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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)47 金の蝋燭

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:46:48  点击:  切换到繁體中文


     五

「そうすると、その宗兵衛という男は、何処からか金の蝋燭を盗んでいたんですね」と、私は訊いた。
「そうです」と、半七老人はうなずいた。「しかし宗兵衛が増蔵に話して聞かせたのは出たらめで、上方かみがたの金持が泥坊よけに金の蝋燭をこしらえるの、大名が軍用金に貯えて置くのというのは、みんないい加減の誤魔化しである事が、あとですっかり判りました。金の蝋燭はそんなわけの物ではなかったんです。そこで、かの宗兵衛夫婦がどうしてそんな不思議な物を持っていたかと云うと、ここに小説のようなお話があるんです。まあ、お聴き下さい。
 どなたも御承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿、上方から来れば金谷かなやの宿、この二つの宿しゅくのあいだを流れています。その金谷の宿から少しはなれたところに、日坂峠というのがあって、それから例の小夜さよ中山なかやまに続いているんですが、峠のふもとに一軒の休み茶屋がありました。立場たてばというほどでは無いんですが、休んだ旅人たびびとには番茶を出して駄菓子を食わせる。有り合いの肴で酒ぐらいは飲ませるという家で、その茶屋の亭主が宗兵衛、女房がお竹、夫婦二人で商売をしていたんです。宗兵衛は三州岡崎の生まれですが、道楽のために家を潰して金谷の宿へ流れ込んで来た者で、女房のお竹は岡崎女郎衆の果てだそうです。それでも夫婦が無事に暮らしていると、ある日の午過ぎに、武家の中間ちゅうげんふうの男が一人通りかかって、この店に休んで酒なぞを飲んでいたんですが、そのうちに急に気分が悪くなったから、少しのあいだ寝かしてくれと云うので、夫婦の寝所ねどこになっている奥の間へ通して、ともかくも寝かして置くと、男は日の暮れる頃まで起きることが出来ない。だんだんに容態が悪くなって来るらしい。その頃のことですから、近所に医者もないので、夫婦は有り合わせの薬なぞを飲ませて介抱した。そこは人情で、夫婦も見識らない旅の男を親切に看病してやったらしいんです。
 その看病のかいがあったのか、一時はむずかしそうに見えた病人も、明くる朝からだんだんに落ちついて、その日の午飯には粥を食うようになったので、まあ好かったと喜んでいると、七ツ下がり(午後四時過ぎ)になってから、旅の男はもうすっかりくなったからつと云い出した。秋の日は短い、やがて暮れるという時刻になって峠を越すよりも、もうひと晩泊まって養生して、あしたの朝早く発っことにしたら好かろうと勧めたが、男はさきを急ぐとみえて無理に振り切って出て行った。その別れぎわに、男はきのうから世話になったお礼をしたいが、路用は手薄てうすであるし、ほかには持ち合わせも無いから、これを置いて行く。しかし今すぐに使ってはいけない。まあ半年ぐらいは仏壇の抽斗ひきだしへ仕舞って置くがいいと、謎のようなことを云い残して、一本の大きい蝋燭をくれて行きました」
「それが例の蝋燭なんですね」
 わたしは待ち兼ねて、思わず口を出した。話の腰を折られても、老人は別にいやな顔を見せなかった。
「その男の云った通りにしたならば、夫婦も余計な罪を作らずに済んだのかも知れませんが、折角くれた蝋燭を今すぐに使ってはいけないと云う。それが何だかおかしいばかりでなく、その蝋燭があんまり重いので、夫婦が不思議がって眺めているうちに、どっちの粗相だか土間に落として、そこにある石にかちりとあたると、蝋は砕けて芯が出た。それが金色に光ったので、夫婦は又おどろきました。それが即ち金の蝋燭の由来……」
