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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)36 冬の金魚

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 10:04:56  点击:  切换到繁體中文


     三

「すると、その金魚がすぐに死んだので、宗匠は先方に申し訳がないと云うんだね」と、半七はすこし考えていた。「だが、もともと生き物のことだ。飼いようが悪くって死なねえとも限らねえ。時候の加減でちねえとも云われねえ。金魚だって病気もする、それを一途いちずにこっちのせいにされちゃあ困るじゃあねえか」
「それを云ったのでございますよ」と、惣八は訴えるように云った。「ところが、宗匠はどうしてもいてくれないで、なんでも贋物を売ったに相違ない。ふだんが不断だから、おまえの云うことはあてにならないと……」
「不断よっぽどまやかし物を持ち込んでいるとみえるね」
「御冗談を……」と、惣八はあわてて打ち消した。「まったくあの宗匠は一国いっこくで、一旦こうと云い出したが最後、なんと云っても承知しないんですから」
「それからどうした」
「どうにもこうにもしようがありません。といって、あの宗匠の家の出入りを止められると、これからの商売にもちっと差しさわることもありますので、よんどころなしに御無理ごもっともと一旦は引きさがって来て、とりあえず売り主の元吉にその話をしますと、元吉も素直には承知しません。つまりお前さんが仰しゃったと同じような理窟を云っているので、わたくしも両方の仲に立って困ってしまいまして、実は今朝ほどもそのことで宗匠の家へ出かけて行くとあの一件で……。かさねがさね驚いているのでございます」
「一体その売り主の元吉というのは何者だえ」
「本所の金魚屋の甥でございまして、自分は千住に住んで居ります」と、惣八は説明した。
「そこも自分の叔母の家で、その二階に厄介になっていて、まあこれといって決まった商売もないのですが、叔父が金魚屋で、その方の手から出たというのですから、今度の金魚もまあ間違いはないと思っているのです。当人も決していかさま物ではないと云うのですが、わたくしも何分その方は素人しろうとのことで、実のところはどっちがどうとも確かには判らないので困って居ります」
「元吉というのは幾つだ」
「二十三でございましょう」
「そうか。まあ、そのくらいでよかろう。じゃあ、また呼び出したらすぐに来てくれ」
「かしこまりました」
 籠から放された鳥のように、惣八は怱々に出て行った。そのうしろ姿を見送って、半七は炉のそばで煙草を二、三服つづけて吸っていると、背のたかい男がうす暗い表から覗いた。それは子分の松吉であった。
「親分、いま帰りました」
「やあ、御苦労、寒かったろう。まあ、火のそばへ来い」
「まったく冷えますねえ。風はないが、身にしみます。近いうちに雪かも知れませんよ」と、松吉は店へあがって炉のまえに坐った。
「この寒空に金魚を売ろうの、買おうのと、つまらねえ道楽をするから、いろいろの騒動が出来しゅったいするんだ」と、半七はにが笑いした。「そこで、どうだ。ちっとは当りが付いたか」
「まあ、こんなことですがね」
 松吉が首を伸ばしてささやくのを聞くと、其月のうちの女中のお葉は千住の荒物屋の娘で、家にはおまんという母と、今年十三になる源吉という弟がある。お葉は一昨年の春から初奉公ういぼうこうで近所の水戸屋という煙草屋の女中に住み込んだ。水戸屋は古い店で、商売のほかに田地などを持っているので、土地でも相当に幅をきかせていたが、主人は四、五年前に死んで、今はおむつという女あるじである。お葉はそこに小一年ほど奉公していたが、その年の暮に暇を取って、あくる年の三月からお玉ヶ池の其月の家へ二度目の奉公をすることになった。お葉が水戸屋を立ち去ったのは、自分の方から暇を取ったのではない。主人の甥とあまり睦まじくすることが主人の眼にとまって、出代りどきを待たずに暇を出されたらしいと云う者もある。お玉ヶ池へ行ってからは、去年の盆の宿さがりに千住の家へ一度帰って来ただけで、今年になっては正月にも盆にも顔をみせない。主人の家が無人で、めったに出られないというのであった。
