「むむ、御苦労。もう用は済んだ」と、半七は云った。「いや、少し待ってくれ。まだ訊きてえことがある。一体この甚右衛門という男はなんの用で江戸へ来ていたのか、おまえ達はなんにも知らねえか」
「ふだんから寡口な人で、わたくし共とも朝夕の挨拶をいたすほかには、なんにも口を利いたことがございませんので、どんな用のある人か一向に存じません」
「定宿かえ」
「去年九月頃にも十日ほど逗留していたことがございまして、今度は二度目でございます」
「酒をのむかえ」と、半七は又訊いた。
「はい。飲むと申しても毎晩一合ずつときまって居りまして、ひどく酔っているような様子を見かけたこともございませんでした」
「誰かたずねて来ることはあったかえ」
「さあ、誰もたずねて来た人はないようです。朝は大抵五ツ(午前八時)頃に起きまして、午飯を食うといつでも何処へか出て行くようでございました」
「五ツ……」と半七は首をかしげた。「田舎の人にしては朝寝だな。そうして何時に帰ってくる」
「大抵夕六ツ(六時)頃には一度帰って来まして、夜食をたべると又すぐに出て行きますが、それでも四ツ(午後十時)すぎにはきっと帰りました。なんでも近所の寄席でも聴きに行くような様子でしたが、確かなことは判りません」
「金は持っていたらしいかえ」
「宿へ初めて着きました時に、帳場に五両あずけまして、大晦日には其の中から取ってくれと申しました。その残金はわたくし共の方に確かにあずかってございますが、自分のふところにはどのくらい持っていましたか、それはどうも判り兼ねます」
「外から帰ってくる時には、いつも手ぶらで帰ったかえ」
「いいえ、いつも何か風呂敷包みを重そうに提げていました。村への土産をいろいろと買いあつめているらしいと女中どもは申していましたが、どんなものを買って来るのか、ついぞ訊いて見たこともございませんでした」
「そうか。じゃあ、おめえの家へ行ってその座敷をあらためて見よう」
半七は番頭をつれて、再び信濃屋へ引っ返した。番頭に案内されて、奥二階の六畳の座敷へはいると、そこには別に眼につく物もなかった。更に戸棚をあけてみると、いろいろの風呂敷に包んだものが細紐で十文字に固く縛られて、五つ六つ積みかさねてあった。その一と包みを念のために抽き出すと、それは可なりの目方があって、なんだか小砂利でも包んであるかのように感じられた。番頭立会いでその風呂敷を解いてみると、中からは麻袋や小切れにつつんだ南京玉がたくさんあらわれた。
「何だってこんなに南京玉を買いあつめたのでしょう」と、番頭も呆れていた。
どの風呂敷包みからも南京玉が続々あらわれて来たので、半七もさすがにおどろいた。
「なんぼ土産にするといって、こんなに南京玉を買いあつめる奴もあるめえ。商売にする気なら、どこかの問屋から纒めて仕入れる筈だ。割の高いのを承知で、店々から小買いする筈はねえ。どうも判らねえな」
うず高い南京玉を眼のまえに積んで、半七は腕をくんでいたが、やがて思わず口の中であっと云った。
三
「おい、番頭さん、まったく誰もこの男のところへ尋ねて来たことはねえかどうだか、もう一度よく考え出してくれねえか」と、半七は番頭に訊いた。
「さあ、わたくしはどうも思い出せませんが、それでもわたくしの留守のあいだに誰か来たことがあるかも知れませんから、女中どもを一応調べてみましょう」
番頭は下へ降りて行ったが、やがて引っ返して来て、去年の暮の二十八日に隣り町の豊吉という錺職人が一度たずねて来たのを女中の一人が知っている。但しその時は甚右衛門は留守で、豊吉はそれぎり尋ねて来ないということを報告した。
「その豊吉というのはどんな人間だえ」
「以前は小博奕などを打って、あまり評判のよくない男でございました」と、番頭は説明した。
「しかし去年の春頃からすっかり堅くなりまして、商売の方も身を入れますので、この頃はふところ都合もよろしいようで、十一月には品川のお政という女郎をうけ出して、仲よく暮らして居ります」
「いくら品川でも女ひとりを請け出すには纒まった金がいる。多寡が錺職人が半年や一年稼いでも、それだけの金が出来そうもねえ。なにか金主があるな」
「そうでございましょうか」
「金主はきっとこの甚右衛門だ。もう大抵判っている。しかしこのことは滅多に云っちゃあならねえぞ。この南京玉はおれが少し貰って行く」
半七は一と掴みの南京玉を袂に入れて、信濃屋からすぐに隣り町の裏長屋をたずねると、錺職人の豊吉は眉のあとの青い女房と、長火鉢の前で葱鮪の鍋を突っ付きながら酒をのんでいた。