「その旅の男というのは何者ですか」
「まあ、お待ちなさい。まだお話がある。その蝋燭を見て、夫婦は考えたんです。中間ふうの旅の男がこんな物を持っている筈がない。殊に病い挙げ句のからだで、今ごろから怱々そうそうに出て行ったのは、なにかうしろ暗い身の上であるに相違ない。亭主の宗兵衛は急に思案して、こんな物を貰って何かの係り合いになっては大変だから追っかけて行って返して来ると、その蝋燭を風呂敷につつんで、男のあとを追って出たが、それっきり暫く帰って来ない。そのうちに日が暮れて暗くなる。どうしたのかと女房が案じていると、亭主は風呂敷包みを重そうに抱えて帰って来た……。と云ったら大抵お察しも付くでしょうが、一本の蝋燭が六本になっていたんです。本当に返す積りであったのか、それとも他に思惑おもわくがあったのか、その辺はよく判りませんが、なにしろ追っかけて行ってみると、男は峠の中途に倒れて苦しんでいる。病気が再発したらしいので、木の蔭へ引っ張り込んで介抱しているうちに、宗兵衛は腰にさげている手拭をとって男を不意に絞め殺した上に、残りの蝋燭をみんな引っさらって来たというわけです。これには女房も驚いたが今さら仕方がない。夫婦はその晩のうちに旅支度をして、六本の蝋燭をかかえて夜逃げをしてしまったんです。
 それからひと先ず京都へ行って、どういうふうに誤魔化したか、ともかくも一本の蝋燭の芯を売って通用の金に換え、それを元手にして二年ほど何か商売をやっていたんですが、その商売が思うように行かなかったのか、何かのことで足が付きそうになったのか、京都を立ちのいて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることになったんです。吉原に近いところですから、小金を借りに来る者もあって、商売は相当に繁昌したんですが、相手が相手だから貸し倒れも多い。おまけに宗兵衛は江戸の水に浸みて、奥山の茶屋女に熱くなるという始末だから、夫婦喧嘩の絶え間が無いばかりか、宗兵衛のふところも次第にさびしくなる。そこで錺屋の増蔵をうまく手なずけて、例の蝋燭をなんとか処分しようとしているうちに、女房のやきもちから椿事出来しゅったいして、只今お話し申したような手続きになったんです」
「宗兵衛はどうしました」
「宗兵衛は女房をなだめて、一緒に増蔵の家を出て、両国まで帰って来ると、お竹はかねて覚悟をしていたものか、仮橋の中ほどを過ぎた頃に、亭主のすきをみて不意に川のなかへ飛び込んでしまった。もちろん、蝋燭は自分がしっかりと抱えたままで飛び込んだのですから、宗兵衛も呆気あっけに取られた。そのうちに橋番のおやじが出て来たので、あわてて東両国の方へ引っ返して、河岸かし伝いに吾妻橋へ出て、無事に田町の家へ逃げ帰ったんですが、さてどうも気にかかるので、その後も両国へ毎日通って、橋の上から大川を眺めているうちに、とうとうお竹の死骸が引き揚げられて、金の蝋燭の一件が露顕しそうになったので、もううかうかしてはいられないと思って、その晩すぐに支度をして、なんにも知らない女中のお由を置き去りにして、駈け落ちを極めてしまったんです。
 わたくしが本所の錺屋へ出張ったのは七日の午過ぎで、宗兵衛はその前夜に飛んでしまったんですから、その間に一日の差があります。どっちの方角へ逃げたかは知らないが、逃げる方は一生懸命だから、一日おくれては容易に追い着かれそうもない。どうしたものかと思案しながら、幸次郎と一緒に錺屋を出て、両国の方へぶらぶら引っ返して来ると、仮橋の中ほどに一人の男が突っ立って、ぼんやりと水をながめている。その年頃や人相風俗がの宗兵衛によく似ているので、つかつかと寄って『おい、宗兵衛』と声をかけると、男は二人を見て慌てた様子で、一旦は川へ飛び込もうとしたらしいんですが、夜と違って昼間のことですから、川には石や材木を槙んだ船が幾艘も出ている。人足や船頭も働いている。そこへ飛び込むことも出来なかったと見えて、引っ返して西両国の方へ逃げて行く。二人は追っかけて行く……。逃げる奴は何分にも素人しろうとの悲しさ、気ばかりあせって体が前へ泳いでいるので、ちょいとつまずくとすぐに突んのめる。男が何かにつまずいてばったり倒れたところを、二人がすぐに取り押えました。
