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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)54 唐人飴

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:56:52  点击:  切换到繁體中文


     二

 神田三河町の半七の家では、親分と庄太が向かい合っていた。
「だが、土地の奴らも愚昧ぼんくらですよ」と、庄太は笑った。「土地の奴らはまあ仕方がないとしても、町役人でも勤める奴らはもう少し眼が明いていそうなものだが……。その腕は現場で斬られたものじゃあねえ、何処からか捨てに来たのか、犬がくわえて来たのか、二つに一つですよ。人間の腕一本を斬ったら、生血なまちがずいぶん出る筈だが、そこらに血の痕なんか碌々残っていやあしません」
「初めにそれを見付けたという常磐津の師匠はどんな女だ」と、半七はいた。
「実相寺門前にいる文字吉という女で、わっしがたずねて行ったときには、湯に行ったとか云うので留守でしたが、近所の話じゃあ何でも年は三十四五で、色のあさ黒い、りきんだ顔の、容貌きりょうは悪くない女だそうで……。浄瑠璃は別にうまいという程でもねえが、なかなか良い弟子があって、ずいぶん遠い所から通って来るのがあるので、場末の師匠にしては内福らしいという噂です」
「文字吉には旦那も亭主もねえのか」と、半七はまた訊いた。
「旦那はあります」と、庄太は答えた。「原宿まちの倉田屋という酒屋の亭主だそうですが、文字吉は感心にその旦那ひとりを守っていて、ちっとも浮気らしい事をしねえばかりか、その旦那に遠慮して男の弟子をいっさい取らねえと云うのです。今どきの師匠にゃあ珍らしいじゃありませんか」
「めずらしい方だな。奉行所へ呼び出して、鳥目ちょうもく五貫文の御褒美でもやるか」と、半七は笑った。
「師匠はまあそれとして、さてその腕の一件だが……。その唐人飴屋というのは何奴かな。うちはどこだ」
「四谷の法善寺門前の虎吉という奴だと聞きましたから、実は帰り路に四谷へまわって、北まちの法善寺門前を軒別のきなみに洗ってみましたが、虎も熊も居やあしません。野郎、きっと出たらめですよ」
「そうかも知れねえ。だが、この広い江戸にも唐人飴が五十人も百人もいる筈はねえ。それからそれへと仲間を洗って行ったら、大抵わかるだろう」
「じゃあ、すぐに取りかかりますか」
「ともかくもそうしなけりゃあなるめえ」と、半七は云った。「丁度いいことには、下っ引の源次の友達に飴屋がある筈だ。あいつと相談してやってくれ。おれも青山へ一度行ってみよう」
 云いかけて、半七は又かんがえた。
「なあ、庄太。土地の者はその飴屋を隠密だとか捕方とりかただとか云っているそうだが、よもやそんなことはあるめえな」
 隠密や捕吏が何かの恨みを受けた為に、或いは何かの犯罪露顕をふせぐ為に、闇討ちに逢うようなことが無いとは云えない。もしそうならば、その片腕を人目に触れるような場所へ捨てる筈はあるまい。殊に証拠となるべき唐人服の片袖をそのままに添えて置くなどは余りに用心が足らないように思われる。しかし又、世間には大胆な奴があって、わざと面当てらしくそんな事をしないとも限らない。もしそうならば、あの辺に住む悪旗本か悪御家人などの仕業しわざである。相手が屋敷者であると、その詮議がむずかしいと半七は思った。
 そのうちに庄太は俄かに叫んだ。
「あ、いけねえ。飛んだことを忘れていた。親分、堪忍しておくんなせえ。実はその腕はね、切れ味のいい物ですっぱりとやったのじゃあありません。短刀か庖丁でごりごりやったらしい。その傷口がどうもそうらしく見えましたよ」
「そうか」と、半七は更にかんがえた。そうすると、その下手人げしゅにんは屋敷者では無いらしい。なんにしても、ここで考えていても果てしが無い。現場を一応調べた上で、臨機応変の処置を取るのほかは無いので、やはり最初の予定通りに、まず飴屋の仲間を洗わせることにした。下っ引の源次は下谷で飴屋をしている。それと相談して万事いいようにしろと、庄太に重ねて云い含めた。
