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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)42 仮面

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 10:10:24  点击:  切换到繁體中文

底本: 時代推理小説 半七捕物帳(四)
出版社: 光文社時代小説文庫、光文社
初版発行日: 1986(昭和61)年8月20日

 

ある冬の日、わたしが老人を赤坂の家にたずねると、老人は日あたりのいい庭にむかって新聞をよんでいた。その新聞には書画を種の大詐欺の記事がかかげてあって、京浜は勿論、関西九州方面にわたってその被害高は数万円にのぼったと書いてあった。老人は嘆息しながら云った。
「だんだん世の中が進むにつれて、万事が大仕掛けになりますね。それを思うとまったく昔の悪党は小さなもので、今とは較べものになりません。なにしろ十両以上の金高になれば首が飛ぶという時代ですから、悪い奴も自然こそこそが多かったんですね。それでも又、その時代相応に悪知恵をめぐらす奴があるので、やっぱり油断は出来ないことになっていました。それがまた勘違いの種にもなって、あとでおやおやというようなこともありました」

 元治元年九月の末であった。秋晴れのうららかな日の朝、四ツ(午前十時)をすこし過ぎたころに、ひとりの男が京橋東仲通りの伊藤という道具屋の店さきに立った。ここは道具屋といっても、二足三文にそくさんもんのがらくたをならべているのではない。大名旗本や大町人のところに出入り場を持っていて、箱書付きや折紙付きというような高価な代物をたくさんにたくわえているのであった。
 男はひとりの若い供をつれていた。かれは三十五六の人品のよい男で、町人でもなく、さりとて普通の武家でもないらしい。寺侍にしては上品すぎる。あるいは観世かんぜとか金剛こんごうとかいうような能役者ではないかと、店の主人の孫十郎は鑑定していると、男は果たして店の片隅にかけてある生成なまなりの古い仮面めんに眼をつけた。それは一種の般若はんにゃのような仮面である。かれは眼も放さずにその仮面を見つめていたが、やがて店のなかへ一と足ふみ込んで、そこにいる小僧の豊吉に声をかけた。
「あの面をちょいと見せて貰いたい」
「はい、はい」と、豊吉はすぐに起ってその仮面をおろして来た。
 客の筋がわるくないとみて、孫十郎も起って出た。
「どうぞおかけ下さい。豊吉、お茶をあげろ」
 男は仮面を手にとって、又しばらく眺めていた。よほど感に入ったらしい顔色である。ことし五十を二つ三つ越えて商売馴れている孫十郎は早くもそれをて取った。
「それはなかなか古いものでございます。作は判りませんが、やはり出目でめあたりの筋でございましょうかと存じます」
「出目ではない」と、男はひとり言のように云った。「しかし同じ時代のものらしい。して、このあたいはどれほどかな」
「どうもちっとお高いのでございますが、お懸け引きのないところが二十五両で……」
 男は別におどろいたような顔もしなかった。たとえそれが越前国の住人大野出目の名作でなくとも、これほどの仮面が二十五両というのは決して高くない。むしろやす過ぎるくらいであるので、かれは少し疑うような眼をして、更にその仮面をうちかえして眺めていたが、やがてそれを下に置いて、小僧が汲んで来た茶をのみながら云った。
「では、二十五両でいいな」
「はい」と、孫十郎はかしらを下げた。
「ところで、御亭主。わたしは通りがかりでそれだけの金を持っていないから、手付けに三両の金をおいて行く。どうだろうな」
 それは珍らしいことではないので、孫十郎はすぐに承知した。約束がきまって、男は三両の金を渡したので、孫十郎はかり請取うけとりをかいて渡した。帰るときに、男は念を押して云った。
「それでは明日の今時分にくる。云うまでもないことだが、余人に売ってくれるなよ」
 売り買いの約束が出来て、すでに手付けの金を受け取った以上、もちろん他に売ろう筈はないので、孫十郎はその客のうしろ姿を見送ると、すぐに豊吉に云いつけて、その仮面を取りはずさせた。それから一刻いっときあまりを過ぎて、孫十郎が奥で午飯ひるめしをくっていると、小僧が店からはいって来た。
「旦那に逢いたいと云って、立派なお武家がみえました」
「どなただ」
「初めてのお方のようでございます」
「店へお上げ申して、お茶をあげて置け」