 松吉がゆき着く前に、お玉ヶ池の近所の人から知らせて来たので、お葉の家ではもう娘の変死を知っていたが、あいにく母のおまんは風邪かぜをひいて四、五日前から寝込んでいる。弟の源吉はまだ子供でどうすることも出来ないので、日が暮れてから近所の人たちが死骸を引き取りにくる筈になっている。松吉は病人の枕もとへ行っていろいろ詮議したが、まえにも云った通りでお葉はこの頃めったに帰って来ない。母は二度ばかりもお玉ヶ池へたずねて行ったが、主人の其月はいつも留守であったので、一体どんな人であるか、その顔さえも見らない。そういうわけであるから、主人の家の事情などはなんにも知らない。勿論、主人と娘とのあいだにどんな関係があるか、ちっとも知ろう筈はないとおまんは云った。かれは正直な田舎風の女で、嘘をつきそうにも見えないので、松吉は先ずそのくらいにして引き揚げて来た。
「その煙草屋の甥というのは、本所の金魚屋の親類で、元吉という奴じゃあねえか」と、半七はいた。
「そうです。そうです。元吉というんです。親分はもう聞き込みましたかえ」
「道具屋の惣八から聴いた。そいつから惣八にたのんで、惣八から宗匠にたのんで、どこへか金魚を売り込んだことがあるそうだ」
 冬の金魚の一件を聞かされて、松吉は幾たびかうなずいた。
「わかりやした。するとその元吉が宗匠をったんでしょう」
「おめえはそう思うか」
「だって親分」と、松吉は声をひそめた。「そいつの売り込んだ金魚は勿論いか物に相違ありません。それで一杯食わせようとしたところが、やり損じて化けの皮があらわれて、宗匠からはむずかしく談じ付けられる。所詮しょせんは売った金を返さなければならねえ羽目はめになったが、もう其の金は使ってしまって一文もねえ。苦しまぎれに悪気をおこして……。ねえ、そこらでしょう。ところで、お葉という女は、その元吉と前々から出来合っているので、男の手引きをして主人を殺させたのでしょう」
「むむ」と、半七はかんがえていた。「そうすると、そのお葉はどうして死んだ。元吉が殺したのか」
「まあ、そうでしょうね。手引きをさせて宗匠を殺したものの、この女を生かして置くと露顕の基だと思って、なにか油断させて置いて、不意に池のなかへ突き落したのでしょう。違いますかえ」
「なるほどうまく筋道は立つな。じゃあ、おめえはその積りで元吉の方をしらべてくれ」
「すぐに引き挙げてようがすかえ」
「馬鹿をいえ」と、半七は笑った。「ひとりで将棋をさすように、自分でばかり決めてかかってもいけねえ。確かな証拠も無しにむやみにそんなことをすると、旦那方に叱られるぞ。まあおちついて仕事をしろ。庄太はどうした。あいつにも片棒かつがせろ」
「あい。ようがす」
 とおに九つはこっちの物だという顔をして、松吉は威勢よく出て行った。もう一度、宗匠の家へ行ってその後の模様を見とどけて来ようと思って、半七もつづいて表へ出ると、風のない夜ではあるが凍り付くような寒さが身にしみた。それも師走の宵だけに、往来の提灯のかげが忙がしそうに行き違っているなかを、半七は考えながらしずかに歩いて行った。
「やっぱりひょろ松の鑑定があたっているかな」
 其月の家には大勢の人があつまっていた。半七が出たあとでだんだんにその門人や知人などが寄って来たらしく、茶の間の六畳と女中部屋の三畳とに押し合って坐っていた。どれもみな男の顔であった。近所の人らしい女二、三人が狭い台所でなにか立ち働いていた。四畳半には主人と女中との死骸がならべてあって、お葉の家からはまだ誰も引き取りに来ないとのことであった。雨戸はみな閉め切ってあるので、線香の煙りはうちじゅうにうずまいて流れていた。
 とても割り込んで坐るような席はないので、半七は台所へ廻って、流し元のあがりがまちに腰をかけていると、ひとりの女房が手あぶりの火鉢を持って来てくれた。
「どうもお寒うございます。なにしろ、この通りのせまいうちですから」と、女房は気の毒そうに云った。
「もうおかまいなさるな。時にここのお弟子さんの其蝶[#「其蝶」は底本では「基蝶」]さんは見えていませんかえ」
「来ています。呼びましょうか」
「呼ばなくってもいい。どこにいるか教えて下さい」
「あれ、あすこに……」
