六
「長くなるから、ここらでお仕舞いにしましょうかね」と、半七老人は云った。
これが老人のいつもの手で、聴く者を焦らすかのように、折角の話を中途で打ち切ってしまうのである。その手に乗ってはたまらないと、わたしは続けて訊いた。
「まだ半分で、なにも判りませんよ」
「判りませんか」
「判りませんよ。一体それからどうなったんです」
「小三は自分の弟子を隠された口惜しまぎれに、何もかも話しました。それを聞くと、常磐津文字吉という師匠は不思議な女で、酒屋の亭主を旦那にしているが、ほかに男の弟子は取らないで、女の弟子ばかり取る、それには訳のあることで、本人は女のくせに女をだますのが上手。ただ口先でだますのでは無く、相手の女に関係をつけて本当の情婦にしてしまうのです。こんにちではなんと云うか知りませんが、昔はそういう女を『男女』とか『男女さん』とか云っていました。もちろん、滅多にあるものじゃあありませんが、たまにはそういう変り者があって、時々に問題を起こすことがあります。文字吉は浄瑠璃が上手というのでも無いのに、女の弟子ばかり来る。殊に囲い者や後家さん達がわざわざ遠方から来るというのを聞いて、わたくしは少し変に思って、もしやと疑っていたら案の通りでした。つまりは色と慾との二筋道で、女が女を蕩して金を絞り取る。これだから油断がなりませんよ」
「そうすると、小三津という女役者もそれに引っ懸かったんですね」
「そうですよ」と、老人はうなずいた。「小三津は人気役者で、容貌もよし、小金も持っている。それに眼をつけて、最初は贔屓のように見せかけて、うまく丸め込んでしまったんです。どういう手があるのか知りませんが、この『男女』に引っかかると、女はみんな夢中になること不思議で、小三津も文字吉に魂を奪われてしまって、持っている金も着物も片っ端から入れ揚げる。それを師匠の小三に覚られて、幾たびか意見されても小三津は肯かない。これだけでも無事には済みそうもないところへ、又ひとつの事件が出来しました。それは国姓爺の芝居です」
「鳳閣寺の芝居ですね」
「さっきもお話し申した通り、ここの芝居は女役者の一座ですから、男と女と入りまじりの芝居は出来ない。そこで、今度の国姓爺を上演するに就いては、虎狩の虎を勤める役者に困ったので、浅川町の男芝居から市川岩蔵と照之助の兄弟を引っこ抜いて来ました。岩蔵はごろつきのような奴ですから、金にさえなれば何でも引き受けるというわけで、弟の照之助にすすめて虎を勤めさせ、自分も一緒に出て唐人の役を勤めることになりました。芝居の方じゃあ岩蔵に用はないが、照之助を借りる都合上、兄きも一緒に買ったのです」
「浅川の芝居では黙って承知したんですか」
「承知しません」と、老人は頭をふった。「おまけに、その国姓爺の評判がよくって、自分の芝居が圧され勝になったから、猶さら承知しません。第一、男と女と入りまじりの芝居をするのは不都合だというので、浅川の方から鳳閣寺の芝居小屋へ掛け合いを持ち込んだが、四の五の云って埓が明かない。それを聞き込んだのが原宿の弥兵衛で、それなら俺の方から掛け合ってやる……。こういうときに口を利けば、両方から金がはいると思ったから、弥兵衛はそれを買い込んで、子分のひとりを女芝居へやって、少し話したいことがあるから、誰か来てくれと云わせました。
弥兵衛がはいると、どうも事面倒になると思って、芝居の方でもいろいろ相談の末に、岩蔵をたのんで原宿へやりました。岩蔵は博奕も打つ奴で、弥兵衛の家へも出這入りをしているから、こいつをやるがよかろうと云うことになったんです。岩蔵もよろしいと引き受けました。これも少し変った奴で、楽屋で一杯飲んだ勢いで、舞台の唐人衣裳を着たままで原宿の弥兵衛の家へ出かけると、弥兵衛はなにか急用があって表へ出たあとで、子分の角兵衛という奴が親分気取りで掛け合いを始めました。
ここで親分が掛け合ったら、なんとかおだやかに納まったかも知れませんが、唐人のままで押し掛けて来た岩蔵をみて、人を馬鹿にしやあがると角兵衛はむっとした。岩蔵は又、角兵衛の奴めが親分顔をして威張りゃがると思って、これもむっとした。そんなわけですから、この掛け合いも所詮無事には済みません。双方が次第に云い募って、角兵衛が『貴様も小屋の代人で出て来たからは、どうして俺たちの顔を立てるか、その覚悟はあるだろう』と云うと、岩蔵の方でも『知れたことだ、おれの首でもやる』と売り言葉に買い言葉、根が乱暴な連中だから堪まりません。角兵衛は『手めえの首なんぞ貰っても仕様がねえ。これから稼業が出来ねえように腕をよこせ』と云って、ほかの子分に出刃庖丁を持って来させました」
