六
半七老人の話は終らない。わたしも最後まで聴きはずすまいと耳を澄ましていると、老人は床の間の置時計をふと見かえって、女中部屋の老婢を呼んだ。老婢が顔を出すと、老人はなにか眼で知らせた。すぐに呑み込んでゆく老婢のうしろ姿を見送って、これは悪かったと私は俄かに気がついた。老人は午飯の用意を命じたに相違ない。早朝から長座して、午飯まで御馳走になっては相済まないと、わたしは慌てて巻煙草の袋を袂へ押し込んで、帰り支度に取りかかろうとするのを、老人は手をあげて制した。
「まあ、お待ちなさい。お話はもう少しですよ」
云ううちに、老婢はもう裏口から足ばやに出て行ったらしい。追えども及ばずと観念して、私はずうずうしく坐り直すと、老人は又話しつづけた。
「四月二十一日の宵に、お絹は近所の湯屋へ行く振りをして、塩町の大津屋をぬけ出して、淀橋の孤芳の家へ尋ねて行きました。孤芳が万次郎を引っ張り込んでいるだろうと疑って、その様子を窺いに行ったんです。自分の家作ですから勝手はよく知っているので、裏口から廻って窺うと、案の通り、男と女は縁側に近いところへ出て、早い蚊いぶしを焚きながら、睦まじそうに話している。それを見ると、お絹は嚇とのぼせて、悪女が更に鬼女のようになって、そこの台所にあり合わせた出刃庖丁をとって、孤芳を殺そうとして暴れ込んだので、孤芳はおどろいて庭へ飛び降りる。それを追おうとするお絹を万次郎が抱きとめる。お絹は死に物狂いになって暴れ廻る。その刃物をもぎ取ろうとするうちに、思わずも手がまわって……。と、いうことになっているんですが、これは重兵衛の場合と違ってどうだか判りません。金は貰えず、婿にはなれず、こんな悪女に付きまとわれては遣り切れないと思って、万次郎が思い切ってずぶりとやったのかも知れません。いずれにしても、お絹は乳の下を突かれて即死。惚れた男の手にかかって果敢なくなりました。その死骸は万次郎と孤芳が始末して、縁の下へ埋めているところへ、又そのあとから重兵衛がたずねて来たんです。
もう隠すことは出来ないので、万次郎も度胸を据えて、正直にその事情を打ち明けた上で、おれを下手人として突き出してくれと云うと、重兵衛も考えたらしいんです。わが子を殺されて驚いたには相違ないが、自分にも絵馬の秘密があるので、それを万次郎にしゃべられても困る。もう一つには、丸多の主人を殺した一件を万次郎も孤芳もうすうす覚っているかも知れないという弱味があるので、お絹殺しを表沙汰にするのは危い。そこで、三人が相談の末に、お絹は房州の親類へ預けたとか、あるいは家出したとか云い触らして、この一件は闇に葬ってしまうことにする。その代りに、万次郎は二百両の割りまえを一文も貰わず、孤芳とも今夜かぎりに手を切るということになりました。万次郎に取っては割の悪い約束ですが、仮りにも女ひとりを殺して、それを内分にして貰うというのですから、そのくらいの事は仕方がありません。そんなわけで、お絹の死骸を寺へ送ることは出来ないので、親父の重兵衛も手伝って、やはり床下に埋めることになりましたが、幸いに近所の者には覚られずに済んだのです」
「お絹は可哀そうでしたね」
「刃物などを振り廻したのは悪いに相違ないが、こうなると可哀そうなもので、それでまあ一旦は納まったんですが、五月の末頃になると、重兵衛が下谷の方から古着屋を呼んで来て、娘の夏冬の着物を相当に取りまとめて売ったということを、亀吉がふと聞き出して、その日の暮らしに困るというでも無いのに、年ごろの娘の着物をむやみに売り放すのはおかしい。してみると、房州の親類に預けたなどというのは嘘で、娘は死んだか、家出して帰らないか、二つに一つに相違ないと鑑定したんです。
