこずえに降りようとする途端に、どうしたはずみか、銜えている黒い魚を振り落としたので、魚は天から降って来たという形。……すると、そこらに遊んでいた二人の子供がわっと云って駈けて行く。ひとりは赤ん坊を負っている十四、五の女の児、ひとりは十一、二の男の児で、どっちも慌ててその魚を拾おうとする。こうなっちゃあ鷺も降りて来ることは出来ない。人間同士の取りっこです。
年上だけに女の児が素早く拾ったのを、男の児がまた取ろうとする。女の児はやるまいとする。両方が泣き顔になって一生懸命です。しょせんは子供同士の獲物争い、笑って見て通ればそれ迄ですが、ただ見過ごせないのが私の性分で、怪我でもするといけないから留めてやれと幸次郎に云いますと、幸次郎は駈けて行って二人を引き分けました。いくら相手が子供でも、留男に出た以上は唯は済みません。女の児が先に拾ったのだから、魚は女の児にやらなけりゃいけない。その代りにお前にはこれをやると云って、幸次郎が三文か四文の銭を渡すと、男の児は大よろこびで承知しました。
しかし、この子供たちはふだんから仲が悪いのか、それとも魚を取られたのが口惜しいのか、男の児は相手の女の児を指さして、こいつの家へはお化けが出るんだよ。やあお化けだ、お化けだと呶鳴りながら、一目散に逃げて行きました。すると、こっちの女の児は手に掴んでいる魚を抛り出して、わあっと泣き出しました。何が何だか判らないが、いつまでも子供を相手にしてもいられないので、三人はそのまま其処を立ち去って、随身門をはいって御社に参詣、もとの宿屋へ帰って来ました。
唯これだけならば別にお話の種にもならないのですが、その晩は宿屋も閑だったと見えて、女中ふたりが座敷へ来て酒の酌をする。そのときに例の魚の降って来た話が出ると、女中はその女の児を知っていました。男の児は誰だか判らないが、女の児はお三ちゃんに違いないと云うのです。お三の父親の友蔵は、四年ほど前までは布田の宿で多摩川の漁師をしていました。布田は府中よりも一里二十三丁の手前で、こんにちでは調布という方が一般に知られているようです。なにしろ府中と布田とは直ぐ近所で、土地の者は毎日往来していると云うことでした。
友蔵はどうも質の良くない人間で、博奕を打つ、喧嘩をする。そのほかにも何か悪いことをしたので、土地の漁師仲間からも追いのけられて、今では府中の宿へ流れ込んで、これという商売も無しにぶらぶらしている。女房には先年死に別れて、お国とお三という二人の娘がある。そんな奴だから年頃の娘を唯は置かない。姉のお国は調布の女郎屋へ売ってしまい、妹のお三は府中の喜多屋という穀屋へ子守奉公に出しているのだそうです」
「その喜多屋へお化けが出るんですか」と、わたしは話の腰を折るように訊いた。
「いや、喜多屋に係り合いはないのですが、友蔵の家に出るという噂があるのです」
「なにが出るんですね」
「友蔵は宿のはずれに、小さな世帯を持っているが、家を明けっ放して毎日遊びあるいている。そこへ女と男の幽霊がでるという噂で……。女は調布の女郎屋に売られた娘のお国、男は江戸の若い男だというのです」
「二人は心中でもしたんですか」
「そうです。二人が心中をして、その幽霊が友蔵の家へ現われる。夜は勿論、雨のふる暗い日なぞには昼間でも出ると云うのだから恐ろしい。しかし友蔵は平気でいるところをみると、本当に出るのか出ないのか、それとも友蔵の度胸がいいのか、そこは好く判らないが、ともかくも其の家にお化けが出ると云うのは宿じゅうの評判で、誰でも知らない者はないと、宿屋の女中たちはまじめになって話しました」
「化けて出ると云うからには、その男と娘が何か友蔵を恨む訳があるんですね」
「恨むというのは……。まあ、こういう訳です」
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