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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)17 三河万歳
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時代推理小説 半七捕物帳(二) |
光文社時代小説文庫、光文社 |
1986(昭和61)年3月20日 |
1997(平成9)年3月20日第11刷 |
一
ある年の正月、門松のまだ取れないうちに赤坂の家をたずねると、半七老人は格子の前に突っ立って、初春の巷のゆきかいを眺めているらしかった。 「やあ、いらっしゃい。まずおめでとうございます」 いつもの座敷へ通されて、年頭の挨拶が式のごとくに済むと、おなじみの老婢が屠蘇の膳を運び出して来た。わたしがここの家で屠蘇を祝うのは、このときが二度目であったように記憶している。今とちがって、その頃は年礼を葉書一枚で済ませる人がまだ少なかったので、表には日の暮れるまで人通りが絶えなかった。獅子の囃子や万歳の鼓の音も春めいてきこえた。 「麹町辺よりこちらの方が賑やかですね」と、わたしは云った。 「そうでしょうね」と、老人はうなずいた。「以前は赤坂よりも麹町の方が繁昌だったんですが、今ではあべこべになったようです。麹町も赤坂も、昔は山の手あつかいにされていた土地で、下町にくらべるとお正月気分はずっと薄かったものです。川柳にも『下戸の礼、赤坂四谷麹町』などとある。つまり上戸は下町で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直に四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻りをしているのは野暮な奴だというようなことになっていたんです。しかし万歳だけは山の手の方にいいのが来ました。武家屋敷が多いので、いわゆる屋敷万歳がたくさん来ましたからね。明治以後には出入り屋敷というものが無くなってしまいましたから、万歳も一年ごとに減って行くばかりで、やがては絵で見るだけのことになるかも知れません」 「どこの屋敷にも出入り万歳というものがあったのですか」と、わたしは訊いた。 「そうです。屋敷万歳はめいめいの出入り屋敷がきまっていて、ほかの屋敷や町家へは決して立ち入らないことになっていました。幾日か江戸に逗留して、自分の出入り屋敷だけをひと廻りして、そのままずっと帰ってしまうのです。町家を軒別にまわる町万歳は、乞食万歳などと悪口を云ったものでした。そういう訳ですから、万歳だけは山の手の方が上等でした。いや、その万歳について、こんな話を思い出しましたよ」 「どんなお話ですか」 「いや、坐り直してお聴きなさるほどの大事件でもないので……。あれは何年でしたか、文久三年か元治元年、なんでも十二月二十七日の寒い朝、神田橋の御門外、今の鎌倉河岸のところに一人の男が倒れていました。男は二十五六の田舎者らしい風俗で、ふところに女の赤ん坊を抱いていた。それが、このお話の発端です」
男は息が絶えていた。師走の風の寒い一夜を死人のふところに抱かれていた赤児は、もう泣き嗄れて声も出なかったが、これはまだ幸いに生きていた。つい眼と鼻のあいだの出来事であるから、検視のまだ下りないうちに半七はすぐに其の場へ駈け付けてみると、死んだ男のからだには何も怪しい疵のあとは無かった。抱いている赤児にも別条はなかった。しかし半七をおどろかしたのは、その赤児が二本の鋭い牙をもっていることであった。赤児は生まれてからまだ二タ月か三月しか経つまいと思われるぐらいの嬰児であったが、その上顎の左右には一本ずつの牙が生えていた。俗にいう鬼っ児である。この鬼っ児をかかえて往来に倒れていた男――それには何かの仔細があるらしく思われた。近所の人にだんだん問い合わせると、前の晩の夜ふけに彼によく似た男が通りがかりの夜鷹蕎麦を呼び止めて、燗酒を飲んでいるのを見た者があるとのことであった。それらの話から考えると、かれは寒さ凌ぎに燗酒をしたたかに飲んでの前後不覚に酔い倒れて、とうとう凍え死んでしまったのではあるまいかと半七は判断した。かれは木綿の財布に小銭を少しばかり入れているだけで、ほかにはなんにも手掛りになりそうなものを持っていなかったが、半七はその右の手のひらの鼓胝をあらためて、彼はおそらく才蔵であろうとすぐ鑑定した。たとえ万歳であろうが、才蔵であろうが、勝手にくらい酔って凍え死んだというだけのことであれば、別にむずかしい詮議はいらない。そのまま町役人に引き渡してしまえばいいのであるが、彼のふところに抱えていた赤児の来歴がどうも判らなかった。他国者の才蔵が赤児をかかえて、寒い夜なかに江戸の町なかをさまよい歩いていたという、その理窟が呑み込めなかった。