そのほかに又こういうことがありました。丸多の店の菩提寺は中野にあるので、五月二十八日の命日に、女房のお才が番頭の幸八と小僧を連れて、多左衛門の墓まいりに行った帰り道に、淀橋の町はずれを通ると、その頃のここらには茅葺きの家がたくさんありました。その茅葺きの一軒の家で、庭の梅の実を落としている。垣根は低い四目垣でしたから、通りがかりながら見るとも無しに覗いてみると、梅の実を取っているのは二十三四の女で、それに不思議はないのですが、その時お才と幸八の眼についたのは、梅の木から木へ竹竿をわたして洗濯物を干してある。その洗濯物のなかに一枚の大きい風呂敷が懸かっていて、それが見おぼえのある丸多の店の風呂敷で、主人が家出のときに例の絵馬を包んで持ち出したものらしい。丸多の暖簾は丸の中に多の字を出してあるんですが、これには丸多の店のしるしが無く、家の定紋の下り藤が小さく染め出してある。その風呂敷がどうしてここの家に干してあるのかと、二人は不思議に思いながら帰って来て、幸八はすぐに亀吉のところへ知らせに行きました。その家は大津屋の家作で、この頃は女絵かきの孤芳が引っ越して来ていることを、亀吉ももう承知していましたから、さてこそ案の通りというので、これもすぐにわたくしの所へ注進に来ました。
ところが、あいにく私も幸次郎も、ほかの事件にかかり合っていて、ちょいと手放すことが出来ない。殊にこの一件は重兵衛と万次郎と孤芳とが絡んでいますから、迂濶に一人を引き挙げると、ほかの関係者が散ってしまう虞れがあるので、亀吉ひとりに任せるわけにも行かず、ただ油断なく見張らせて置いて、十日ほども空に過ごしてしまいましたが、そのあいだに亀吉は又こんなことを聞き出しました。千駄ヶ谷の建具屋の又助が重兵衛の註文をうけて、淀橋の家作に雨戸を入れたところ、その建て付けが悪いというので、五月のはじめに直しに行ったが、なんだか畳や縁側に血の痕のようなものが薄く残っていたという。そこで亀吉は、ひょっとするとお絹がここで殺されたのでは無いかと鑑定しました。わたくしもそう思いました。
そのうちに、一方の事件も片付きましたので、いよいよこっちへ手を着けることになりました。六月十日の夜、重兵衛が淀橋へ泊まりに行ったのを突きとめて、わたくしと亀吉が出かけました。幸次郎も行こうというので、それほどの大捕物でもないが、まあ一緒に連れて行くと、前にお話し申したように大騒動に出っくわして……。いや、もう、ひどい目に逢ったんです」
「火薬の爆発は朝でしょう」
「それが十一日の朝まで引っかかったので……。わたくし共が淀橋へ行き着いたのは十日の夜四ツ半(午後十一時)頃、寝込みへ踏ん込んで一度に押え付けようと思ったんです。ところが、いざ踏ん込んでみると、蚊帳の一方の釣り手をはずして、孤芳ひとりが寝床の上にしょんぼりと坐っているんです。重兵衛はどうしたと詮議すると、最初は来ていないとシラを切っていましたが、しょせんは女ですからとうとう正直に云いました。そこで、だんだんに取り調べると、孤芳は万次郎と手を切ると約束して置きながら、その後もやはり内証で男を引き入れていると、重兵衛もそれを感付いたのでしょう、今夜わたくし共よりひと足さきへ踏ん込んで来て、一つ蚊帳のなかに寝ていた孤芳と万次郎を取り押えました。重兵衛は定めて烈火のごとくに怒るかと思いのほか、うわべは静かに落ち着いて、ここでは話が出来ないから兎も角もそこまで一緒に来てくれと云って、万次郎を表へ連れ出した。それはたった今のことだと云うので、孤芳の番人を亀吉に云いつけて、わたくしと幸次郎は近所へ見まわりに出ましたが、今夜は雨催いの暗い晩で、そこらに二人のすがたは見付からない。よんどころ無しに又引っ返して来て、再び孤芳を調べると、下り藤の紋の風呂敷は引っ越しのときに重兵衛が持って来たもので、そのまま自分の家で使っていたと云って、現物を出して見せましたが、縁側や畳に血のあとが残っていることは、なんにも知らない、自分は血の痕とは気が付かず、なにかの汚れだと思っていたと、強情に云い張っているんです。
まさかに引っぱたくわけにも行かないので、孤芳の詮議はそのままにして、亀吉と幸次郎を裏と表に張り込ませて、重兵衛や万次郎の帰るのを気長に待っていました。夏の夜は短いから早く明ける。夜が明ければ、二人は何処からか帰って来るだろう。万次郎を表へ連れ出したのは、孤芳の前では話しにくい事があるからで、まさか殺すほどの事もあるまいと多寡をくくって、まあ頑張っていたわけです。そういうことには馴れているので、さのみ待ちくたびれるという程でもありませんでしたが、藪蚊の多いには恐れいりました。今と違って、むかしは蚊が多いので、こういう時にはいつでも難儀します。