「腕を斬ったんですか」と、わたしもその乱暴におどろかされた。
「さあ、野郎、斬るぞと云って、角兵衛の方じゃあ少しは嚇かしの気味もあったのでしょうが、岩蔵はびくともしない。さあ、すっぱりやってくれと、左の腕をまくって出した。もう行きがかりで後へは引かれず、とうとう岩蔵の腕を斬ってしまったんです。そこへ親分の弥兵衛が帰って来て、さすがに驚いたが、今さら仕方がない。腕の喜三郎の芝居をそのままという始末。取りあえず近所の心やすい医者を呼んで手当てをしたが、これは外科でないから本当の療治は出来ない。まあいい加減なことをして、おふくろのお金を呼んで引き渡すと、お金はそれを自分の奉公さきへ連れ込んで養生させることにしました。
そんな物を担ぎ込まれては、文字吉の家でも迷惑ですが、それを忌とも云われないのは、例の男女さんの秘密をお金に握られている為です。そこで怪我人を引き取ったのはいいが、斬られた腕も一緒に送って来たので、その始末に困った。羅生門の鬼の腕とは違って、もとの通りに継ぐわけには行かない。いっそ庭の隅へでも埋めてしまえばいいのに、なんだか気味が悪いと云うので、文字吉は明くる朝、それを羅生門横町へ捨てに行ったのです。女の浅はかと云うのでしょうか、実に詰まらない事をしたもので……。捨てたは捨てたが、又なんだか気が咎めるので、自分がそこで初めて見付けたように騒ぎ立てて、豆腐屋へ駈け込んだと云うわけです。自分が見付けたように騒ぎ立てるのは、世間によくあることで、誰の知恵も同じものだと見えます」
「そのかたき討ちに、照之助が角兵衛の腕を斬ったんですね」
「照之助は兄思いの人間で、それを知るとたいへんに口惜しがって、その意趣返しに角兵衛の腕を斬ってやろうと思い込んで、どこからか刀を買って来ました。自分は年が若い、相手は頑丈の大男ですから、善光寺の仁王さまを拝んで、十人力を授かるように祈って、角兵衛の出入りを付け狙っていると、そんな事とは夢にも知らずに、角兵衛は十二日の夜の五ツ頃(午後八時)に権田原の方へ出かけた。そこを待ち受けて斬り付けたんですが、人間の一心は恐ろしいもので、兄きと丁度同じように、角兵衛の片腕を斬り落としてしまいました。
角兵衛は倒れる。照之助は落ちている片腕を拾って逃げました。万事が兄きの通りにしなければ気が済まないので、照之助はかねて用意の唐人の筒袖……楽屋の衣裳の袖を切って来たんです。それを角兵衛の腕に着せて、例の羅生門横町へ捨てて置いて、これで先ず立派にかたき討ちを仕遂げたつもりで立ち去りました。
これは後に判ったことで、坂東小三もそんなことまでは知りません。自分の弟子の小三津を文字吉が隠したと思って、その掛け合いに行っているところへ、丁度わたくし達が行き合わせたんです。小三の話を聞いて、文字吉の正体も判りましたから、小三を連れて引っ返して、無理に文字吉の家へ踏み込むと、奥の四畳半に岩蔵が寝ていました」
「文字吉はどうしました」
「文字吉は二階にいました」と、老人はその光景を思い泛かべるように顔をしかめた。「ちらし髪で、真っ蒼な顔をして、まるで幽霊のような姿で、だらし無く坐っていました。なにを訊いても碌に返事をしない。戸棚の中がおかしいので、念のために明けてみると、そこに若い女役者の死骸がある。小三津が絞め殺されているんです」
「文字吉が殺したんですか」
「勿論、文字吉の仕業です。前にも云う通り、文字吉には女の関係者がたくさんあるんですが、こういう女に限って不思議に嫉妬深い。それで、このごろ小三の楽屋へはいって来た照之助と、小三津が人一倍に仲よくするというのがもとで、小三津を自分の二階へ呼び付けて、やかましく責め立てる。云わば女同士の痴話喧嘩、それが嵩じて文字吉は半狂乱、そこにあった手拭をとって小三津を絞め殺してしまったが、さてどうするという分別もなく、死骸を戸棚へ押し込んだままで、自分はその張り番をするように、唯ぼんやりと坐っていたんです。それも十二日、照之助が角兵衛の腕を斬ったのと同じ晩のことで、狭い土地にいろいろの事件が湧いたものです。その翌日も、又その次の日も、文字吉は碌々に飲まず食わず、自分も半分は死んだようになって、その戸棚の前に坐り込んでいるところへ、わたくし共が踏み込んだのでした。