 教えられた方を伸び上がって覗くと、狭い家だけに其の人はつい鼻のさきに見えた。彼は二つの死骸に最も近いところに行儀よく坐って、だまって俯向いていた。膝と膝とが摺れ合うように坐っている人達のあいだに、行燈や燭台が幾つも置いてあるので、其蝶の蒼ざめた横顔は明らかに照らされていた。其月の死骸のそばには文台ぶんだいが据えられて、誰が供えたのか知らないが、手向たむけの句らしい短冊が六、七枚も乗せてあった。
 更によく視ると、其蝶はその右の手の小指を紙で巻いているらしかった。半七はふと思い出した。お葉の死骸の左の小指にも小さい膏薬が貼ってあった。検視の時には誰も格別の注意を払わなかったのであるが、其蝶が右の小指を痛めているのを見ると、両方のあいだに何か関係がないとも云えない。半七はもう一度お葉の死骸をあらためて見たいと思ったが、死骸に手をつけるには自分の身分を明かさなければならないので、彼は又すこし躊躇ちゅうちょした。しかしいつまで睨み合っていても際限がないので、半七は更に伸びあがって声をかけた。
「もし、其蝶さん」
 呼ばれても彼は俯向いたままで返事もしなかった。
「其蝶さん。このかたが呼んでいますよ」
 かの女房にも声をかけられて、其蝶は初めて顔をあげた。かれは大勢のなかを掻きわけて台所へ出て来た。
「どなたでございますか。どうぞこちらへ」と、彼はうす暗いところを透かしながら丁寧に云った。
「少しおまえさんにお願い申したいことがあります。わたしは神田の半七という者だが、御用でその死骸をあらために来ました」
「左様でございますか」と、其蝶はやや慌てたらしく答えた。
「なに、ちょいと覗かして貰えばいいんですから」
 一応ことわっておけば仔細はないので、半七はつかつかと奥へ入り込んだ。大勢がじろじろと視ているなかを通って、四畳半の死骸のそばへ立ち寄ったが、其月の方はもうあらためる要はない。半七はお葉の死骸の左手をとって、その小指をよく視ると、小さい膏薬が湿れたままで付いていた。そっと剥がしてみると、なにか刃物で切ったらしいきずのあとが薄く残っていたが、それはもう五、六日以上を経過したものらしく、疵口も大抵かわいて癒合ゆごうしていた。この疵はゆうべの事件に関係のないことが十分に判って、半七は失望した。
 かれは更に其蝶の指の疵をあらためたいと思ったが、満座のなかではどうも都合がわるいので、再びかれを眼でまねいて、半七は台所の外に出た。そこの狭い空地には井戸があった。
「どうも宗匠は飛んだことだったが、なにか心当りはありませんかえ」と、半七は車井戸の柱によりかかりながら先ずいた。
「どうもわかりません」と、其蝶はひくい溜息をついた。
「ここのうちのことはお前さんが一番よく知っているということだが、宗匠は人に遺恨をうけるようなことでもありますかえ」
「そんな心当りはございません」
「このごろに何処へか金魚を売り込んだことがありますかえ」
「そんなはなしは聞きましたが、その売り先はよく存じません」と、其蝶は云った。「なんでも道具屋の惣八がいかものを持ち込んだとか云って、ひどく立腹していました」
「お葉という女は宗匠の妾ですかえ」
「さあ」と、其蝶は少し云い渋っていた。「なんだか世間ではそんなような噂をいたす者もありますが……」
「おまえさんは千住の元吉という男をっていますかえ」
「知りません」
「その元吉が宗匠を殺したという噂だが……。おまえさん、まったく知りませんかえ」
「知りません」
「おまえさんは指を痛めているようですね」と、半七は突然に云った。
 其蝶はだまっていた。半七はと寄ってその手首を強くつかんだ。
「どうして怪我をしたんだか、ちょいと見せてください」
 半七はかれを引き摺るようにして台所の口へ戻ると、其蝶もやはり黙って曳かれて来た。そこにある蝋燭の火を借りて、半七は其蝶の右の小指を幾重にもまいてある新らしい紙を解くと、疵口にあててある白い綿にはなまなましい血がにじんでいた。半七はその手首をつかんだままで、黙ってかれの顔を睨んだ。其蝶も無言で眼を伏せていた。
「もういけねえぜ」
 と、半七はあざ笑った。
「番屋まで来て貰おう」
 其蝶はもう覚悟をきめたらしく、すなおにかれて表へ出た。

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