そのうちに、そこらの家の鶏が啼いて、夜もだんだんに白らんで来ました。暁け方から空模様がよくなったので、七ツ半(午前五時)には、すっかり明るくなりましたが、二人はまだ帰って来ません。亀吉は焦れて、もう一度探しに出ようかと云っているところへ、重兵衛がぼんやり帰って来たので、亀吉と幸次郎が取り囲んですぐに家内へ引っ張り込みました。万次郎はどうしたかと訊くと、途中で喧嘩をして別れたと云う。おまえは今まで何処にどうしていたかと訊くと、狐に化かされて夜通し迷い歩いていたと云う。さてはこいつ、万次郎を殺して空呆けているのだろうと思いましたから、わたくしも厳重に詮議を始めましたが、やはり同じようなことを繰り返していて埒が明かない。そこで、万次郎のことは二の次にして、丸多の絵馬の一件の詮議にとりかかると、丸多の主人に頼まれて偽物をこしらえたに相違ないが、本物と掏り換える約束をした覚えはないと云うんです。それから証拠の風呂敷を突きつけて、だしぬけにお前は丸多の主人をころしたなと云うと、重兵衛は俄かに顔の色を変えました。さあ、その途端に凄まじい響きと共に、大地がぐらぐらと激しく揺れて、この茅葺きの屋根の家が忽ち傾いたには驚きました。
逃げるという考えもありません。ただ跳ね飛ばされたように庭先へ転げ落ちると、なんだか知らないが砂けむりのような物が一面に舞って来て、近所の家は大抵倒れたり、傾いたりしている。一体どうしたのだろう、大地震か旋風かと、みんなが顔を見合わせていると、その隙をみて重兵衛は表へ飛び出しました。表の垣根は倒れてしまったんですから、自由に往来へ出られます。こいつを逃がしてはならないと思って、わたくしも続いて追って出る、亀吉も幸次郎も追って出る。その途端に、激しい揺れが再びどんと来て、わたくし共は投げ出されたように倒れました。つづいてがらがらという音がする。火の粉が飛ぶ……。さては火薬が破裂したのだろうと気がついて、半分這い起きながら窺うと、ここらは火元から距れているので、まだ小難の方らしく、水車に近いところの人家はみんな何処へか吹き飛ばされてしまったにはぞっとしました。
重兵衛はどうしたかと見ると、これも一旦は倒れながら、また這い起きて逃げようとする。この野郎と云って追いかけたんですが、二度の爆発で何処から飛んで来たのか、往来のまん中に屋根が落ちているやら、大木が倒れているやら、いろいろの邪魔物が道を塞いでいるので、なかなか思うようには駈け出せません。重兵衛は裏手の田圃の方へ逃げるので、わたくしも根かぎりに追って行くと、そのあいだに重兵衛はいろいろの物につまずいて転びました。わたくしも幾たびか転びました。いや、もう、お話になりません。それでもどうにか追い着いて、うしろから重兵衛の左の腕をつかむと、その途端に三度目の爆発……。その時はいっさい夢中でしたが、あとで聞くと三度目が一番ひどかったのだと云います。こうなると敵も味方もありません。二人は抱き合ったままで田のなかに転げ込んでしまいました。これでまあ重兵衛を取り押えたわけですが、こんな危険な捕物は初めてで、時間から云えば僅かの間ですが、馬鹿に疲れたような気がしましたよ」
「そうでしょうね」と、わたしもうなずいた。「そこで亀吉や幸次郎という人達はどうしました」
「わたくしは運よく無事でしたが、二人は怪我をしましたよ。何か飛んで来て撃たれたんですね。亀吉は軽い疵でしたが、幸次郎は右の肩を強く撃たれて、それからひと月あまり寝込みました。ほかにも死人や怪我人がたくさんあったんですから、まあ命拾いをしたと云ってもいいでしょう。孤芳の家も三度目の爆発で吹き倒されました」
「孤芳は無事でしたか」
「さあ、それが不思議で……。孤芳は無事に逃げたのか、どこへか吹き飛ばされたのか、ゆくえが知れなくなりました。万次郎の死骸は川のなかで発見されました。それも重兵衛に突き落とされたのか、夜が明けてぼんやり帰って来たところを吹き飛ばされたのか、確かなことは判りません。ほかにも死骸が浮いていましたから、あるいは爆発のために吹き落とされたのかも知れません。お絹の死骸は床下に埋めてありました。まあ、お話は大抵ここらで切り上げましょう。いや、どうも御退屈で……」
その話の終るのを待っていたように、老婢は膳を運び出して来て、わたしの前に鰻めしが置かれた。
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