「おい、錺屋の豊というのはお前か」
「そうでございます」と、豊吉はおとなしく答えた。
「少し用がある。そこまで来てくれ」
「どこへ行くんでございます」
豊吉の眼はにわかに光った。
「まあ、なんでもいいから番屋まで来てくれ。すぐに帰してやるから」
「いけませんよ。親分」と、彼は早くも半七の身分を覚ったらしかった。「わたしは決して番屋へ連れて行かれるような覚えはありませんよ。何かのお間違いでしょう」
「強情だな。まあ素直に来いというのに……。ぐずぐずしていると為にならねえぞ」
「だって、親分。むやみにそんなことを云われちゃあ困ります。わたしはこれでも堅気の職人でございます。なるほど、以前は御禁制の手なぐさみなんぞをやったこともありますが、今じゃあ双六の賽ころだって、掴んだことはありません。まったく堅気になったんでございますから、どうかお目こぼしを願います」
「まあ、いいや、そんなことは出るところへ出て云うがいい。なにしろお前に用があるから呼びに来たんだ。おれが呼ぶんじゃねえ、これが呼ぶんだ」
彼の眼の前へつかみ出したのは、かの南京玉であった。それを一と目みると、豊吉はもうなんにも云わないで、すぐに長火鉢の抽斗をあけた。ふだんから忍ばせてある鰹節小刀をその抽斗から取り出して、彼はそれを逆手に持って起ちあがろうとする時、半七のつかんでいる南京玉は、青も緑も白も一度にみだれて彼の真向へさっと飛んで来た。
眼つぶしを食って怯むところへ、半七は透かさず飛び込んでその刃物をたたき落とした。葱鮪の鍋の引っくり返った灰神楽のなかで豊吉はもろくも縄にかかって、町内の自身番へ引っ立てられた。
「やい、豊。てめえ、手むかいをする以上はもう覚悟しているんだろう。正直に何もかも云ってしまえ。てめえは信濃屋に泊まっている甚右衛門とどうして近付きになった」と、半七はすぐに吟味にかかった。
「別に近付きというわけじゃありません。去年の暮に一度たずねて来て、なにか手文庫の錠前がこわれているから直してくれというので、宿屋に見に行きましたが、あいにく留守で、こっちも忙がしいのでそれぎり行きませんが、その甚右衛門がどうか致しましたか」
「白らばっくれるな。さっき南京玉を見たときに、てめえはどうして顔の色を変えた。さあ、有体に申し立てろ。手前なんで甚右衛門を殺した。ほかにも同類があるだろう、みんな云ってしまえ」
「でも親分。無理ですよ。なんで私が甚右衛門を……。今もいう通り、たった一度しか逢ったことのない男をなんで殺す筈があるんです。察してください」と、豊吉は飽くまでも抗弁した。
「まだそんなことを云うか。おれが無理か無理でねえか、南京玉に聴いてみろ」と、半七は睨み付けた。「てめえがいつまでも強情を張るなら、おれの方から云って聞かせる。あの甚右衛門という奴は正直な田舎者のように化けているが、あいつは確かに贋金遣いだ」
豊吉の顔は藍のようになった。
「どうだ、図星だろう」と、半七がたたみかけて云った。「あいつが南京玉を買いあつめているのは贋金の金に使うつもりだ。あいつらのこしらえる贋金の地金は、貧乏徳利の欠片を細かに摺り潰して使うんだが、それがこの頃はだんだん上手になって、小さい南京玉をぶっ掻いて地金にするということを俺はかねて聴いている。それも一軒の店で一度にたくさん買い込むと人の眼につくので、田舎者の振りをして方々の店から少しずつ買いあつめていたのに相違ねえ。てめえは錺屋だ。あの甚右衛門とぐるになって、贋金をこしらえる手伝いをしたろう。どうだ、これでもまだ白を切るか」
豊吉はまだ黙っていた。
「まだ云って聞かせることがある」と、半七はあざ笑いながら云いつづけた。「てめえはいい女房を持っているな。あの女は幾らで品川から連れてきた。その金はどこで都合して来た。てめえ達が一年や半年、夜の目も寝ずに稼いだって、女郎なんぞを請け出して来るほどの金はできねえ筈だ。その金はみんな甚右衛門から出ているんだろう」
ここまで問いつめられても、豊吉はまだ強情に口をあかないので、彼をひと先ず番屋につないで置いて、半七は更にその女房をよび出して、彼の家へふだん近しく出入りするものを調べた。その結果、おなじ職人の源次と勝五郎、四谷の酒屋播磨屋伝兵衛、青山の下駄屋石坂屋由兵衛、神田の鉄物屋近江屋九郎右衛門、麻布の米屋千倉屋長十郎の六人を召し捕って、一々厳重に吟味すると、果たして彼等一同共謀の贋金つかいであることが明白になった。
雪達磨の底にうずめられていた甚右衛門は、上州太田在の生まれであるが、今は一定の住所もないのである。