だんだん調べてみると、文字吉は小三津のほかに、囲い者やら後家さんやら併せて八人の女に関係していることが判りました。それがみんな色と慾で、女を蕩して自分のふところを肥やしているという、まったく凄い女でした。こんな奴とはちっとも知らずに、酒屋の亭主は世話をしていたので、それを聞いて真っ蒼になって驚いていました。文字吉のような女をそのままにして置くことは出来ません。殊に小三津を殺した罪がありますから、後に死罪になりました」
「照之助は……」
「それにもお話があります。小三津の死骸は師匠の小三が引き取って、海光寺に葬りました。これは庄太の菩提寺です。その葬式の済んだ晩、照之助がそっと忍んで来て、小三津の新らしい墓の前で腹を切ろうとする処を、庄太に召し捕られました。もしやと思って張り込んでいたら、まんまと罠にかかったんです。文字吉が嫉妬をおこしたのも無理ではなく、小三津と照之助は関係があったのでした。照之助は年も若いし、兄のかたき討ちというところに情状酌量の点もあるので、遠島になりました。
腕を斬られた二人、そのうちで岩蔵は癒りましたが、角兵衛はとうとう死にました。碌々に手当てをしなかった岩蔵が助かり、外科医の手当てを受けた角兵衛が死ぬ。人間の命は判らないものです。角兵衛が死んだ以上、照之助の命もない筈ですが、前に云ったようなわけで、一等を減じられたのでした」
これで先ず一服と、老人はしずかに煙草を吸いはじめたが、私としてはまだ聞き逃がすことの出来ない大事の問題が残っている。それはかの唐人飴屋の正体で、この謎が解けなければ、この話は終ったとは云えない。老人が煙管をぽんと掃くのを待ち兼ねるように、私は重ねて訊いた。
「そこで飴屋はどうなりました」
「はははははは」と、老人は笑い出した。「これはお話をしない方がいいくらいで……。飴屋は四、五日ほど姿を見せないで、又あらわれて来ました。もう打っちゃっては置けないので、庄太が取っ捉まえて詮議すると、いや、もう、意気地のない奴で、小さくなって恐縮している。だんだん調べると、こいつは外神田の藤屋という相当の小間物屋のせがれで、名はたしか全次郎といいました。稽古所ばいりをする、吉原通いをする。型のごとくの道楽者で、お定まりの勘当、多年出入りの左官屋に引き取られて、その二階に転がっていたんですが、ただ遊んでいても仕方がない、勘当の赦りるまで何か商売をしろと勧められた。といっても根が道楽者だから肩に棒を当てるようなまじめな商売も出来ない。そこで考えたのが唐人飴、ちっとは踊りが出来るので、これがよかろうと云うことになったが、さすがに江戸のまんなかでは困るので、遠い場末の青山辺へ出かけることになったんです。
相当の店の若旦那が飴屋になって、鉦をたたいて踊り歩く。他人から見れば随分気の毒なわけですが、当人頗るのん気で、往来でカンカンノウを踊っているのが面白いという始末。どうも困ったもので、これでは勘当はなかなか赦りません。おまけに女親が甘いので、勘当とはいいながら内証で小遣いぐらいは届けてくれるので、飴は売れても売れないでも構わない。道楽半分に歌ったり踊ったりしている。正体を洗えばこういう奴で、隠密も泥坊もあったもんじゃない。実に大笑いでした。それでも唐人の腕が二度も斬られたと云うので、自分もなんだか気味が悪くなって、四、五日ばかり場所をかえて、青山辺へは寄り付かなかったんですが、馴染のない場末は面白くないと見えて、又もや青山辺へ立ち廻って来たところを庄太に押さえられたんです。
青山辺を荒らした賊は別にあるので、これは又あらためてお話をする時がありましょう。全次郎はその正体が判ったので、俄かに信用を回復して、飴もよく売れるようになったそうです。何が仕合わせになるか判りません」
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