 早々に飯をくってしまって、孫十郎は店へ出てゆくと、今度の客は羽織袴、大小のこしらえで、二十二三の立派な武士であった。かれは店へあがって、客火鉢のまえに坐っていた。
「わたくしが亭主の孫十郎でございます。お待たせ申しました」
 挨拶のすむのを待ち兼ねたように、武士は店の隅へ眼をやりながらいた。
「早速だが、きのうまであすこにかかっていた生成なまなりの仮面、あれはどうしたな」
「あれはけさほど御約束が出来ました」
 武士の顔色は俄かに陰った。
「あ、それは残念。して、その買い手は何処のなんという人だ」
 孫十郎から詳しい話をきかされて、若い武士はいよいよ顔色を暗くした。かれはひどく困ったようにしばらく考えていたが、やがて小声で云い出した。
「近ごろ無理な相談ではあるが、どうであろう、その買い手の方をなんとか破談にしてくれるわけには行くまいか」
「そうでございますな」と、孫十郎も当惑のひたいをなでた。「なにぶんにも、もう手金てきんまで頂戴して居りますので……」
「それは判っている。当方の無理も万々承知しているが、そこをなんとか取り計らってはくれまいか」
 いくら相手が侍でも、無理はどこまでも無理に相違ないので、孫十郎も容易に承知しかねて、いつまでも渋っていると、武士は更に声をひそめて云い出した。自分がこういう無理を頼むのは、まことによんどころない事情がある。屋敷の名は明らかに云うわけには行かないが、自分は西国さいこくの或る藩中に勤めている者で、あの生成の仮面は主人の屋敷で当夏虫干むしぼしのみぎりに紛失したものである。それを表向きに詮議する事の出来ないというのは、その仮面は屋敷の御先祖が権現様から直々じきじきに拝領の品で、それを迂濶に紛失させたなどとあっては、公儀へのきこえも宜しくない。そういうわけで、屋敷の方でも他聞をはばかって、飽くまでも秘密に穿鑿せんさくしているのである。それを自分がきのうはからずもここの店で見つけた。見つけてすぐに掛け合えばよかったのであるが、ほかに用向きをかかえていたので、そのままに見過ごしてしまった。それが自分の重々不覚で、今さら後悔のほかはない。ゆうべは遅く帰ったので、けさ改めて重役方にそのことを申し立てると、自分はひどく叱られた。
 大切な御品を発見した以上、何事を差しおいても其れを取り戻す工夫をしなければならないのに、うかうか見過ごしてしまうとは余りの手ぬかりである。寸善尺魔すんぜんしゃくまたとえで、万一きのうのうちに他人の手に渡ってしまったらどうするか。持ち合わせの金がなければ、相当の手付けを置いてくるか、万やむを得なければ屋敷の名をあかしても店の者に持たせてくるか、なんとか臨機の処置を取るべき筈であるのに、そのままに見過ごすとは何事であるかと、自分は重役方からさんざんに叱られた。そう云われると、まったく一言もない。それでもきのうのきょうである。殊に余の品とも違って、めったに売れそうもないものであるから、おそらく無事であることと多寡をくくって、唯今かさねて来てみると、の悪いときは悪いもので、その仮面はひと足ちがいで他人ひとに買われてしまった。さてこうなると、どうしていいか判らない。今さら歯咬みをしても、地団太じだんだをふんでも、取り返しの付かないことになった。
「手前が重々の不調法ぶちょうほう、その申し訳には腹を切るよりほかはござらぬ」と、武士は蒼ざめたひたいに太い皺を織り込ませて、唸るように溜息をついた。
 孫十郎もいよいよ当惑した。理窟をいえば、勿論この若侍の不念ぶねんに相違ない。重役たちの云う通り、それほど大切な詮議の宝を見つけたならば、なにをいても買い戻しの手だてをめぐらすべきであった。それを怠って、今さら悔むのは不覚である。しかしその不覚は不覚として、この侍の身になってかんがえると、まったく途方にくれることであろう。申し訳の切腹もあるいは是非ないかも知れない。まさかにこの店さきを借用するとも云うまいが、老い先のながい侍ひとりが、腹を切るというのを唯眺めているわけにも行かない、どうも困ったことが起ったと思うと同時に、一種の商売気が彼の胸にうかんだ。
「そういう仔細をうかがいますると、まことにお気の毒に存じられますが、くどくも申す通り、もはや先約がござりますので……。手金まで頂戴いたして置きながら、今さら破談と申すのは商売冥利、はなはだ難儀でござりますが、ともかくも明日先様さきさまがおいでになりましたら、一応は御相談いたしてみましょうか」

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