かれらが南京玉を原料として作りあげた贋金は専ら一分金と二分金とで、それを江戸でばかり遣っていると発覚の早いおそれがあるので、甚右衛門は田舎者に化けて、旅から旅を渡りあるいて、巧みにそれを遣っていたのであった。
それにしても甚右衛門を誰が殺したのか、それはまだ判らなかった。
四
贋金つかいは江戸時代の法として磔刑の重罪である。かれら一同はどうで助からない命であるから、誰が甚右衛門を殺そうとも所詮は同じ罪であるものの、ともかくもその事情を明白にしておく必要があるので、一同は更にきびしい吟味をうけた。そうして、かれら七人のなかで雪達磨の一件に直接関係のあるのは、かの錺職の豊吉と源次と、近江屋九郎右衛門と石坂屋由兵衛との四人であることが判った。
豊吉が品川から連れてきたお政という女は、もう年明け前でもあったが、それでも何やかやで三十両ばかりの金がいるので、豊吉は抱え主にたのんで先ず半金の十五両を入れて、女を自分の方へ引き取ることにした。のこる半金の十五両は去年の大晦日までに渡す約束であったが、とてもその工面は付かないので、彼は同類の甚右衛門にたのんだが、甚右衛門は素直に承知しなかった。
「おれのところへそんな事を云って来るのは間違っている。神田の近江屋か石坂屋へ行け」と、かれは情なく跳ねつけた。
しかし近江屋へは今までたびたび無心に行っているので、豊吉もさすがに躊躇した。よんどころなく品川の方へは泣きを入れて、七草の過ぎるまで待って貰うことにしたが、豊吉自身の手では正月早々にその工面のつく筈はないので、かれは大雪の小降りになるのを待って、三日ひるすぎに再び甚右衛門の宿へ訪ねてゆくと、町内の角であたかも彼の帰ってくるのに出逢った。豊吉はよんどころない事情を訴えて、かさねて金の無心をたのむと、甚右衛門はやはり承知しなかった。それでも豊吉が執拗く口説くので、甚右衛門も持て余したらしく、そんなら神田の近江屋へ行っておれが一緒に頼んでやろうということになって、二人は雪のなかを神田の鉄物屋まで出向いて行った。
近江屋には同類の石坂屋由兵衛と錺職の源次とが年始に来ていた。丁度いいところだと奥へ通されて、日の暮れるまで五人が酒をのんでいるうちに、甚右衛門は豊吉にたのまれた十五両のことを云い出すと、九郎右衛門も由兵衛もいやな顔をした。そして、そのくらいの金は甚右衛門が用立てるのが当然だと云った。この仕事については甚右衛門がふだんから一番余計に儲けているという不平話も出た。なにしろみんな酔っているので、ふた言三言の云い争いからあわや腕ずくになろうとする一刹那に、どうしたのか甚右衛門はうんと唸ったままで倒れてしまった。四人もさすがにおどろいて介抱したが、もう蘇きなかった。
「さあ、どうしよう」
四人は顔を見あわせた。頓死として正直にとどけて出れば論はないのであるが、彼等には何分にもうしろ暗いことがあるので、甚右衛門の死をなるべくは秘密に付してしまいたいと思った。四人は夜のふけるまで甚右衛門の死骸をそこに横たえて置いて、店の者の手前は正体なく酔っている彼を介抱して帰るように見せかけて、豊吉と源次はその死骸を肩にかけて出た。由兵衛も附き添って出た。主人の九郎右衛門もなんだか不安なので、これもそこらまで送ってゆく振りをして後から出て行った。
大雪の夜は更けて、町には往来の絶えているのが彼等のためには仕合わせであった。四人は三、四町ほども死骸をはこび出して、堀端の火除け地に捨てようとしたが、なるべく一日でも後れて人の眼につくことを考えて、かれらは協力してそこに大きな雪達磨を作った。そうして、甚右衛門の死骸をその底へ深く埋めて置いた。いっそ往来へ投げ出して置いたらば、凍死か行き倒れで済んだかも知れなかったのであったが、かれらの浅はかな知恵が却っておのれに禍いして、思いもよらない悪事発覚の端緒を開いたのであった。
勿論、かれらは甚右衛門のふところや袂から証拠となるような品々をことごとく取り出してしまった。菊一で買った南京玉も無論取り出したのであったが、心が慌てているので其の幾粒かをこぼしたらしい。そうして、その南京玉が彼等を当然の運命に導いたのであった。
贋金つかいの商人四人と共謀の錺職三人がすべて法のごとくに処刑されたのは云うまでもない。先に死んで刑戮をまぬかれた幸運の甚右衛門は、専ら旅先で贋金をつかっていたのであるが、他の商人四人は江戸市中で巧みに使用したことを白状した。
しかしその総高はまだ千両に上らなかった。
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