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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)43 柳原堤の女

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:40:55  点击:  切换到繁體中文


     五

 半七は山卯の材木店を出て、ふたたび柳原の通りへ引っ返してくると、あとから子分の善八が追って来た
「親分。山卯の店へたずねて行ったら、親分はたった今帰ったというので、すぐに追っかけて来ました。番頭の話では、利助という小僧がなにか眼をつけられたそうですね」
「むむ、まあ、大抵は見当がついたようだ」と、半七は笑った。「ところで、木挽こびきの方はどうした」
「銀蔵の奴は駄目でした。別に手がかりになりそうなこともありませんよ」
 善八は自分が調べて来ただけのことを話した。それは幸次郎の報告と大差ないもので、かれ自身も失望している通り、別に新らしい手がかりになりそうな材料を含んでいなかった。
「まあ、銀蔵も喜平も別に係り合いはなさそうだ。それより大工の勝次郎という若い野郎を引き挙げてくれ。こいつは石町の油屋に仕事に行っているそうだから」
「ようがす。すぐに番屋へ引っ張って来ますかえ」
「むむ。おれは先に行って待っている」と、半七は云った。「相手は若けえ奴だ。おまけに大工だというから、なにか切れ物でも持っているかも知れねえ。気をつけて行け」
 善八にわかれて、半七はすぐに町内の自身番へ行こうとしたが、かれが日本橋の石町へ行って本人を引っぱって来るまでには、まだ相当のひまがかかるだろうと思ったので、更に向きをかえて髪結床へはいると、ちょうど客がなくて、甚五郎は表をながめながら長い煙管で煙草をのんでいた。
「やあ、親分。先ほどは……」と、かれは起って挨拶した。「きたないところですが、まあお掛けなさい」
 自分の店へ髪を結いに来たのでないことは甚五郎も初めから承知しているので、かれは粉炭こなずみを火鉢にすくい込んで、半七の前に押し出しながら話しかけた。
「親分も清水山の一件をお調べになるんですかえ」
「世間がそうぞうしいので、まんざら打っちゃっても置かれねえ」と、半七も煙草入れを出しながら云った。
「実はさっきお話をしませんでしたが、池崎の屋敷の中間のほかに、こんなことがありましたよ。これはわたしだけが知っていることなんですがね。なんでも八月の中頃からでしょうか、変な男がときどき髪をたばねに来るんです。ひとりで来る時もあり、二人づれで来る時もありましたが、まあ大抵はひとりで来ました。年頃は三十五六でしょうか、色の黒い、骨太の、なんだか眼付きのよくない男で、めったに口をきいたこともなく、いつも黙って頭をいじらせて、黙って銭をおいて行くんです」
「それがどう変なのだ」
「どうということもありませんが……。わたしも客商売で、毎日いろいろの人に逢っていますが、どうもその男の様子がなんだか変でしたよ」
「その男は今でも来るかえ」と、半七は煙草を吸いながらしずかにきいた。
「いや、それがまたおかしいんです。九月のなかば過ぎ、山卯の若い衆が清水山へ見とどけに出かけてから二、三日あとのことでした。その男がいつもの通りふらりとはいって来て、わたしに髭を当らせていると、そこへまたほかの客がはいって来て、山卯の若い衆の噂をはじめると、その男は黙って聞いていたが、やがてにやりいやな笑い顔をして、半分はひとり言のように、そんな詰まらないことをするものじゃあない。しまいには身をそこねるようなことが出来しゅったいする……と。わたしはそれに相槌を打って、まったくそうですねと云いましたが、その男はなんにも返事をしませんでした。そうして、それっきり来なくなってしまったんです」
「それっきり来ねえか」
「それっきり一度も顔をみせません。ねえ。親分。なんだか変じゃありませんか。そいつは今も云う通り、色の黒い、骨太の、頑丈な奴でしたよ」
 喜平と銀蔵をなぐり倒した大きい手の持ち主はかの男ではないかと、甚五郎は疑っているらしかった。半七もそう思った。
「そいつは二人連れで来たこともあるんだね」
「ありますよ」と、甚五郎はうなずいた。「もう一人の男は少し若い三十二三ぐらいの、これはずっと小作りの男でした」
「商売の見当はつかないかね」
「さあ」と、甚五郎は首をかしげた。「どうも江戸じゃありませんね。まあ近在のお百姓でしょうかね」
「いや、ありがとう。いいことを教えてくれた。うまく行けば一杯買うぜ」
「どうも恐れ入りました。こんな話が何かのお役に立てば結構です」
 半七はここの店を出て、山卯の町内の自身番へ行ってみると、善八はまだ来ていなかった。定番じょうばんを相手に、囲炉裏いろりのそばでしばらく話していると、やがて善八は大工の勝次郎をつれて来た。勝次郎はまだ二十一か二で、色の青白い痩形の男で、見たところ、小機転の利いているらしい江戸っ子肌の職人ではあるが、度胸のすわった悪党でもないらしいことは、半七は多年の経験ですぐ察しられた。
「おい、御苦労」と、半七は勝次郎に声をかけた。「よくすぐに来てくれたな」
「親分さんの御用だということですから」と、勝次郎はおとなしく答えた。
 よく見ると、かれの顔はどことなくやつれて、眼のうちも陰っていた。
「そこで早速だが、お前は柳原の清水山へ何しに行くんだ」
「いいえ、行ったことはございません。山卯の喜平どんに誘われましたが、どうも気が進まないのでことわりました」