 それが丁度、橋番の小屋の前でしたから、おやじの久八を呼んで首実検をさせると、毎日この橋の上へ来て大川を眺めていた男は、たしかにこいつに相違ないというので、もう一言もなく恐れ入ってしまいました。そこで、だんだんに調べてみると、宗兵衛は前の晩に田町のうちを出て、東海道を行っては足が付くと思ったので、中仙道を行くことにして、その晩は板橋の女郎屋に泊まったんです。明くる朝、そこからすぐにてばいいのに、例の宮戸川のお光に未練があるので、もう一度逢って行きたいような気になって、そこから又引っ返して馬道へ来たが、なんだか近所の人達が自分をじろじろ見ているような気がするので、思い切って露路のなかへはいることも出来ず、いっそ日が暮れてから尋ねて行こうと思って、あても無しに其処らをうろ付いているうちに、又なんだか両国の方へ行って見たくなった。多分お竹の魂に引き寄せられたのでしょうと、本人は怪談めいたことを云っていましたが、犯罪者はとかくにそうしたもので、自分に係り合いのある所へわざわざ近寄って、結局破滅を招くことになるのが習いです。宗兵衛もやはり其のたぐいでしょう」
 これでこの事件の顛末は判ったが、最後に残っているのは金の蝋燭の問題である。それについて、半七老人はこう説明した。
「旅の男は宗兵衛にくびり殺されてしまったので、その身許も蝋燭の出所でどこもいっさい判らないんですが、宗兵衛の申し立てにって判断すると、その蝋燭は何処かの大名から江戸の役人たちへ贈る品で、その当時は『権門』なぞと云いましたが、つまりは一種の賄賂です。表向きは金をやるわけにも行かないので、菓子折の底へ小判を入れたり、金銀の置物をこしらえたり、いろいろの工夫くふうをするのが習いでしたから、この蝋燭も一つの新工夫で、おそらく九州辺の大名が国産の蝋燭を進上するなぞと云って、金の伸べ棒入りの蝋燭を持ち込む積りであったのだろうと思われます。そこで、その進物しんもつを国許から江戸へ送って来るには、もちろん相当の侍も付いているに相違ありませんが、その供の者、すなわち中間どもの中に良くない奴があって、事情を知って一と箱ぐらいを盗み出し、それを抱えて途中から逐電ちくてんしたらしい。ほかに同類があったかどうだか知りませんが、その男は江戸へむかって逃げるのは危険だと思って、上方へむかって引っ返す途中、金谷の宿しゅくで急病が起った為に、とうとう宗兵衛の手にかかって、日坂峠の秋の露、消えて果敢はかなくなりにけりという事になったんでしょう。今更ではないが、悪いことは出来ません。
 それがなぜ世間へ知れずにいたかというに、その大名も元来秘密の仕事ですから、たとい途中でどんな事があろうとも、表向きの詮議は出来ません。江戸の幕府の役人たちに蝋燭を贈ったなぞということが世間へ知れては、その屋敷の大迷惑になりますから、何事も泣き寝入りにして、闇から闇へ葬るのほかはない。それを承知で、持ち逃げをした奴もあるわけです。昔はそういうたぐいの秘密がいろいろありました。いや、今日でも『珍物』なぞという贈り物があるとか聞いていますが……。はははははは。
 ついでに申し上げますが、御金蔵やぶりの藤十郎と富蔵は、安政四年二月二十六日に召し捕られ、五月十三日に千住の小塚ッ原で磔刑はりつけになりました。わたくしも随分これには頭を痛めたんですが、運がないのか、知恵がないのか、他人ひとに巧を奪われて、この捕物にはいっさい係り合いがなかったのを今でも残念に思っています」





底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:しず
1999年12月13日公開
2004年3月1日修正
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