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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)34 雷獣と蛇

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 10:03:02  点击:  切换到繁體中文


     三

 あま酒で元気をつけて、半七老人は団扇うちわの手を働かせながら又話し出した。
「あれはたしか文久三年とおぼえています。なんでも六月の末でした。新宿の新屋敷……と云っても、今の若い方々は御存知ないかも知れませんが、今日こんにちの千駄ヶ谷の一部を俗に新屋敷と唱えまして、新屋敷六軒町、黒鍬町くろくわちょう、仲町通りなどという町名がありました。いつの時代にか新らしい屋敷町として開かれたので、新屋敷という名が出来たのでしょう。その辺には大名の下屋敷、旗本屋敷、そのほかにも小さい御家人ごけにんの屋敷がたくさんありまして、そのあいだには町屋まちやもまじっていましたが、一方には田や畑が広くつづいていて、いかにも場末らしい寂しいところでした。
 前にも申す通り、六月末の夕方、その仲町通りのあき屋敷の塀外に人立ちがした。というのは、そこに不思議なものを見付けたからで、何十匹という蛇がからみ合ってとぐろをまいて、地面から小一尺もうず高く盛りあがっている。勿論、ここらで蛇や蛙をみるのは珍らしくないので、一匹や二匹のたくっているのならば、誰もそのままに見過ごしてしまうんですが、何分にもたくさんの蛇が一つにあつまって、盛りあがるようにとぐろをまいているんですから、よほど変っています。そこで、通りがかりの人が始めは一人立ち、ふたり立ち、又それを聞きつたえて近所の屋敷や町屋からもだんだん見物人が出て来たので、その蛇のまわりには忽ち二三十人も集まったんですが、ただそれを取りまいて見物しているばかり、どうする者もありませんでした。
『そのとぐろのなかには玉がある』
 こんなことを云う者もありました。たくさんの蛇がうず高く盛りあがって大きい輪をつくっているのは蛇こしきとかいって、そのなかには、珍らしい玉がかくれていると、昔の人たちは云ったものです。で、今もそのとぐろを巻いているなかには、おそらく宝玉があるだろうという噂が立ったものですが、誰も思い切ってその蛇に手をつける者がない。たくさんの蛇はちっとも動かないで、眠ったようにからみ合っているばかりですが、誰がみても気味のいいものじゃありません。武家屋敷の中間ちゅうげんなどのうちには、生きた蛇を食うというような乱暴者もあるんですが、なにしろうたくさんの蛇がうず高く盛りあがっていては、さすがに気味を悪がって唯ながめているばかり。そのうちに夏の日も暮れかかって、天竜寺の暮れ六ツがきこえる頃、そこへ一人の若い娘が来ました。
 娘は十四五で、武家育ちであるらしいことは其の風俗ですぐに判ったんですが、大勢の人をかきわけて、その蛇のそばへ寄ったかと思うと、みんなの口から思わずあっという声が出た。それは無理もありません。その若い娘は単衣ひとえの右の袖をまくりあげて、真っ白な細い手を蛇のとぐろのまん中へぐっと突っ込んだとお思いなさい。まだ十四五の小娘ですから、手の先どころじゃない、二の腕のあたりまでするすると這入って……。気の弱いものは見ただけでも慄然ぞっとして、眼を塞いでしまいたい位ですが、娘は平気でその白い腕を蛇のとぐろのなかへ入れてしばらく探りまわしているようでしたが、やがて何かつかみ出したので、息を殺して見ていた人たちは又わやわやと騒ぎ出して、娘の手に持っているものを寄りあつまって覗いてみると、それはひとたばの真っ黒な切髪で、たしかに若い女の髪の毛に相違ないので、大勢は又あっと云う。それを耳にもかけないような風で、娘はその切髪を持ったままで何処へか行ってしまいました。
 大勢はそれに気を呑まれた形で、ただ黙ってその娘のうしろ姿をながめているばかりでした。いくら武家の娘だと云って、まだ十四か十五の小娘が蛇のあつまっているなかへ腕を突っ込んで、平気でなにか掴み出して行く。その度胸のいいのにみんな舌を巻いて、一体あれはどこの家の娘さんだろうと云ったが、誰も確かに知っているものがない。又あの切髪は誰のだろうと云ったが、それも判らない。みんなもその評定ひょうじょうに気をとられている間に、たくさんの蛇はどこへか消えてしまったように影も形もみえなくなったので、みんな又おどろいたが、もうその頃はそこらも薄暗くなって来たので、よく判らない。多分そこらの溝へでも這入ってしまったか、あき屋敷の庭へでも這い込んだろうということになって、見物人は次第に散ってしまったのですが、なにしろ、それが蛇と小娘と切髪と、不思議な三題ばなしが出来あがっているので、その晩のうちにその噂が新宿から青山の方まで一面にひろまってしまいました。
『その娘は何者だろう。その娘とその切髪とどういう因縁があるのだろう』
 こうした噂が繰り返されて、それに又いろいろの想像説も加わって、見て来たような作り話を吹聴ふいちょうする者もある。一体その空屋敷というのは、以前は内藤右之助という三百石取りの旗本が住んでいたのですが、二年ほど前から小石川の茗荷谷みょうがだにの方へ屋敷換えになって、今では誰も住んでいないので、門のなかは荒れ放題、玄関さきまで夏草が茫々と生いしげっているというありさま。……昔は方々にこういう空屋敷があって、化け物屋敷だなどと云われたものです。……その門前にあたかもこんな事件が出来しゅったいしたので、猶更なおさらいろいろの風説が高くなって、なにかその屋敷にも関係があるように云い触らすものが出て来たので、町奉行所の方も捨てて置かれなくなって、一応その詮議をしようかと云っていると、ここに又一つの事件が出来しゅったいしたんです。
 その事件は次の日の夜のうちに起ったのでしょう。仲町通りのあき屋敷の門前、丁度かの蛇がとぐろをまいていたあたりに一人の娘が倒れているのを、暁方あけがたになって見つけ出したので、近所ではまた大騒ぎになりました。しかもその娘は一昨日おとといのゆう方、そこで蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んだ武家娘に相違ないというので、騒ぎはいよいよ大きくなりました。娘は刃物で左の胸と右の脇腹を突かれて、血まぶれになって死んでいる。それだけでも随分大騒ぎになりそうなところへ、おまけに例の一件がからんでいるんですから、みんな不思議がるのも無理はありません。
 こうなると、いよいよ捨てては置かれなくなって、町奉行所でも探索をはじめることになりました。その役目を云い付かったのはわたくしで、善八という子分をつれて、すぐに新屋敷へ出かけました。大木戸そとの事件ですけれど、事柄がすこし変っているので、特に町方まちかたから選み出されたようなわけで、わたくしも役目のほかに幾らかの面白味も手伝って、すぐにそこへ出張って行って、まず近所の人たちに聞きあわせると、前に云った通りの始末で、娘は何者だか判らないで、まだ誰にも引き渡すことが出来ないということでした」
 あたまの上の風鈴が忙がしく鳴り出したので、半七老人はのきをみあげた。
「おや、風が出ましたね。空の色も悪くなって来た。又ゆうべの出直しかも知れませんね。はは、大丈夫。この頃は滅多にゆうべのような雷は鳴りませんよ。なに、雷獣でも出て来たら、二人で取っつかまえて金儲けをしまさあ。はははははは。だが、まあ、こっちへ引っ越しましょう。だしぬけにざっと来るかも知れませんから」
 わたしも手伝って、座蒲団や煙草盆を畳の上に運び込んだ。

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