「気が進まないなら、なぜ初めに自分の方から行こうと云い出したんだ。いやなものなら黙っていたらよさそうなもんだ。一旦行こうとしながら、中途で寝返りを打つばかりか、山卯の小僧に百の銭をくれて、仕事場の丸太をなぜ倒さした。そのわけがきてえ。正直に云ってくれ」
「へえ」
 それに対して何か云い訳をかんがえているらしい勝次郎の頭の上へ、半七はつづけて浴びせかけた。
「一体おめえは妙な知りびとを持っているな。あの三十五六の色の黒い、骨太の男はなんだ」
 勝次郎は黙ってうつむいていた。
「それから三十二三の小作りの男……あんな奴らとなぜ附き合っているんだ」
 勝次郎は真っ蒼になってふるえ出した。
「もう何事もおかみの耳にはいっているんだ。じたばたするな、往生ぎわの悪い野郎だ」
 半七に睨まれて、若い大工は骨をぬかれたようにへたばってしまった。
「さあ、なんとか返事をしろ。黙っているなら、おれの方からもっと云って聞かしてやろうか。だが、おれに口をきかせれば利かせるほど、貴様の罪が重くなるのだから、その積りでいろ。それともここらで素直に云うか」
 再び睨みつけられて、勝次郎はあわてて叫んだ。
「親分、堪忍してください。申し上げます、申し上げます」
 半七は善八に云いつけて、茶碗に水を入れて来て勝次郎の前に置かせた。
「さあ、水をやる。一杯のんで、気をおちつけて、はっきりと申し立てろ」
「ありがとうございます」と、勝次郎はふるえながらその水をひと口飲んだ。そうして、板の間に手をついた。
「こうなれば何もかも有体ありていに申し上げますが、わたくしは決して悪事を働いた覚えはございません」
「うそをつけ」と、半七はまた睨んだ。「どうも強情な奴だな。じゃあ、おれの方からよく云って聞かせる。貴様が初手しょてから清水山へ行く料簡もなし、またなんにもうしろ暗いことがねえなら、初めから黙っている筈だ。すねきずもつ奴の癖で、自分の方からわざと清水山へ行こうなぞと云い出したものの、もともとほんとうに行く気はねえんだから、喜平たちをおどかすために、小僧に頼んで丸太を倒させた。それでも喜平が強情に行くと云うので、今度は長屋に急病人が出来たなどといい加減な嘘をついて逃げてしまった……。やい、勝次郎。まだおれにしゃべらせるのか。世話を焼かせるにも程があるぞ」
「恐れ入りました」と、勝次郎は声をふるわせた。「親分のおっしゃることは一々図星でございます[#「ございます」は底本では「ごさいます」]。しかし親分、わたくしは清水山の一件に係り合いがあるには相違ありませんが、決して悪いことをした覚えはないのでございます。まあ、お聞きください。ことしの七月の末でございました。日が暮れてもなかなか残暑が強いので、涼みながら鼻唄で柳原の堤下を通りました。もうかれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう。ふいと見ると、うす暗いなかに白地の浴衣を着ているらしい女がぼんやりと突っ立っているんです。しけを食った夜鷹だろうと思って、からかい半分にそばへ寄って、何か冗談を云いかけると、その女はいきなりわたくしの腕をつかまえて、堤の上へ引っ張って行く。こっちも若いもんですから、いよいよ面白くなって付いて行きました。ところが、相手は夜鷹どころか、別れる時に、向うから一分の金をわたくしの手に握らせてくれました。そうして、あしたの晩もきっと来てくれと云うんです。いよいよ嬉しくなって、そのあしたの晩も約束通りに出かけて行くと、女はやっぱり待っていました。出逢う所はいつでも清水山で、逢うたびにきっと一分ずつくれるんですから、こんな面白いことはないと思っていると、忘れもしない八月八日の晩でした。その晩はいい月で、女の顔が……。女はいつも手拭を深くかぶっているので、一体どんな女だかよくわからなかったんですが、今夜こそはよく見とどけてやろうと思って、月明かりで手拭のなかを覗いてみると、いやどうもおどろきました。その女は両方の眼のまわりから鼻の下あたりまで、まるで仮面めんでもかぶったような一面の青黒いあざで、絵にかいた鬼女とでも云いそうな人相でしたから、わたくしは気が遠くなる程にびっくりして、あわてて突き放して逃げようとすると、女は袖にしがみついて放しません。まあ、話すことがあるから一緒に来てくれと云って、無理にわたくしを清水山の奥へ引き摺って行きました。今まで一分ずつくれていたのですから、ほんとうの化け物でないことは判っていますが、なにしろ化け物のような女の正体がわかってみると、なんだか薄気味が悪くなって、お岩かかさねにでも執着とりつかれたような心持で、わたくしは怖々こわごわながら付いて行くと、女はすすり泣きをしながら、どうで一度は知れるに決まっていると覚悟はしていたが、さてこうなると悲しい、情けない。わたしのような者でも不憫と思って、今まで通りに逢ってくれるか、それとも愛想を尽かしてこれぎりにするか、その返事次第でわたしにも料簡があると、こう云うんです。嫌だと云ったら、いきなり喉笛にでもくらいつくか、帯のあいだから剃刀でも持ち出すか、どの道、唯はおかないという権幕ですから、どうにもこうにもしようがなくなって、わたくしも一時逃がれの気やすめに、きっと今まで通りに逢うという約束をしてしまいました」
 かれは茶碗の水を又ひと口のんで、しばらく息を休めていた。


 

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