「ようがす。親分はあした青山へ出かけますかえ」
「日暮れにさしかかって場末へ踏み出しても埓が明くめえ。あしたゆっくり出かける事にしよう」
「それじゃあ、その積りでやります」
 庄太は約束して帰った。帰る時に、彼はきょうの掘り出し物を自慢して、これも青山へ墓まいりに行ったお蔭であるから、死んだ親父の引き合わせかも知れないなどと云って、半七を笑わせた。まったく親は有難い、お前のような不孝者にも掘り出し物をさせてくれるとからかわれて、庄太はあたまを掻いて帰った。
 あくる朝は晴れていた。半七は八丁堀の屋敷へ行って、唐人飴の探索に取りかかることを一応報告した上で、山の手へぶらぶらのぼってゆくと、時候は旧暦の四月であるから、青山あたりは其の名のように青葉に包まれていた。
 ここらの土地の姿は明治以後著しく変ってしまって、殆ど昔の跡をたずぬべきようも無いが、こんにち繁昌する青山の大通りは、すべて武家屋敷であったと思えばよい。町屋まちやは善光寺門前と、この物語にあらわれている久保町の一部に過ぎない。青山五丁目六丁目は百人町の武家屋敷で、かの瞽女節ごぜぶしでおなじみの「ところ青山百人町に、鈴木主水もんどという侍」はここに住んでいたらしい。
 その寂しい場末の屋敷町にさしかかって、半七は思わず足を停めた。芝居の鳴り物が耳に入ったからである。江戸辺から行けば、右側が久保町で、その筋むかいの左側に梅窓院の観音がある。観音のとなりにも鳳閣寺という真言宗の寺があって、芝居の鳴り物はその寺の境内けいだいからきこえて来るのであった。
「むむ、小三こさんの芝居か」
 江戸の劇場は由緒ある三座に限られていたが、神社仏閣の境内には宮芝居または宮地芝居と称して、小屋掛けの芝居興行を許されていた。勿論、丸太に筵張むしろばりの観世物小屋同様のものであるが、その土地相応に繁昌していたのである。鳳閣寺の宮芝居は坂東小三という女役者の一座で、ここらではなかなかの人気者であることを半七は知っていた。
 小三の名は知っていたが、半七は曾てその芝居を覗いたことはないので、一体どんな様子かと、鳴り物に誘われて境内へはいると、型ばかりの小屋の前には、古いのぼりや新しい幟が七、八本も立ちならんで、女や子供が表看板をながめているのが、葉桜のあいだに見いだされた。小屋のなかでは鉦や太鼓をさわがしく叩き立てていた。和藤内わとうないの虎狩が今や始まっているのである。看板にも国姓爺こくせんや合戦と筆太ふでぶとにしるしてあった。
「国姓爺か。大物をやるな」
 半七はふと何事かを考え付いたので、十六文の木戸銭を払ってはいった。虎狩の場に出るのは、和藤内の母と和藤内と、唐人と虎だけである。座頭ざがしらの小三が和藤内に扮して、お粗末な縫いぐるみの虎を相手に大立ち廻りを演じていた。それだけを見物して、半七はもう帰ろうとしたが、また思い直して次の一幕を見物した。次は楼門の場である。
 この場には和藤内の父母と、和藤内と錦祥女きんしょうじょと、唐人と唐女が出る。錦祥女は小三の弟子の小三津こみつというのが勤めていた。舞台顔で本当の年をはかるのはむずかしいが、小三津はせいぜい二十四五であるらしく、眼鼻立ちの整った細面ほそおもてで、ここらの芝居の錦祥女には好過ぎるくらいの容貌きりょうであった。木戸銭十六文の宮芝居であるから、かつらも衣裳もみじめなほどに粗末であるのを、半七は可哀そうに思った。
 虎狩の場に出る虎もなかなかよく動いた。虎にしては胴体が小さく、なんだか犬のようにも見えたが、身軽に飛び廻って、二、三度も宙返りを打ったりして、大いに観客を喜ばせていた。女役者にこんな芸の出来る筈はない。虎は男が縫いぐるみをかぶっているに相違ないと、半七は鑑定した。

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