殊に赤児が二本の怪しい牙をもっているだけに其の疑いはいよいよ深くなった。 やがて町奉行所から当番の役人が出張して、医師も立ち会いで検視をすませたが、死人のからだには仔細なく、やはり大酔のために路傍に倒れて、前後不覚のうちに凍死を遂げたものと決められてしまった。しかしかれの抱えている鬼っ児の正体は係り役人にも判らなかった。半七は八丁堀同心菅谷弥兵衛の屋敷へ呼ばれた。 「どうだ、半七。けさの行き倒れは、何者だと思う。あんな因果者を抱えているのをみると、香具師の仲間かな」と、弥兵衛は云った。 「さあ、手のひらの硬い工合がどうも才蔵じゃねえかと思いますが……」 「むう。おれもそう思わねえでもなかったが、香具師ならば理窟が付く。やあぽんぽんの才蔵じゃあ、どうも平仄が合わねえじゃあねえか」 「ごもっともです」と、半七も考えていた。「しかし旦那の前ですが、その平仄の合わねえところに何か旨味があるんじゃありますまいか。ともかくもちっと洗いあげてみましょう」 「節季師走に気の毒だな。あんまりいい御歳暮でも無さそうだが、鮭の頭でも拾う気でやってくれ」 「かしこまりました」 半七は受け合って八丁堀を出たが、どこから手をつけていいかちょっと見当が決まらなかった。大江戸の歳の暮に万歳や才蔵を探してあるくのは、その相手のあまり多いのに堪えなかった。なんとかして手っ取り早く探し出す工夫はあるまいかと考えながら、師走の忙がしい往来を、本郷の方角へぶらぶらあるいて来ると、橋の袂で二十四五の男に出逢った。 「やあ、親分。お早うございます」 かれは亀吉という手先であった。もとは豆腐屋の伜で、道楽の果てから半七のところへ転げ込んで来たので、仲間では豆腐屋亀と呼ばれていた。 「おい、豆腐屋。いいところで面を見た。おめえにすこし助けて貰いてえことがあるんだが……。おめえは鎌倉河岸の行き倒れを知っているか」 「知っています。今おまえさんの家へ行って、姐さんから詳しい話を聴きました。その行き倒れの抱えていた因果者というのが変じゃありませんか」 「それを少し洗って見てえんだ。才蔵が因果者をかかえて行き倒れになっている。どう考えても、変じゃねえか」 「変ですとも……。打っちゃって置くと、よその仲間に飛んだ鼻毛を抜かれますぜ」 「そんなことがねえとも云われねえ」 ふたりは立ち話で相談をきめた。亀吉はおなじ子分の善八と手分けをして、亀吉は因果者師の方を調べる。善八は万歳の群れをあさる。こうして両方から洗いあげて行ったら、何かそこに一つの手がかりを見つけ出すであろうとのことであった。 「じゃあ、頼むぜ」 亀吉にたのんで、半七は三河町の家へ帰った。その夜の五ツ(午後八時)過ぎになって、亀吉は寒そうな顔を三河町へ持って来た。なにぶんにも自分ひとりでは手が廻らないので、彼はほかの子分どもにも加勢をたのんで、江戸じゅうの香具師や因果者師をそれからそれへと詮議したが、この頃に鬼っ児などを取り扱った者もなかった。鬼っ児などを取られた者もなかった。香具師仲間の詮議の蔓はもう切れた、と、亀吉は落胆したように話した。 「そうすると、因果者には何もかかり合いのねえ素人の餓鬼かな」と、半七は考えながら云った。 「まあ、そうでしょうね。香具師の仲間で猫の児をなくしたとか云って力を落している奴があるそうですが、猫の児じゃしようがありませんからね」 「そうよ、けさのは確かに人間の子だ。猫の児じゃあねえ」 云いかけて半七は又かんがえていた。行き倒れの才蔵がふところに抱えていたのは、決して猫の児ではなかった。いくら因果者の鬼っ児でもそれが確かに人間の子である以上、それを畜生の児と一緒に見なすわけには行かなかった。しかしその一緒に見なされないものを一緒に結びつけて考えるのが、自分たちの眼の着けどころであると半七は思った。人間の子と猫の児と、そこにはどういう不思議の因縁がからまっているかということを彼はいろいろに考えてみた。 「そこで、そのなくしたとかいう猫の児はなんだ。金眼か銀眼か、それとも尻尾が二、三本あるとでもいうのか」 「それは聞きませんでした。猫の児じゃあしようがねえと思ったもんですから」と、亀吉はきまりが悪そうに頭を掻いた。「すると、その鬼っ児と猫の児と何か係り合いがあるんでしょうか」 「そりゃあまだ判らねえ。が、それがどうも気になる。御苦労だがもう一度行って、その猫の児をどうしてなくしたのか。その猫はどういう猫か詳しく訊いて来てくれ」 「ようごぜえます。善八の方からはなんにも云って来ませんかえ」 「あいつの方からは沙汰なしだ。だが、あいつの方はちっと面倒だからすぐには行くめえ。なにしろ頼むよ」 亀吉は承知して帰った。
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